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第5話 インソムニア・スターリングラード

頭でも背中でも、次に襲い来る銃弾の激痛を想定して

身体が硬くなった時、銃声が響いた。

 弾丸が肉に被弾する濁った音が耳に

飛び込んだが、苦痛は微塵も無い。


 恐る恐る振り返ってみると、エスが立っていた。

 その足元には点々と血が染みている。



 右の掌で弾丸を受けたらしく、血が指を伝っていた。

 庇ってくれたのだろうか?


 負傷を気にも留めず、エスは向けられた銃に

手を伸ばして掴み、上に逸らす。

 隙を突かれ得物を拘束された女は狼狽を浮かべる前に、

そのガラ空きになった胴体へ蹴りを叩き込まれ悶絶していた。

「あ、ぐぁあ!」


 流れるようなエスの動きに何が起こったのか理解に及ぶまで

数秒かかった。

 護身術の類かも知れないが、通常

このような場面では一般人は反撃行動に

移すまで逡巡するだろう。

 大人しく人質でいた方が安全だと思うからだ。

 しかし、彼の一連の動作に迷いは無かった。


 更にエスは女から奪った拳銃を持ち主へ向け、

両手に数発の弾丸を撃ち込む。完全に反撃の力を奪っていた。

「ぎゃあ!」

 耳障りな悲鳴を上げて女は暴れるも、直ぐに半身を

起こし、睨みつける。


「て、てめぇ! いつ、拘束具、外してやがった!」

 その視線を受けて、エスは引き裂いた衣服で

掌を止血していたが、その横顔から垣間見えた

瞳孔は、トリガーを引き絞るように細められていた。


 それは、相手が世界に存在する事すら許さない『殺意』。


 無表情に近かった男が、苛烈な憎悪を浮かべたのだ。

 だが、その鎌首をもたげた殺気は直ぐに影を潜め、

低い声は平坦さを装うように告げる。


「あの程度の戒め、一度見れば記憶出来る。

貴様の動きも、記憶済みだ」

 エスは己の額を指差した。

 そしてペンダントを右手に握り、

「ビヨンド、サイレンス」と呟く。


 ペンダント型DADポケットから現れたのは、

長いバレルを誇る二丁の銃だった。


 取り出した銀の銃を両手に構えて振ると、銃身が

銀から黒へと色を変える。

 僅かな月明かりを受けてもギラついていた銃は漆黒へと染まり、

息を潜めて獲物を狙う獣のように闇の中に埋没していった。




 左手の銃にはスコープがついており、遠距離用の

狙撃銃なのかも知れない。


「軍人? まさかテメェ、軍のスパイか!」

「会話は許可しない。そのまま地面に伏せていろ。

抵抗するならば射殺する」

「……こ、この距離でショットガン撃つ気かテメェ!」

「貴様のような犯罪者には鉛の散弾でも足りないがな」

 右手のショットガンを向けたまま、

エスは周囲を見回して溜息をついた。


「……追跡失敗。これが軍警の現状か」


 夜空と星と岩だけの荒野には、数台の車が停車しており、

中から女の仲間のバイオロイドらが這い出してくる。

 泣き出す子供達にトラックに戻るように示したが、

不安がる皆にエスは取り出したカードケースを開いて見せる。

 そこには役職名がアルファベットで記載されていた。


「オズ連邦政府軍 特務部隊ディーバ所属 

インソムニア・スターリングラード少佐だ。

今しばらくの間、こちらの指示に従ってもらう」

「ディーバ? オズ様直属の、あの特級軍人部隊の?」

 マリエンの母親だけが彼の背後関係を理解したようだ。


「インソムニア?」

「……インでいい」

 そう呟き、頷き返してインは手首を返して

カードケースを袖に仕舞った。そして双銃を前に目蓋を閉じる。


「この身は総帥の銃。あの御方の望む

要と不要を知り、排除すべき害悪を見極め、

武力でもって断罪する事こそ、我が存在意義……」

 インが左手のライフルを構え、引き金を引く。


 弾丸は、バイオロイドの頭を正確に撃ち抜いていた。

 全身の指令媒体である脳を失った身体は

折れるようにして倒れこむ。

 これだけ銃身の長い武器であれば、発砲の反動は

並大抵では無いように見えるが、インは通常の銃を

扱うように軽々と使いこなしていた。


「全員トラックの中へ。出来得る限り重心を低くし、

申し訳ないが、移動は許可しない」

 インの言葉にマリエンの母親が「で、でも、この中って……」と、

不安を訴える。

「車内の装甲、テロリストの標準装備は記憶している。

トラック外装部を破壊、貫通は不可能だ。この荒野の方が

被弾する可能性が高い」

 その声に皆が慌ててトラックの中に逃げ込み、床に低く

防御体勢をとる。


 呆然としていると、インが「お前もだ。ここは

今より、戦場になる」と、瞳を緩く細めて見つめる。

「で、でも……」

 トラックの中の子供達は同じ場所にID感染者が

入る事を拒絶しているらしく、もう扉を閉めようとしていた。


「……」

 トラックの下か、敵の銃弾を防ぐ為の

岩陰くらいしか隠れる場所が無い。

 その時、インは溜息を漏らし、

止血したばかりの手の布をほどき、あろう事か、

その傷口をこちらの腕に近づけて来た。


「!」

 そこには傷があり、体液による感染が懸念されるID故に、

咄嗟に離れたが、そこでインが同胞に向かって吠える。


「お前達は、この血の色と、彼女の血の色、己の体に

流れている血……全て同じ、種族の血ではないのか?」

 インの手が触れかけ、慌てて腕を押す。

「や、やめて!」

 だが腕を掴まれ、その肌の熱さに驚いている間にも

彼の言葉は続く。


「死期を知りながら他者への感染を厭う者と、恐怖心から

病人を死地に放り出す者……どちらが『あるべき姿の人間』だ?」

「……」

 その掌から、他者を庇って負った傷は血を流す。

 止血も構わぬまま、インは語る。


「全能なる総統の愛する民であるならば、

無様な姿を見せるな。どんな人間であろうと

守らねばならぬ掟など、とうに滅んだ。

人間としての権利は他者から与えられ、認められるもの

ではない。己の気高い精神によって築かれるものだ」


 その言葉に誰もが押し黙る中、俯いていたマリエンが

顔を上げ、こちらの腕を引いて走り出した。

 そしてトラックの中に飛び込み、外に居るインに

「お兄ちゃんも、はやく!」と手招きする。

 だが、インは首を振った。


「私は軍人だ。庇護対象が在り、この身が盾となるならば、

撤退も降伏も望まない」

 この敵の数の中、仲間が到着するまで時間稼ぎでも

するつもりなのだろうか。


「一人でなんて、し、死んじゃいます! ここを離れれば、

きっと、助けが……ニルが……ニルが、来てくれるから!」

「……」

「だから、死に急ぐような事はしないで……。軍人でも、

あなたが一人で頑張らなければいけない理由には

ならない、と思うから……。それに、あなたに……、

その、私……、死んで欲しくないから……」

「……!」

 扉の間から声をかけると、その言葉に

インの瞳が見開かれた。そして近づき、

手に触れて、目蓋を閉じる。

 その姿は祈りを捧げる敬虔な信者のように見えた。


「永劫に許される事は無いと思っていた、おれの罪……。

呼吸をしている事すらも辛い罪悪の中、

お前に出逢えて良かった。おれの愛しの……に似た」

「え?」

 よく聞き取れなかった。


「お前の言葉、確かに記憶した。……ありがとう、

この罪深き魂を、救ってくれた事、感謝する。

これは、おれの生きた証……」

 その直後、手は離れる。

 インが首から下げたペンダントを半分に割ると、

こちらの手に握らせていた。

 二つに分かたれた金属板の表面には幾つかの

文字が刻印されていた。


「さよなら」


 閉じられた扉の中、僅かに漏れる光を受けて、

ペンダントの欠片は煌いた。

 戦場に出る兵士は死体を回収される事が少ないと

何かで聞いた事がある。

 その為、死亡の証明として個人を特定出来る認識票を

首から下げていると……。

 インは死ぬつもりなのだろうか?

