目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第8話 再会

 夢うつつの中、声が聞こえた。


『おはようございまーす☆ 市街放送の時間でーす☆

天気速報担当のニルヴァーナ子でーす。

本日は湿度が基本値を下回る為、午前0時から雨天となる事を

お知らせいたしまーす☆夜半にお出かけの際には、必ず

傘をお持ち下さいね!』


 ああ、天候は『予報』ではなく、『確定事項』なのだと

ニルが言っていた。突然の通り雨も存在しない世界だ。

 ニルヴァーナシステムとは、世界を掌握する海のようだと

思いながら、波に揺られる感覚に目を開ける。


 ニルが此方を見上げていた。青い瞳と銀の髪が見えたが、

ニルの背が縮……いや、こっちが伸びている?


「きゃっ!」


 驚いて飛び上がった時、頭が前方の相手に激突した。

 その衝撃で目の奥に火花が散る。

「起きぬけから元気なお嬢さんだなあ~」

 振り返ったシザーに再度驚き、今度は身を引いた。

「ご、ごめんなさい……」


 どうやら、シザーに背負われていたらしい。

 その背から降りて周辺を見回す。

 到着した建物は、外に剥き出しに設置されている階段があり、

歩く度に金属製の手すりが甲高い悲鳴をあげて軋んでいた。

 ここがシザー達のアジトであるらしい。


 むしろ、アメリカにあるアパートのように見えなくも無い。

部屋番号『1408号室』と書いてある。

 それでも、『アジト』なのだろうか?




