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第2話 別離

 ほんの僅かな間だけだ。

 今までの長い年月の拘束を耐え続けた我が身に、この

一瞬の苦しみなど、乗り越えられて当然だろう。

 今は、ひたすら頑張るしかないと己に言い聞かせ、走り続ける。

 こちらのスピード低下に気づいたニルが立ち止まり、

素早く靴を脱いで手渡してきた。


「履け」

「い、いいの。大丈夫、私は平気……」

「いいから!」

 無理矢理に靴を握らされ、慌てて履く。少しばかり大きいが、

ジッパーを閉じれば走行中に脱げる心配も無さそうだった。


「気づいてやれなくて……その、悪かったな……」

 ふと聞こえた声に顔を覗き込みかけた時、後方から声がした。


「な、何してるんすか!」


 ソウだと気づいたが、ニルに腕を引っ張られる。

 それが『見るな』という合図だった事に気づかず、振り返った。

 だが、そこに『居た』のは…。


「う!」


 耳の奥に、喉で息が詰まる音が聞こえた。

 全身の毛穴が縮こまるかのようで、鳥肌が立つ。

 ソウは、まるでカエルに人間の四肢が生えたような容貌だったのだ。

 ニルの言葉を思い出した。


 遺伝子を改造し、雌雄すら個体に備えた『バイオロイド(強化人間)』。

 だが、それは人間が思い描く『神』のように完璧な存在ではなく、

生理的な嫌悪を催す『生物』と成り果てていたのだろう。


 頭頂部に剥き出しの巨大な眼球が並び、開いた口からは

焼けた鉄のような赤い舌が蠢いている。呼吸をする度に

それらが痙攣する様は、初めて見る『バイオロイド』の現実だった。


 そして、それは表情に出てしまっていたのだろう。

 その反応が酷くソウを傷つけたと知った時には、もう

相手は項垂れ、首を振っていた。


「外に、行くんすね……」

「ご、ごめんなさい、わ、私……」

「謝らないで欲しいっす。当然すよ、レムナントの人が

こんな場所に、ずっと居ちゃいけないっす」

 逃亡の事ではなく、容姿を怖れた事への謝罪だったが、

それを訂正して言い直すのは、傷を抉るようで言えなかった。


「おれ達とは、違うんすから」

「……!」

 ソウの言葉に、機を逃した謝罪の台詞は喉の奥に

引っかかったまま、出るのは惨めな嗚咽だった。ニルが強く手を握る。


「そのアンドロイドは…? …ニルヴァーナっすか…?」

「ああ。オレはサポートAIだからな。このまココにいても、

コイツには何も与えられないと判断した」

「そっすか。ニルヴァーナが、ついててくれてるなら

安心すね。気をつけて、行って欲しいっす!」

「ソウ君、あの……」

 そこで、ソウが笑った。


「いいんす。いつか、こうなると、わかってたっすから……」

 ソウは踵を返し、仄暗い院内に溶け込むように消えて行った。

 自責の念にかられていた時、ニルが先に進むように促す。

 傷つけた心を修復する為に何万の言語を

費やしたとしても、恐らく相手には響かないのだと言ってくれた。


 だが、慰めのつもりだったかもしれないが、それは自分の

反応を更に責めてしまうものでもある。

 いつか、落ち着いたらソウに謝りたいと思った。

 あんなに親切に尽くしてくれた相手に、恩を仇で返して

しまったのだから。



 薄闇に浮かぶ赤黒い点灯ランプを頼りに

施設から飛び出した外の世界の光景は、息の詰まりそうな曇天と

風雨で削られた岩が転がる荒野だけだった。


「広い……でも、何も無いのね……」

「レムナント同士の愚かな戦争の影響で、荒野が大半だ。

この旧日本領土は海に囲まれていた所為か、他国よりも

ID感染者が流出しなかったものの、自国には爆発的に

蔓延する結果になった」

 それは日本人も絶滅したという事なのだろうか。


「純粋なる日本人種は、恐らくオマエしかいないだろう。

遺伝子を改造したバイオロイドの中には

オマエと同じ人種がいるかも知れないが」


 感染症であるのに、外に飛び出す事で被害は

拡大しないのかと、今更気がついたが、ニルは『心配ない』と答えた。


 天然の人間『レムナント』は、首都近郊にしかいないのだから、

感染対象との遭遇率は、ほぼゼロという事らしい。


「レムナントの病原菌はバイオロイドには、ほぼ感染しない」

 世界にはバイオロイドがほとんどで、レムナントも首都周辺に

いるのならば、ここまで隔離する理由はあったのだろうか?

