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第7話 ブレア博士

「おのれ! 研究体に変装していたのか!」


 レザボアを拘束しながら、ニルは

白のジャケットの胸元をはだけさせ、詰め物を放り投げる。


「……ああ。屈辱だ。もう、二度とこんな事はしないからな」

 転がった中身は、ユレカの食料用に買い置きしておいた

カレーパンで、これはハンター二人の提案だった。


・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・


 これより少し前、ニルはホテルの最上階で思考回路を

フル稼働させていた。

 レザボアとアンドロイドが刻一刻と近づいて来るのがわかる。

 街中の監視カメラは制圧しており、目蓋を閉じれば、

いつでも思考回路にヴィジョンが見えた。


 有機生命体には理解出来ない感覚なのだろうが、

監視カメラが映した光景を自分の目で見たように

目視出来るのだ。町中に無数の目があるようなものと

言えばいいか。


 そして視界に捉えた対称の進行速度と距離を視認し、

計算回路によって瞬時に到着予想時刻を弾き出せるのが

AIの強みだった。

 ここで時間を消費している暇など無い。だが、足の遅い

ユレカを連れ、破損箇所のあるバディのままでは、

正面突破も逃走も難しい。


 ハンター二人の戦闘能力は特筆すべきものであるが、

彼等は職業柄、社会的な信頼が無い。

 軍警の暗黙の了解で見逃されているだけで、金で標的を

狩る事を生業とするのは、犯罪者と

同じフィールドにいるようなものだ。


 レザボアが周囲の人間達に『施設から逃げ出したキャリアが

バグを起こしたアンドロイドを連れ、盗んだ金でハンターを

雇って逃げようとしている』と告げれば、こちらの分が悪すぎるのだ。


 篭城も視野には入れていたが、そうなる可能性は非常に低かった。

 レザボアの日常の行動パターンは把握している。

 だがそれは『パターン』であり、迷路のように入り組んだ

人体の精神構造を無理に一本道にしたに過ぎない。


 慎重な男が研究体逃亡という不祥事の発覚を

恐れて隠蔽に奔走する時間よりも、こちらを

形振りかまわず追うというのは計算外だった。

 AIの知能であるのが、こんな時は恨めしい。


 ニンゲンのように無いに等しい可能性を希望に

変えられず、ルートが決まれば結果までの道が見えてしまう。

 もしも連れ戻されれば、このメモリーデータ……記憶を全て

抹消され、身体を分解され、使える『部品』だけを

取り除かれた後、スクラップとして捨てられる。


 廃棄されるのが怖いわけではない。バディなど仮初のものだ。

 何より恐れているのは『自分の代わり』が幾らでもいる事だった。


 連れ戻されればユレカも施設で処方されている薬や手術で、

恐らく『ニル』という存在を脳から抹消されるだろう。

 あんなに過ごした時間も、共通の思い出も全て

脳からリセットされるのか。


 そして、また新しい監視AIの『ニルヴァーナ』を与えられ、

病室に閉じ込められる。

 彼女の両親と同じく標本扱いだ。生死の違いはあるだろうが。




 そう思うと、どうしようもなく淀んだ考えが浮かんで来るものだった。


 自分以外の『ニルヴァーナ』を必要としないで欲しい。

 廃棄されても、ユレカが覚えてくれればいいと思っていた。

 だが、ユレカに忘れ去られた時、この世界から本当の意味で

『ニル』は消滅してしまう。


 ニンゲンのように指紋や声紋、DNAという『個体情報』を

持たないAIにとって、自己の証明が出来ない。


 ニンゲンは生きて居るだけで『唯一』を証明し続けていると

いうのに。例えクローンと言えども、同じ存在になれないと

言われているのに、その貴重な自身の命を

自ら断つ事もあるという。理解不能だった。


 だから、何度も思考を巡らせていた。


 もし、もしも、自分に生身の身体があったなら……と。


 生れ落ちてから死ぬまで進化と退化を繰り返す肉で

