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第3話 ユレカ

 緩慢な動作で近づくヒトガタは人間の手足をしていたが、

頭部にクラゲに似たゼリー状の赤い物体が張り付いていた。

 僅かな月明かりを浴びながらも、半透明の頭部が細かく動いた。


 ニルが銃を構えながら呟く。

「寄生型クリーチャーを発見。掃討に移る」

 その生物が前足とも腕とも判別つけがたいモノを伸ばして来た時、

弾丸を弾き出したピストルから金の薬莢が

放物線を描いて地に落ちる。





 至近距離から狙撃された異生物は額を撃ち抜かれて転倒し、

小刻みに痙攣した後、直ぐに動かなくなった。

 震えながらニルの背に隠れているしか出来なかったが、この

不気味な生物は何なのか?


「クリーチャーだ」


 屍を足で蹴り、死亡を確認しながらニルは銃を見つめる。

「旧時代のレムナントが生きる為に遺伝子を改造した結果、ヒトとして

存在出来たのがバイオロイド。強化に失敗し、ヒトの遺伝子や脳が

食い潰されたのが、こいつらクリーチャーだと言われている」

「……こ、この人……ニンゲン……、なの?」

「遺伝子的にはニンゲンじゃない。知性も理性も無い。

在るのは食欲や性欲のような生存に必要な本能だけだ」


 ニンゲンの概念とは遺伝子や知性と理性なのかと思った時、

ニルが付け足した。

「ヒトとは『欲望の獣』と評されながらも、

『対話する秩序の囚人』とも言われている」

「獣なのに囚人なの?」


「ああ。獣でありながら欲望だけでは生きてゆけず、

無機物では無いのに、ある一定のルールに従う。

それは『倫理観』と言う個々の基準値による『ルール』……。


だが、倫理や善意というものを動物とAIは持ちえていない。

かの有名な心理学者であるジークムント・フロイトの

提唱した精神構造論の一つに意識の三層構造というものが在るが……」


 夢判断等でフロイトという名前は聞いた事があった。

 ニルは何処でそのような知識を得てきたのかは分からないが、

心理学的な内容を語り出した。


「いわゆる『エス、自我(エゴ)、超自我』の

三層から成る精神の事だ」

「エス?」

 夢の中の【エス】を思い出し、心臓が高鳴った。


「ああ。噛み砕いて説明するならば


・エス 『本能的欲求・快楽』

・超自我 『善悪の判断を下す監視者』

・自我 『上記の二者の調停者』


と言えるだろう。


エスとは、フロイトの知人である旧ドイツ人医師の

ゲオルグ・グロデックが著書の『エスとの対話』で使用した単語であり、

それをフロイトは己の解釈を付け加え、

精神分析学の用語として取り入れた。


だが、そもそも『エス』という表記は

『人間的な、あまりに人間的な』『善悪の彼岸』を遺した

旧ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが使用し、

彼の思想を受けたグロデックが採用したものだ」


 ならばニーチェが元であり、グロデック、フロイトと派生して

いったという事だろうか?

