そよ……と優しい風が、ネコーのひげを撫でていった。
ひげは、ふよふよと揺れている。
ひげを揺らしながら、にゃんごろーは空を見上げ、それから、ぐるうりとゆっくり一回転して、周囲の様子を観測する。
何分かなりの高所なもので、どこを向いても空が見えた。
今日は良いお天気で、透き通る青のキャンバスに上には、白絵具を含ませた筆をさっと刷いたような雲が、ほどよくたなびいている。多少の筆加減の差はあれど、どこも似たような景色だ。
しかし、にゃんごろーは、ただ景色を眺めているわけではなかった。
不思議ハンターとして、魔法を観測しているのだ。
魔法生物であるネコーにとっては、その気にさえなれば朝飯前のことだった。
「…………ふーみゅ? タンポポ野原の周りだけじゃなくて、この長い筒……タンポポの塔全体に、魔法がかけられているみたいだねぇ? そういえば、風が優しいだけじゃなくて、足元がポカポカしている。お顔のほうは、ちょっと涼しいけど……。うみゅぅ、やはり、タンポポを守るための魔法を、誰かがかけたのかにゃー……? しかしぃ、一体、誰が?」
ひとまず、ここはタンポポの塔と命名されたようだ。
ネコーの言う通り、ここは高所のわりには、タンポポに優しい環境だった。強風から守られているだけでなく、本来この標高ならば、もっと気温が低いはずなのに、タンポポにふさわしい春のポカポカ陽気なのだ。
ここまでは、言葉遣いのゆるさはともかく、順調だった。
順調に、状況の分析が出来ていた。
――――が、ここからがネコーの本骨頂だった。
にゃんごろー節がさく裂した、ともいう。
こてーん、と首をかしげていたネコーは、ハッともふ顔を定位置に戻した。
「もしや! これは、タンポポ好きぃ!……な巨人さんか巨ネコーの仕業にゃのでは? もっのすごおーく背が高くて高すぎちゃって、そのせいでぇ。地上のタンポポはぁ、よく見えにゃい。だから、背が高すぎるぅさんでも見やすい高さに飾ろうと、土で細長ーい塔みたいな台を作って、その上にタンポポ野原…………んーにゃ、高すぎぃさん専用のタンポポ花壇を作った……。うーみゅ、にゃるほどぉ。そういうこと、らっちゃのか! しかし、それならば、納得できる! うーみゅぅ! なんという、説得力! こんなに高くて大きな不思議を発見しただけでなく、出会ってすぐにその不思議の解明までしてしまうとは! さすが、にゃんごろー! それでこそ、一流のぉ、不思議ハンター!」
ハッ!――――とひらめいた顔で、にゃんごろーは珍説を披露した。こどもの空想のようなお説だが、当のネコー的には素晴らしく説得力にあふれた説明に感じられたようだ。にゃんごろーは、「むふふー」と笑いながら自画自賛し、尻尾をぶんぶんと振り回した。
大分、興奮しているようだ。
しばらくして、尻尾の落ち着きを取り戻したにゃんごろーは、もふりと腕を組んだ。そのまま、カッチコッチと上半身を左右に揺らし、ネコー型メトロノームになりながら、さらなるにゃんごろー流考察を続けていく。
「ん-みゅ。巨人さんかなー、巨ネコーかなー。んー、ネコーの魔法とは違う感じがするから、巨人さんかなぁ? なんかー、こーう、しっかりした魔法だよねぇ、これ。ネコーの魔法は、もっとゆるゆるぅって感じだもんねぇ」
巨大生物の作品であることは、もう確定で、巨人の作品か巨ネコーの戯れかを検証した結果、感知した魔法の痕跡から巨人の線が濃厚となった。
表現はざっくりしているが、一応ちゃんと根拠はあるようだ。
ネコーメトロノームが、ピタリと動きを止めた。
「うみゅ! どうやら、ここで出来る調査は、ここまでのようだ! 後は、念のために地元の人やネコーのみんなに聞いてみよう。小料理屋や居酒屋で美味しいものを食べながら、巨人さんか巨ネコーの伝承とか知らないか聞き取り調査をすれば、完璧ぃ! おとうふを極めながら、不思議も集めちゃうなんて、にゃふふ、にゃんごろーってば、優秀……。にゃふ、にゃふふ、じゅるり……」