 手の中の形見は鈍く光るのみで応えない。



 暗闇の中で聞こえるのは外の喧騒のみとなる。

 時折、車体に被弾する音がしたが、インの

言葉通り、貫通まではいかないらしい。

 目まぐるしく移り変わる事態に着いて行けず、ただただ

呆然としていたが、外で一人、戦う男の無事を願うように、

ペンダントの破片を握り締める。



 幾つかの銃声が響き、周囲から、まばらに

転倒する音が聞こえた。耳の傍で空を裂くような音の後、

近くの岩肌を銃弾が撥ねる音もする。


 高速で飛び交う弾丸の音に生きた心地がしなかった。

どれだけの間、銃撃戦が続いていたのだろうか。

 時間にすると僅かであったかもしれない。


 たった一人を敵地に残すなど、非人道的であったが、

ここで皆が飛び出した所で的にしかならない。

 何か出来ると信じながら、何も出来ない。

 ニルから受け取った銃も、今は手元に無かった。

 仮に銃を持っていても、その凶器を構えて人間の命を

奪うだけの覚悟が在るのかどうか。



 ふと、聞き覚えのあるバイクのエンジン音が響いた。

 そして、少年の声がする。


「ユレカ!」


 ニルだと気づき、トラックの扉を開けようとしたが、

悲鳴が上がる。振り返ると子供達が怯えて震えていた。


「開けないでよぉ!」

「怖い! 怖いよ! もう、イヤだよぉ!」


 扉を開けて流れ弾が飛び込みでもすればと怯えて

いるのだろう。しかし、バイクの音もニルの声も

近づいているようでありながら、遠くへ

去っていくように感じられる。


「ユレカ! いないのか? ユレカ! 返事をしてくれ!」


 呼ぶ声がする。

 探している。彼は、こんな場所まで

追いかけて来てくれたのか。


「ニル! ニル!」


 だが、此処から叫んでも声は届いていないようだった。

 扉を開けるしかないが、子供達の悲鳴と

ニルの声に挟まれて躊躇してしまう。


 そこで「行って!」と声がした。

 振り返ると、子供を背中に庇い、マリエンの母親が

強い光を宿した目でこちらを見ている。


「貴女の大切な人なのでしょう? 躊躇う事は無いわ」

「で、でも」

「心が必要だと感じているのに、周囲の理性や偏見で判断を

逃せば、私のようになる……。大切なのに、愛しているのに、

受け入れられなくなってしまう」

 マリエンを抱きしめる姿に、彼女が拒んでいたものを

受け入れたのだと知った。


「だから、行きなさい!」

「は、はい!」


 言葉で背を押され、僅かに開けた扉から体を滑らせ、

夜の荒野に飛び出す。

 周囲を見回すと、点々と転がるバイオロイドの死体は、

全て頭部を一撃で撃ち抜かれ、血と肉の海の中で

惨たらしい死に様を晒していた。


 急所だけを狙撃しているようだ。インは右手にショットガンを

持っていたが、至近距離から散弾を浴びせられれば

生きていても耐え難い苦痛に蝕まれるだろう。

 そこまで敵を憎む理由でもあるのだろうか。


 前方の岩陰にインの姿が見えて安堵したが、

銃を構えて対峙している相手を見て血の気が引いた。


 その銃口の先に居たのはニルだったのだ。


「ニル!」


 ニルがアンドロイドだと気づき、マンイーターの一味と

勘違いしているのかも知れない。ニルはニルで、

焦っているらしい。銃を所持していたが、彼は『AI三原則』に

縛られている。

 ニルはインを攻撃出来ない。

 このままではインに破壊されてしまう。


「やめてー!」


 轟音をたてて発砲された散弾をニルは避けた。

 インが右手のショットガンを構え直している。発砲状態を

見た限り、右手のショットガンは散弾が広がる為、

至近距離から狙撃されればニルは行動不能に陥るだろう。


「撃たないで! ニルは味方なの! やめて! やめてー!」

 飛び交う銃弾にも構わず、ニルとインの間に割って入る。

 インの攻撃の手が止まった。

「ユレカ!」

 インが振り返り、ニルはバイクを反転させて近づいてきた。

 エンジンもそのままに、飛び降りたニルが此方の

腕を掴み、安堵したように笑ったが、直ぐに眉を吊り上げた。


「このバカ! オマエ、ドコに行っていた? 再起動してみれば、

オマエは姿を消してるし……オマエの首にある認識ナンバーが

無ければ、追いつけなかったんだぞ!」

「ご、ごめんなさい!  私、マンイーターに……」

「部屋から出たのか?」

「ごめんなさい……また、迷惑を……」

「……いや、いいんだ。オマエが無事なら、それでいい」

「ニル……」

 流れた涙を冷たい指が拭い、ニルが腕を引いた。


「それよりも、行くぞ。この場所から離れる」

「え?」

「ココは危険だ。戦闘スキルの無いオマエと、バイオロイドを

殺せないオレじゃ確実に破壊される」

 強引にバイクの元へ連れて行かれるが、踏み止まる。


「どうした?」

「ニル、あのトラックに、捕まってる人達がいるの!

このままじゃ皆、また捕まってしまうから、お願い……!

助けて! 何とかしてあげて…」

 ニルの上着を掴み、必死に懇願するが、相手は

腕を振り払う。


「バカな! オレは戦闘用アンドロイドじゃない。ココで

オレ一人が戦闘に参加した所で、オマエの生存率は2%だ。

関係ないレムナントが生きようと死のうと、どうでもいい。

そんなヤツらに構って壊れるなんて、バカげてる! 行くぞ!」

「そんな、そんな……」

「なら、オマエは一緒に死にたいのか? 