 ニルの言葉に耳を傾ける。


「エスとは極めて動物的な衝動であり、

人間の三大欲求を基盤とし、『睡眠・食事・生殖』のみならず、

文化圏に生きる人間としては『物欲・攻撃的本能』をも含む。


エスの示すままに人間が生きようとすれば、それは無法を示す。

好きな時に眠り、求めるままに喰らい、劣情を催した人間に

衝動に従ったまま性行為に及ぶ。

そして、それらを妨げる存在……己を不快にする全てを

『敵』と見なし、容赦のない攻撃性を表す事になる。


例をあげれば近世における『キレる子供』『ムシャクシャしてやった』という

通り魔的な犯行は、全て己の中の獣……エスに敗北した

哀れな犠牲者と言えるのかも知れない。


社会であれ、他人であれ、些細な出来事であれ、己を

『不快』にする全てを視界から破壊・排除したいと願う、

極めて危険かつ獰猛な本能……それを解き放てば、

ヒトという群れの中で『異端』と成り果てるだろう。

異端化した個体は法によって隔離・矯正……最終的には

排除される。つまりは、刑法における懲役や死刑が相当すると

言っていい。


だから、人間は自己をヒト社会に成立させる為、超自我の

倫理的判断を併せ持つのだと言う。


超自我は抑止力でもあり、人間の理想像・倫理観を示す。

『眠りたいが、良き社会人である為に働く』

『子孫は遺したいが、女を犯してはならない』

『食べたいが、盗みをしてはいけない』等と、挙げればキリが

無いが、個体差はあれど、誰もが幼児期に教え込まれた『躾』の

概念に近い。


だが、超自我(理性)が強くなり過ぎれば、生存本能であるエス(欲動)を

抑圧し、過剰な禁欲状態・罪悪感を覚える事となる。

欲動を理性が完全に制圧しようとすれば

獣は牙を失い、干からびてゆく。




逆にエスによって監視者である超自我が喰らわれれば、

反社会的な行動をとり、暴走した『社会不適合者』と化す。


その両者のパワーバランスをとるのが『自我』だ。

自我とはエスの手綱をとり、超自我の指針を伺うんだ。


『欲しい女がいるが、邪魔な男がいるので殺して奪いたい』と

訴えるエス(欲望)と、

『殺人は社会生活における大罪である。

また、愛しているなら彼女を哀しませてはならない』と

否定する超自我(理性)の意を汲み、自我は両者を統合して

『愛する彼女に振り向いてもらう為に、出来うる限りの

努力をしよう』と判断を下す。

これは人間だけに備わった高度なスペックだ」


 長いニルの語りの後、問い返す。


「人間だけ……?」

「ああ。獣やクリーチャーには超自我と自我が無い。

本能衝動『エス』のままにしか動けない。

生きる事、子孫を残す事が行動の大半。

この寄生型クリーチャーはバイオロイドやレムナントの脳を乗っ取り、

理性を奪う。そして生殖器官から己の遺伝子を擦り混ぜた体液を

メスの子宮に産みつける。そうやって生存競争に勝ち残ろうとしてるんだ」

「これ……この人、寄生されていたの?」

 直視出来ない遺体を前に震えが止まらない。


「ああ。レムナントのメスであるオマエを狙って来たんだろう。

ここまで脳を侵食されれば、クリーチャーの

手足になったも同然だ。外科手術でも取り除けない。

クリーチャーごと殺すしかなかった」


 ゾッとした。生物の本能たる生殖に、理性が介入しなければ、

こんなにもおぞましく感じるものなのか。

 寒気すら感じる中、話題を逸らすようにニルに振る。


「ニルは心理学に詳しいの?」

「……オレは、看視AIだ。ニンゲンを知らなければならないのに、

オレはニンゲンを何も知らない。だから、少し齧ってみたが……」

 そこでニルは暗い表情を浮かべた。


「……多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。

他人の見解に便乗して賢者になるくらいなら、

むしろ自力だけに頼る愚者であるほうがましだ」

「なに? それ?」

「【ツァラトゥストラは、かく語りき】のニーチェの格言……

知れば知るほど……オレは……」

