海に浮かんだドーナツの真ん中から、指が突き出ているように見えた。
ドーナツ状の島の真ん中に湖があって、そのまた真ん中から、土に覆われた塔のような円筒のものがズドーンと天に向かって伸びているのだ。
まぁるく切り抜いた大地が、にょいーんとお空に飛び出して出来上がったかのようだ。
大都会に群立する高層ビルくらいの高さがある。
飛び出した大地は、自然に出来たとは思えない、綺麗な円筒型をしていた。
正確に、円を描いている。
太古の人工物が長い年月を経て自然と同化したもののようにも、神様がいたずらをした大自然の産物のようにも思えた。
天辺には、タンポポが咲き乱れていた。
綿帽子も揺れている。
鮮やかな黄緑色をした葉と茎のキャンパスの上を優しい黄色と柔らかな白が程よく散りばめられている。
まるで、神様の子どもがお絵描きをした天空のお絵描き帳のようだ。
その天空のタンポポアート会場を目指して、ふよふよと飛んで行く卵があった。
こちらは、人工物のようである。
卵には、どこか遠くを見つめている青い猫の絵が描かれている。卵を横にした、その真ん中、両サイドに猫はいた。どちらも、卵の尖った方に顔を向けている。
卵は、タンポポアート会場の真ん中でも端でもないほどほどの場所に、ふよんと横向きに着地した。
そして、卵は孵化した。
「卵のお船がパカーンと開いてネコーが、にゃー! にゃはははははー! とーうっ!」
先端からパカンとお口を開いたその中から、ご機嫌なネコーがひとり、生まれ……飛び出してきた。
白が混じった明るい茶色柄の若い男ネコーだ。
名を、にゃんごろーという。
タンポポ畑に降り立ったにゃんごろーは、キラッキラに目を輝かせた。
「ほっほっほぉっ♪ ほ・ほ・ほ・ほ・ほおぅー♪ ドーナツのわっこの中からぁ、お鼻がにょーんと伸びているのが見えたからぁん、あれは何かと来てみればぁ♪ こーんなお空の高いところにタンポポ野原があったとはぁ♪ びっくり・びっくり・あら・ふしぎーぃ♪ ふー・し・ぎ・ふしぎぃ♪ こーれは、ふ・し・ぎぃ♪」
にゃんごろーは、歌いながら両手を空へ突き出し、ちょいと落とした腰をリズミカルに左右に振った。遅れて尻尾がついて行く。
歌い終わると、にゃんごろーはお尻フリフリダンスを止めて、もっふりと腕を組んで自画自賛を始めた。
「むっふっふぅーん。前いたところを出発したその日に、こんなに不思議なところを見つけてしまうとは! さすが、にゃんごろー! 一流の不思議ハンター! さっそく、この不思議を解明しなくて……」
…………が、キュルキュルキュルーン♪――――と。
誰に向けてのものなのか不明な御高説の途中で、腹の音が軽やかに鳴り響いた。
「……わっふっふぅん。その前に、ちょっと早いけど、お昼ごはんにしーちゃおうっと。おとうふネコーとして、お腹の声には応えないとねぇ。にゃっふっふーん♪」
にゃんごろーは、切ない顔つきでお腹を撫で回し、まずは空腹を宥めてやることを決めると、今度は上機嫌で鼻歌を歌い出した。
飛び降りたばかりの、まだお口パッカンしたままの卵船に、「とう!」と飛びついて、座席に上半身を突っ込み、お目当てのものを見つけると、両手で大事に持ち、ヌルンと船体を滑り降りた。
おとうふネコーが大事に持っているのは、茶色い紙袋だった。
「にゃふふふふー♪ 朝早くに美味しそうなサンドイッチの屋台を発見して、『そうだ! これを今日のお昼にするために、出発しよう!』って決めて、前の街とバイバイして、それでこんなに素敵な、今日のお昼に相応しい場所を見つけてしまうとはぁ~♪」
にゃんごろーは、花が少なそうな場所を探して、そこに座ると、紙袋の中身を取り出した。
美味しそうなタマゴサンドと紙パックのカフェオレだ。
タマゴサンドのタマゴペーストには、刻んだキュウリも混ぜ込まれていた。
「黄身と白味とキュウリの緑が、タンポポのお花と綿帽子の白と葉っぱの緑のお色と一緒~♪ 運命を感じるぅ♪ この出会いは、タマゴサンドのおみそ汁だったのかもぉ~♪」
微妙な料理名が飛び出してきたが、おそらく、タマゴサンドのお導きと言いたかったのであろう。
ネコーは透明なビニールの包装を器用に解きながら、ウキウキと歌った。