 万が一を考えての対策だったかもしれないが……。


「急ぐぞ。ロボット猟犬が再起動し始めだした。人型アンドロイドより

簡略なだけあって、起動が早い」

 狭い病室に閉じこもっていた身体は鉛が

貼り付いたように重く、走るたびに息が切れた。


「先に逃げろ」

「え? ニルは……?」

「直ぐに追いかける」

 この闇の中、一人で逃げるなど怖くてたまらなかったが、

その不安は顔に出ていたらしい。


「そんなカオをするな。オレは、絶対、オマエを見失わない」

「う、うん。ごめんなさい。先、行ってるね?」

 これ以上、足手纏いになりたくないと、恐怖を押し込めて走り出す。

 既に足が痺れてもつれるが、人間も肉で出来ているだけで、

使わなければ錆びる機械に似ているようだ。


 南へ向かえば街があると言っていたが、

此処からどれだけの距離があるのだろうか。

 街の灯りも見えず、見える光は曇天の先の空の星か、

施設の窓の中にしか見当たらない。


 窓の無い病室では、天井を見上げると、

スクリーンが切り替わり、星空を映し出していたのを思い出す。

 だが、それは見覚えのある夜の空ではなく、プラネタリウムに

散りばめられた人工の輝きと同じもので、しばらくの時間が

経過すると、直ぐに空は白い壁に戻った。


 今思えば、あの空は外を見る事が出来ない自分の為に

ニルが用意してくれたのかもしれないと分かる。

 そして今日、ニルが見せてくれたのは星すら見えない夜空。

 鈍色の空の色が荒廃した大地を侵食している。


 それでも、慰める為の作り物の空ではなく、

希望への道しるべは広く大きく、何処まで走っても途切れる事は無い。

 その土を踏みしめ、ただただ、走り続けた。

「……!」


 物音に振り返った時、闇の中を蠢く猟犬部隊の存在を捉えた。

 不愉快な金属音を響かせながらも、本物の犬の如き

俊敏さで、地を蹴って追跡して来る。


 開いた口には鋸の歯のように無数の牙が装着され、

それが何度も音を鳴らして噛みあわされ、

暗闇の中で鋭利な刃物よりも冷たくギラついていた。


 その機械犬が土を跳ね上げながら、見る見る距離を縮めて来るのだ。

 下方から影のように追跡してくる姿は恐怖をも煽る。


「きゃあ!」


 思わず声を漏らしてしまってから、失態に気づいた。

 猟犬達は備え付けられた何らかのセンサーでしか

探知出来なかったようだ。


 しかし、悲鳴を上げた為に、施設内で

システムが回復し始めたアンドロイド達にも聞こえたのだろう。

 声から位置と方角を割り出して追いかけて来る姿が、

施設内の窓から見えた。


 窓ガラスを叩き割り、腕に破片を

突き刺したまま無表情に追いかけて来るアンドロイドや、

出口に殺到して踏み潰されながらも、上半身だけでありながら

凄まじいスピードで這い出す者もいる。


 関節も何もかもを狂ったように振り回し、のたうち回って

地面を転がる姿は、人型をしているだけに不気味極まりない。

 それらが全て一直線に向かってくる。

 こちらは既に疲労しているのに、感覚無き追跡者は

それを微塵も感じていない。


 追い風になびく髪が猟犬の牙に絡みかけるまでに、

距離が縮まる。更には後方から爆ぜた音を

上げるエンジン音までもが迫ってくる。


 猟犬に追われる獲物の心境に、己の心臓さえ音と共に

弾けてしまいそうであったが、アンドロイドの一体が

バイクに乗ったまま、銃を構えていた。

 銃身部分を片手でスライドさせると撃鉄が跳ね上がる。


「!」

 撃たれる、と直感して頭を庇うが、響いた銃声が貫いたのは、

鋼鉄の猟犬だった。乾いた大地に薬莢が転がり、

火薬の臭いと共に、銃口から白煙が立ち昇る。


 後方から「そのまま走れ!」とニルの声がした。

「ニル?」

「監視対象に第三級の身体的危機を確認。

障害の排除行動を遂行する」

 ヒトの姿をしながらも淡々と呟き、ニルは立て続けに発砲する。


 被弾したアンドロイドは火花を散らして次々に倒れていった。

 狙撃は正確にして冷酷。少年の細い腕でありながら、

自動小銃の反動に揺らぐ事無く、同胞の頭部を

破壊し、行動不能に至らしめていた。


 やがて射撃が止まると同時に、銃身上部がスライドし、空の

薬室内を示して口を開けていた。

 弾が尽きた銃から弾倉を取り出し投げ捨てる。新たな