調査らしい調査をしていたようには思えないが、一流の不思議ハンターを自称するネコーは、現場での調査を終了することにしたようだ。念のため、裏付けとして、この地に伝わる伝承について聞き込み調査をするつもりではいるようだが、どう考えても調査は口実で、本命はおとうふの方だった。
「さて、そうとなったらぁ♪ 卵のお船で、ドーナツの島にお邪魔しちゃ…………う前に、せっかくだから、あれをやらないとだよね。うん、うん」
お弁当を食べて珍説をいくつか披露しただけで一仕事を終えたつもりのネコーは、にゃふにゃふ笑いながら、ちょいとかがんで足元の綿帽子を一つ摘み取った。
もちろん、この後にやることは、一つである。
「せーの…………ふーーーーっ!」
摘み取った真ん丸綿帽子を口元に近づけると、ネコーは勢いよく息を吐きだした。
帽子を飾っていた綿毛たちは旅立ち、帽子はハゲ帽子になった。
そよそよと優しい魔法仕掛けの風に乗った白い綿毛たちは――――。
「わぁー…………い? え? ええー!? にゃー! にゃに、これぇ!? すっごーい! わ・わ・わ・わ・わぁん♪」
見えない絵筆で一撫でされたように、ほのかに鮮やかに色づいた。
絵筆は、何本もあるようで、赤・青・黄色・オレンジ・緑……と大盛況だ。
「真っ白綿毛が、こんなに華やかぁー……に、にゃっにゃっにゃあー♪ うーみゅ。これはぁ、タンポポにもぉ、負けていなーい♪ いろんな色が、あ・るぅ♪ ここはタンポポ野原なだけじゃなくて、七色綿毛の楽園でもあっちゃのかぁ……!」
ネコーは零れ落ちそうなほどに瞳を見開き、感動に打ち震えた。
光の加減もあるのか、グラデーションにかなりの幅があり、実際には七色どころの騒ぎではなかった。
「うーみゅぅううう。七色よりも、もっといっぱいぃ……。これは、お祭り騒ぎ色というべきぃい♪」
言いたいことはわかるが、場の雰囲気的には七色と表現したほうがあっている。しかし、ネコーはお祭り騒ぎ色が気に入ったようで、「お・祭りぃ♪ お祭りのぉ・お・い・ろぉん♪」と歌いながら、次々と綿帽子を摘み取り、三色だけだった楽園を鮮やかに彩っていく。
「ふぉおおおおう♪ うっつくしぃいいいん♪ これはぁ♪ まさしくぅん♪ お・ま・つ・り♪ さわぎ・い・ろぉん♪」
騒がしいのは歌い踊っているネコーだけで、魔法の絵筆が彩る綿毛の楽園は、絵本の見開きページにふさわしい美しさとかわいらしさがほどよく同居した幻想空間だった。
見えない絵筆は、何本もあるだけではなく、とても働き者なようで、綿毛たちは風に乗って移動するたびに、色を変えていった。
まるで、万華鏡の中の世界が筒の中から飛び出してきたようだ。
綿毛を飛ばし終えたネコーが幻想的に色づいて舞い踊る綿毛の中に突撃して、ご機嫌で歌い踊っているのも、それはそれで、絵本的ではあった。
綿毛の舞が終わるまで、ネコーは歌い、踊り続けた。ひとりでお祭り状態だ。
やがて舞が終わると、ネコーも歌と踊りを止め、満足の顔で大きく息を吐きだした。
綿帽子「ふーっ!」から始まった騒がしくも幻想的な宴は、満足の「ふぅー」で幕を閉じた。
「うーみゅ。本当は、もっと遊びたいけど……。綿帽子の独り占めは、よくないもんねぇ。今日はこれくらいにして、次にやって来る人とネコーのために、取っておいてあげよう」
こんなところまでフラフラやってくるネコーはともかく、人はあまりいないとは思うが、それはそれとして、なかなか殊勝な心掛けである。次にやって来るネコーの中には、にゃんごろー本ネコーも含まれていそうなニュアンスではあるが、まあそれはそれだ。
「んー、でもでもぉ? このお祭り騒ぎ色魔法は、塔の周りの魔法とは、違う感じがするねぇ。塔の魔法は、人間の魔法っぽかったけど、こっちは、なんか、ネコーの魔法っぽいような?」
にゃんごろーは、腕を組み、カーッチコーッチと揺れだした。
やがて、ネコーメトロノームは、ただのネコーに戻り、ネコーはしたり顔でこう言った。
