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第4話 夜の来訪者

 翌日の昼休み。屋上のフェンス際で、藍良はぐったりとうなだれていた。


「……消えたい」


 その隣で、咲が紙パックのリンゴジュースをちゅうっと吸う。


「大丈夫?まだ引きずってる?」

「もう最悪。昨日の借り物競争以来、クラス中の女子に詰め寄られるし、『付き合ってるんでしょ?』『どういう関係?』って変な噂まで立てられて」

「いやー白月くん、もはやモテ王子だもんね~。でもしょうがないって。あんな形で告られちゃったら、そりゃあ噂も立つでしょ」


 藍良は顔を伏せたまま、呟く。


「そんなんじゃないから」

「でもさ、あのときの千景くん。カード見た瞬間、真っ先に藍良のとこ来たじゃん?しかもちょっと照れてたし。……もしかして一目惚れ、とかしちゃったんじゃないの!?」


 キャッキャッと楽しそうにはしゃぐ咲。そんな彼女を、藍良は無表情でジトーっと見つめた。藍良の心情を察したのか、咲は小さく咳払いをして押し黙る。そしてふと、フェンス向こうに目をやった。


「あっ。噂をすれば」


 藍良もつられて顔を上げる。そこには、校庭の隅で数人の女子たちに囲まれる千景の姿があった。その様子はどことなく困惑しているように見える。


「すご……。完全に囲まれてるじゃん」


 藍良は無言でそれを見つめたあと、小さく首を傾げた。すると次の瞬間、千景が顔を上げた。バッチリ目が合う、藍良と千景。


 千景は柔らかく微笑むとそっと会釈をした。だが、藍良はすぐに目を逸らし、そのまま背を向ける。そして、彼から隠れるように小さくしゃがみ込んだのだった。


 ☽  ☽  ☽


 夜十八時。藍良が寺の玄関を開けると、出汁のいい香りが漂っていた。途端に顔を明るくし、藍良は小走りで台所へと向かう。そこにいたのは父・慈玄。エプロン姿で、器に料理を持っているところだった。


「お、ちょうどいいところに帰ってきたな」

「なになに!めっちゃおいしそう!」

「最近は藍良に任せっぱなしだったから。今日は父さんが頑張った」

「すごいじゃん、品数も多いし!」

「前におかずが少ないって文句言ったの、父さんはちゃんと覚えてるぞ。今日は絶対言わせない」


 そう言ってふふんと笑う慈玄。藍良はそんな慈玄を見て、声を出して笑った。それから十分後、食卓には湯気の立つ味噌汁に焼き魚、出汁巻き卵にお漬物──素朴だが、丁寧な料理がずらりと並ぶ。


「それじゃあ、せーの」

「いただきます」


 藍良はまず、味噌汁をひとくち。昆布出汁のやさしい味が、じんわりと舌に広がる。


「……ん~おいしい!」


 藍良のひと言に、慈玄はにっこりと笑う。それから藍良は箸を止めることなく、パクパクと料理を口に入れた。すると、程なくして慈玄は箸を置き、少し気まずそうに口を開く。


「あのな、藍良」

「ん?」

「……ちょっと話があってな」


 藍良は一瞬動きを止め、眉を寄せて身構える。


「……もしかしてお風呂の換気扇のこと?」

「え?」

「変な音がするんだよね、カタカタカタ…ってさ。昨日お風呂入ったとき気になって。言おうと思ってたのに、忘れてた」


 きゅうりの漬物を箸でつまみ、ぽいっと口に入れる藍良。ポリポリと噛んでいると、向かいの慈玄が目を丸くする。


「……ん?」


 藍良はモグモグしたまま、首を傾げた。


「違うの?」


 慈玄は一瞬口を開きかけ、そして目を伏せる。


「……いや。もうちょっと、大事な話、かな」


 その言い方に、藍良は思わず箸を止めた。


 沈黙。


 ふと視線をやった先に、母の遺影が目に入る。


 ……まさか。


 藍良は顔を上げ、目を見開いた。


「……再婚!?」


 この言葉に、慈玄はぶっと吹き出した。


「あほ!父さんは母さんに操を立ててる!」

「あはは、ごめんごめん」


 藍良はパタパタと手を振って誤魔化す。慈玄も笑いながら、ふうっと息を吐く。しかし、すぐに真面目な顔つきに戻り、藍良に向き直った。


「実は、遠縁の親戚の知り合いが、最近事故で亡くなってな。その息子が、今度進学を機に住み込みの受け入れ先を探してるそうなんだ。で、うちに預けられないかって……頼まれて」


