「ニル!」
傍へ走ると、相手は驚いたように振り返った。
「……行かないのか?」
「ニルを一人置いていけないもの」
「『一人』じゃない。オレは『一体』……」
「そんな言い方は止めて!」
思わず怒鳴ってしまい、慌てて口を押さえて周囲を見ると、
何人かが、こちらを見ていた。
人々に頭を下げて謝り、落ち着いてから会話を再開した。
「ニル、身体が有機物で出来ているか、無機物で
出来ているかなんて、些細な事なのかもしれないって、私、
今回の事で思ったの……。バイオロイド、アンドロイド、レムナント……
嫉妬や憎悪があって、誰かを見下す事も、守る事もあって……
そこに差なんて無いように見えて……」
「アンドロイドはプログラミングされた事しか出来ない。
感情も心も、無いんだ」
「人間だって、そうよ! 出来る事と出来ない事があって、
万能じゃないもの! 心が無いんじゃないかと思えるような行動を
する人もいるけど……でも、ニルは、心があると思うの!
もし、ニルに感情が無かったなら、私、きっと、もっと……
寂しかったから……。だから、お願い、傍に居て……」
「……」
共に笑い、時に怒り、時間を共有して過ごした中で、
いつでも守ってくれていた。誰よりも信頼している相手が
ヒトであろうとなかろうと、それが何の差になると言うのか。
涙を流すと、直ぐに冷たい指が拭ってくれた。
涙を拭ってくれるニルに、心が無いと誰が言えるのか。
そこでシザーが吸い終えた煙草を携帯灰皿に捨て、
近づいて来ていた。
「さて、と。一服も済んだし、そろそろ行くとするか」
ニルには言いたい放題に言えるが、馴れない人間には
人見知りしてしまう為、咄嗟にニルの背中に隠れてシザーを見上げる。
「い、行く、って、何処に、ですか?」
「インが嬢ちゃんをEシティまで無事に送り届けてくれとさ。
報酬は先払いで貰ってるってなモンだ」
「バウンティハンターは護衛任務も労働対象ですから」
シザーの言葉に緋牡丹も頷いていた。
そう言えば緋牡丹らは、こんな所まで助けに来てくれた。
彼等が来なければ危ない所であったのに、
まだ礼も言っていなかったのを思い出す。
「あ、あの、助けてくれて、ありがとう……ご、ございます」
恐る恐る頭を下げると、緋牡丹は腕を組み、仏頂面で舌打ちした。
「……別に、獲物がガイアシティにいなかったので、暇潰しに
来てみただけですよ。礼を頂戴する覚えはありませんね」
冷たく言い放ち、そっぽを向いた。
そこでシザーが若い相棒の肩を叩きながら笑む。
「ああ、すまんすまん。相棒は口下手でなあ、キライな人間には
愛想がいいってなモンなんだが、好きな相手にはツンケン
しちまうんだ。と・く・に、好きな相手には! な?」
緋牡丹がシザーの腕を振り払い、にっこりと微笑む。
「余計な事を抜かしやがる口は針金で縫い付けて差し上げようか?」
そう言いながら緋牡丹の拳がシザーの横っ面めがけて
放たれている。慣れているのか、シザーは軽やかに
避けながら自己紹介を始めた。
「それじゃあ、まずは挨拶か。おっさんはシザーだ。
見ての通りの凄腕かつ男前のバウンティハンターだ。で、こっちの
扱い辛いポニーテールのイケメンが緋牡丹。ほら、相棒、挨拶は大事だぞ?」
「金で結んだだけの間柄なのに、自分が彼女に
愛想を振りまかねばならない必要性を感じませんね」
その緋牡丹の態度にニルが目に見えて不快な表情を作る。
腕組みまでして、相手を見下すような表情は、恐らく緋牡丹の
姿を『学習』してしまったのだろう。
「ああ、そうだな。キサマらはカネで買われた奴隷と同じだ」
「ニ、ニル……」
あまりの暴言にニルの袖を引くも、振り払われた。
「事実だろう。だから金で動くバウンティハンターは信用出来ない」
「で、でも、また危ない目に遭ったら……。ニルは
バイオロイドやレムナントとは戦えない、よね? その時は、
わ、私が、が、頑張らないとダメだけど、でも、もし、
私じゃダメだったら……」
「……ユレカ」
ニルから受け取った銃は一度も使った事が無かった。
この殺傷道具を呼吸し、生きる相手に向けれる覚悟が無かった。
その言葉を聞き取ったシザーが仲裁する。
「すまんすまん。だがなあ、ロボの坊や」
「ロボじゃない」
「すまんすまん。鉄の坊や」
「……」
「コッチの世界じゃ金で動く人間の方が信用出来るってなモンだ」
新たな煙草に火をつけながら、シザーが美味そうに煙を吐く。
「友情だ人情だと証拠にならんモンをアテにしなくていい分、
扱いやすい関係があるってコトだ。報酬が決まっているから、
目に見えない誠意だ愛情だ何だの見返りを足りる足りないと
言わない利点がある。……まあ、健全な人間関係とは言えないけどな」
人が証を求めたがると、シザーも言っているようだった。
シザーの言葉に緋牡丹も頷く。
「不本意ですが自分もシザーと同意見ですね。
小姐、戦いたくないのならば、せめて足手纏いにならぬように、
後ろで大人しくして頂きたい。余計な手間をかけられては迷惑だ」
緋牡丹の言動は攻撃的で、思わずニルの背中に隠れて
しまう。そこでニルが食ってかかりだした。
「カネで雇われたワリに、随分と礼儀を知らないんだな。
報酬が欲しいなら、土下座してクツでも舐めたらどうだ」
「失礼。当方、礼を尽くす相手は選ぶ性分ですから。
他者に礼節を求めるならば、それに足るだけの経験を
積んではどうです? 鉄の小朋友(坊や)」
「何だと!」
「事実と思いますがね。だから命令にしか従えないアンドロイドは……」
ニルの言葉をそっくりそのまま返している。
血の気の多い二人は口論を始めてしまった。
「賞金稼ぎなんて最下層の底辺所得者が偉そうに説教するとはな」
「底辺であろうとも人権すら無いロボットよりかはマシでは?」
睨みあう長身の青年と小柄な少年の間に恐る恐る割って入る。
「や、やめて、ニル、ケンカなんて……」
「五月蝿い! オマエは大人しく安静にしてろ!」
「このクソ生意気な餓鬼の調教も出来ない小姐は黙っていて頂きたい!」
同時に怒鳴られ、涙目になっているとシザーに「よしよし。アイツらは
血の気が多いってなモンだからなあ~」と、頭を撫でられた。
しばらくメソメソしていたが、よく考えてみればインに、
ここまでして貰う義理は無い。
そもそも、こちらから言い出しておいて、
同行出来ないなど、失礼にも程がある。
せめて謝ろうとインの傍に行くと、部下に指示を出し、
忙しそうにしながらも振り返った。
鋭かった瞳が柔らかに緩められ、思わず目を逸らしてしまう。