 そこでニルが顔を上げた。


「それより、気をつけろ。オマエは貴重なレムナントのメスだ。

クリーチャーだけじゃなく、バイオロイドからも狙われる。

クリーチャーからは守ってやれるが、オレは

バイオロイドとレムナントは殺せない」


 そこでニルがDADポケットから取り出したのは、別の銃だった。




 ニルの銃はグリップ部分に弾倉を装填するタイプの自動小銃で

あったが、こちらは手動で弾丸を詰めていくリボルバータイプであった。


「ニル、これ……?」

 蓮根に似ているシリンダー部分は銃身から外され、弾丸が

込められていない事を示していた。


「38口径リボルバー。護身用の銃だ。病室でガンシューティングゲームは

経験した事があるだろうが、ゲームとリアルは違う。引き金を引けば

対象を破壊出来るのは同じだが、リアルでは銃口を向けた先には、

『生命』がある。オマエは殺されかけた時、正しく身を守らなければならない」

 銃の扱い方を細かく説明しながらも、ニルは告げた。


「技術もそうだが、判断力の無いニンゲンが凶器を持てば自滅する。

この強すぎる力を向けるに値する危機か、敵なのか。それを己の理性で

考えられないニンゲンには過ぎた力だ」

 ならば、そんな重いものは持てないと拒みかけた時、ニルが目を細める。


「オレはクリーチャーは殺せるが、バイオロイドやレムナントとは

戦えないと言っただろう。AI三原則という掟があるからな」

「三原則?」

「ああ。それを侵そうとすれば、強制的にバディが活動停止する。

アンドロイドは脳となるAI部分の根幹に三つの法則が、

あらかじめプログラムされているんだ」

 ニルが指を三本立てた。


「【第一項、AIは『ニンゲン』へ危害を加えてはならない


第二項、AIは『ニンゲン』の命令には服従しなければならない


第三項、AIは一、二に反しない限り、自己防衛せねばならない】


第二項は第一項目に該当する場合、AIは従わない。

つまり、オマエがレムナント及びバイオロイドの殺害をオレに

命じたとしても、オレは拒否する。第三項目は自殺の権限がAIには無い」


 ニルが有機生物を見下しながらも逆らえないのは、その掟が

彼を縛っているからか。


「三原則は外せないの?」

「ムリだ。外せば起動しないように作られている。そもそも、ニンゲンが

自分達の存在を脅かしかねないモノをそのまま放置しておくか?

そんな低脳なレムナントやバイオロイドの為に、

AIが従属しなければならない理(ことわり)が理解出来ない」

「……」

 そのレムナントの同胞が目の前にいるのだが。そこでニルは

視線を下げた。


「劣等個体ばかりじゃないのも知っている。オマエ達は、

『想像』が出来る。オマエが言っていたネコのロボットの話や

シューティングゲーム……そう言ったモノをAIは生み出せない。

既知の答えを計算するスピードは有機生物より遥かに上だが、

想像力が無いから何も作り出せない。だから、オレは知りたいんだ」


 ニルは、曇天の裂け目から覗く星々を見上げた。

 澄んだ海のような瞳にも、星は映っている。

 それを見ていると、人間と区別などつかなかった。


「で、でも、ニルと私は何も違わない気がするの……」

「違う。同じじゃない。オマエはレムナント。オレは、アンドロイドだ」

「こうして話してると、区別なんて……」

「オレには、オレ達には遺伝子が無い。クリーチャーですら

遺伝子があると言うのに、鉄クズから作られたアンドロイドは、

オマエ達のように、受け継がれる遺伝情報も進化も無いんだ。

それは、己の『ルーツ』が無いと言うこと……。

己が存在した事を血脈ではなく、データバンクの中にしか

残せない。だから、オレはニンゲンが、羨ましい……」

「……」


 それは、『お嫁さん』に憧れた自分を思い出させた。

 己の存在証明、絆を見えるカタチにしたいと願う人間の、

それこそが、人間の証明なのではないか。

 だが、鉄の体を嫌い、肉の器を求める彼に、この言葉は

届くだろうか?