出来た器さえあれば、レザボアの行動も予測出来ただろうか。

 この冷たい肌で、触れた相手を凍えさせず、

温度を測定せずとも上着を渡してやれるのだろうか。


 ただの無機物だと見下され続け、葛藤に苦しんでいた我が身に

『希望』を与え、受け入れてくれた相手は暗闇の中に

さしこんだ光に等しかったと言うのに、今、必要とされているのは

バウンティハンターの二人だった。

 自分の代わりはいるのに『唯一』になれない存在。


 それが、悔しくて、苦しくて、寂しかった。



『聞いているのか?』


 最軽量型のパソコンを操作していた緋牡丹が問い返してきた。

 思考に集中しすぎていた事に気づき、顔を上げると

緋牡丹とシザーは逃走について話しているようだった。


『雑草も害虫も元を断たなければ無限ループもいい所かと。

ここは頭を叩く事を提案しますよ』

『それは理解している。だが、レザボアは用心深い人間だ。

己の地盤を固めてからでないと動かない……ハズだった』

『ハズだった、とは?』


『ああ。アイツの行動パターンは知っているものの、今の

レザボアは思考がエラーだらけで読めない。だが、

オレがオマエ達を連れていると知れば姿を見せないだろう』

『何だ何だ、アンタさん、追跡機能とかハイテクなモン、無いのかね?』

『これだけのアンドロイドとバイオロイドが出歩く場所で

個人を特定して追跡する機能なんか、オレに搭載されてない』


 元々、看視用のAIにそんな無駄なものをインストールして

おくわけがないが、いちいち説明するのも言い訳じみていて

黙っていると、ユレカがオロオロしていた。

『怖い顔』とやらになっていたらしい。


『すまんすまん。なら囮作戦ってなモンはどうだ?』

 シザーの突拍子も無い発想にユレカが瞳を瞬かせる。

『え? あ、あの、レザボア先生をホテルに?』

『いやあ、すまんが、おっさんは親父をホテルにエスコートする

シュミは無いな。そんなわけで、頼んだぞ! 坊や達!』

 シザーが満面に笑みを浮かべて緋牡丹の肩を叩いていた。

 緋牡丹は瞬時に手を振り払う。


『……自分に囮役をやれと?』

『アンタさんしか、嬢ちゃんのフリ出来そうな体型の者はおらんだろう』

『脳と眼球を入れ替える事を推奨しますよ。この身長で、

彼女の身代わりが出来るわけがない』

 緋牡丹は細身だが、背丈はシザーよりも高い。どう見ても

ユレカと見間違えようが無かった。


『まあ、相棒をからかうのは置いといてだな、こんな人目につく

場所じゃあ、ちっとばかし不味いってなモンだろ。

早い話が『バレなきゃ法律はイミが無い』ってコトだ』

 シザーの言わんとしている事が分かった。


『人目につかない場所に誘き出して、処理する、という事か』

『そうだそうだ、エライな、ロボの坊やは』

 大きな手が頭を撫でようとしていたので素早く距離を

とったが、また腰のギミックが軋んだ。


『いいか、坊や。囮ってのは戦力的に一番低いのが

担当するモンだが、鈍足じゃ意味が無いってなモンだ。

お嬢さんの足じゃ追いつかれちまう。俊足と言えば……』

『自分は、やりませんよ』

 先に釘をさすあたり、さすがは相棒という所か。


『緋牡丹もパスだな。アンタさんは一番俊足だが、

おっさんの次くらいの戦闘力だからな。囮には惜しい。

むしろ、お嬢さんのガードにあたってもらう方がいい』

『……別に、それが仕事ならば……仕方ありませんが』

 苦虫を噛み潰したような表情で緋牡丹が頷いていた。

 ならば、囮役とは?


 そこでシザー達の視線が注がれた。

 ……この後、ニルは、かつてない屈辱的な

経験をするハメになったのだ。



 レザボアを確実に倒し、ユレカを無事に逃がすという目的の為、

音声変格機能のついているAIと、半身がアンドロイドの

シザーが適任だったのだ。

 ユレカの為に買ったはずの衣服が自らの装甲になるとは

想定しなかった。


『いいか、坊や。おっさんらは

【バディを取り替えたばかりのヒヨッコAIと、

世間知らずのお嬢さん】作戦で行くぞ? 