器用にと言っても、ネコーのもふ手は足の上に載せたタマゴサンドの上をクルクル踊っているだけで、包装に爪を立てることすらしていない。
魔法の力を使って、包装を解いているのだ。
ネコーとは、猫そっくりの外見をした魔法生物なのだ。ただし、猫と違って二足歩行で立って歩き、魔法の力で人語を操ることもできる。身長は、もちろん個ネコー差はあるが、大体人間の大人の腰の辺りだ。
にゃんごろーは、成ネコーとしては、少々小柄な方だった。本ネコーは、もっと体が大きければ、もっとたくさんごはんを食べられるのにと、とても残念に思っている。
さて、透明な包みを開けると、中からはホワンとタマゴとマヨネーズの匂いが香り立ち、にゃんごろーは顔を綻ばせた。
ジュルリ……と口の端を光らせはしたが、はしたなくも滴らせたりはしなかった。
涎を啜り上げている時点で、すでにお上品ではないのだが、本ネコーはギリギリセーフだと思っている。
サンドイッチは、三切れあった。
全部、同じ。キュウリ入りのタマゴサンドだ。
三角形の断面からは、まろやかな黄色とツルツルしていそうな白と心地よい歯ごたえを予感させる緑が覗いている。
「それではぁ、準備が整ったところでぇ、いっただっきみゃ♪」
タマゴサンドの一切れを両手で大事に掲げ持ち、威勢よくお食事開始の挨拶をすると、にゃんごろーは大口を開けてパクリと三角の端に食らいついた。
「んん~~~~♪」
シャクシャクと小気味よい音を立てながら、ネコーはタマゴサンドを楽しんだ。
サンドイッチの断面と同じ配色のタンポポ畑を眺めながらのタマゴサンドランチは格別だった。
「うん、うん、うんー♪ 時間がたっているのに、パサパサしてないーん♪ すばらしぃん♪ ほどよくしっとりで柔らかいパンのベッドで、マヨーと一つになった黄身が、ゆったりまろやかにくつろいでいるぅん♪ まろさの中に感じる、マヨーのほどよい酸味♪ プリっと白身ぃ♪ シャクッとキュ・ウ・リィ♪ うぅーん♪ キュウリは、絶対、入・れ・る・べきぃ♪ マヨーとタマゴが合わさってぇ、優しさを奏でている世界にぃ、シャキッといいアクセントォ♪ ちょっと青臭いけれどぉ、それがイイーン♪ キュウリ、さいこおーう♪ 大好きぃーん♪ さ・わ・や・かぁん♪」
どれも同じタマゴサンドだけれど、ネコーはキュウリのアクセントのおかげか味に飽きた様子もなく、途中カフェオレで口中を潤わせながら、上機嫌のまま綺麗に食べ切った。
人間の大人には少々物足りない量だが、体の小さいネコーには十分な量だった。
心もお腹も満ち足りた。
「ごちしょーさまぁん♪ はぁああ、いいお昼だったぁん♪ タマゴサンドが美味しいおかげもあるけれど、タンポポと綿帽子も、いいお仕事をしてくれた。これも、タマゴサンドのおみそ汁で、おとうふのおみそ汁! にゃんごろーの、日頃の、おとうふの、賜物!」
ポフリと肉球を合わせたネコーは、ご機嫌に笑み崩れたまま、包装のビニールと飲み終わった紙パックを紙袋の中へしまい込む。
にゃんごろーは、ゴミをちゃんと持ち帰る礼儀正しく環境に配慮したネコーなのだ。
『お導き』は相変わらず『おみそ汁』のままで、食べ終わったばかりなのに美味しそう(?)なことになっているが、それはそれとして、ネコーはゴミを仕舞った紙袋を手に立ち上がると、空の方の手をタンポポ畑にビシッと突き出し、長閑に咲き乱れるタンポポたちに向かって何やら宣い始めた。
「言い忘れていたけれど! タンポポ諸君に、一つ、言っておかねばならないことが、ある!」
紙袋を手にしたまま、ネコーは腰に手を当て、もふんと胸を反らした。
どうやら、タンポポたちに伝えたいことがあるようだ。
「おとうふとは、すなわち食いしん坊のことだと勘違いをしている輩がいるが、それは違う!」
ネコーは声を張り上げて主張した。
食いしん坊なネコーが自らをおとうふだと公言しているから生まれた勘違い(?)だと予想されるが、タンポポは余計なことを言わずに黙ってネコーの主張を聞いている。
たぶん、聞いている。
「おとうふとは! ただ意地汚いだけのならず者食いしん坊とは違う、もっと、高尚な! そう! 美味しいものへの好奇心と探求心に溢れた知的で高尚な食いしん坊のことなのだ!」