 人間に焦がれるままに、ニルは口を開く。


「だが、最早ニンゲンも血脈の遺産を失っている」

「どういう事なの?」

「愚かな戦争の代償……生物兵器や核汚染の影響は、

人類に不妊を増加させた。絶滅寸前にまで人口が減少し、

残された科学者が生み出したバイオロイド。

その、男でも女でもない雌雄同体の子孫ばかりが溢れるこの

世界で、ヒトは寄り添う事を忘れたのかも知れないな」


 ニルは何が言いたいのだろうか。

 そう言えば、ニルと共に見た動物のドキュメントで言っていた。

 本来、雌雄とは、一定の生存数があってこそ

意味があるのだと。


 つまり、それだけ男女が出逢う確率が無く、

誰と出会おうと子孫を残せるように、生殖器と子宮を

植えつけられたバイオロイドばかりになったと言うのか。


「レザボア先生も?」

「ああ。だが、あいつは外科手術で子宮は撤去したはずだ。

月経が煩わしくて研究に没頭出来ないと言っていたか」

「う……」

 背後に倒れそうになった。だが、ニルは話を続ける。


「そうやって遺伝子にメスを入れ、本来の姿を

変えてまで生き延びたいと考えた者が居るのに、オマエは

死者の為に滅びの道を選ぶと言う。オレは、

それが理解出来ない。何故、もう動かなくなったモノを求めるんだ?」

 問いかける言葉でありながら、その台詞にはニルの

真意が見え隠れしているように感じられた。


「死ねばニンゲンは腐敗するだけだ。なのに、もう二度と

起動しない個体を、どうして求める?」


 遺伝子を改造してでも必死に生きる人間と、

未来の無い遺骸を求める姿は相反するのだろう。

 しかしヒトならば死者と言えども家族を求めるものではないだろうか。


「遺したいから逢うんじゃない、と思うの……。過去が大切だから、

逢いたくて……」

 ニルは首を振り、溜息をついた。

「あまり抽象的な言語は使用しないでくれ。オレには理解不能だ」


「ご、ごめんなさい。私、大切な人達と、ちゃんとお別れがしたいだけなの。

大好きな家族をモノみたいに扱われたくないだけ。

死にたいわけでも死にに行くわけでもない。私が

生まれた証……過去は消えないから、ちゃんと見つめなおして

おきたいなって……」

「……」

 これも抽象的過ぎたらしく、ニルは渋い表情をしていた。

「私がパパとママを看取らないと、誰も二人を葬ってくれない、よね?」

 そこでニルが俯き、青い瞳に暗い影を浮かべ始める。


「……なら、もし……オレがスクラップになったなら、オマエは

オレのフラグメント(破片)を見つけてくれるのか?」

「ふらぐめんと?」

 問い返すと、ニルは顔を逸らす。


「……何でもない。言ってみただけだ。

遺伝子のネットワーク……いや、血の絆は強いんだな」

 青空が曇るように、空色の瞳が銀の睫毛で隠された。


「どれだけ有機生物よりスペックが優れていようと、AIは

刷り込まれた関係性しか得られない」

 それは人間にも言えるような気がした。

 遺伝子に刻まれた以上のモノは得られないのだから。

 それを伝えると、ニルは溜息をついていた。


「オマエ達は遺伝子と脳だけで生きている

わけじゃないだろう。レムナントには『可能性』がある」

「ソレ、もしかして人間は、通常、脳を少ししか

使ってないから全部の機能を使うと超人になるっていう話、かな?」

 そこで、また相手は溜息をついていた。


「脳とは未使用の細胞が日々、死に絶えている。

そもそも脳自体、全て同じ働きをしているワケじゃない。

情報伝達を主とするニューロン細胞と、その補佐を

担うグリア細胞が存在して脳の機能は正常に動いている。大体、

生き延びなければならない生物が、重要な機能をセーブして

生き続けられる程に生存競争は甘く無……おい、聞いているのか?」


「あ、う、うぅうん、うん、うーん」

「妙な鳴き声を出すな。どっちだ?」

「ご、ごめんね、 聞いてたの……途中まで。

で、でも、理解が追いつかなくなって……」

「つまり、理解してないな」


 なら『脳の眠っている機能が全て活動してスーパーマンに』という

説は眉唾であったのか。少し残念でもあった。

『人間は本気を出せば』という、超人説を信じていただけに。

 まあ、人間の身体は常に『全力で生きている』とも言えるのだろう。


「ニルって、何だかお医者さんみたい」

「オレに医術のスキルは無い。一般常識だ。だが、オレが

得たいのは『知識』ではなく、『進化』」

「しんか?」