「あ、あの、……ごめんなさい、勝手ばかりで……」
「気にしていない。同行者の意思は尊重するものだ。
誰もが一人で生きて居るわけではないのだからな」
その大人な意見に感じ入ったが、ふと思い出して
ポケットに入れていた認識票を引っ張り出した。
「インさん、これ……」
ペンダントを返すと、相手は少し困った表情を浮かべていた。
「それはお前に贈ったものだ。気に入らないのなら、
捨てるなり売るなりしてくれればいい。だが、返されると
おれとしては少々困る」
「困る?」
「ああ。女に贈り物などした事は無いが、返品された事も
無い。だから、どうすればいいかわからない」
「……あはは」
頬を指で掻いて困っている姿に笑ってしまった。
笑い終えた後、インが書類の切れ端に何かを書き、手渡してきた。
「E・シティに行くのなら、おれは此処に居る。もし何か
手助けが必要なら、いつでも連絡をして欲しい」
「でも、そこまでして貰うのは……」
「それも、お前の判断に委ねる。不要だと思うのならば、
その紙を捨ててくれればいい。……どうか、無事で」
「インさん……」
そう言い、真紅のコートを翻して軍用車に乗り込んで行った。
見送っていると、軍用車の窓から笑顔で手を振るマリエンと
目が合い、同じく手を振る。あの親子の行く末が幸多かれと願わずには
いられなかった。
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シザーと緋牡丹が乗って来た車は、運転席と
助手席のみのタイプだった。後部が吹きさらしの
荷台になってた為、ニルのバイクに便乗する事にした。
Eシティを目指そうとしたが、ニルが一旦ガイアシティに
戻りたいと言っていた。
起動して直ぐに異変に気づき、荷物を置きっぱなしにして
部屋を飛び出して来たらしい。市販されていないID抑制の薬も、
資金も持たぬままでは旅を続けられない為、来た道を引き返す。
ガイアシティまでは割と近かった。視界を
流れるた荒野は直ぐにネオンと騒音に
包まれた街へと景色を変えていく。
ホテルの前に到着した時、バイクを降りたニルは
シザーと緋牡丹を無視して戻ろうとしていた。
そのニルのジャケットを引っ張って引き止める。
「ニル、送ってくれたシザーさん達にお礼を言わないとダメだと思うの」
「問題無い。オレはアイツらに護衛を頼んだワケじゃないし、
カネさえ貰えれば礼なんかいらないんだろ。それに
あのレムナントのオスが勝手にしたコトを何故オレが礼を
言わなければならないんだ。理解不能だ」
「で、でも、助かったと思う気持ちがあるのに、お礼を
言わないなんて……」
「……なら、オマエが言えばいいだろ! オレは
ゼッタイに言わないからな!」
さっきから不機嫌極まりない。スネた子供のように
そっぽを向いていた。
「えぇえ~……そんなあ……私、ニルと一緒でないと、こ、怖いもん。
知らない人と話すの、怖いもん……」
「それは言い訳だ。出来ないコトへの正当な理由にならない。
それに、オマエ、あのレムナントのオスとは親しかったじゃないか」
「べ、別に親しくないもの! それにインさんは誰にだって優しいでしょ?」
「じゃあ、ナンで『インソムニア』じゃなくて『イン』なんだ!
……オレなんか、オマエとコミュニケーションがとれるように
なるまで、どれだけかかったと……」
ブツブツ言い出した。ヤキモチだったのか。
『ニルヴァーナ』から『ニル』と呼ばれるまで、自分はもっと時間が
かかったと、スネている。諦めて溜息をついたが、ふと『レムナント』という
言葉から思い出した。
「ニル……そういえば、何だか、おかしいの」
「おかしい? 何がだ?」
「だって、私、ずっと部屋に居たのに、どうして
私がレムナントだってマンイーターは気づいたのかな?」
頭に引っかかっていた疑問を口にしてみると、不安は更に肥大してゆく。
「……」
「それに、あのホテルの最上階まで来るなんて……」
高度なセキュリティのホテルの一室を目指して来るなど、
あらかじめそこに『獲物』が居ると知っているとしか思えない。
「……」
バイオロイドとレムナントの区別など、人型をしていれば
外見で見分けるのは困難であった。ニルは車内に残っているシザーと
緋牡丹に聞こえぬように声を潜める。
「オマエ、誰かにレムナントだと言ったのか?」
「そ、そんなコト、言わないもの」
「お前がレムナントだと口外したのは……
あのショップだけだったな」
「!」
そこにシザー達も居た。
うすら寒い不安に捕らわれた時、シザーが煙草を
吸いながら「あ~、残念だが、その推理はハズレだぞ~」と、
車を降りて来た。咄嗟にニルが前に出て庇う。
「アンタさんがレムナントだなんて知ったのは、ついさっきだ」
「信用出来ない」
「そりゃそうだなあ。出逢ったばっかりの相手を信用なんざ
子供でもせんだろう。だが、推理小説の犯人探しでも
あからさまに怪しい登場人物は、シロが多いってなモンだ」
車にもたれ、紫煙をくゆらすシザーが「ま、そんな登場人物は
次の場面で第二の被害者になってたりするモンなんだが」と
不吉な事を言っている。
「死んだ、と見せかけて真犯人だったりもするようですが?」
車内では緋牡丹がノートのように薄いパソコンに
触れていたが、その時、ニルの肩が震えた。
「キサマ、今、ホテルのカメラにハッキングしただろう」
「やっぱり、君だったか。どうりで、街中の
監視カメラから危険な匂いがすると思えば……」
事態がわからなかったが、そこで緋牡丹が車から降りた。
「おかしいと思った。『人食いローレライ』を追って来たものの、
街中のセキュリティが高度なハッキング技術によって
完全に掌握されている上に、ハックすれば探知されるように
網を張られている。マンイーターならば、そんな真似はしない」
そう言えばニルはスリープに入る前に、そんな事を言っていた。
外部からの侵入があれば気づく、と。
「大した技術だな。通常のニンゲンなら、網を張られている
コトにすら気づかない」
「迂闊に接触すれば気づかれると判断し、待機していたが……
お蔭様で首を狩るのに随分と遠回りさせられましたよ」
「たまたま相棒が若気の至りでナンパしたお嬢さんが
狙ってた賞金首に捕まるのも縁かも知れんなあ……」
それだけでもニルは苦虫を噛み潰したような顔だった。
無理も無い。
ニルのハッキング行動さえ無ければ彼等は賞金首を
スムーズに狩れたと言っているのだから。