ココでも無駄死にすると言うのか?」


 その言葉が胸に突き刺さる。

 直ぐにニルの表情に躊躇が浮かび、呟く声が聞こえた。

「……悪い。言い過ぎた」

 最初からニルは

『オマエは死に場所を探しているだけだ』と言っていた。

 そうではないと言っても、この価値観だけは

お互いに譲れない平行線のままらしい。


 その時、何かに気づいたニルが顔を上げると、咄嗟に

こちらを押し倒して来る。

「きゃあ!」

 倒れたと同時に、頭上を銃弾が掠めてゆく。

 冷たい岩肌の上を転がるも、ほとんどニルが

ダメージを受け止める形になっており、痛みは少なかった。


「……損傷は無いか?」

「うぅ、だ、だいじょうぶ……」

 狙撃されかけたのだと気づくが、覆いかぶさっていた

ニルが己の身体の異常に舌打ちする。


「ちっ、バディの破損率が67%を越えたか……」


 庇った時の衝撃でニルの身体が分離し、下半身

だけが少し離れた場所に転がっていた。

 上半身だけになっても、ニルはこちらを庇い続けていた。

「ココに来る前に軍警がモメているのを見た。

アノ様子じゃ軍は頼りにならない」


「軍警に動きは無かったのか?」

「誰だ、キサマは」

 ショットガンを振ったインの足元に

転がったものを見ると、それは空の弾倉だった。

 インは同じ物影に潜むと、ニルの足を拾って手渡してくる。

 何とか接続しようとしてみたが、かなり不安定で危なっかしい。


「貸してみろ。その構造なら、記憶している」

「オレに触るな!」

 ニルの身体を接続しようとするインに、ニルは

八重歯を見せて怒り、警戒していた。

「触れなければ接続出来ないだろう」

「キサマなんかの手は借りない!」

 ニルは危なっかしい仕草で自己接続を完了させていた。


 インは首のDADポケットから新たな弾倉を取り出すと、

ショットガンに装填している。

 ニルが警戒心も露わに睨みつけ続けているが、

たまらずに口を挟んだ。

「ニル、その人は、ディーバのインさんで、助けてくれたの」

 その時、ニルが「本当なのか?」と声を上げる。


「ディーバはオズの為だけに存在する部隊だ。

軍関係者ならともかく民間人のオマエに、名前を晒したのか?」

「え?」

 だから、仮名(?)を使っていたのかと思ったが、

そこでインは静かに呟く。


「彼女に嘘をつきたくないだけだ」

「ナニが目的だ」

「ただ、彼女に尽くしたい……それだけだ」

 見入るような視線に思わず赤面して

目を逸らしてしまったが、ニルが棘のある言葉を投げる。


「コイツがレムナントのフィーメールだから

血統保存のソザイに欲しいのなら、他をあたれ」

「ケットウホゾン?」

 問い返すとニルは苦い表情をする。


「レムナント種は少数だ。優秀な遺伝子保有者なら

政府が保存し、掛け合わせて子を作る事があるが、

それを『バイオロイド方式』と忌み嫌う者も居る。昔のように、

妻や夫を得て子を成したいと考えるレムナントは少なくない」


 つまり、インに迫られているのではないかと

言っているようだが……。

「そ、そ、そんなワケな、ないもの! わ、私、

私なんか……そ、それに、今は……」

「五月蝿い!」

「ご、ごめんなさい」


 インを見ると、この美形なエリート軍人が、

死病に侵されている上に取り得の無い自分を

わざわざ選ぶわけなどないと思える。

 そこでインは「レムナントが伴侶を得たいと願うのは

遺伝子を遺す為ではない」と告げた。


「そんなもの遺せずとも構わない。系譜など無くとも、

この命が尽きたとしても、おれがおれとして生きた確信が

あったなら、それだけで充分だ」

「……オレが、オレとして?」

 ニルが黙った。血族を遺せないアンドロイドの身に、

インの言葉は響いたのだろうか。


 会話を打ち切るように、インが話題を変えた。

「ドライビングスキルはインストールされているのか。

お前に車の運転が出来るならば、あのトラックで

この場から逃走してもらいたい」

「車は資料で読んだ程度だ。可能だとは思うが、

バイクと勝手が違う。この岩場で振り切って逃げれるだけの

スペックは無い。大体、キサマが運転すればいいだろう」

「それは出来ない。私の任務はマンイーター組織の

アジトを調べる事だ。任務を放棄した軍人は敵前逃亡を

行った臆病者にも等しい」


 だから捕らわれの人間のフリをしていたのか。

 ここでインまでもが撤退すれば、組織の人間は警戒して

雲隠れしてしまい、足取りを掴めなくなると言いたいのだろう。


「でも、少佐なんて地位のあるひとが、どうして囮役を?」

「……罪滅ぼしだ」

 ぽつりと呟いたインが、顔を上げた。

 絶対的不利の状況でありながら、闇夜に蠢く標的を

金の双眼で見定めている。


 勝機など薄いのに、それでも消えぬ闘志を持つ姿は

必死で生き抜く人間の姿そのものに見える。

 勝ち目など無くとも戦う気なのだと気づいた。


「このまま戦闘を続行しても、386分後に

キサマの兵装が尽きるぞ」

 敵の数や装備品、インの体力を計算したニルが告げている。


「例え勝率が低くとも、任務達成の可能性が

あるならば退けない。それがディーバだ」

「キサマも、コイツと同じか。可能性と言いながら、

真っ直ぐに死に向かう姿は破滅にしか見えない。

キサマが死ねば、あのトラックの中のニンゲンも死ぬ。

そんなコトも分からないのか。