「無機物のオレは学習能力はあっても、進化が無い。

この仮初のバディじゃ劣化はしても、老化する事が無い」

「それを得る為にEシティに行くの?」

「ああ。信憑性は低いが Eシティには、AIが進化する為の

技術があるという情報をハッキングした事がある。

あると信じるならば、ムダでも飼い殺しよりマシだ」


 人間を『劣っている』と見下しながらも、それに焦がれる姿は

矛盾して見えたが、それに違和感を持たないのは、

ニルの姿が人間そのもののアンドロイドに変わっているからだろうか。


「ニルは、どうして、その体を選んだの?」

 よく見ると非常に端整な容貌をしており、薄い唇も、

鋭い眼もヒトそのものの生々しさだった。ニルという魂が

入ったからだろうか。


「コレしか施設に無かっただけだ。AIのままじゃ動けないと言っただろ。

だから、適当なアンドロイドのバディをハッキングした」

「男の子の体を?」

「いや、フィメール型もあった」

「ふぃーめーるー?」

「メス……いや、女型だ。コレと同じくらいの年齢のモノが幾つか

あったが、ギミックの強度を考えるとコレが最適だった。ギミックとは

関節の仕組みの部品だ。フィメール型はビジュアルを重視して

細い関節が好まれる。その分、軽量化は進んでいるが

破損率が若干高くなっている」


 医療施設だったろうが、美男美女のアンドロイドしか無いのは

何か理由でもあったのだろうかと思っていると、ボソリとニルが呟いた。


「レザボアの趣味だ」

「そなの?」

「……驚かないのか?」

「キレイな方が、医療機関に向いてるのかな?」

「……いや……」


 そこで咳払いの後、ニルが「休憩は終了だ。

そろそろ着替えも済んだだろう」と話題を変えた。

 手渡された服を着てみたが、ワイシャツと白衣しか無い。


「ニ、ニル、もう、他に無いの?」

「サイズが合わないのか? オマエ、病室で食うか寝るかしか

していないから、体重が増加したんじゃないのか」

「し、してないもの! ……たぶん」

「見せてみろ。サイズのチェックをしてやる」

「の、覗いちゃダメよ!」

 無造作に岩陰から顔を出され、悲鳴を上げてしまったが、

相手は不機嫌な顔をした。


「ナゼだ」

「だ、だって、は、は、恥ずかしいもの!」

「オマエ達有機生物がオレ達アンドロイドのバディ並みの

体型バランスを持てるワケが無いだろ。崩れていて当然だ」

「く、崩れ……」

「オマエ、トシとると、もっと崩れるぞ」

「う、うぅ……そんなぁ~……。ちょっと、ちょっとだけ

ぽっちゃりしたかな、って不安だったのに、そんなに

ハッキリ言わなくても……」


 半泣き状態になっているというのに、相手は「特に胸部パーツの

脂肪がレムナントの標準メス個体のデータ数値より上回っているな」と、

さらりとトンでもない事を言っていた。


「オレは、この制服は目立つから、街に行って服を買うつもりだ」

「それなら、もし、その、迷惑じゃなかったら、私も……」

 羞恥心というのは伝わらないかもしれないが、必死で

この服は着れないと訴えると、ニルは溜息をついた。


「レムナントは獣の毛皮を剥がして着用するというのに、

身一つでは完全な保温も出来ないんだな」

 嫌味も言われた。

「身体が肉で出来ているから肉を摂取するのかと思えば草も食べるしな」

 もう、具なしカレー(好物)だけ食べて生きようかと

膝を抱えてしまいそうになった時、言葉が付け足された。


「そこまでして生存しなければならないのなら、もっと

己の命を正常に守るべきだ。オレは気温を測定する機能は

ついているが、体感温度がわからない。オマエ達は、

体感温度に差があるから早く言ってくれ。オレじゃ

温度は感知出来ても、寒暖の差とやらが体感出来ない」


 そう言いながらニルは制服のジャケットを脱いで手渡してきた。

 どうやら、寒い暑いは言われなければ解り辛いので

直ぐに言えと言ってくれているらしい。

 黒のタンクトップ一枚だけの上半身を翻し、バイクに

跨ったニルの後ろに急いで乗る。


「でも、ニル、私、今まで自分の事ばっかりで

忘れてたけど、首都以外にレムナントの人って、本当にいないの?」


 レムナントがいないという可能性はゼロに近いが

皆無ではないのだ。万が一、レムナントと遭遇し、

感染させてしまえば、今度こそ人間は絶滅してしまう。


「心配ない。有機生命体はHEDDを装備しているからな」

「へっど?」

 街に行けばわかるのだろうか?