いや、それよりも、つまりは外部からの侵入には気づくが……。
「ホテルの、従業員か」
ニルが呟く。
「ニル、そ、そう言えば、ホテルのアンドロイドがいた……」
そこで点と線が繋がったらしいニルが
「内部監視機能ではなく、従業員の質か」と首を振る。
緋牡丹が腕を組んで溜息をついた。
「万全のセキュリティであろうと、それを扱う者が
屑では紙の城なのは道理。恐らくは、ローラの手下で
ホテルに潜伏勤務していたアンドロイドが
セキュリティを利用し、彼女がレムナントである証拠を
見つけたのでは?」
「何かしたのか?」
「う、うぅん、な、何もしてな……」
そう言いかけて、青ざめた。
入浴していたのだ。
まさか、それを見られていたのかと思うと、恐怖と不安で
身体が震え出す。
「ユレカ、どうした?」
「ごめんなさい……私、おフロに……」
「……」
「きっと、その所為で……ごめんなさい、ごめんなさい」
ID患者の死因は入水が多い。
だからインセクタリウムにも湯船は無かった。
それを知りながら久しぶりの風呂が
嬉しくて溜まらなく、水に浸かってしまった。
そんな事をしなければ、攫われる事も無かったというのに。
「ごめんなさい……余計な事をしてしまって……」
「……そうか」
だが、ニルは静かに呟き、ホテルを見上げる。
「オマエの所為じゃない。オレが迂闊だった。レムナントなら、
汗をかく。メス個体であるならば、身なりも気にするのだと……
そんな簡単な事も気づいてやれなかった」
唇を噛み、眉を寄せるニルの姿に胸が痛んだが、顔を上げた
ニルはホテルを見据えていた。
「……オレにも、肉の器があれば……気づけたのか……」
小さく呟くニルの言葉は、シザー達には聞こえなかったらしい。
「まあ、気にせんコトだ。小さい失敗を気にしてると、
小さいまま成長せんぞ。怒りが収まらんのなら、
監視カメラでも何でも見つけりゃイイってモンだろう。
黙って泣き寝入りする前に出来る事を探すべきだ」
浴室にまでカメラをつけるのは人権侵害だろう。
だが、この未来の世界では『人権』というものが、
必ずしも過去の概念と一致しない気がした。
それから最上階に戻る。
緋牡丹が風呂場を調べたいと言う為、案内するものの、
彼は監視カメラの位置に大体のアタリがついているのか、
家捜しをするように家具を引っくり返したりする事は無かった。
バスルームから部屋に戻ると、シザーは部屋を見て回っていた。
そして、さり気なく(?)ホテルのDADポケットを開けている。
「あの……シザーさん、お腹すいたんですか?」
「すまんすまん。トシの所為か、ハラ減りでなあ~
何か酒でも入っとらんモンかな、と」
シザーの姿にニルが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「図々しい奴だ。勝手にレイゾウコを開けるな。それは
ヒト社会において問題行動の定義に入る」
「すまんすまん。余所様の御宅にお邪魔した時は、
冷蔵庫の中身と奥様から調べる主義でな~」
「帰れ! このドロボウネコ!」
ニルの堪忍袋がキレる音が聞こえた気がして、慌てて
二人の間に割って入った。
「ニル、シザーさん達、助けてくれたんだから、
ゴハンぐらい、い、いいよね? ね?」
「オマエ、あのレムナントのオスだけじゃなく、また……!
こんな死にかけの中年の肩まで持つのか?」
「おいおい、俺はまだ現役バリバリのヤング(死語)だぞ?」
「五月蝿い! こんな時だけ若者ぶるな!」
「ニル、やめて、怒らないで……! 騒いだら、近所迷惑だと思うの」
「このホテルは防音設備はカンペキだ! 大体、近所なんかあるか!」
ひとしきり怒鳴ったニルは「勝手にしろ!」と、そっぽを向いた。
一緒になってシザーを責めて欲しかったのかもしれないが、
ケンカしている光景は見ていて楽しいものではない。
「サンキュー、39。すまんな~。酒と煙草が生き甲斐の
寂しいおっさんに人の情けが染み入……く~、旨い!」
シザーはウイスキーやブランデーやらを取り出し、瓶から
直飲みしていたが、こちらにもアルコールを投げ渡して来た。
「一人酒じゃ旨さ半減ってなモンだからな。
アンタさんらも酒の味くらい知っておかんと、酒の席で困るぞ」
「の、飲めないです。私、まだ未成年だから……」
「未成年? ほお~……」
シザーからジロジロと見られ、ニルの後ろに隠れてしまう。
「未成年の割りには……ふむふむ。出るトコ出て、腰には
クビレがある。特に、そのけしからん乳とフトモモと尻がなあ~。
おっさんが5年若かったらアヤマチが起こっていたかもしれん」
「うぅう~……ニルぅ~……」
そこでニルが、かつてない低音で警告を発した。
「……キサマの僅かな余命の期限、今すぐ発動させてやろうか」
「おいおい、坊や。アンドロイドが銃を向けても、
脅しにならんぞ?」
銃を向けられて、シザーは笑いながら手を上げていたが、
それすらニルを煽っているようにしか見えない。
「まあ、そうカリカリしなさんな。酒でも飲むと落ち着くぞ」
「そんな研究報告は聞いた事も無い! 大体、
アンドロイドがアルコールなんか飲むか!」
「ほうほう、なら、オイルとかか?」
「オレを劣等スペックのキカイどもと一緒にするな!」
瓶をベッドに投げたニルに、シザーが
「アンタさんのロボは、なかなか血の気が多いなあ~。
大人しいアンタさんと気が合うのがフシギってなモンだ」
と、言いながらまた酒をあおっている。
「あ、はい。友達、だから……」
「友達?」
「は、はい。いつも見守ってくれて、すごく気が利いて、すごく
強くて優しくて、何でも知ってて……」
「……おい」
指折り数えていると、スネていたニルが、顔を上げないまま
「……もう、いい……」と、呟いていた。
「……あまり、オレを……そんな風に言わないでくれ」
照れているらしい。が、直ぐに表情を翳らせていた。
「ほ、ホントのホントに、そう思うの。ニルは、すごいって……」
「いや……でも、オレは……オマエが攫われる原因を……
オレなんかの所為で……その……」
ニルが両手の人差し指を付き合わせて、俯いている。
こちらの癖まで学習してしまっているらしい。
「それは私が無用心だったからで、ニルの所為じゃないもの。
それにニルは助けに来てくれるって、信じてたから……」
「そ、そう、なのか……?」
顔を上げたニルの青い瞳が、数回瞬いた。嬉しいのか。
「うん。ニルは、いつでも私を助けてくれてたじゃない」
「……べ、別に、ソレは、オレの、その、存在理由だ!