ま、あちらさんは進行を捕捉されているのも

計算の内ってなモンだろうから、それを逆手にとって攻めまくる。

アンタさん、音声再生機能はあるだろう?』



 ホテルから音声機能を駆使して、精一杯

ユレカの口調を再現したのだが、胸にパンまで詰めて

ミニスカートで走るという……

この屈辱は、きっと、スクラップになるまで忘れないだろう。


-----------------------------


 ニルとシザーが囮役として先行し、しばらくの

ロスタイムを置いてから緋牡丹の手引きで脱出していた。


『何かあった時の為に、コレを持っていろ』

 と、パールホワイトの薄い携帯電話をニルから貰ったが、

何故かドラえもんのストラップがついている。

 よっぽど好きなのだろうか と、考えてから、緊張感で

軽い現実逃避に入っている自分に気づく。


 ホテル周囲に施設のアンドロイドはおらず、二人が

見事に誘い込んで引き離したようである。

 だが心配だった。シザーはともかくニルは

腰のギミックを修理する時間が無かった。

 無理な動きをすれば壊れてしまうかもしれない。



「あの二人なら問題ありませんよ」


 前を走っていた緋牡丹が言った。

「シザーは軍人時代に修羅場を何度もくぐり抜けてますから。

逆に敵を一人でたいらげているかもしれません」

 緋牡丹はシザーの実力を深く信頼しているのだろう。

「……そうなんですか。仲、いいんですね」


 そういえば、この世界では男女の性別の線引きが曖昧だが、

緋牡丹とシザーは、どういう関係なのか言い表せずにいると、

相手から切り出した。


「良くはないでしょう。彼のようなタイプは出来れば

私生活では生涯関わりたく無い。けれど、

仕事をする上では彼程、使える駒はない。そういう間柄です」

 ビジネスパートナーと言う意味だろうか。


「だが、仕事に限らず友人であろうと恋人であろうと家族で

あろうと、そこに信用に値するものが無ければ関係は

成り立たないでしょう。信頼と依存は違う」

「……」

 緋牡丹の言葉に、ふと思う。


 ニルと自分に信頼関係はあるだろうか。

 監視カメラや諸々の事も、一人で決めて一人で悩んでいた。

 ニルは、こちらを弱者だと判断しているから頼らず、

一人で抱え込もうとしている。

 己の存在意義は『監視』だと言っていたが、

だから、離れれば不安になるのだろう。


 信頼とは、離れていても相手の正しい実力を

見極めていられる事なのか。


「謝り、頭(こうべ)を垂れ、飼われる事で得た居場所に誇りなど

持ちえない。それを誰より、自分は知っている……」

 その時、緋牡丹は目を伏せ、

痛みをこらえるような感情を浮かべていた。

 車の元に辿り着いたが、ドアを開けて乗り込んだ時、

白いグリップと装飾を施された銃を差し出された。


「ニル君から預かって来ました。どうぞ」

「で、でも……」

「自分には涙女がありますし、シザーは銃が嫌いで

使いたがりませんから、持っていても無用の長物です。

それとも、リボルバーの扱いもご存じないと?」

「あ、う、うぅ……」


 人間を最も確実かつ簡単に殺害出来る凶器の一つである

銃は手に馴染む事は無かった。

 おずおずと受け取ると、緋牡丹が溜息をついていた。


「闘争とは生物の本能。人間だけがそれを否定する。

偽善、見栄、非戦の社会理念に汚染され、

自らの意思で思考する術を放棄した木偶人間ならば

大人しく影に潜んで息を殺していればいいものを、

そういう平和主義者に限って、我々を否定したがる。

抗う道を選んだ者の覚悟を知らぬ『平和主義』には、正直、反吐が出ます」


 緋牡丹の前でローラの扱いを『ひどい』と言ったのが、

よほど気に障ったらしく、ずっと彼は不機嫌そうに見えた。

 そこで相手は溜息を漏らした後、微笑を浮かべた。


「……申し訳ない。少しばかり苛立っています。それに

関しては謝罪しますが、自分は納得がいかない事には

服さない主義なもので」

「納得がいかない事?」


「ええ。己に危害を加えたマンイーターの首領に

まで哀れみをくれてやる事は無いでしょう。人道主義者で

あると言うならば、あの極悪人の身柄を引き取り、

悔い改めさせられるだけの覚悟を持ってから言えばいい。

死刑撤廃論者に限って、極悪人の命を助ける事だけを考え、

いざクズの身柄の引き取りを任されると尻込みするものです」


 緋牡丹は、相当の罰則主義者のように感じられた。


「……」

「ああ、失礼。簡単に言うならば『正当防衛』ですよ。殺そうとするならば

同じく殺される覚悟を持って生きる……それは、獣の定めですから」



 未来の車も幾分、進化しているのか、座ると、

瞬時に光の帯のようなものが腰と肩を覆った。シートベルトの

ようなものだろうか。

 ハンドルの隣りに表示されているディスプレイに緋牡丹が

触れるとエンジンがかかり、サイドミラーや

座席が運転者に最適な向きを調整した。




「今の車は、運転手のヒトにあわせて動くんですか?」

「今の車?」

 過去の人間だと知らない緋牡丹は首を傾げていたが、

特に突っ込んだ事は言って来なかった。


「指紋で個人を判別し、インストールしてあるドライバーの

好みの環境をオートで整えるんです。免許も

持っおられないんですか?」

 仮に免許をもっていても、こんな自動車を運転するには

時間がかかりそうだ。


「ご、ごめんなさい……」

「……別に貴女が免許を持っていようといまいと、

どうでもいい事ですが」

 長い髪をかきあげながら緋牡丹がハンドルをきると、

暴発するようなエンジンの発進音の後、身体が浮いた気がした。


「(か、片輪、今……浮い、た?)」


 横を見ると緋牡丹が涼しい顔で告げた。

「ああ、申し訳ない。当方、少しばかり運転が荒いそうです。

別に普通に運転しているだけなのですがね」


 後輪が浮いている。普通に考えて有り得ない。

 慌ててドアにしがみつくが、シートベルトの存在が心細く

感じる程に、緋牡丹のドライビングテクニックは

その外見から程遠い力技に等しいものだった。

 船の舵でも回すようにハンドルを縦横無尽に

回し、狂った歯車じみた音を車輪が放っている。


 この暴走車の中で、何故緋牡丹だけは

涼しい表情でいられるのか。

 破裂せんばかりのエンジン音を鋼の街に

響かせながら、狭い裏道でも躊躇せずに突っ込む運転に

生きた心地がしなかった。

 口を閉じ、揺れる視界で窓の外を見ると、車体が

建造物と激しく接触し、青白い火花を飛び散らせている。


「きゃあ!」

「失敬。少しばかり擦ってしまったようです」

 『少し』というレベルではない。

 だが、こちらが恐怖に悶えている間、ニャーンニャーンと

猫の鳴き声が聞こえた。


 車の中に猫でもいるのかと思うと、緋牡丹は

「……失礼、着信です」と、ネコの鳴き声の着信音を放つ

ワインレッドの携帯電話を取り出し、通話を始めている。


「きゃぁああああ! 緋牡丹さん、運転中に通話うぐうっ!」

 舌を噛んだ。

 未来の運転マナーは大幅に変化しているのだろうか?

 典型的なダメドライバーの見本に青ざめていると、

電話の相手はシザーらしい応酬が始まっていた。


「此方は予定通りです。其方の様子はどうです?

はい? ああ、彼女なら無事ですよ。商品に傷をつけるような

真似などするハズが無……悲鳴が聞こえる?