マガジンを取り出し、装填すると

バイクに備え付けられたホルダーに投げ込んでいた。


 そしてニルは大型の車体を操り、残存しているアンドロイドを

弾き倒して残らず大破させた。映画のワンシーンのような光景に

唖然としていると、付近に走りこんだバイクの上から

ヘルメットを投げ渡して来る。意図を理解し、急いでかぶった。


「来い!」

 促されるままにバイクに飛び乗る。

 そこで施設から爆発音が轟き、薄曇った夜空に火の粉が散っていた。

 アンドロイド達は逆走したり、機能停止したりとパニックに陥っている。


「ニル、か、火事が! 火、消さなきゃ!」

 降りようとすると引き止められた。かなり派手に爆発しているが、ニルは

エンジンをふかしながら、しれっと答えた。

「ああ、タイマーで爆発するように仕掛けてきた。存外、遅かったな。計算外だ」

「え? ニルの仕業なの? でも、危なくないの?」

「問題ない。オレは平気だ」


 そうではなく、施設の者の存在の事なのだが。ソウと家族の事を

言うと、まるでニルを心配していないように聞こえるかもしれない。

 人間よりも頭の回転の速い相手は、直ぐに舌打ちした。

 ハーレーの音で掻き消されていたが、勘違いをして気恥ずかしいのか。


「ソウには逃げるように電話した。マシンの暖気に若干手間取ったが、

ガイアシティに着くまで持てばいいと、飛ばして来た」

「暖気?」

「人体で言う、血管に血液を回すようなものだ」




 施設は見る見る遠ざかり、やがて視界から消え去っていった。

 走行中にニルが胸ポケットから薄い携帯電話を取り出すと、片手で

何かを打ち込んでいる。


「それ、携帯電話なの?」

「ああ。今からEシティへの道程と、バイクの走行スピード、

オマエの体力を計算に入れるなら、小休止の後、ここから少し離れた

ガイアシティで一泊すべきだ。天候が崩れる心配も無い」

「天気予報?」


「違う。この世界に突然の天候変化なんか無い。

第三次世界大戦で壊滅した世界は、ニルヴァーナシステム……

そのマザーコンピューターで管理されてる。だから、天気は

予報じゃない。決定事項だ」

「ニルは、お天気も扱うの?」


「そうじゃない。オレはニルヴァーナシステムの末端だ。

世界にニルヴァーナシステムは点在しているが、根幹は

Eシティでオズが所有している。

……それより、今、メールでホテルに予約を入れておいた。

待ち時間はムダだからな」


 目が丸くなった。手際が良いと言うか、計画的と

言うか、流石は人間の補佐を義務づけられたスーパー

コンピュ-ターだと感心してしまう。


「凄い……ニルって、カーナビみたい」

「あんな旧時代の劣等機種と一緒にするな」

「え? え? どうして? カーナビって、スゴイと思うの。

私、方向音痴だから、カーナビが欲しかったな、って」

「道案内しか出来ない上に、渋滞に突っ込ませる

劣等機種までいたと聞いている。そんな低スペックと

オレを比べる事自体、オレへの侮辱だ」


 誉めたつもりが、怒らせたらしい。ブレーキレバーにかかった指は

苛立たしげに動いている。

 やたらとプライドの高い相手だったのだと今更ながら知ってしまった。


 まだ訊きたい事は山ほどあったが、ニルが前を向いたまま話しかけてきた。

「喋るなよ。それと、走行中は立ち上がるな。手も伸ばすな」

 こんなスピードで荒野を往く鉄の塊からアクションを起こそう等と

思うわけも無い。

 バスの放送のようだと思ったが、それを言うとまた

『あんな劣等車両と一緒にするな!』と怒るかもしれないと黙っておく。


「しっかりつかまってろ。落っことしたら、レムナントは

死ぬんだろう。オレに医療スキルは無いんだからな」

「お、落っことしたら……?」

 微妙に仕草と口語が、こちらに似ている。


 どうやら、こちらの変な所まで見て学習してしまっているらしい。


… … … …


 今の季節が冬なのか秋なのか春なのか分からなかった。

 植物の類が見えないのだ。岩と土の平原が広がり、

空に浮かぶ星だけが煌いている。

 バイクで走っていると夜の空気は肌に刺さるようだった。

 施設で支給されている患者用の薄い服では

寒さに震え、クシャミをしてしまう。ニルが問いかけてきた。


「ライノウイルスか?」

「?」

「ヒトライノウイルスの感染によって起こる普通感冒の一種だ。