出来て当然だからな!」
顔を赤く染めて目を逸らすニルにシザーが「なるほど、
確かにバランスが取れてるな」と、頷いていた。
「しかし、アンドロイドと友達ねぇ……」
何か含ませるような言い方だったが、そう言えばシザーも
身体にアンドロイドの部品が入っているらしい事を思い出す。
「レムナントとバイオロイドが相容れんように、
色々と大人の事情があってなあ、
不仲ってなモンだが……珍しいな」
「でも、シザーさんと緋牡丹さん、凄く仲がいいのに?」
「ナンだ、キサマらは統合者同志か」
そこでニルが口元に笑みを浮かべた。『嘲笑』を
緋牡丹から学んだらしい。
「とーごーしゃ?」
「夫婦という事だ。血統統合をする者というイミでな」
どう見てもシザーも緋牡丹も男にしか見えないのだが、
ニルは「なら安心だ」と、腕を組んで頷いていた。
「おいおい、おっさんの好みは、こう、ボインボインの
フィーメールタイプなんでねえ。大体、血統統合なんてモン、
俺は反対ってなモンだ。遺伝子をいじくった所為で、生まれながらに
『劣等』『優生』のレッテルが貼られるんだ。まあ、おっさんらは
『劣等』の扱いだがなあ」
自我も無い頃から格差をつけられているという事なのか。
「優生遺伝子保有者は、少佐殿やお嬢さんのようなレムナントで、
劣等遺伝子扱いは俺や緋牡丹のようなバイオロイド全般だ。だが、
バイオロイドにも色々あるだろう?
俺みたいな機械が混ざってるのと、緋牡丹系の
生体部品を使ってるヤツがな」
「せーたいぶひん?」
「知らんのか? そうだな、生体部品ってのは
機械部品の対極にあるモンで、生物から作られてる。
部品用の豚とか牛とかもあるな」
臓器移植のようなものだろうか?
「俺達バイオロイドは遺伝子をいじって生まれたモノ
だからなあ……。生きてる間に様々な『バグ』が出る」
「ばぐ?」
「ああ。遺伝子を組み替えた代償……急に心臓が止まったり、
足が壊死し始めたりなあ。しかも、バグがいつ起こるか
予想がつかんという悲しいデスティニーだ。明日には
歩けなくなってるかもしれん。動けなくなってるかもしれん。
……ま、そうそう起こるモンでもないがなあ~」
「……」
煙草を咥えるシザーが、こちらの様子に気づいて頭を掻いていた。
「暗くなるなよ? おっさん的にはレムナントの方が
面倒なんだ。抵抗力が低いから、しょっちゅう風邪やら
何やらに感染する。それに男と女で分かれてるだろ?」
そう言えば、バイオロイドは雌雄同体なのだ……と、シザーを
まじまじと見るが、やはりどう見ても『男性』だった。
かと言って『女の要素があるのか』等と訊けずにいると、
相手がさらっと言い出した。
「おっさんは、まごう事なき男だからな?」
「そ、そう、なんだ……」
「ああ。なんなら、確認するか?」
何故かソファーでポーズを取って脱ごうとする姿に
「いいいいいいいです!」と首と手を振って拒むと同時に
ニルが威嚇するように怒り出す。
その姿にシザーが笑った。
「親父殿が昔堅気の頑固でなオッサンでなあ~。
いたいけなお子様だった俺に
『男か女かハッキリ決めろ!』って自分で選ばせて
手術までしやがったからなあ……」
どこらへんをどう手術したのかとは思ったが、そう言えば
レザボアも手術で子宮をとったとか言っていたような……。
深く考えるのは止そう。
だが、シザーは目を細めていた。
「……まったく、今時ありえんような頭の硬いオッサン……
いや、もうジジイか。ジジイだったがな……
今頃、どうしているものやら」
その表情は、故郷や家族を懐かしむ寂しい顔。
逢いたくても逢えない家族を想っている姿に親近感を感じた。
そこで、バスルームの扉が開いて中から緋牡丹が
出てきたが、瞬時に顔を歪めた。
「うッ! 何故アルコールの臭いが? シザー、
仕事中でしょう? まったく、この屑が死んでください」
「すまんすまん。アンタさんが下戸だという事を忘れて、
俺だけ楽しんじまったなあ」
「別に自分は下戸ではありませんが?」
そこでシザーがニヤリと微笑んだ。
「ほおぉお~? なら、おっさんのケータイに保存されている
『ケーキに入ってたアルコールで酔い潰れた
青年の写真』でも公開処刑するかな、と」
携帯電話を取り出したシザーの眼前をナイフがかすめていく。
「……失敬、その鼻を削ぎ落として差し上げようと思ったものの、
下品なアルコールの臭いで手元が狂いました」
本当にやりそうだと、怒りに駆られている緋牡丹を落ち着かせる
為に、話題をふった。
「あ、あの、その、ケーキ、好きなんですか?」
腕組みをしながらの仏頂面で相手は、また舌打ちまでしていた。
「……別に。好きでも嫌いというわけでも無いですがね。
キルシュトルテやガトーショコラ、ガレット・デ・ロワに
鰻パイや白い恋人等の甘味は個人的に取り立てて興味は……」
詳しい。妙に詳しい。
……好きなのか、その無愛想面でスイーツが。
更にシザーが衝撃の一言を口にした。
「まあ、相棒は絶賛生理中でなあ、カリカリしてるんだな、コレが」と、
こちらの血の気が引きそうな事を言い出した。
どこから見ても立派な青年に……と、頭の中に騒音が響く。
「せ、せ、生理痛……あ、あるんですか……?