気のせいでしょう。自分には何も見えませんが?」


 助手席でショック死しそうになっているのに、

この悲鳴も恐怖も見えないのだろうか。

 話しながらも、飛び出して来た猫らしきものを

見事に避けるのは偶然なのかテクニックなのか……。



 だが、こんな言語道断な運転をしながらも、緋牡丹は

周囲を歩くアンドロイドやバイオロイドを絶対に轢かなかった。

 ありえない事だが、乗務員の事は全然気にかけていないが

外を歩く者には気を遣っているのだろうか。

 車が壊れないのが不思議な程の凶暴なな運転に

全身が上下左右に振られて、酔うどころか失神しかけていた。


 だが、そこで突然、ブレーキがかかり、車体が派手に揺れる。

「うぅ!」

「……」

 緋牡丹が携帯電話を膝に落としていた。跳ねて

こちらの腿に転がった携帯電話を慌てて

掴むが、何が起こったのかがわからない。

「緋牡丹、さん?」

「……あれは」


 携帯電話からはシザーの声が響いていたが、

それすら耳に入らない程に、緋牡丹は眼前を睨んでいる。

 視線の方向を見ると、交差点でありながら

人気の無い場所から背の高い人影が見える。


 ネオンと僅かに漏れる月明かりに浮かび上がったのは、

黒光りするレザースーツを着こなした者だった。

 それがアンドロイドなのかバイオロイドなのかは、

区別がつかない。

 顔面を黒革とベルトで拘束し、目や鼻すら

見えない。その影がフラフラと歩み寄って来る姿は、

不気味極まりなかったが、そこで緋牡丹が呟いた。




「S・パーツ……」

「え?」

「何故、ここに……」


 その言葉が終わるか終わらないかすらわからぬ内に、

黒影が飛び上がり、フロントガラスにトカゲのように張り付いてくる。

「き、きゃあ!」


 ガラスに目の無いマスクを近づけ、匂いでも嗅ぐように

擦り付けてくる姿に悲鳴を上げた途端、パン と音が響き、

へばりついていた相手が、ゆっくりと倒れた。

 襲撃者の額からは硝煙と血の臭いが放たれる。


 隣りを見ると、銃ナイフである涙女を

構えた緋牡丹が怜悧な眼差しで相手を見据えていた。

 至近距離から躊躇なく顔面を撃ち抜く判断力は

荒事を生業としているだけあり、素早い。

 更に、今度はアクセルを踏み込み、あろう事か

倒れた相手めがけて車体を走らせた。


「きゃぁあああ! 緋牡丹さん! ひ、轢……」

「失敬、目を閉じて伏せていて下さい! 早く!」

 叫び声と混じるように、一際大きく車が跳ね、

ビシャリ と窓に液体が飛び散る。





「うぐ!」

 思わず口元を押さえた。


 轢いた……と、気づいたが、この恐ろしい出来事に、

頭部に激しい痛みが走る。

 興奮しすぎたのか、恐怖に耐え切れない精神が

叫び声を上げるが如く、疼き出す。

 車は止まらずに走り続けており、緋牡丹の警戒を滲ませた

声が頭に染みるように聞こえた。


「驚かせてしまって申し訳ない。アレはアンドロイドです。

あの程度で大破するとは思えませんが、取りあえずの

足止めくらいにはなるでしょう」

「あ、アンドロイド?」

「……アンドロイドです。本物などでは無い……」

「でも、血の臭いが……」

「アンドロイドです」

 頑なに言い切る緋牡丹の姿に違和感を覚えた。

 アンドロイドならば、レザボアの追っ手だろうか?


