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第16話 タイムカプセル

灯里はソファにうずくまり、スマホの画面をじっと見つめていた。


伊藤とのトーク画面には、何度も打っては消し、消してはまた打つメッセージが並ぶ。

けれど結局、どれも送れずに終わった。


白金雅貴は一体、何を考えているのだろう?

サイズは伝えたのに、送り先の住所については一向に答えてこないなんて。

からかわれているのかも、とすら思う。


この大物の考えはさっぱり読めないし、そこまで気にする気力も湧かなかった。

未だ片付かないスーツの件さえなければ、彼と自分の人生はもう二度と交わることなどないはずだ。


リビングの外から足音が聞こえてきた。

灯里はとっさにトーク画面を閉じ、膝を抱えていた足を下ろす。


「服も靴もバッグもアクセサリーも、全部どこにやったんだ?」


湊斗が入ってくるなり、いきなり問い詰めてきた。


灯里の心臓が一瞬止まりそうになる。


まさか、バレた?


今日は何なの?

わざわざ夕飯を食べに来たかと思ったら、勝手に二階に上がってクローゼットまでチェックして……。


「服と靴はクリーニングに出したし、バッグとアクセサリーはメンテナンスに出したけど」


表面上は平然と、少し無邪気さも装って答える。


「最近ずっと家にいるし、部屋の整理でもしようと思って。クローゼットが物で溢れてたから、着たものも着てないものも全部まとめてクリーニングに出しちゃった。

バッグやアクセも使ってるうちにダイヤが曇ったり、端が傷んだりするから、ちょうど時間もあったしメンテに出したの」


理由はごく自然。

湊斗はまだ何か腑に落ちない様子だったが、灯里の説明を聞いて少しは納得したようだった。


最近は確かに、ずっと家の中を片付けている姿を何度も見かけたし。


「そんなに急ぐことないだろ。どうせまだ家にいるんだし、ゆっくりやればいい」

「もうすぐ旅行に行くでしょ」


灯里は明るい調子で言う。


「出発前に、家をきれいにしておきたかっただけ」


言っていることは理屈に合っているのに、湊斗の胸の中には何とも言えない違和感が残る。

ふと、ソファの上にあった深い紺色のショッピングバッグに気づき、手を伸ばす。


「これ、俺に――」

「違う――!」


灯里は思わず声を上げて制止し、身を乗り出して阻止しようとした。

二人とも言葉を飲み込み、動きが固まる。


湊斗の顔が一瞬で険しいものに変わる。

灯里は素早く切り替え、「お父さんに買ったの」と付け加えた。


……


湊斗の目には、あからさまな落胆の色が浮かぶ。


「お父さんに買うなら、夫にも一着くらい考えなかったのか?」


灯里は淡々と返す。


「スーツ、足りてないの?」


ふーん、戸崎夜亜の家に置いてあるスーツの方が、自宅のより多いんじゃない?

湊斗は言い返せなくなった。


灯里はそれ以上相手にせず、ソファのスーツ袋を抱え、スリッパを履いてリビングを足早に出ていく。

階段を駆け上がる音が響いた。


書斎に身を隠し、しばらくして車が出ていく音が聞こえた。

灯里はほっと息をつく。


…………


翌日、日曜は快晴だった。

灯里は一人で、かつて湊斗と通った高校へ向かった。


校内は静かで広々としており、制服姿の生徒がちらほら見えるだけ。


彼女は思い出のままに校舎の窓の下を通り、並んで歩いた並木道を抜け、汗を流したグラウンドの脇で足を止めた……。


最後に向かったのは人工池のそばの竹林。

人目につかない一角で、昔二人で埋めたタイムカプセルを掘り出す。


大学入試の前夜、彼が灯里の手を引いてここに来て、スマホの小さな灯りを頼りに膝の上で未来への願いを書いた。


「二十年後、一緒に開けよう」


そう彼は言っていた。

その時の彼の目の輝きは、星よりもまぶしかった。


灯里は静かに微笑み、箱を開けて自分のカプセルだけを取り出す。

――さようなら、湊斗。


…………


その頃、湊斗は企画部のマネージャー室にいた。

ブラインドはきっちり閉じられ、ドアも閉め切られている。


外で働く企画部の社員たちは、内心で毒づいていた。

湊斗は夜亜が作ったプロジェクト資料をめくっていたが、読むほどに表情が険しくなる。


夜亜は彼の苛立ちなどどこ吹く風といった様子で、湊斗の肩に身を寄せ、手は彼の体を探っている。

灯里ほど美人ではないが、夜亜は大胆で、男の欲望の扱い方をよく知っていた。


――男にとっては、心と体は別物なのかもしれない。


「湊斗、ここで……したくない?」


夜亜の手がさらに下へ伸びる。


「やめろ!」


湊斗は全くその気になれず、夜亜の手を振り払い、資料を机に叩きつけた。


「これが、徹夜で仕上げた仕事か?!」


彼女の能力が高くないことは分かっていたが、まさかここまでとは……。

呆れるしかない。


湊斗は頭を押さえながら、企画部を灯里が仕切っていた頃の、すべてがうまく回っていた日々を恋しく思った。


夜亜は叱られて、口を尖らせる。


その時、湊斗のスマホが鳴る。

画面を一瞥し、窓辺に立って電話に出た。


「どうした」

「奥さま、今日また外出されました。とある高校に長時間滞在後、スマイルズというマンションに向かいました。あそこはセキュリティが厳しくて、住人以外は入れません」


監視役の報告だ。

湊斗は聞くほどに胸騒ぎがした。


高校?マンション?


「住人以外は入れない?知り合いがいれば?」

「住人から事前連絡があれば、入れると思います」

「住所を送ってくれ。引き続き見張っておいて」

「かしこまりました」


電話を切ると、苛立ちがさらに募る。

こちらは愛人が問題を起こし、向こうでは妻が謎の行動――。


振り返ると、夜亜がいつの間にか抱きついてきていた。


「ふん、あの女のことなんて気にする必要ないじゃない。もう愛してないんでしょ?」


湊斗は苛立ちを抑え、夜亜を強引に引き離し、両肩を掴んで厳しい口調で言い放つ。


「企画書をやり直せ。本気でやれ。分からないことは、企画部のリーダーに相談しろ!」


そう言い捨てて、冷たい表情のまま部屋を出て行く。

夜亜は怒りに震え、机の上の物を手当たり次第に投げつけた。


相談しろ?

私があんな下っ端たちに?!


……待って、リーダーって……みんな灯里の部下じゃない。

湊斗は、私に灯里の手下に頭を下げろっていうの?!


怒りが爆発し、そのまま内線で三人のリーダーを呼び出し、いきなり罵倒を浴びせかける

一組リーダーの瑠衣が小さく反論した途端、夜亜は平手打ちを食らわせた。


他の二人は怒りをこらえ、口をつぐむしかなかった。


これがいわゆる「お嬢様」……? 


…………


灯里はタイムカプセルを新しい家の本棚の目立つ場所に大切に置いた。

燃やしたり捨てたりする必要はない。


この中には、湊斗だけでなく、彼女自身の若くて純粋だった日々も詰まっているのだから。


ふいにスマホが鳴る。

画面には湊斗の名前。


さすがに彼も、そろそろ結婚生活の終わりを感じ始めて、最後の足掻きをしてるのかもしれない。


灯里は電話に出なかったが、切ることもしなかった。

着信音が止まると、今度はメッセージの通知。

うんざりしながら開くと、送り主は湊斗ではなく――


伊藤正だった。


白金雅貴……ようやく新しい動きがあったのだろうか。

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