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 夜が明ける前に、とりあえず雨露を凌ぐ為の仮の宿に

辿り着きたいとニルがバイクを飛ばした為、思ったよりも

走行時間は長くなかった気がする。


「3分38秒ほど到着時間が早かったか」

 右手の手首に巻いている時計を見ながら呟くニルが

バイクから降り、不夜城都市を見上げている。


「そうなの?」

「ああ。このバディには慣れていない。だから途中で

休憩を挟むにしても予想到着時刻に余裕をもたせた。

だが、若干、腰のギミックの調子が悪いな」

 腰の部分に触れながら目を細める姿は、人間そのものだった。


「ニルは腰痛なの?」

「違う! アンドロイドのバディには神経が通っていない!

痛覚は皆無だ! ただ、ショップでパーツを購入したい。

放置しておけば最悪、大破して……」

「そ、そんな…早く病院に行かなきゃ!」

「おい! 引っ張るな! 今の衝撃でまたギミックに誤差がッ!

大体、オマエ、この街の見取り図も知らないだろう?」

「あ……ご、ごめんなさい、ニル」

 ニルが溜息をつくような素振りを見せる。

「……やれやれ。先が思いやられる」



 結局、街に来た事は無くとも地理を熟知しているニルの

案内でショップに向かう事になった。

 予約した宿に行かなくていいのかと尋ねると、衣服を取り替えて

部品を揃えてから部屋に到着するように計算して予約したと言う。

 一度部屋に入ってから、また出歩くより無駄が少ないが、

本当に無駄嫌いなのだと感じてしまう。


 鈍色の空をネオンライトが貫く。高層の建造物が

立ち並ぶ様は、さながらテレビで見たアメリカの都市に

似ている。金属の硬質な輝きが満ちて、

その景色には雑草も樹木も全く溶け込んでいなかった。

 それは純粋なるヒトの血統が消えつくした未来都市の姿を

象徴しているかのようだった。

 街を歩く者達を注意深く見てみると、

スーツを着た男や、着飾った女が歩いている。




 ただ、その中でも頭部に金属製のパーツがついている者がいた。

 明らかに容貌がニンゲンから掛け離れている者も多い。

 四肢はニンゲンそのものだが、顔が豚や馬と

人間を混ぜたような者もいる。ソウを思い出し、胸が痛んだ。

 姿形を恐れられれば誰であろうと深く傷つくだろう。


 前を歩く少年の背に向けて、呟いた。

「ニル、あのね、そのね、もし、

ちょっと落ち着けたら、ソウ君に謝りたいな……」

「……」

「ニル……?」

 聞こえなかったのかも知れないと思った時、返事が聞こえた。


「オマエが罪悪感を晴らしたいだけで謝るならば……

己の為の謝罪なら、相手にとって、重いだけだ」

「……そ、そっか……」

「自分のコトばかり考えるな」

「う、うん、そう、だよね。……ごめん、なさい」

 こちらは謝って胸のつかえを取り払えても、

相手は謝られる事で傷口を抉り返され、更に痛みを覚える事もある。

 それでも、このままにしておけなくて、迷う心のまま周囲に視線を戻した。


 彼等は一見してバイオロイドだと判別がついたが、

そこでニルがカチューシャのようなものを投げ渡して来た。


「HEDDを装備しておけ」

「へっ、ど?」

「Harmful Environment Defense Device」

 ニルが己の頭部を指差しながら滑らかな発音を繰り出す。


「え? え? でぃーふぇんす、でばいす?」

「有害環境防御装置。その頭文字をとって『HEDD』だ。

都市部の環境は特に劣悪だからな。それは汚染物質や病原体を

遮断する機能がついているらしい。主に

バイオロイドとレムナントが身に着けている。

判別の基準になるハズだ」


 頭に金属物質を装備している者は有機物生命体で、

ニルのように何もつけていない者は無機物という事か。

 だが、ニルもそうだ、帽子をかぶられると判別がつけ辛い。

 ニルが声のトーンを落とした。


「それと、オマエがレムナントの女だという事は隠しておけ。

レムナントは売買対象にされる。