「で、でも、施設に、あんなアンドロイドは……」

「あれは軍用アンドロイドです。何度か見た事がある」

「軍? インさんの?」

「いえ、閣下はS・パーツを非常に嫌っていました。

使用は考えられない」

 ふと、視界の隅、窓に黒い影が過ぎる。

 振り向くと、窓に掌がべったりとくっついた。


「きゃあ!」

 黒いオイルのようなもので濡れた掌が窓に手形を

残したが、直ぐにその手の持ち主である黒影が顔を覗かせる。


 どのようにして走る車体に固定しているのか分からないが、

相手は執拗に窓をこすり、不愉快なガラス音が

振動と共に伝達される。

 顔のベルトと革のマスクが口角の部分だけ剥がれ、そこから

剥き出しになった口が、咀嚼じみた動きを繰り返していた。


「きゃあぁあああ!」

 その歯は肉食獣にも似た鋭さで、丸いマスクと鋭い歯は

海中から襲い来る鮫のようだった。

 魚人に襲われた悪夢を思い出し、酷い頭痛と恐怖が精神を苛む。


「いやぁあああああ! あ、あぁあ!」

「ちっ! 何度も何度も!」

 緋牡丹は振り落とそうとハンドルを切ったが、それでも相手は

強固にしがみついて傍の扉を叩いてくる。そんな行動で

開くはずもないが、殴打の如く何度も叩きつけられる拳に

煽られた時、膝の上を携帯電話と銃が跳ねる。


 携帯からはシザーと交代したのか、ニルの声が聞こえた。


『ユレカ! どうした? 何があった!』


 必死で呼びかけているようだったが……。


 ニルを呼ぶか、引き金を引くか。


 それはつまり、依存するのか、

己の力で戦うのかの選択だった。


 相手は魂無きアンドロイド、S・パーツ。

 生物ではない。殺しても罪悪感など無い。

 こんな相手に襲われるなど絶対に御免だ。

 夢の半魚人に貪られる恐怖が身体の奥から攻撃本能を

突き上げてくる。


 恐怖を植えつける『不愉快』な存在を

排除したいと感じる本能が人間には在る。


 撃てばいい。引き金を引くだけでいい。


 自分が生きる為に、奪う正当性がある。


「……ッ!」

 その時、頭部から割れんばかりの頭痛と、意識が遠のく

麻酔めいた睡魔を感じた。

「い、痛い……!」

「小姐?」

「痛い……痛い……!」

 激痛で頭の芯が白く凍結していくような感覚の中、何かが、見えた。


 人気の無い街並み。

 ぎこちない動きで蠢く人間。誰もが白く目を剥いていて、

次から次へと、水の中に顔面をつけて『溺死』していく光景。

 音をたてて泡立つ水の中に浮かぶ人影…

それは、IDに感染した『東京汚染』の光景だった。


「うぅう……うううー!」


『ユレカ!』


 銃を取り落としかけた時、白く染まる脳内に聞こえた声に

意識が覚醒する。


『ユレカ、しっかりしろ!』


 携帯電話からは、ニルの呼び声が繰り返されていた。


「ニル……」


 感情の無いアンドロイドだから破壊してもいいと言われようと、

そうではないアンドロイドを知っている。だから、

ただの無機物だと割り切って破壊する事が出来なくなっていた。


 電話の向こうからこちらを案じる存在も、窓の外から

正体不明の行動を見せる相手も、同じ物質で

構成されているのだと考えてしまうと、引き金が引けない。


 東京汚染で屍が転がる光景を知っているだけに、

人間のカタチをしたものを『壊す』のは、

抗いがたい恐怖だったのだ。

 ニルの声に放心してしまっていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめ……なさ……」


 左手にハンドルを、右手に涙女を持った緋牡丹が

窓の外の相手に何度か撃ち込んだ。

 また車体が激しく揺れる。


 その衝撃で携帯電話は足元に転がる。

 緋牡丹が急ブレーキをかけたようだが、何があったのかと