血とか……で、出るんですか?」
「ありますが、バイオロイドならば、子宮と精巣を持っているものでしょう。
あぁ、大丈夫です。先週、終わりましたから……って、
何ですか? その異物を見る目は?」
「いやぁああああ~……」
男に生理があるなど……と、目が回り、後ろに倒れかけた。
咄嗟に緋牡丹に腕を掴まれたが、相手は直ぐに手を放す。
カーペットの上に尻餅をついてしまった。
身体の構造がどうなっているのかだとか、生理用品を
どうやって付けるのかとか、様々な疑問で頭の中が
パニックになりつつも、そんな下世話な事を考えてしまったのが
恥ずかしくて、まともに相手を見れなかった。
「……何ですか。人の身体をジロジロ見て、挙句倒れるなど、不愉快だ」
シザーが言っていたが、緋牡丹はシザーとは違い、己の
身体に相当のコンプレックスを持っているように初対面の時から感じた。
遺伝子を操作したなら、優れた美貌や知識、
才覚を持っていて当然……そんな風潮にもなるだろう。
むしろ『優れた遺伝子・肉体を持ちながらも劣等個体』と
認識されれば、それは差別に繋がるかも知れない。
彼ら自身が努力した何もかもが先天的に
与えられ作られたモノなのだと、生まれながらに
知らしめられているように受け取っているのか。
「監視カメラは、あったのか?」
ニルの言葉に緋牡丹が我に返り、頷いた。
「極小サイズでしたが蛇口の裏に仕込まれていました」
「ま、これで一応は落ち着いたか。とっととローラをギルドで
換金して、小休止でもした方がいい。Eシティまでは長いしなあ。
DADポケットに脳みそ入れたまんまじゃあ、キブンも悪かろう」
「そう言いながら、貴方は荷物の類は絶対に持ちませんがね」
ふと、思い出した。
あの人買いを……先程まで生存していた相手を
殺して、なおかつバラバラにし、脳を取り出していた事を。
「さ、さっきまで生きてた人なのに……そんな事を?」
「まあ、ヒドイってなモンだが、それが仕事なんだ。しかも
それが成り立ってるって時点で、社会に必要悪なんだろうなあ」
飄々としたシザーの声の後、抑揚の無い声音であった緋牡丹が
不意に瞳に虚ろさを滲ませる。
「……やれやれ、世間知らずならば黙っていればいいものを。
偽善もここまで来れば胸焼けがする。貴女はご存じない
ようだが、あの悪党の存在で余計な事件が増えた。
この世界には生きて居る事が害悪となる存在など、
掃いて捨てる程いる。だから、人を狩るハンターがいるんですよ」
緋牡丹が語ったマンイーターの悪行は、苦く重かった。
攫われた女性は、何人もの男に陵辱され、虐待され続け、
身も心もボロボロだったという事。
逃げられぬように手足の指を切られ、腸も子宮もズタズタに
され、感染症に侵されていただけでなく、望まぬ妊娠まで
させられていた犠牲者がいた事。
目の前で我が子を生きたまま解体され、
金持ちの生体部品にされた者もいると言う。マンイーターの
アジトには『使い道が無い』脳だけが無数に廃棄されている事。
ローラが蒔いた悲劇の種は無数に散らばり、それは
人間の欲望を吸って世界に巨大な影を落とすまでに
肥大していたらしい。
「むしろ、あのクズには温すぎる最期だったのではないかと
思いますがね。……もっと、苦しんで死なせるべきでした」
シザーが頭を掻きながら暗い雰囲気に灯りをともすように、
煙草に火をつけた。
「悪行の報いで殺す殺さんだの、どちらが正しいかってのは
カンタンに断言していいモンでも無いだろう。
だが、どちらかと言うと俺の意見に近いって
基準で選ぶなら、緋牡丹だな。
悪いが、お嬢さんみたいな世間知らずサンは汚泥を知らんから、
綺麗な事が言えるとも思っているな。
ま、……知らんままでいられた方が幸せな世界だ。
だが、闇を知らん人間が、その世界に
生きる者に何を言おうと酒の肴にもされん」
確かに、戦争も殺人もテレビのモニターの中の出来事で、
現実で直面する事など、想定もしていなかった。
ただ、人の命は尊くて重要で、殺人はいけない事で、
復讐もいけない事で……そう教えられたが、自分は本当に
人の命の価値や尊さを理解出来ているのだろうか?
自分以外の人々は、それを心から理解出来ているのだろうか?