それに『誇り』や『希望』があると言われても、目に見えないモノが

見えるレムナントの行動理念は……理解不能だ」

 インの目がニルを見据えた。


「……人間とて、誇りや希望が常に見えているわけではない。

行動理念ならば、お前にもあるだろう」

「何?」

「ID患者ならば完全隔離されているハズだ。

その監視用AIが患者を逃がし、庇っていると見受けるが

プログラムに反する行動だ。そこに、

お前の目には何が見えた?」

「……?」

「希望か? 誇りか?」


 その時、近くで小規模な爆音が響いた。

 小石が飛び交う中、笑い声が聞こえる。


「お~い、イン、生きてるか~?」


 男の声が響き、顔を上げかけてニルに押さえ込まれた。

 相手の正体が分からないと言うのに、迂闊に姿を見せるなと

言っているようだったが、軍警なのではないかと

インを見ると、溜息をついていた。


「軍警とは違う。あれはバウンティハンターだ」

「ばうんてぃはんた?」

「賞金稼ぎだ」


 そのインの言葉が終わるかどうかの間に、

「お~い、相棒、『人喰いローレライ』は居たか~?」と

騒がしい声がする。

 シザーと緋牡丹だった。緋牡丹は懐中時計のようなものを

握り締めており、それと周囲を見比べている。


「今、探索中ですよ。むしろ、その下品な雄叫びで作業効率が

落ちかねません。とっとと黙って頂きたい」

「すまんすまん。おっさんになると耳が遠くなるモンで、

ついデカい声で話しちまうんだなあ、コレが。しっかし、

アンタさんが誰かに連絡先を教えるなんてなあ~」

「……。別に、警戒心の無さそうなひとでしたから、

いいカモになるかと判断しただけですよ。予想通り、

大物を釣ってくれましたがね」


 ニルとインがコチラを見ていた。そう言えば

起き上がった時に緋牡丹から貰ったボタンを

落としたような気がする。


「あれは防犯ブザーを改造した通信機の一種だ」

 インが思い出したように告げた。

「スイッチで相手との通話が出来る簡易タイプのものと見受ける。

転がった衝撃で起動したのだろう。

緋牡丹は既製品に手を加えて進化させるスキルがあるが、

彼と知り合いなのか?」


 インはシザーや緋牡丹を知っているらしい。

 緋牡丹は通信機をくれていたのか。この世界の概念が

分からないので、何故ボタンをくれたのかが

全然わからなかった。

 携帯電話の番号を教えるような感覚で通信機を渡す

時代になっているとは……。

 ニルは「知らないニンゲンからモノを貰うなと、何度も……」と、

不機嫌そうにしていた。


 だが、騒いでいるシザーと緋牡丹の存在のお陰で

マンイーター達の攻撃対象のベクトルは彼等に向いている。

 シザーは「人食いローレライは高額賞金首だが、

少佐殿が愛用のショットガンで獲物の顔面を砕いちまってるから

誰が誰だかわからんってなモンだなあ」と愚痴っていた。


「何を今更。閣下の『キレると見境いが無い』のは

周知の事実では?」

「だなあ、キレると凄いからなあ」


 何か色々と言われているが、インは押し黙ったまま

声をかけようともしていなかった。仲が悪いのだろうか。

 そこでニルが提案した。

「キサマ、知り合いなら、アイツらと連携すればいいだろう」

「知らん。赤の他人だ」

 岩陰からコッソリと見てみる。

 シザーはトラックの付近に転がったままのマンイーターの

首領の女の存在に気づき、服を引いて顔を見ていた。


「ああ、アンタさんが『人喰いローレライ』のローラかねえ」

「アンタ、誰……だい?」

「獲物に名乗る狼は、おらんだろう?」

「ハンターか!」


 その時、忍び寄って来ていたバイオロイド二体が

シザーに襲い掛かる。

 シザーは、その大柄な背丈に似合わぬ動きで一気に

間合いを詰めると、助走をつけた蹴りで標的を薙ぎ倒す。

 ジャングルにでも侵攻するかのような分厚い

アーミーブーツは相当に硬いようだった。


 死神の鎌で払うかの如き重い一撃に、哀れな

マンイーターは首が折れ曲がり、身体は岩山に転がる。

 煙草を咥えたシザーは拍子抜けしているようだった。


「なんだなんだぁ? こんなひ弱な護衛だけなんざ、

『捕まえてくれ』って言ってるってなモンだろう?」

 むしろシザーが異常に強いのではないかと思う。

 必死に抵抗してもバイオロイド一体に歯も立たなかった

ユレカからすると、一撃破壊の攻撃力は凄まじかった


「ま、アンタさんが、いつシッポを出すか張ってたんだが、

ウチの相棒に遅い春が来たお陰で、思わぬ所から

動向を知れて良かったな。ソレもあわせて、

今夜は赤飯でも炊くか。さて、と

もうアンタさんの護衛は全滅同然ってなモンだが……」


 シザーが示すと、緋牡丹はショップで見かけた時とは違い、

ダークグレイのスーツに黒のネクタイ、その上にファーのついた

ロングコートを着用していた。

 周りをバイオロイドに囲まれていたが、銃さえ

持っていない丸腰に見える。

 それを見て取った敵は、緋牡丹を完全に下に見ていた。


「……やれやれ、困った方々だ。こちらは急いでいると言うのに。

申し訳ないが、どうぞ、用件は手短に」

 にっこりと満面に笑みを浮かべる姿に背筋が寒くなる。


 表情と心境が真逆の青年の、この破顔状態は、つまり……。


 彼を取り囲む群れはシザーよりも多く、次第に

距離を縮めて近づいてくる。