そこまで言って、ネコーは「むっふぅーん!」と荒々しく鼻から息を吐き出した。
ちなみに、『おとうふ』とは、まだ子ネコーだったにゃんごろーが生み出した言葉である。好奇心旺盛が好奇心豊富になり、なぜかおとうふになったのだが、本ネコーもその経緯についてはすっからかんと忘れている。
それが、なぜ知的で高尚な食いしん坊になったのかというと、まあ、本ネコーが食いしん坊で、その知的好奇心とやらが向かう先が食べ物関連のことばかりだったからであろう。
それは、ともかく。
ネコーの話は、ここで終わりではなかった。
にゃんごろーは、キリッと顔を引き締め、もふビシッと片手をタンポポに向けて突き出した。
「このことを! その綿毛に乗せて! 広く! このドーナツ島のみんなに、お伝えして欲しい! 以上! にゃんごろーからでした!」
ここまで割と居丈高だったが、ネコーは最後に、もふもふペコリと礼儀たたしく頭を下げた。
タンポポも綿帽子も何も答えないが、ネコーは満足したようだ。
深々と下げていた顔を上げると、それまでの厳しい顔つきから通常のどこか「ほにゃん」とした顔つきに戻り、手に持ったままの紙袋を卵船に押し込んだ。
それから、クルリとタンポポ畑に向き直り、にゃふりと笑う。
「さてさて。お腹もおとうふ心も満ち足りたところで、不思議ハンターとしてお仕事しないとねー♪」
仕事と言いながらも、遊びに出かける子ネコーのような顔つきと口調である。
ちなみに、卵船はまだパカンとお口を開いたままだ。
閉めるのを忘れたわけではない。わざとだ。
理由は簡単だ。
突然、危険な魔獣に襲われても、すぐに卵船に飛び乗って逃げ出せるように、だ。
臆病なのではない。
にゃんごろーは用心深いおとうふネコーにして不思議ハンターなのだ!――――と本ネコーは語っているが、まあ、それはそれとして。
ネコーは、もふりと腕を組み、まだ何の調査もしていない内から不思議ハンターとしての考察を述べ始めた。
「うみゅ! ここは、きっと。んー、タンポポがお空に恋をして、お空の近くに行きたくて、大地のみなさんにも協力してもらって、長い年月をかけて、お空に向かって、にょいん!――――して出来た場所に違いない!」
肉球を振り回し、「にょいん!」のところでガッと上に突き出し、不思議ハンターは断定した。
それから、またもふりと腕を組み、「うみゅ、うみゅ」と頷き出す。
「なんと、一途にゃー……。うーん、いいお話だねぇ。にゃふふ。いつか、お空に届く日がやって来るのか……? はっ! もしもタンポポがお空と結ばれたら、タンポポがお空のお星さまになっちゃうかも!? お空から、綿帽子が飛んでくる日が来ちゃうかも!? うーみゅ。それは、一体だれが『ふーっ』をしたものなのか……。また、新しい不思議が生まれてしまうねぇ」
子供向けの絵本にした方がいいような内容だが、ネコーはこれでも、真面目に学術的に考察しているつもりだった。
不思議ハンターとは、ずいぶん楽しそうなお仕事のようだ。
「むふふ。来て早々に、一仕事終えてしまった。となると、後は街で自由におとうふを楽しみながら、他にも隠れている不思議がないか探してみようかなー…………にゃ?」
頓智気考察で一仕事終えたつもりのにゃんごろーは、ドーナツ島に街があることを前提に、ご満悦で楽しい予定を立てていたが、その語尾が疑問形で揺れた。
何かに気づいたようだ。
「…………ここ、こんなに高い場所なのに、あんまり風が強くないねぇ? なんか、魔法がかかってる…………?」
もふりと首を傾げた後、ネコーはキラリと瞳を光らせた。
好奇心の光だ。
「ふーみゅ。どうやら、この場所には、まだまだ不思議が眠っているようだねぇ。むふふ。相手にとって、不足なーし! すべての不思議をこの不思議ハンターにゃんごろーが、見事発見して、解き明かしちゃうもんねー!」
不思議ハンターは、自信満々の顔で高らかに宣言した。
はたして、宣言通りに不思議を発見……は出来るのかもしれないが、ちゃんと不思議を解き明かすことが出来るのか…………?
とりあえず、まだまだ頓智気考察をご披露頂けそうではある。