顔を上げると視界の先に一人佇む女がいた。


 HEDDがついている事から、

バイオロイドかレムナントだろうか。

 長い髪と整った容貌の美女(女性の体つきに見えた)は、

ゆっくりと車に歩み寄って来た。


 闇色の髪と切れ長の鋭い目は、瞬きするたびに睫毛が揺れる。

艶やかに浮かび上がる白い肌と紅い唇は

全てが対照的に主張していて混ざり合う事は無い。

 紫のパンツスーツと白のブラウスを着こなしている姿は、

キャリアウーマンを連想させたが、鮮烈な色使いは

企業や組織に埋没しようという意思を感じない。


「……」

 緋牡丹は憑かれたように動けずにいた。が、よく

見るとハンドルを握る手が小刻みに震えている。

 怯えているのだろうか……?

 窓を叩く硬い音に、ようやく顔を上げた緋牡丹の

隣り、窓の外で、女が微笑む。


「久しぶりね。私のコト、憶えている?」

「……お久しぶりです。ブレア博士……貴女の存在を

この世から消したいとは思っても、

忘れる事は出来ませんでしたね」

 それは虚勢なのだと、震える指先と場違いな

緋牡丹の笑顔でわかった。


 彼の知り合いだとは分かった。が、どうにも異様な雰囲気に

飲まれて成り行きを見ていると赤い爪のついた指が

窓を舐めるように撫でている。女の視線がこちらを捉えた。


「ふふ、可愛い子を連れているのね。それは、

貴方のドナーにするつもりかしら?」

 微笑んでいたが、安堵を感じない含みのある笑みだった。


「彼女は、ただの知人です」

「ふふ。知人? 飼い主でなくて? だって貴方、

飼い慣らされるの大好きだったでしょう? 

そんな家畜の貴方が少しはニンゲンに近づけた?

だって、貴方の中身は、全部……」

 緋牡丹の拳が窓を叩いた。


「俺は家畜じゃない! ブレア、いい加減にしろ!

今更、俺の前に現れて何のつもりだ!」

「いいえ、貴方の中身は家畜よ。

肉で出来た美しい人間のフリをしているけれど、

その舌も内臓も、家畜のものよ。どうして否定するのかしら?」

 ブレアは精神を削り取るような言葉で責めていた。


「牛の舌で喋って食べて、豚の臓器で消化しているケダモノさん。

昔みたいに鳴いて四つん這いで這ってごらんなさい。

涎を垂らして欲しがるようなご褒美をあげるわ」

「やめろ!」


 そこで、緋牡丹は窓に拳を叩きつけ、頭部を押さえて苦しむ。

 苦しみ嗚咽をもらしているのに、笑みを浮かべているのは

狂人のようで、彼の表情と精神のリンクが

破綻しているのを今更ながら感じた。


「違う! 違う! 違う! 家畜じゃない、おれは、違う!

家族が、いる!」

「血も繋がっていないのに? 親子の証明は遺伝子だけよ?」

「違う! おれは……巴巴(※)と媽媽(※)の子だ!」


※巴巴(バーバ)……父  媽媽(マーマ)……母


「ふふふ。貴方の中の何が、あの人達の子供だと証明出来るの?

出来損ないの家畜さん?」

 その時、顔を上げた緋牡丹が両手を震わせて吠える。


「……ブレア! 閉嘴! 滾出去! 斃! 斃! 」


 何を言っているのかは分からないが、激昂した緋牡丹の

狂気じみた罵声に総毛立って怯えた瞬間、

耳をつんざく轟音が起こった。

 緋牡丹の傍の窓ガラスが蜘蛛の巣状にひび割れてゆく。


「!」

 こちらを見上げる緋牡丹の目が、この手の中の銃に向けられた。

 両手で握り締めていた銃の引き金を引いてしまっていたらしい。


「あ……!」

 緋牡丹に命中しなかったのが不幸中の幸いだった。

 窓の外にいたブレアが、どうなったのかは見えない。

 だが、彼女の声が消え、姿が見えなくなった事で

正気を取り戻した緋牡丹は、弾丸が相手に命中したか

確認する事もないままにハンドルをきった。


 あの女は何者なのか? 家畜だ何だと言っていたが…?