なのに戦争は日々どこかで起こっている。
モニターの向こうでは愛する人を痛ましい事件で喪った人間が
裂かれるような嘆きの声を上げているのだ。
どうするのが正しいのかと惑うのだ。
だから、何もかもを断言出来ない。
何かを肯定すれば、他者を否定してしまうのが『選択』か。
全てを正しい事には出来ないのを知っている。
それに、そもそも『正道』など多数決の世論による正義でもあろう。
だから彼等は世間に浸透する正邪の概念ではなく、
己の価値観で選び取った判断の元に生きるのだろう。
そこでニルが二人に噛み付くように怒り出していた。
「なら、世間知らずは意見するコトすら
憚られる世の中というコトか。社会の裏を知っていれば
優れている……そんな風にオレには聞こえたがな。
自ら日陰の道を歩むコトを決めたヤツらが、エラそうに
摂理を語るのは、滑稽だ」
そこで緋牡丹の押し殺した声が聞こえた。
「法律は社会通念を守るものであり、個人の感情を汲まない。
ですが、目には目をの復讐の律法を国家が
提唱するのも恐ろしい。今の個人を満たさない法は、
それでいいのかも知れません。
そもそも、完全なる秩序の法を、未熟で未完成な人間が
作れるなどと思ってはいないし、国は個人に対して干渉すべきではない」
緋牡丹の言葉に、黙っていたニルが付け足す。
「そう言いながらも、被害者が泣き寝入りし、俗に言う『悪人』が
のさばるのは、国家としても都合が悪い……。
だから、バウンティハンターがいると言いたいのか」
「ええ。法律で一定の秩序は守れても、
人の心は癒せない……いえ、納得しないでしょうから」
そこに潜む感情は深い哀しみを滲ませている気がした。
扉に向かうシザーと緋牡丹に、何の言葉が
見当たらないまま立ち尽くしていると、咄嗟にニルが窓を見る。
何事かと全員が同じ方向を見たが、そこには変わらぬ夜景が
在るばかりで、何も見当たらない。
だが、AIの機能は何かを察知したらしい。張り詰めるような
緊張が全身から解き放たれていた。
「……来た」
「え? な、何が?」
「……距離……計測中……到着予想時刻は……」
こちらの声が届いていない。ニルは目蓋を閉じて何事かを
計算していたが、やがて青い瞳を見開く。
「レザボアの追っ手だ。真っ直ぐこちらに向かっている」
「ど、どうして?」
「わからない。施設のシステムのほとんどは不能にしてある。
アンドロイドも自動で動ける程のAIは残っていない。
こちらを探知など出来ないはずだ。それをレザボアが
二十体近いアンドロイドを全て手動で動かしている」
「えぇっ? このホテルのセキュリティから盗み見た
ワケじゃなくて……あ、でも、外部から見ようとすれば
ニルが気づくはずなのに……どうして、気づけたの?」
そこでシザーと緋牡丹が「施設?」と、顔を見合わせていた。
読みの早いハンター達は直ぐに推理したようだった。
「施設から追っ手がかかり、ニル君のような高性能の
スペックを保有したAIが監視している対象? そう言えば
ID感染者がいると、トラックの中でレムナントが騒いでいたが……」
「この付近で施設ってモンは……アレか、『インセクタリウム』」
「病原菌保有者の脱走……?」
咄嗟にニルが銃を構えたが、シザーが素早い踏み込みで
銃身を蹴り上げ、ニルを床に押し倒す。
「ニル!」
「キサマ……ッ!」
「すまんすまん、銃を向けられると条件反射で
抵抗しちまうんだなあ、コレが。ま、オッサンならともかく、
緋牡丹なら顔面がフッ飛んでるぞ?」
「貴方の薄汚い面でもフッ飛んでますよ。そもそも、従属が能である
アンドロイドが我々に攻撃出来るはずが無い。
それより、いいんですか? 我々に構っている間に、
見る見る袋のネズミと化しているようですが?」
そうだ。こうしている間にもレザボアは迫っている。
暴れるニルを足で押さえながら、シザーは頭を掻き始めた。
「見てられんなあ、若者の逃避行は」
煙草を吸おうと箱を取り出し、既にカラに
なっていたソレを握り潰してダストボックスに投げ捨てている。
「恐怖と焦燥に駆られると、こんなガチガチの
セキュリティを選んじまう。特にAIの坊やは効率最優先だ。
AIは人間の心理は読めないが、レムナントや
バイオロイドはAIの選択肢を予想出来る。
だから、そのレザボアってヤツが、ちっとばかし
キレた行動をしちまうと、もうアンタさんは
予測不能のお手上げになっちまう。
狂った人間の心理をコンピューターは予測出来んってコトだ」
傍らで小型の薄い機械をいじっていた緋牡丹が顔を上げた。
「篭城は時間稼ぎの後手の策……。どうやら、君は
学習対象にした人間のマイナス面をも習得しているようですね。
守りばかりが手厚く、攻める意思を感じられない。
堅牢な城壁は言い換えれば至上の牢獄と成り得る。
この高層のホテルでは脱出口がエレベーターのみ。
見事なまでの背水の陣……と、言った所でしょうか」
レザボアがホテルに力づくで押し入ろうとそうでなかろうと、
病原体保持者と医師という肩書きを見れば、誰もが
こちらに味方などしてくれないだろう。
ニルは唇を噛んでいたが、彼が悪いわけではない。
監視対象であり、学習基盤となるべき自分が、
守りに入りやすい人間であったからだ。
だから、ニルが多くの人間の行動を知り、経験して
いたなら、そのスペックを最大限に使えたに違い無い。
だが、それをニルは決して口にしなかった。
それは彼の中のプライドだったのだろうか。
事態が差し迫ってゆく。早く逃げなければ、
また施設に連れ戻されてしまう。
更に付け加えるならば、今この場でシザー達が、
どう出るかわからなかった。
ハンターならば、追っ手がかかっているものを捕え、
金を貰うのが仕事なのだろうから。
「お嬢さん、何で施設から逃げたんだ?」
不意にシザーに問われて肩が震える。ニルが噛み付きそうな
目でシザーを睨みつけているのが見えた。
「ご、ごめんなさい、わ、私……」
「いや、すまんすまん。怒ってるワケじゃあない。
ちょっとばかし気になったってトコだ」
「……あ、あの、私、ただ、パパとママに逢いたくて……
パパもママも、もう生きていないけど……
せめて二人を葬ってあげたくて……」
「そうか…」
シザーの声音が下がった。
「寂しかったんだな。だがな、もうちっとばかし頑張らんと
イカンだろうなあ。アンタさんの友達の為にも」
「ニルの為にも?」
シザーの方に視線を移すと、緋牡丹の説明が聞こえた。
「脱走した患者が捕獲されれば、