主な症状は、くしゃみ、鼻水、鼻づまり等の……」

 ああ、風邪の事かと思ったが、相手は近くの岩場に

バイクを停め、懐から煙草ケースサイズの金属製の箱を取り出した。


「施設のメイン部分は制御不能になっているだろう。

この程度の距離を稼げば一応は安全圏か」

 長い間バイクを飛ばしていたから、休憩するのだろうか。


「あの施設でウイルスを保持する存在は限られている。

感染経路の特定を急がなければウイルスによる被害が予想され……」

「か、風邪じゃないと思うの。た、たぶん……」

 コンパクトケースから何かの診察道具らしきものを

取り出していたニルが、片眉を上げた。


「レムナントは、知識も無い癖に直ぐに希望的な自己判断を

下したがる。そして症状を悪化させてから医者を頼る。

何の為に医療機関が存在するのか理解不能だ」

「うぅ、ホントの事だから何も言えないけど、ホントのホントに

大丈夫なの。ただ、少し……」

「少し、どうした?」

 アンドロイドには寒い熱いの体感温度が無いのだろうが、

言い淀んでいると、溜息をつかれる。


「体温が低下したのなら、早く言え。所持品の中に

装甲があるハズだ」

 医療機器を仕舞いこみ、今度は衣服を取り出してきた。

「そのケース、凄く小さいのに道具、入ってるの?」

「ああ。前時代のレムナントは知らないのか。DADポケットだ」

「だどぽけっと?」


「Drag And Dropの頭文字をとってDADポケット。

衣糧や武器・弾薬の類を携帯出来るが、コレは

『生物』は入れられない」

 生体反応があるモノだけは弾かれるのだろうか。

 そうでなければ、ほぼ無制限に収納出来るように見える。


「あ、何かに似てると思ったら、このポケットって、

四次元ポケットに似てる、よね?」

「……」

「に、似てない、かな? あ、あの……」

 ネコ型ロボットの話は通じないかと思ったが、

俯いたニルが「……まあ、そんなものだ」と呟いていた。


 通じた。


「ドラえもん、知ってるの?」

「……オマエが、よく話していただろう。

データベースに、たまたま偶然映像データが残っていたから、

暇潰しに観ただけだ。別に、取り立てて興味深いモノじゃなかったが」

「うぅ……私、ドラちゃんで何度も泣いたのに……。

ニルは気に入ってる話とか、なかったの?」


 そこでニルが額に手をあてていた。思案しているらしい。


「そうだな。未来の世界へ戻るネコ型ロボットの為に

主人公が別れを惜しんで涙を流す回があったが、

アレは、それなりに評価出来る点が……」


 観ている。しっかり観て覚えて思いっきり感想までもっている。

 何だか親近感が湧いて笑ってしまった。


「ニル、、やっぱりドラちゃん好きなんだ? ふふっ」

「なんだ、その笑いは! 別にオレが

観たかったワケじゃないって言ってるだろ!

看視対象が興味を持つものを調べるのも、

オレの仕事だっただけだ! でなければ、誰があんな

ネズミに耳を破損された上にトラウマでネズミ相手に

爆弾まで出すようなマヌケなロボットの漫画なんか見るか!」


 さり気なく過去設定まで知っている。しかもブツブツ言いながら、

取り出した携帯電話のストラップをよく見ると

青いネコ型ロボットだった。よほど好きらしい。


 そう言えば監視ロボットのニルが色々と裏の情報を

教えてくれたのも、脱走の手助けをしてくれたのも、

詳しい事は何もかもわからなかった。

 そこでDADポケットから次々に

衣服を取り出して手渡しながら、ニルは説明を始める。


「オレはニンゲンに作られ、いつかスクラップになるまで、

その役に立ち続けるのが存在理由だ。だが、オレは

有機生物はキライだ。アイツらは……」

 そこで岩陰から蠢く影に気づいたニルがピストルを取り出した。


「ニル?」

「よく覚えておけ。レムナントもバイオロイドも、何かを

殺して生きているという事を」


 狙撃可能状態となった銃を向けた先から現れたのは、腰を曲げた

猿のような生物だった。




 草木の無い荒地で野生動物が存在出来るものなのかと思ったが、

それが顔を上げたと同時に、喉の奥から細い悲鳴が走る。


「きゃああああ!」


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