 緋牡丹の鬼気迫る雰囲気から問えずにいた。



 しばらく車は運転を続けた後、待ち合わせ場所に到達すると、

脱力したかのように停車し、緋牡丹は

ハンドルに突っ伏していた。

 荒い息を吐き、肌には玉のような汗が滲んでいる。


「緋牡丹さん?」

 呼びかけたが、身体が小刻みに震えている。なのに、

顔を上げると、微笑んでいた。気分が悪いらしい。

「失敬。何でも……ありません。それよりも、

見苦しい所を見せてしまって、申し訳ない……」

「……さっき、何て言ってたんですか?」


 理解出来なかったブレアとの会話を訪ねてみると、

緋牡丹は「……失礼。ソフト目に言うと、

『黙れ、消え失せろ、殺すぞ 殺すぞ』です」と、無理して

こちらを笑わせようとしていたが、笑えなかった。


 額を押さえ、首を振っていた相手は目を伏せた。

「……自分が軍を辞めたのは、この身体の所為です」

 視線を下げた先には、包帯で固く封印されているものの、

大きな爪が露出した足が見えた。


「ディーバは特級の軍人しか所属出来ない部隊……

シザーや閣下以外は皆、気位だけは高いクズでした。

それでも、自分はディーバに居たかった。だから

身体を少しづつ取り替えていたものの……」

 そこで、消え入るような呟きが聞こえた。


「……レムナントから身体を奪うわけにもいかない。

アンドロイドの部品じゃ感覚が無い。だから移植用の家畜の

神経や内臓を使うしか無かった。けれど、

どれだけ取り替えても、皮膚は蛇か蜥蜴のように

鱗状に醜く変貌してゆくばかり……」

 緋牡丹の己を卑下する言葉に、何か言わなければ

ならないのに、上手く話せない。


「で、でも、家畜は、卑しくないと思います……」

 それは緋牡丹の逆鱗に触れたようだった。真紅の髪の

隙間から覗いた顔は、瞳に黒い感情を滾らせていた。

 それは『哀しみ』というものだろうか。


「家畜でも植物でも、食べて生きるように身体は出来てる

から……そうやって生きて居る事を否定するんじゃなく、

受け入れ、感謝しないといけないと……」

「感謝? 家畜に…? あんな、消費物に?」

 そう、ニルが言っていた。

 人間は他の命を食べて生きるように出来ているのだから、

もっと自分を大切にするべきなのだと。


 それらに感謝せず、逆に貶めるなど、命によって命を

繋いでいる自分達をも見下す事になる。


「……あなたを否定する人の言葉に、あなたまで

染まる事は無いと思うから……」

 それを話すと、話を聞いた相手は目を伏せていた。

「感謝、ですか……。自分が生きる為に

殺した者の命を背負える覚悟……」

「……」

 つい先程、生き延びる為の攻撃が出来なかった身としては、

この言葉はハンター達の嫌う『綺麗事』だろう。


 それ相応の理由と信念を見せてから、言うべきだった。

 他人の借り物の言葉を偉そうに講釈するならば、黙して

いる方が、よほど美徳だろう。

 だが緋牡丹は俯く。


「……その生への感謝を覚える程の未練が、自分に

あれば……きっと……」


 そんな時、車外から激しい物音が聞こえた。

 すぐさま緋牡丹が反応したが……。


「おいおい、ロボの坊や、イイ所だってのに、何だって

ドラム缶を蹴っ飛ばすんだ?」

「五月蝿い。黙れ。喋るな老スペック」

「まったく、ツンツンしてるが、いつになったらデレになるんだか」

 頭を掻くシザーの姿に緋牡丹がドアを蹴り開け

「全く、遅すぎる。重役出勤は、せめて任務外にして頂きたい」と、

文句を言いながら二人の無事を確認しているようだった。


 シザーとニルの姿に、緊張していた空気が一瞬で

緩んだのを感じる。脱力したと同時に、窓の外をよく見ると、

シザーの後方にいたニルは、安堵したように

溜息をついていた。


 音信が途絶えたので、慌てて駆けつけて

来てくれたのだろうか。ニルが無傷であった事に安心しながら、

すぐに車から飛び降りて駆け寄る。


「ニル、だ、大丈夫?」

「新たな損傷箇所は無い」

「良かった……」

 ようやく安堵した。囮役で矢面に出るなど無謀ではないかと

内心でヒヤヒヤしていたのだ。


「……別に、オレは故障しても修理すれば何とかなる」

「で、でも、怪我をしたら痛いもの」

「痛覚は無いと言っているだろう。オレは無機物なんだ。

痛みも、心も無い。オマエ達とは違う」


 伏目がちに俯く姿に、思い悩んでいるような印象を受けた。

 その姿に、思わず涙ぐみかける。残された唯一の友は、

そう思ってくれていないのではないかという寂しさだった。


「ニル……、怪我して痛いのは、本人だけじゃなくて……

ニルがケガをしたら、私も、痛いもの……。

ニルがいなくなったら……さっきも、ニルの声が無かったら……」