「どうやら、ここの不思議は、一筋縄ではいかないようだ! 続きは、美味しいものを食べながらの聞き取り調査の後に考えよう! 初志! 貫徹!…………じゅるっ……」
どうやら、考えることを放棄したようだ。
この島のおとうふを楽しみたい気持ちにも負けたのだろう。
にゃんごろーは、意気揚々とお口を開いたままの卵船に向かいかけ、「そうだ!」とひらめいた顔で足を止めた。その場でかがんで、いそいそと綿帽子を持てるだけ摘み取る。先ほど、次なる来訪者のためになどと宣ったばかりではあるが、まあ、ネコーひとりが摘める量などたかが知れているし、まだまだ綿帽子はたくさん残っているのでセーフである。
にゃんごろーは、魔法の力も使い、腕の中いっぱいに綿帽子を閉じ込めて、今度こそ卵船に向かい、綿帽子を手にしたまま乗り込んだ。小柄なにゃんごろーには、卵船は少々大きくて、乗り込むときには手を使わないとならないのだが、にゃんごろーは慌てなかった。
ネコーは、魔法生物なのだ。
手が使えない時は、魔法を使えばいいのだ。なんなら、手が使える時でも、魔法を使ったほうが早い時もあるのだ。
にゃんごろーは、普段は手を使って身軽に搭乗(傍からどう見えるのかはともかく、本ネコーの主観では身軽ということになっている)するのだが、この時は、魔法の力で足場を作り出して、悠々と座席に収まった。
「それでは、いざ! はっ・しぃーん!」
にゃんごろーは、大胆にも卵のお口パッカン状態で船を発進させた。
「にゃふふー。塔の周りは風が弱いから、大丈夫だと思うけど、ゆっくり、ゆっくりねー」
卵船は口を開けたまま、ふよんと軽く浮き上がり、タンポポ野原をふよふよと進む。
そして、塔の淵を出ると、ちょいとばかり高度を下げてから、塔の壁にクルンと向き直る。
壁から近すぎず遠すぎない絶妙な位置で、にゃんごろーはもふ顔に満面の笑みを浮かべ、塔の壁土に向かって、綿帽子を「ふーっ!」した。そのまま、横にふよふよと水平飛行しながら、塔の壁に綿毛を根付かせていく。もちろん、しっかり均等に根付くように、魔法の力も使っている。
綿帽子が全部ハゲ帽子になってしまったら、タンポポ野原に採りに戻った。何度か繰り返し、できれば塔を一周したかったのだが、途中で飽きてしまった。
「ふー。今回は、このくらいでいいかー。半分くらいは、できたのかなー? にゃふふー。壁からタンポポが咲くのが楽しみだねぇ。ドーナツの島から、見えるといいなぁ。突然壁にタンポポが生えてきたら、きっと、みんなびっくりするよねぇ。にゃふっ」
何度目かの綿帽子をすべてハゲ帽子にしたところで、ネコーはいたずら(?)を終了した。続きをやりに来るかは、未定である。次に訪れたネコーが、引き継いでくれるかもしれないし、もっと面白いひらめきを爆発させてくれるかもしれなかった。
「むふん♪ 今日は、よく働いたー。不思議をいくつもひも解いて、その代わりに、にゃんごろーも新たな不思議を生み出しちゃったし♪ にゃふふん。一流の不思議ハンターたるもの、一つ不思議を解いたら、代わりの不思議を生み出さねばならないのだ! 不思議の独り占めは、よくないからね! にゃふっ。今日は、ほんちょーに、いい仕事をしたんだにゃー。頑張ったから、夕ごはんは、ちょっと豪華にしちゃおっかなー♪ にゃーふ・にゃふ・にゃふ・じゅる・じゅる・じゅ・る・るん♪」
何一つ不思議を解き明かしていない不思議ハンターは謎理論を展開して自分を甘やかすことを決めると、器用にもすすり上げる涎で音階を刻みながら、卵の口を閉じた。
卵の船は、ふいーんと軽やかに、ドーナツの島に向かって降りていく。
綿帽子に絵筆の魔法は、こんな風に次に来る誰かをびっくりさせようと魔法を使った、とあるネコーのいたずら心の産物かもしれないし、あるいは――――。
雅な心を持つ芸術家ネコーが、その感性を魔法に乗せて創り上げた幻想のアートなのかもしれなかった。