 そのマンイーター達に、緋牡丹が両手を伸ばす。


「ならば結構。長生し、無意味に酸素や資源を消費するより、

腐乱死体にでも変えて土壌の礎になって頂いた方が

マシな人種が此処には掃いて捨てる程おられるようだ」

 とんでもない暴言を笑顔で吐いた為、当然の如く

マンイーター達は激怒し、列挙する。


 その様を嘲笑うように見ていた緋牡丹が吠える。

「食われるだけの家畜でないと言うのなら、断末魔すら

耐え抜いて、誇り高く逝って見せろ」


 その時、周囲のバイオロイドの眉間に深々とナイフが

突き立てられる。

 何が起こったのか理解する前に、次々と倒れてゆく

バイオロイドを見下ろしながらも、緋牡丹の

両手には無数の刃物が握られていた。




 無音で飛び交う刃は、ある意味で銃火器より恐ろしいの

かも知れない。緋牡丹は武器すら手にしていないように

見えた為、振りかぶる動作をしても相手は

銃を握っていた優位感から警戒を緩めていたのか。


 投げナイフを見せ付けられ、ようやくマンイーター達が

銃を向け始める。馬の顔をしたバイオロイドが

仲間達に向かって檄を飛ばしていた。


「怯むな! ナイフ投げなんざ、古代の遊戯だ! 隙だらけの

モーション取る前に蜂の巣にしてやれ!」

「古代の遊戯とは、例えばこのような?」


 緋牡丹が腰から肉厚のダガーを抜いて両手に構えて

切っ先を向けると同時に、乾いた音が木霊し、

馬面の男が眉間から血を噴いた。


「失敬。あまりに隙だらけだったので、殺されたいのかと」

 ダガーの鍔の部分から立ち昇る硝煙に、

刃物に偽装された銃なのだと知る。銃ナイフと言った所か。


「あいつ、ナイフじゃねぇ! ありゃあ銃だ!」

「おい! 気をつけろ! 弾が飛ん……ぐ!」

 銃を構えていたマンイーター達は顔面を狙撃され、

次々と倒されていった。


 それも、弾丸が骨で止まる眉間や頬骨ではなく、

剥き出しの急所である眼球を狙う為、マンイーター達は

命中率が肝となる銃を無力化させている。


 装弾数は多くないのか、直ぐに緋牡丹はダガーを構え直し、

飛び込んだ敵陣の中で獲物を振り払う。血煙舞う中、

緋牡丹は歪んだ笑みを浮かべて屍を踏み越える。


「この涙女(レイメイ)の練習台には、やはり生身の生物が一番。

何処をどう加減すれば『死にたくなる程、苦しむか』は

実地が最適だ」


 視界を奪われ、悶絶していた敵は狩られるだけの

獲物にしか見えなかった。

 闇夜を駆けた後には、生の証として荒野に骸を

遺して逝ったマンイーター達が転がるばかりだった。


 丸腰と見せかけてナイフを投げ、動作の大きい

ナイフ投げ使いと思わせておきながら、仕込み銃を使う……

二重の心理トラップに加え、視界という最大の認識感覚を

狙うのだから、戦略的な殺しの才能に長けている


 防弾チョッキを装備している相手には得物で刺し、

鍔部分のトリガーを引く為、

小柄な武器に見えて殺傷能力も高そうだった。

 血で染まったダガーを振り、緋牡丹は逃げるマンイーターの

背に向けて武器を構えたが、思い直したように手を止め、

舌打ちをしていた。


「ちっ、牙を向けた相手に背を向けるなど、惰弱な腑抜けが……

屠られるだけの家畜の血を涙女に吸わせる気か!」

 その直情的な相方の様子とは、うって変わった調子で、

シザーは敵を前にしながら、のんびりと紫煙をくゆらせている。

 そして眼前の獲物へ話しかけていた。


「若者は熱いねえ、まったく。ああ、そうだ、

言い忘れてたんだが、狙撃されても死なんぞ、俺は」

 銃を向けられながらも、爪先で大地を蹴る音は、

明らかに人間の肉と血の成すものではなく、

硬く重い金属が詰まっているのを示していた。


 恐らく、それはハッタリなのだろう。

 シザーは機械と生身が混ざっているらしいが、本人が

『何処までが機械かわからない』と言っていたのを思い出す。


 なら銃も効く可能性があるのだろうが、

強さを見せつけた後に、相手の攻撃手段を『効かない』と

言い切り、反撃を精神的に封じているようである。

 ローラは最後の力を振り絞ったのか、

崩れた腕を伸ばすと、銃を取り出していた。

「このクソがぁあ!」


 が、シザーは煙草に火をつけて頭を掻いている。

 アンドロイドと生身なのか区別がつかないシザーでは、

狙撃する急所も躊躇せざるを得ない。

 頭部に照準を定めるローラにシザーは咥えた煙草を振る。


「ほぉ、脳を潰す、か? いい線を行ってるが、

展開を先に読まれちまうようじゃ、読者の心は撃ち抜けんぞ?」

「うるせぇんだよ! 中身ブチ撒けて死に腐れやぁあ!」


 言葉が終わるか終わらないかのタイミングで引き金が

引かれる。

 弾丸はシザーの額を狙っていたが、至近距離から

の発砲をいとも容易く避け、口から吐いた煙草が銃弾を受けて

粉末状になって飛び散る。

 完全に弾丸の動きを見切っていた。


「アンタさんは人身売買には慣れてても、実戦は、

アマチュアレベルだな」


 映画のスローモーションのように、煙草の破片が

飛び散る。走りこんだシザーの蹴りがローラの

胴体に叩き込まれ、宙に浮いた華奢な身体からは

骨が砕ける無惨な音がした。


「あ、が……」

 痙攣しながら岩肌に転がるローラは、

口から泡を吹いている。女性(?)の腹部を

全力で蹴る男など、初めて見た。