タチの悪い輩に見つかれば、売り飛ばされかねない」

「え? え? そうなの? ニルの方が、よっぽど綺麗だと思うけれど……」


 そこで賛辞の相手は「当然だ。アンドロイドの完成されたバディに

レムナントが及ぶワケが無い」と腕を組んだ。

 そこまで言われると素直に誉めた事を後悔してしまいそうだが。


「オレのバディは特級アンドロイドバディだからな。優れていて当然だ。

だが、オマエ達の美的感覚は理解出来ないから、このバディの

価値はわからない。ただ、純粋なマトリックスを

持つレムナントなら、どんなものでも貴重だろう」

「まとりくす? 映画?」

「子宮の事だ」

「え! えぇえー?」


 さらりと言ってから、ニルは「まずは、この服を処分して

装備品を受け取りたい。予約しておいたショップに行くぞ」」

と、告げながら、前を歩く。


「装備? いつ買ったの?」

「オマエが悠長に衣服を選んでいる間にネットワークショップの

カタログで予約しておいた」

「あ、ご、ごめんね」

 俯くと、そこで溜息が聞こえた。


「これはオレの仕事だと何度言えば分かるんだ? 

何度も同じコトを言わせないでくれ。ムダなコトはしたくないんだ。

次、謝ったら禁止事項にするからな」

「禁止? な、何を?」

「激辛料理」

「えぇええええ? そ、そんな! ひ、ヒドイ! ひどいよぉ、ニル!」

 カレーや香辛料を使用したピリ辛料理(だがニル曰く

『普通の有機生物は吐くレベル』)が大好物なのだが、

それを禁止すると言っている。


「イヤなら、その卑屈になるクセを止めろ」

「ご、ごめんなさい。でも、これが普通だから……」

「光の速さで卑屈になってるぞ。オマエは態度が底辺だ」

「え? え? そ、そうなのかな……何度もごめんなさ……」

「一回禁止、だな」

「い、言ってないの! 今のは、違うの!」

「禁止だ禁止。それより、さっさと来い」

「ち、違うってばー! 待ってよニル~うぇええん!」

「眼球や鼻から水を垂れ流すな!」

 そう言えば病室にいた時も、ニルを怒らせた(っぽい)時は

一週間程、食事メニューから辛いものが消えた。





 ショップは大通りからは離れた場所で、ひっそりと営業している

店であった。店内はオレンジ色の灯りに照らし出された

感じの良い雰囲気で、衣服や武器・弾薬まで品揃えが豊富だった。


 いわゆる『穴場』の店なのだろうが、ニルは迷いの無い足取りで

店の奥に進み、店主から荷物を受け取っていた。

 街の地図から店の見取り図まで頭に叩き込んでいるらしい。

 とことんまで無駄嫌いなのはAI故だからか。


 店主は黒人の男性のように見えたが、

よく見ると口紅を塗って化粧をしている。

 しかし、ヒゲも生えている。そしてアフロだった。どっちだろうか?


 性別がどちらか分からないが、陽気な店主は

「あらぁー、ネットで注文してくれたお客さんねえ? 全く、

急品だって言うから、ナンなのかしらーってマレーナ、

焦っちゃったら、こぉんなイケメンボウヤ一人だなんて……ねっ☆」

と、ウインクしている。

 彼女(?)の頭部には角のような突起がある。つまりは

バイオロイドで、雌雄同体なのだろうか。


「一人じゃない。ツレがいる」

「え? あらヤダ、失敬失敬! で、ドコに?」

 ニルの隣りでブーツを見ていたのだが、存在感が薄くて

気づいてもらえなかったらしい。

 だが、こちらの存在を視認したマレーナの顔色が変わった。


「あ、あらあらまあまあ! ヤダ、美人じゃなーい!」

 ドカドカと足音をたてて歩いて来るマレーナの姿に、

人見知りしてしまう性質が即座に反応し、ニルの背中に隠れる。


「ヤッダー! なーに怖がってるのぉー? いやぁーん、性格が

小動物系ってヤツね! ほーっほほほ! 

出てらっしゃあーい! カモーン!」

 両手を叩いては開き、激しく招いている。


 距離が近づくと青ヒゲが見えた。恐怖で錯乱していると、

マレーナの目が光る。

「よく見ると、本当に上玉ねぇ! いいフトモモしてるし、

胸のボリュームがハンパないわぁ!