更に厳しいセキュリティの中で監視される。
自殺防止の為に、身動きすらとれないまま、
管で栄養を流し込まれて『生かされる』と
ディーバに保管してある資料で読みました。ニル君は
『バグを持った個体』として、恐らくはデータリセットの後に
廃棄処理場で解体されてしまうでしょう」
「そ、そんな!」
それならば、逃げずにインセクタリウムに
居た方がマシではないか。
逃走を選んだ事により、事態は悪化したのか。
追い詰められた先の崖っぷち、暗闇の根底を見た。
体が震えて言葉も紡げない。
その時、薄暗い室内にニルの声が響く。
「しっかりしろ! オマエは、死ぬ為に選んだわけじゃ無いと
言っただろう! 例え屍であろうとカゾクに逢いたいと
願うのは、ニンゲンとして当然の事だ。故郷も、カゾクも、
思い出も、それを本能が求めているなら、オマエは死ぬ為には
生きてない……カラダは何時でも『生かす為』にしか
機能していないんだ」
「ニル……」
「だから、迷うな。……オマエは、オマエの選択を信じろ」
ニルが、自分の想いを曲げ、崩れそうな心を支えてくれた。
そこでシザーは、押さえつけていたニルの体を放す。
直ぐに立ち上がるニルに構わず、シザーと緋牡丹は
目を合わせた後、頷き合う。
「さて、相棒、美味い酒の礼に、ひと働きするか!」
「構いませんよ。雑魚の血ばかり吸わせていれば涙女が錆びる。
次の獲物、少しは狩り甲斐があればいいんですがね」
その提案に、ニルが警戒心を露わにしていた。
「何を言っている? 理解不能だ。キサマらは、追われる
ニンゲンを狩ってエサをもらうイヌじゃないのか?」
「言っただろう? おっさん達は善悪よりも、どれだけ自分が
『共感』出来るかが重要かってコトだ。
病気になろうが、死にかけようが、家に戻りたい、
家族に会いたい。年頃のお嬢さんなら当然ってなモンだ」
バイオロイドや生身の人間が嫌うと言われるアンドロイド化
してまで生き延びたいと願ったシザーは、もしかすると、
家族に逢いたかっただけなのだろうか。
それは理解出来た。逢いたい者の元へ行けるのならば、
あらゆる手段を模索し、受け入れる……それがたまたま、
失った機能を機械で補ったというだけで、誰かが見下せる
ものでは無い。
シザーの言葉に緋牡丹は目を細めていた。
「家族だとか、そういうものは正直、自分は
わかりかねますがね。けれど、どんな生物でも狭い囲いの中よりも
開けた大海を選ぶ。水槽の中で生涯を終えるなど、
全ての可能性を奪われたようで
耐え難い絶望としか思えない。……希望の無い生は
暗闇の中を歩く絶望に等しい……それは、理解出来ますよ」
緋牡丹はバイオロイドであるという事しか知らない為、
何を意味しているのかは分からなかった。
広い海の中ならば危険も多いだろうが、まだ見ぬ景色に
出逢えるかも知れない。温かな流れを感じれるかも知れない。
海より青い空を、空より深い海を見比べ、見果てぬ世界の姿に
心を震わせる事も出来る…そう、言われている気がした。
だが、それらを理解出来ないのか、ニルは素っ気無く
「必要無い」と断っていた。
「信じるに値するデータが無い。オマエ達を
同行させるメリットがあるとしても、デメリットの方が遥かに大きい」
「まあ、別に強制でも命令でも無い。ただ、おっさんら二人が
同行した場合、格段に安全性が高まるっていうビジネスの話だ。
そもそも面倒事はニガテなタチなんだが……」
そこでシザーが突如、薙ぎ払うような蹴りを放った。
ニルは素早く後退したが、その動きに緋牡丹が呟く。
「腰の部分のギミックに誤差が生じてきているようですが?」
そう言えば、腰の不調をニルが訴えていた。一度、
分解もしている。緋牡丹は見ただけで気づいたらしい。
アンドロイド工学に知識があるのだろうか。
「僅かに反応が鈍い。放置しておけば、まず間違いなく
そこから分解していくでしょうがね」
「キサマには関係ない!」
「ええ。関係ありませんし、君が壊れようと正直どうでもいい。
ただ、その愚鈍さが鼻に突くだけですよ。大破すれば
守ろうとしている者まで共倒れになるという事にも
気づかないのか、と」
「……」
腕を組んで見下ろす緋牡丹にニルが唇を噛んで睨みつける。
そこでシザーが仲裁に入った。
「こらこら、落ち着け坊や達。まあ、メンテナンスの技術も
含めた破格の提案って事だ」
そうだ、ニルは学習能力がある。シザーや緋牡丹のように
優れた技能の持ち主の近くに居れば、彼等から
より多くを学び取り、更なる進化を遂げるだろう。
それは、人間よりも『効率』を知るAIなら、とっくに
気づいているハズであったが、ニルは俯いていた。
「ニル……」
「オレは……」
こちらに振り返ったニルは、また眉を寄せていた。
「わかってる。コイツらを利用した方が効率的だ。
けれど、オレは……ッ!」
唇を噛んで黙るニルの姿に、シザーが溜息をついた。
「坊や、信念よりも自尊心が大事なら、重たい
信念なんざ、さっさと捨てちまった方が楽ってなモンだ。
だがな、小さい自尊心よりも大事なモンが在るなら、
気に入らん相手であろうと頭を下げる。
頭を下げても価値は下がらんさ。誇りが胸にあるならな」
「……!」
シザーの言葉はニルの思考の糸を断ち切ったようだった。
呼吸をしないアンドロイドの体が、意を決するように息を
吸い込んだ後、その声は全員に届いた。
「……助けて、欲しい」 と……。
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輝くネオンを忌々しげに見つめながら、レザボアは神経質な手つきで
オールバックの髪を撫でた。
苛立った時の癖であったが、まったくもって腹立たしい。
「くそ! ニルヴァーナめ! この私をコケにしおって!」
バイオロイドとアンドロイドに満ちた鋼の街に革靴の音が響く。
「よりにもよって私の研究体を逃がすとは、とんでもない
バグを……いや、もはや不良品のジャンクだ!」
だが、ニルヴァーナの学習対象が内向的な人間であったのが
幸いだった。
施設のブレーカーを落としたり、追跡を逃れるような妨害工作は
してあったが、全てにおいてツメが甘い。足止め程度で
被害を拡大させないようにと『配慮』しているのだ。
それが致命的なミスを生み出すかもしれないと知らないのか。
その幼いAIの思考回路が手に取るように読める。
最大のセキュリティを誇るホテルの、恐らくは最も堅牢な
部屋にチェックインするはずだ。
人見知りの激しい研究体の性格を学習しているのなら、