「シザー、外道をいたぶるのは後ほど存分にやって

頂きたい。今は他に探すものがあるはず」

「すまんすまん。次からは気をつけん事も無いさ。まあ、

脳だけあればギルドで換金出来るってなモンだろう。

で、アンタさんが告白ボタンを渡した別嬪さんってのは、

まだ見つからないのか?」

 シザーの言葉にニルとインの視線がこちらに注がれる。


「オマエ、あのバイオロイドと知り合いか?」

 知り合いという程の関係でもない。

 ニルの問いつめたそうな視線から逃れて首を振るも、

インが呟いた。

「探しているようだが? それに緋牡丹は人見知りが激しい。

見ず知らずの他人に防犯兼、呼び出しベルを渡すとは

到底考えられない」


 その時、シザーの傍をナイフがかすめていた。

 シザーの指に挟んでいた煙草の先端部分だけが

切り取られ、地面に転がっている。


「おいおい、年上のダンディーな先輩にナイフを投げてどうする」

「これは失礼。眉間を狙ったのに外してしまいました」

 トラックの荷台ドアを開けながら、緋牡丹は笑っている。

 応答はしているが、周囲を伺い、視線を

彷徨わせている。トラックの下まで覗き込んでいた。


 そこでインが立ち上がった。

 ニルが『様子を見ておけ』と、再度、隠れる事を

推奨したので黙って見ていると、二人に近づいたインは

額を押さえ、溜息を漏らしている。


 緋牡丹はインの姿に目を逸らす。

 だが、シザーは「よう、頭痛持ち少佐殿。まだ

持病は治ってないのか」と煙草を投げると、インは

受け取りながら「ああ。煙草は苦手だ」と、投げ返す。

 シザーは煙草を一本抜き取り、口に咥えたが、火は

つけなかった。その姿にインが目を伏せる。


「……軍人であったならば、我々の任務の想像ぐらいは

ついたはずだ。何故、皆殺しにした? 貴様は、いつもそうだ。

周囲の被害を考えず、好き勝手に生きては姿を消す。

遺された者の事など微塵も考えずに……」

「……」

 そこで緋牡丹が小型の機器を取り出した。

「数人、故意に見逃しました。それに

追跡用のコードをつけてあります。直ぐに追えば、

アジトを一網打尽に出来ると思われますが?」


 緋牡丹が今度は何かのコントローラーのような小型の機器を

投げ渡す。

 受け取ったインは無言のまま、二人に背を向けた。

「あ~、いいのか? 放置してると、ローラを換金しちまうぞ?」

「首領の脳がギルドにあるならば、後で解析すればいい。

軍が捕えた所で、解析の手間を惜しむあまり、

原始的な拷問にかけるくらいだ」


 この三人は軍人仲間だったのだろうか。インは二人に

対して距離を置いているようだったが、シザーは友人のように

話しかけている。


「ニル、脳って?」

「バウンティハンターは賞金首を狩った後、ギルドに

証拠として提出するのが『脳』になる。

脳さえ摘出すれば二度と蘇生は出来ない。

過去に脳を放置した為に、アンドロイドのバディで

身体を補強した犯罪者がいたかららしいからな」

「脳……」


 なら、そんな大手術のような事をしているのかと

青ざめかけたが、「確かに賞金首は頂戴しました」と

緋牡丹の声がした。

 早い。だが、トラックの方を見る勇気は無い。


 この周囲に転がる、頭部を撃ち抜かれたバイオロイドの

遺骸ですら、既に吐き気を催すような惨状なのだ。

 思い出して気分が悪くなって来た時、無数の車の音が

近づき、やがて軍靴が岩の大地にこだました。


「師団長閣下!」


 車から慌てて降りて来たのは、緋色の軍服に身を包んだ

軍人達で、その中でも鷹の顔をしたバイオロイドが

「閣下、手間取りまして、申し訳ありません!」と、

インの傍に駆け込んできた。


 その声と体躯から女性のように見えたが、鷹の女軍人に

インは「マルタ、アジトへの追跡を行いたい。

直ぐに動ける者の編成と、民間人の保護を頼む」と、

トラックの中のマリエン達を示した。


 だが、こんなに遅参する軍人部隊で追跡が

可能なのかと思っていると、車から降りた

バイオロイドらしき者が葉巻を咥えたまま

「申し訳ありませんなあ」と、のんびりと歩いてきた。

 その姿に緋牡丹の顔色が変わる。


「あの下衆……まだのうのうと生きていたとは」

 ダガーを抜いた緋牡丹の襟首をシザーが掴んでいる。

「落ち着け、相棒。アンタさんの件は過去の事だ。

今ここで噛み付いても、分が悪いのはアンタさんだろう?」


 遅参したバイオロイドと緋牡丹達は因縁があるらしいが、

ここで、それが語られる事は無かった。


「マルタ殿から急かされましたが、こちらへ向かう途中で

クリーチャーの群れと遭遇してしまいましてねえ」

 葉巻男はニヤついた笑みを浮かべたまま言い訳を

述べるが、それとは対照的にインは無表情のままだった。


「クリーチャー掃討は軍警の最重要事項の一つだと

認識しているが?」

「そうは言われましてもなあ。まあ、何分ディーバの方々は

我々、軍警の命令系統をご存じないでしょうからねえ。

総帥の命令だけに従えばいいディーバと違い、軍警は

市民の治安も守らねばなりませんし」


 マリエンの母が叫んでいた言葉を思い出す。

『軍警は力ある者しか守らない』と。

 ディーバという特殊部隊が軍警を指揮する事を

良く思わない者がいるのだろう、とニルが説明した。


 マルタは拳を握り締め、シザーは

咥えていた火の無い煙草を呆れた様子で吐き捨てていた。