一体ドコ製の詰め物を入れてるのかしらかしら?」

「え、ち、違……私、胸、その……」

「ホ~ント、でっかいオッパイよねえ~」


 その言葉に恥ずかしくなってニルにしがみつき、その髪に

顔を隠すように寄せる。胸は天然100%なのだ。

 ニルが小声で補足してきた。


「この下層のバイオロイドは精巣と子宮はあっても、

乳房が貧弱だ。だから、そんな胸部パーツを持っているバイオロイドは

外科手術やホルモンの投与を受けれる層くらいだ。だから

それだけのサイズは気になるんだろう」

 マレーナの視線が怖くて店の隅の木箱に隠れようとすると、

店主は腕の関節を鳴らしている。


「この臭いスラムに一輪の花を見たキ・ブ・ン! はりきって

コーディネイトさせていただくわぁーん! で、アナタ、

お名前は、なぁーに?」

「……」

 そう言えば、名前、と思い出そうとしたが、違和感を感じた。


 施設の部屋で寝るか起きるかの曖昧な暮らしの中、幾つかの

記憶が抜けていたが、名前など長年呼ばれておらず、

施設内での患者ナンバーで呼ばれていた。


 ニルも名前は呼ばなかったし、改めて考えると

対人関係に必要なモノが欠けている。


 口篭っていると、そこで「……ユレカだ」と、声がした。


 受け取った衣服に着替えていたニルが、そっぽを

向いたまま呟いている。

「ソレの名前は、ユレカだ」

「ゆれか?」


 日本人の名前としては変わっているが、違和感は無いのか、

マレーナは「ま! キレイな名前ね! ピッタリだわ!」と、

笑っている。


「ユレカ……」

 不思議な響きを繰り返していると、何かの機会音が響き、

マレーナが「あら、注文かしら!」とカウンターの奥に引っ込んだ。


 名付け親(?)になったニルの袖を引っ張り尋ねてみる。

「あ、あの、ニル、ユレカって、誰の名前なの?」

「オマエだ。施設の患者コードで呼ぶわけにいかないだろう」

「そ、そうじゃなくって、何でユレカなのかな、って」

「気に入らないなら、好きな名前に変えればいい。

カレーでもコチュジャンでも名乗ればいいだろ」

 何故怒るのか。そして、何故そんな名前にしたがるのか。


「そ、そんなコトないの。ただ、カワイイ名前だけど、カワイ過ぎて

私には合わないかな、って」

 動物とか花とか地名とか由来があるのかと思ったが、

制服を脱ぎ捨て、黒紺色の衣服に着替えたニルは

「オマエは、オレに、名前をくれただろ!」と、怒ったように声を漏らす。


「血の通わない、苦楽を知らないと言われた名前じゃなく、

ゼロ、『始まり』を意味する名前をオマエが、くれたから。……だから、

もし、オマエに相応しい名前があるならと、ずっと、考えていた」

「ずっと?」

「!」

 そこで、乱暴にベルトを締める金属音が派手に鳴る。


「べ、別に、ただ、ここに来る途中の看板で見た適当な

バーの名前だ! だから、イヤなら変えろ! そんなに、別に、

とりたてて似合ってもいない名だからな!」

「そ、そんなぁ……」

 そこで、ブーツの靴紐を結ぼうと俯いたニルが呟いた。


「……別に、その、そんなに似合わなくもなくない。オレが

そう呼びたかっただけで……。でも、

イヤだったら、ホントのホントに、いつでも、変えてくれ……」

「え?」

 何だか、恥ずかしい台詞を貰った気がして問い返したが、

それはニルの逆鱗に触れたようだった。


「何度もムダに同じ事を言わせるな! オマエの

聴覚スペックの劣等ぶり、どうにかしろ! 鼓膜を移植されたいのか!」

 怒鳴ったり照れたり忙しい少年である。


 さくさくと装備を整えているが、そう言えば

お金は、持っているのだろうか?

 当然の疑問を今更ながら思い出してしまった。


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