 しどろもどろになりながら、慈玄は続ける。


「受験シーズンが終わるまでの期間限定だけど、その子を、うちで預かろうと思ってる。部屋は余ってるし、まあ下宿みたいなもんだな」

「えっ」


 藍良は目を瞬かせる。


「……急だね。ってか、受験ってことは私と同い年?」


 慈玄は申し訳なさそうに、こくりと頷いた。


「……嫌か?藍良は」


 藍良は黙り込み、小さく息を吐いた。


 慈玄は昔からそうなのだ。困っている人を見ると放っておけない性格で、何かと世話を焼きたがる。藍良もそれはよくわかっていた。


 町内会の役員を押し付けられたときだって、本当はやりたくなかったくせに、「頼まれたから仕方ない」と渋々引き受けていた。


 押しが弱いのか、人が良すぎるのか。大金を貸すような無謀さはないが、娘の藍良としては、お人好し過ぎる慈玄が心配でもあった。


 さらに厄介なことに、慈玄は大抵こういう話を全部決まってから藍良に言う。つまり、藍良がなにを言ったところでもう手遅れなのだ。藍良は、慈玄を少し睨みこう言った。


「……嫌に決まってんじゃん。でももう『受け入れる』って言っちゃったんでしょ?」


 気まずそうに慈玄は頷く。


「じゃあ、受け入れるしかないじゃん」

「ちゃんとルールは守らせるから」


 そう言って、慈玄はあぐらをかいた膝に両手をつき、ぺこりと頭を下げた。藍良は、ふぅっとため息をついて箸をお膳に置いた。カチャッという音に、慈玄は少しビクッとする。


「あのさ、いつも思ってたんだけど、なんでもかんでも、そうやって二つ返事で引き受けるのやめなよ。困ってる人見ると断れないその性格も、全部決まってから私に言うのも、もうやめてよね。次からはちゃんと事前に相談して、絶対」

「……ごめんなさい」


 素直に頭を下げる慈玄。その姿に少しだけ肩の力が抜けて、藍良は味噌汁が入った椀に手を伸ばす。ぶすっとした顔で味噌汁に口をつけながら、藍良はぽつりと尋ねる。


「で?その人の名前は?」

「え?」

「その息子の名前。預かるっていう人の」

「ああ……確か、千景だったかな。白月千景」


 ──カランッ


 藍良の手から、箸が音を立てて落ちた。だが、慈玄はそんな藍良の様子に気付かない様子だ。


「近々、お前の学校に転校してくるって聞いたよ。きっと、学校でも会うことになると思う。友達もいないし、心細いだろうから仲良くしてやってな」


 ──いや、もうとっくに来てますけど。


 そう突っ込む気持ちをグッと堪え、藍良は感情の赴くままに言葉を続けた。


「やだ」

「え?」

「無理。絶対無理。……前言撤回させて。断って、今すぐに!」

「ちょ、どうした?突然」

「ほんと無理、マジで無理。今ならまだ間に合うから──」


 そのとき。


 ──ピンポーン。


 唐突に、インターホンが鳴った。


「……誰だろう?ちょっと見てくる」


 パタパタと立ち上がり、玄関へ向かう慈玄。一方の藍良はその場に凍りついた。


「やばい……やばいやばいやばい……最悪!!」


 テーブルに突っ伏しながら、母の遺影をちらりと見て、藍良は顔を歪める。


「どうしよう……お母さん」


 そのとき、ガラッと襖が開いた。


「いや~ビックリしたよ」

「誰だったの?宅急便?」

「いや……ほんと、噂をすれば影ってやつだな」


 慈玄の後ろから、すっと影が現れる。そこには、大きなリュックを背負った白月千景が、静かに立っていた。


 彼は藍良と目が合うなり、いつもの微笑みを浮かべ、ぺこりと会釈をする。藍良はその眩し過ぎる笑顔に、めまいがしそうになった。


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