 インはマルタから受け取った真紅のコートを羽織りながら、

葉巻の指揮官に問いかける。


「マルタの指揮では動けなかったが、貴殿の指揮なら

動けた、と受け取ってもいいのか」

「ああ、まあ、そうとも言いますか。ま、自分はディーバと

軍警の在り方を知ってますけど、隊長は軍警の内容は

ご存知ないでしょう?」

 この男は元ディーバなのだろうか? ニルは

「降格させられたのかもな」と、付け加える。


「この作戦の重要性は再三に渡り、説明していた。

無論、周辺のクリーチャー掃討もマンイーター共に気づかれぬ

ように我々ディーバが駆逐していた。なのに、遅参したと?」

 言うなり、インはショットガンを葉巻男の額につきつける。

「な?」

 その行動に葉巻は、ただの脅しなのだと

嘲笑を浮かべていたが、インの瞳は男を

見据えながらも、何の感情も浮かべていなかった。


「今回の作戦の重要性を知りながら、任務遂行の弊害と

なり得るクリーチャーを放置したと言う言葉、

その戯言が正当な理由になるとでも思っているのか。

ディーバの指揮に従えぬ軍人ばかりと言うならば、

貴殿の日頃の部下への教育が知れる。上官の命令に

従えぬなら、軍用犬の方が遥かに有能だ」


 そこで葉巻男は、ようやくインの行動の真意を察し、

狼狽しながらも威嚇は止めようとしない。

「バ、バカな! 少佐、こんな事をして、タダで済むと…?」

「ああ、ならば兵装を整えた褒章を与えよう」

「何ですと?」

「軍法を経れば処罰扱いだが、今ならば殉職……そうだな、

二階級特進だ」

「な……ぷぎ!」

 躊躇なく引き金が引かれ、血飛沫が上がる。




 返り血が黒髪に飛び散っていたが、それも

気に留めずに銃を仕舞う姿に、緩んでいた軍人達が青ざめ、

告げられた低い声に全員が沈黙した。


「諸君らは軍人だ。銃を持ち、戦う力と意思を持つ者に

惰弱な精神は許されない。精神的な敗者は不要だ。

軍律を乱す者は、誰であろうと処断する。

眼前の排除すべき敵に立ち向かう意思を持つ者に

ディーバも軍警も無い。我等は同志にして戦友。

牙を持たぬ者を守る盾であり、銃だ。この言葉が理解

出来たならばら、各々任務遂行に死力を尽くすように」


 その非情な行動によって、軍人達は

機械のように的確に従い出した。

 インの姿にシザーが口笛を吹き、緋牡丹に話しかけていた。


「少佐殿は、随分と厳しくなったってなモンだなあ」

「孫子の兵法に習うとは、随分と苛烈になられたようだ」

「孫子ってのは、あの兵法家のか?」

 シザーの問いかけに緋牡丹が頷く。


「ええ。春秋時代、孫武は呉王に招かれ、王の側室で

仮の軍隊を作ったそうです。しかし、何度命令を

説いても彼女らは指示通りに動かない為、部隊長に任命した

愛妾2名を軍法に則って殺害したそうです。

それから軍の統制は完璧に取れるようになったという

話ですがね」

「そりゃあまた……融通の効かんってなモンだな。

軍人ならともかく、戦を知らん人間に戦略の重要性を

話しただけで納得するモンかねえ」


 そんな、せわしない現場で、マルタが

「あなた達、シザーに緋牡丹! 何故、ここに?」

と、二人に詰問し始めている。


「軍を辞めたのに、閣下に何の用で近づいたと言うの!」

「あ~、すまんすまん。実は偶然なんだ」

「偶然ですって? 閣下が唯一信頼されておられた貴方達が

軍を去ってから、閣下が、どのような想いをされたか…!」

 そこでインの言葉が遮った。

「マルタ、下らん事を言うな。それよりも、

捕らわれたレムナントを保護してくれ」

「は、はい! ですが、身寄りの無い彼等では、

また堂々巡りではありませんか?」


 マルタの言葉通り、助け出されたマリエンらは安堵しながらも、

先行きに不安を抱えているのが、その表情から読み取れる。

 しばらく押し黙っていたインが、告げた。


「Eシティの郊外に、使っていない私の屋敷が

あるはずだ。そこを彼等に提供してくれ」

「貴方様の資財を? よろしいのでしょうか?」

「ああ。だが、無償ではない。彼女が世話役となり、

身寄りの無い子供の保護が条件だ」

 彼女、と示したのはマリエンの母親だった。


「私が……?」

「こんな世だ。女手一つで子を育てるのは並大抵の事では

ないだろう。孤児の面倒をみるのならば、生活は

保障しよう。あの場所ならば、マンイーターが

踏み込む事も無い。不安ならば、私の部下から信頼の

おける者をつけてもいい」

「どうして、ただの貧しいレムナントに、ここまで

して下さるのです?」


 騙され続けていたのだろうか、彼女は猜疑心を

拭えなかったようだった。

 ニルが先程言っていたように、レムナントの女であるから

血統保存として求めているのではないかと怯えて

いるようだ。そこでインは目を細めた。


「おれの母も、マンイーターに囚われ……、殺された」

「……」

「我が子と思う事で確執があるならば、他の孤児達と同じく、

他人の子として育てればいい。拘りがあるからこそ、

芽生える不幸もあるだろう」

「……」

 傍らのマリエンを見つめて、女が涙を滲ませた。


「……でも、私……私は、この子を、

私に残されたのは、この子だけだから……」

 そこで女が娘を抱きしめた。


「正しく、愛して護ります」

「ママ……!」

 望まない成り行きでの結果とは言え、唯一残された血族が