他者に助けを求める事を出来うる限り避け、
全てを己の処理能力で片付けようとする。
「そのホテルの出入り口は全て把握した。出てきた所を
捕えればいい。アンドロイドの四肢の扱いにも慣れていない
AI相手ならば、私の手動操縦の人形達で充分……」
ニルヴァーナが盗んだバディは少年の
容貌をしているが、実戦には向いていない。
それを選んだ理由は理解出来ないが、さすがに
その目立つ姿のままで居ないだろう。
アンドロイドはAIだけを移し変えればバディは好きに
替えれるが、レムナントは短時間で
外見を変えるには変装しか無い。
ニルヴァーナならば、こちらの存在を既知しているだろうが、
だからと言って逃げる術など無い。逆に学習対象のように
貝のように殻に閉じこもって息を潜めているか……。
どう動くのか見物であった。
「さあ、どう出る? クックック……所詮、作られた知能では、
有機生命体に敵わぬのだと知らしめてから、
バラバラに解体してやろうか。そうだな、研究体が二度と
逃げる気を起こさぬように、目の前で四肢を
外して砕いて……ヒヒヒヒヒ」
全てのアンドロイドを配置し、レザボアが眼鏡を押し上げながら
待機していると、ホテルから出てくる者がいた。
帽子を目深にかぶって周囲を伺い、人目を忍ぶように
暗い道に進んでいる。黒い服を着て帽子をかぶった青年と、
白いフードのジャケットを着た……胸元の体型からして女。
だが、女が躓いて『きゃっ』と声を漏らしてから、口を
押さえていた。
直ぐに男が腕を掴んで走り出したが、女の声は
研究体のものであった為、確信した。
ニルヴァーナは戦闘用のバディに取り替えたようだが、
付け焼刃に過ぎない。どんな武器であろうと使いこなせなければ
己の身を滅ぼすという事すら理解出来ないのだろう。
しかも、病室に監禁されたままで
筋肉量の少ない貧弱な娘を連れているのだ。
手持ちのアンドロイドを操って追わせると、ニルヴァーナらしい
逃走経路をとっているのが一目瞭然だった。
闇夜にまぎれやすく、狙撃されにくい物陰を移動している。
それが人目から外れて孤立する行動と知らずに。
「馬鹿め! 馬鹿な馬鹿め! ニルヴァーナ! 貴様は
自ら溶鉱炉に飛び込んだ鉄クズも同然だ!」
ジープに飛び乗り後を追う。
追跡に気づいた一人と一体が走り出した。
だが、無数のアンドロイドに追いかけられ、更に慣れない
バディの所為か、ニルヴァーナの左足が外れて転がる。
「……ッ!」
片足をつく姿に少女が立ち止まる。
「ニル!」
「俺に構わず、先に行け!」
「で、でも……わ、私、ニルを置いて……い、行けな……」
躊躇する優柔不断な娘に、吠えるような怒声が響いた。
「いいから! とっとと行くんだ!」
「あ、う、……ニル……」
娘を逃がして足止め役になるつもりであったようだが、
片足が外れた機械人形に何が出来るものかと、近づいて
よく見ると、象牙色の髪で帽子をかぶったバディが見える。
口元に笑みを浮かべていた。
「……なんだなんだ、たまには血湧き肉踊るバトルが
体感出来ると期待したら、えらく貧弱なモヤシ博士が
出てきたってなモンだな」
「しばらく会わない内に、随分と下品な言葉を覚えたようだな」
「いや、まあなあ。こう見えてモノ書き志望なモンでね。いつでも
脳はフル稼働ってなモンだ」
「何を言うか! 脳も持たぬ無機物風情が!」
「悪いな、脳はホンモノなんだよ」
そこで男は外れた片足を掴むと、それを振り回し、
周囲のアンドロイド数体を薙ぎ倒した。
胴体を破損して転がるアンドロイドを尻目に片足を
装着した男は両手を構えて体勢を整えた。
それは東洋武術の構えであり、戦闘用に特化させた
人形でさえ、こんな豪腕は搭載されていない。
あまりの性能に相手を見ると、笑って誘うように掌を振る。
「部屋に閉じこもってベンキョウばっかやってると、緋牡丹みたいに
モヤシっ子になっちまうってコトだ。さぁて、楽しく戦るか!」
その自信に満ちた姿に、貧弱な我が身に対する劣等感が
湧くと同時に、恐れを抱かせた。
これだけのアンドロイドに囲まれて笑える者など、
よほどの剛の者か、どこかのネジが外れた戦闘狂だけだ。
「……ッ、き、貴様が囮になった所で無駄だ! ニルヴァーナ!
研究体の逃走ルートには、既に別の者を寄越している!
せいぜい、そこで私のアンドロイドと
死ぬまで踊り続けているがいい!」
「ほお~? それはまた、ヒマと労力を
持て余してるってなモンだな」
眼前の対立者を放置し、研究体を追って再度ジープを
滑走させる。やがて狭い路地の向こうから、悲鳴が聞こえた。
研究体さえ確保すれば、ニルヴァーナもムダな抵抗は
するまい。最優先すべきは、彼女を捕える事なのだ。
「い、いやぁああ!」
「(いた! 私の、研究体!)」
車を乗り捨て、声の方向に走りこむと、二体のアンドロイドに
捕えられて、膝をついている姿があった。
目立つコートからは白い脚が見え、その色香に
思わず喉が鳴る。
研究体で病原菌保持者であるという手前、
何も出来なかったが、レムナントである上に、
美しい容貌を持つ娘に以前から興味を抱いていた。
所有しているアンドロイドを使って、その美しい身体を
存分にいたぶってみたいと、卑しい感情が滲み出して来ていた。
「まったく、施設を抜け出すなんて、いけないコだな……。
どうせニルヴァーナにそそのかされたんだろう。だいじょうぶ、
君には何もしないからね」
泥を塗られ、面目を潰されたも同然だが、確実に施設に
連れ帰るまでは、上手く丸め込まねばならない。
この従順な研究体であれば、口先三寸で騙せるだろう。
「ご、ごめんなさい、私……」
「うんうん、いいんだよ、素直なのが一番だ。今回の件は
全てニルヴァーナの暴走が原因なのだからね。今度は、
もっと優れたAIをプレゼントしよう」
「……で、でも、ニルは私の……」
「あんなジャンクパーツの代わりは幾らでもいる」
「……代わり……?」
「ああ、そうだよ。私の言う事をきいて、良い子にしているなら、
もっとイイモノを沢山あげるのだからね」
「……」
項垂れる姿に、堪らずに露出した脚に触れると、
その柔らかさに違和感を感じた。
冷たいのだ。
夜気に冷えたとしても、あまりに冷え切っている。
無機物に触れたかのような感覚に後退しかけた時、
額に銃が押し当てられていた。
「……警戒心の強いキサマが近づくのを待っていた」
「な…貴様…ま、さか…」
帽子を外すと、赤い巻き毛が外れ、中から少年の顔が現れる。