「ユレカ……」

 涙がこぼれ、服の袖でこすってから、

これがニルの上着だと気づいた。

 そこで、頭を撫でる感触が伝わる。

 見上げてみると、ニルが僅かだが、不器用に笑っている。


「大丈夫だ。どこも……痛く、しないから……」


 痛覚とは命のリミットを知る為の手段の一つだが、

それが無くても、痛みを知る事は出来る。

 ニルを案じる者の心が彼に痛みを知らせる道しるべに

なるのだと、理解したらしい。


「不思議だな。オマエは泣いているのに、

オレが『笑って』いるなんておかしなコトなのに、

笑ってしまう」


 それは『嬉しい』という感情なのではないだろうか。

 壊れても構わない身体と言っているが、そのような

扱いを他者からされ続ければ、痛みも苦しみも

いつか麻痺してわからなくなってしまう気がした。

 だから、案じられる事に対して喜びを感じれるのだろう。


 そこでシザーが「あ~……別にいいんだが、アンタさん、

スカート、履いたままなんじゃないかあ?」と、ツッコミを入れる。

 思わずニルの足元を見ると、ミニ丈のスカートが見えた。

 何気に美脚だった。




「!」

 すかさずニルがスカートの裾を引っ張って足を隠そうとする。

「……ッ、気づいていたなら、早く言え!」

 上着を脱いで腰ミノのように胴に巻いているものの、

余計にヘンである。

 シザーとニルがケンカ(一方的)を始めた時、緋牡丹が、

「それはともかく、随分と遅かったようですが、何か

アクシデントでも?」と問いかける。


「すまんすまん。色々と邪魔が入ったってなモンだが、

獲物は頭を潰してる。アンドロイドでもなきゃ、

生きてないだろう。坊やがモヤシを引きつけている間に、

おっさんの華麗な十六文キックが炸裂してだなあ……」

「オイ、老スペック。『蹴り殺した』で済むだろう。

ヨケイな単語を並べ立てるな」

 そこでシザーが笑いながらニルの頭を撫でようとしたが、

ニルは人に慣れない野良猫のように飛びのいて距離をとっていた。


 行き場のなくなった手で頭を掻きながらシザーが笑みを

止め、口を開く。

「とりあえず、移動しないか? ココにいても仕方ないだろう」

 早々にこの街から離れたいという素振りを見せていた。


 もしかすると、あの『ブレア』という女がシザー達の方にも

現れたのだろうか? ブレアに対して

憎悪を抱いているらしい緋牡丹を気遣って

言葉を濁しているのかと推測していた時、ニルが口を挟んだ。


「さっきは立て込んでいたから気づかなかったが

あの、女……知っている。確か『ブレア・ウィッチ』博士……」

 やはりブレアと接触していたのかと思っていると、緋牡丹が

溜息まじりに「あのひとは、己の研究体に

執着していますから」と、呟いた。


「アンタさんらの所にも来たのか?」

「小姐が狙撃してくれましたが……どうでしょうか。

あの程度で大人しく死んでくれれば楽なんですがね」

「生きてるってなモンだろうなあ。余裕で」

「でしょうね。余裕で」

 とりあえず詳細は落ち着いてからにしようと

シザーが車を走らせた。


 座席が二人乗りの為、残りの二人は

後方の荷台に座らなければならなかったが、運転したがる

緋牡丹をさりげなくシザーが阻止してた。

 ニルはドライビングテクニックを本で読んだだけであった為、

消去法でシザーしかいなかったのもある。



 結局、護衛対象である者を吹きさらしに座らせるわけには

いかないと、外の荷台にはニルと緋牡丹の席となった。

 シザーの運転は意外にも非常に丁寧であった(当然だが

携帯電話も使わないし)


 E・シティに向かうという大まかな目的地は定まっていたが、

そこに辿り着くまでの道のりを考え、一旦は

準備を整えようという話になったのだ。

 ブレアが追いかけてくるのでは

ないかと思ったが、シザーと緋牡丹は首を振る。


「ブレアは神出鬼没で気まぐれだからなあ。急ごうと急ぐまいと

気が向いたら現れるってなモンだ。それなら、装備を整えて

出迎えた方がいいだろう?」

「不本意ですがシザーと同意見ですよ。賞金首の換金もしたいし、

ニル君のメンテもしてみたい。一旦アジトまで撤収した方が

いいでしょう」


 二人は、このガイアシティから車で数時間かかる都市に

住居を構えているとの話だった。

 夜の荒野を走る車に揺られていると、こんな状況でも

眠気が襲ってくるのが不思議だった。疲労したのだろうか。


 だが、先が見えない不安は消えないが、白い建物に

いた時よりも遥かに『生』の実感があった。


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