どんな時でも己を慕う姿に、母の頑なな心を

開いたようだった。


 抱き合う母娘の姿に貰い泣きをしてしまった。

「ニル、インさんって、凄い人よね」

「金を持てあましているレムナントらしい行動だ」

「そ、そんな言い方……」

 そこで不意に声がかけられた。


 頭上から黒髪が垂れ、覗き込まれていた事に気づく。

「お前も行き場所が無いのならば共に来ないか?」

 近づいて来ていたインが真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 慌てて立ち上がると、そこでようやく

シザーや緋牡丹達もこちらに気づいた。


「あ、ありがとうございます。でも、私、

Eシティでオズ、という人に……」

 そこまで言いかけて、何故、こんな単純な事が

結びつかなかったのかと、自己嫌悪に陥りそうな

繋がりに気づいた。


「あの、もし、ご迷惑でないのなら、オズさんに、

その、お逢いしたいんです」

「オズ総帥に?」

「ハイ。だから、その、もし、あの……」


 オズの為の軍人ならば、それなりにコネがあるのでは

ないかという思惑からだったのだ。

 しかも、どう見てもインは多忙そうでもある。


「あの御方は、ディーバの者であろうと、面会を望まれない」

「そ、そうですよね……。ごめんなさい、無理なお願いを

してしまって……」

「いや、だが、面会不可能なわけではないだろう。

時間はかかるが、おれから面会申請をし続ければ、

許可が下りる可能性はある」

 それはインに手間と面倒をかけると思ったが、相手は

気にしていないのか、「それまで、おれの屋敷に居ればいい」

と、言いだした。


「え? で、でも、そんな、ご迷惑は……」

「……嫌か?」

 何故か哀しげに目を細められ、その姿に申し訳なくなり、

即座に首を振った。

「い、嫌なんかじゃ、嫌じゃないです。でも、私、IDが……」

「ならば、尚更、早急に総帥に逢うべきだろう。あの御方なら

治療の技術を持ちえておられるかもしれない」

 そこでシザーが口笛を吹いた。


「ほお、アンタさん、朴念仁だと思ってたが、

こういうコが好みか。まあ、確かに美人だしなあ。

美人なのにオドオドしてるのが、また、いい。

あ~、緋牡丹、おっさんは元上司と

相棒の、どちらを応援すべきかねえ。辛い立場だ」

「ならば、とりあえず黙して死んで頂きたい。それが自分の

人生にとって何よりの応援ですがね」

『どう応援すればいい』と言われて『死ね』と言うのは

緋牡丹くらいか。


「口説いてなどいない。…ただ、彼女の望みを叶えたいだけだ」

「……」

 インは、素の性格なのかも知れないが、

こちらが勘違いしそうな熱い言葉ばかりで、胸が

高鳴り続けていた。


「(きっと、インさんは優しいから、そう言ってくれてる

だけで……。でも、流石に自宅までは……)」

 そっと視線を上げると、また金の瞳と目が合い、

慌てて顔を背ける。ずっと心臓の鼓動が止まらなかった。


「だがなあ、総帥との面会はアンタさんでも難しいだろう」

「不可能を可能とするのがディーバだ」

「何だ、ベタ惚れか~。あぁ、そー言えば、どこかの文学で

読んだ気がせんでもないが。恋は愛の奴隷の宣言だとか

ナンだとかなあ…」

「そうなのか?」


 何故かインに問われ、その言葉に、今度は首と手を振る。

「そ、そんなワケないです! わ、私なんて、

そんざいかん、ないし……」

「だから、『ユレカ』なのか」

 ふと、インが口にした。


「え?」

「ユレカとは、古代の言葉で『お前を見つけた』と言う意味だ」


 それはニルがくれた名前だ。

 誰も捉えられない存在感の薄い自分をいつでも

見ていてくれた友……。


 Eシティまで追跡を振り切りながらの逃避行よりも、

軍人直々の申し出ならば、安全度が格段の差だろう。

 ニルに相談してみようと彼の元に戻ると、

何かを考えているようだった。


「ニル、私、オズさんに逢えるかもしれないって!

だから、ニルも一緒に……」

 これで、ニルにも迷惑をかけなくて済むと安堵し、

笑顔を浮かべたが、相手は酷く不機嫌そうだった。


「やめておけ」

「え?」

「あのオスには近づくな」

「ど、どうして? インさん、いいひとだよ? ニルも、

見てたでしょ?」

 ニルは表情を曇らせ、首を振った。


「……わからない。オレの内部回路なのに、ワケが

わからないんだ。オマエが、アイツと行く事に何か、

とてつもない不安を感じる。だから、受け入れられない。

オマエが、アイツを選ぶのなら、オレの役目は

終わりだ。……ここで、さよならだ」


 それこそ矛盾していた。

 共にいるのが不安に見えると言うのに、役目は終わりで

姿を消すなど。それに、ニルはオズに逢いたいのでは

無かったのだろうか?


 こちらが混乱してしまうくらいなのだから、本人は

もっと『理解不能』に陥っているのだろう。

 背を向け、バイクに向かう背中を追いかけた。


『後からニルと行く。いつか到着するのでオズとの面会を

整えて欲しい』などとインに言えない。こちらの都合で

迷惑をかけるにも程があるだろう。

 逆にインに付いて行けば、ニルは同行を拒絶する。


 どちらかを選ぶしか無いのだが……

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