 先頭を歩いていたのは緋牡丹だった。

 鍵を開けると、途端に緋牡丹がコートを脱ぎ出した。


「まったく、バウンティハンターの宿命とは言え、ホテル住まいは、

いつまで経っても慣れませんね」

 そう言いながら更にスーツのジャケットも

脱いで玄関に放り投げる。ネクタイを緩めながら、それも

床に落としていた。


 ブーツも脱ぎ散らかし、ワイシャツとズボンだけという非常に

ラフな格好で廊下を歩いて行った。途中で思い出したように

振り返って「ああ、失礼。適当に寛ろいで頂ければ結構かと」と、

仏頂面で告げてくる。


 そんな若い相棒に苦笑しながら、シザーが玄関に散らばる

衣服を拾い集めていた。

「すまんすまん。相棒は家にいる時、

何故か脱ぐモンでなあ。真冬でも脱ぐし、真夏は

もっと凄いってなモンなんだが。

まあ、狭くて汚くてムサ苦しい家だが、

ゆっくり茶でも飲んでってくれんかね」


 シザーが玄関の隅に放置されたままのスリッパを拾い上げ、

埃を払ってから差し出す。その横を

ニルは「……実際、汚いな」と言いながら、

叩きつけるように足を床板の上に踏み出し、

ブーツのまま上がりこんでいた。


「ニル! だ、だめだよ! そんなコト!」

 ニルの腕を引っ張るも、振り払われる。

「下部装甲を外す必要性はナイ。野外と汚染度が21%しか

変わらないゴミ屋敷に、オレのマスターであるオマエを

素足で歩かせろと言うのか? ふざけるな! オレは、そんな

低スペックは持ち合わせてない!」

『外の道路と同じ汚さ』など、失礼極まりない。

 シザーは「ゴミ屋敷でもなあ、住めば都って言うだろう?」と

笑いながらニルの頭を撫でようとして、また逃げられていた。


「ゴミ屋敷の住人が気安くオレに触るな。オレまで汚れる」

 喧嘩を売っているとしか思えない言葉まで吐いている。

「ご、ご、ごめんなさい、ニルがまた、失礼な事を……」

「いやいや、気にしとらんさ。若い内はツッパりたがるってなモンだ。

しっかしまあ、坊やはゴツい靴履いてるな。それじゃあ

脱ぐのも一苦労ってなモンだろう?」

 その言葉で思い出した。


「あ、そうだ、ニル、靴、脱ぎたくても脱げなかったんだね。

紐があるから……」

 だが、それは禁句だった。

 見る見る真っ赤になったニルが声を荒げる。


「ばっ……ち、違う! 下部装甲を外す必要性がホントのホントに

ナイだけで、ひ、紐が解けないとかじゃな……あ」

 口を押さえるニルの仕草は、こちらが失言をした時の

動きそっくりだった。そんな所まで学習したのか。


 そのニルにシザーがニヤニヤ笑いながら(恐らく、爆笑したいのを

堪えている)肩を叩いていた。

「坊や、靴が脱げなかったのか」

「ち、違うって言ってるだろ! 脱げるけど、

脱がないだけなんだからな! ホントに! な、ナンだ、

その鬼の首でも取ったようにゃカオは! こにょバカ!」

 今度は噛み出した。そこまで学習していたのか。


 こらえきれずに笑い出したシザーに、激怒したニルは

靴のまま家の奥へ走って行った。

 ……ニルに悪い事をしてしまったが、何だか愛嬌があったように

見えてしまった。


 足跡が点々と残っている廊下を拭きながら歩くシザーの

後ろに着いて行くと、廊下の突き当たりの

キッチン兼ダイニングのような場所には、待ちわびた

ニルと緋牡丹がいた。


「おいおい、相棒、客が来てるってのに、茶の一つも

出さないなんて失礼ってなモンだろう?」

「これは失敬。……なにぶん、茶葉を購入する為に

貯金していた生活費が、何処ぞの誰かさんのムダな

煙草代に消えてしまったもので」

 笑顔で緋牡丹が食器棚からグラスを取り出し、叩きつけるように

テーブルの上に置いていた。


「ん? 相棒、こんな味気ないグラスじゃなくて、アレが

いいんじゃないか? ほら、アレとか」

「アレアレ言わないで下さい。まあ、貴方と意思の疎通を

とる気など皆無ですが」

「あのアンタさん愛用の可愛いピンクのマグカップ……」

「ああ! そうそう、そう言えばグラスは全部割ってしまったので、

失礼ながら、この試験管を使って頂きたい!」


 シザーの言葉を遮るようにして、緋牡丹が何処から

取り出したのか、強化ガラス製の試験管をテーブルの上に

叩きつけている。

 試験管の絶叫のようだった。


 だが、緋牡丹とシザーが揉めている間に、ニルは戸棚から

勝手に食器を取り出し、こちらに見せた。

 シザーの前で恥をかかされた逆襲にハンター達の弱味を

見つけたいのか、はたまたホテルでシザーが物色していた

行動を学習したのか……。

 どちらにしても人として性格は悪いが。


 それは取っ手のついたピンクのマグカップで、クマの

イラスト(かわいい)が、描かれていた。




 そのマグカップをテーブルの上に置き、

何だか得意気な表情を浮かべているように見えた。


「オレの監視対象は一般レムナントよりもドジでノロマで

何の取り得もないグズなんだ。取っ手の無い食器は

82%の確率で割る。この容器を借りるぞ」

「ニル、それ、緋牡丹さんのじゃないの?」

 その時、緋牡丹が怒鳴った。


「断じて違う! そんな幼稚なデザイン、自分は興味すらない!

それに、それは、その、近所のショップで安売りされていた、

至極どうでもいい使い捨てカップのようなものですから、

お好きに使われればいいでしょう!」

「おいおい、アンタさん、あれ買う為に子供らの行列に

並んでたんじゃないか?」

「並んでない! 断じて並んでなどいない!」

「だが、アンタさんは子供好きだから、待ちくたびれて泣き出した

子供には、さりげなく順番を変わってやったりと……」


 何かがキレる音がした。


「そないな事してへん言うとるやろが! ボケェ! 何べんも

同じ事いわすなや! そのドタマいわしたるぞコラァ!」

 え? 関西弁? と振り返る。

 冷静沈着か神経質かと思っていたが、緋牡丹は

視線に気づいたのか、咳払いをした。

「……失敬。少々、興奮してしまいましたが、

それに関しては一応、謝罪します」

 やはり上から目線の謝罪である。


「しかも、子供好きの癖に子供には

嫌われちまうからなあ、アンタさん……」

「ち、ちがっ……」

 シザーの言葉に真っ赤になりながらも、

緋牡丹がこちらを見ていた。


「ち、小さい子、好きなんですか……?」

「断じて違う! 子供など、戦場では足手纏いだ! 塹壕の

中にでも放り込んでやろうものを!」

 ここは戦場ではなく日常であり、しかも戦場で見つけた子供を

塹壕(安全な場所)に送ってあげるなど、子供好きなんですねと、

ツッコミ所が満載すぎて、本人すら自分が何を喋っているか

把握出来なくなっているようだった。 


 だが、久々に見つけた子供好きの同志である。


「こ、子供、かわゆいですよね。かわゆいですよね……はふぅ」

「いや、だから、その、自分は別に子供とか、そんなに言う程

好きじゃないと言うか、て言うか、何ですかその恍惚とした顔は!」

「はふぅ~子供はふぅ~……」

 いけない。子供成分が枯渇してきた。

 子供と会話したい、触れたいとフラフラした結果、ニルの

頭をナデナデしてしまい、怒られた。




 アジトは入り口から入って直ぐにキッチンがあり、

左右に小部屋がある作りのようだったが、

恐らくその左右がシザーと緋牡丹の部屋なのだろう。


 キッチンと言っても、水道と流し台と

調理器具があるぐらいだった。

 凝った料理など作らない者の台所……というイメージ

ぴったりである。ゴミ箱にはレトルト食品らしきゴミが

山積みになっていた。そして溜まったゴミ袋も放置されている。


 ハッキリ言って汚い。


 だが、白と黒の幾何学模様の床の上には深紅のソファーと

木製のテーブルが置かれ、窓の傍に

レトロなタイプのテレビがあり、デザイン的な室内と

雑多なゴミが対象的だった。


 水道水をグラスに入れて差し出すシザーが緋牡丹に

「そう言えば、この間のゴミ当番、アンタさんじゃなかったか?

ゴミ溜まってるだろう?」と話をふっている。

「まだ入るでしょう」

「いやあ~入らん入らん。ゴミ箱からハミ出してるぞ。バナナの皮が」

「なら、少しは頭を使われればいい」

 そう言いながら、盛り上がるゴミの山をに緋牡丹が片足を上げると

ムリヤリ踏みつけ、強制圧縮していた。

 外見は美貌の青年だが、性格はとんでもないズボラだ。


「……いつも、ああなのか?」

 ニルが呆れていたが、シザーは「今日はマシな方だなあ~。

仕事帰りで面倒くさい時は玄関でブーツを枕に寝る。しかも朝方に

届いた朝刊を毛布がわりに、簡易ホームレスになってる」と

相棒ならではの苦労を滲み出させていた。


 だが、シザーは靴下を拾って玄関の傍にある

バスルームの洗濯機らしきものに放り込んでいた。

 シザーはマメらしい。


「お嬢ちゃんと坊や、洗濯物無いのか? ついでだから

洗っておいてやるってなモンだぞ? あぁ、勿論、

料金はサービスだ」

 マンイーターに捕まったり、ホテルから慌てて逃走したりで

衣服は汚れていたが、さすがに脱いだ服を他人に洗われるのは

恥ずかしかった。

 それを察したのか、ニルが口を開く。


「おい、ユレカがキサマの服と自分の服を一緒に

洗われたくないそうだ」

「言ってないもん! そんなコト言ってないもん!」

 が、ニルに続くように緋牡丹も「ああ、自分もシザーの服と

洗われたくないですから。シザーの服は最後に洗って頂きたい」と、

もう汚れ物扱いされているのに、寛大な大人は笑っていた。

 こうでなければ気難しくプライドの高い相棒とは

やっていけないのだと、学習させてもらう。


 しかし、家屋内を見回した結果、時代が進んでも

大きく家電は変化していないように見えた。

「ね、ニル。未来なのに、洗濯機とか冷蔵庫とか、

あんまり変わらないんだね」

「文明や技術が発達しても、その恩恵の

最先端を受けられるのはいつの時代でも上流階級だけだ。

低所得の下層市民レベルは、この程度だろう」


 上着を脱いで洗濯機を回し始めるシザーと話していた緋牡丹が

「ニル君、そろそろメンテを開始したいのですが」と声をかけてきた。

「オレのメンテはともかく、キサマら、

こんな事してる場合なのか? ブレア博士の件もある。

キサマ達の面倒事まで抱え込む気はないが、ナニも

知らないまま巻き込まれるのはゴメンだ」


 ニルの言葉に緋牡丹が先手を打った。

「なら、自分はニル君のバディの

チューンナップしておきましょう。その間、暇そうな

シザーが説明すればいい」

「おいおい、さり気なく俺に面倒事を担当させたな? こいつう~」

「なら、アンドロイド工学をご存知ない貴方が、彼の

身体を分解したいと?」

「再構築を前提としないんなら、分解は出来るんだがなあ~」

 それはただの破壊活動のような気がするのだが。


「ならば、適材適所という事で」

 言うなり、近づいてニルの首を捻って強引に外していた。

 そして、その首を「どうぞ。小姐の所有物ですから」と、

無造作に放り投げてくる。慌てて受け止めるも、

手の中の少年の眼球が、こちらに向けて動いた。


 その時、閑静な貧民街に『キャァアアア』と悲鳴が響く。


 と、玄関のドアが激しく叩かれ、『ちょっと! シザー!

さっきから悲鳴響かせて何やってんだい!』と

中年女性の声が続く。


「おいおいおいおい、大家さんを召喚しちまったってなモンだな」

「シザー、適材適所です。どうぞ」

「マズイなあ~ウチは、家賃滞納してるのもあるからなあ」

「シザーだけが滞納してるんですよ。自分の分は家賃も光熱費も

先月振り込んでますから」


 緋牡丹のツッコミを背に受けながら、シザーは

立て付けの悪いドアを押さえる。(ガサ入れされないように)

 そして低音の甘い声で語りかけていた。




「すまんすまん。怪しい事は何もしてないさ。

ただ、借りてきたアダルトディスクの音量がウッカリ

最大になっちまったってなモンでねえ~」

 しかし、大家のオバチャンには通じなかった。

(台詞が台詞なだけあるのだが)


「アンタ! いいトシこいて朝っぱらから

サカってんじゃないよ! それより、そんなモン

借りる金があるなら、とっとと家賃払いな!」

「はっはは、俺はいつでも支払っているつもりなんだがなあ~。

マダムへの、愛の…(タメ)…利息を」


 一瞬、場が静まり返った。だが、大家は強かった。


「バカ言ってんじゃないよ! ンなもんでメシが食えっかね!

こちとら生活かかってんだよ! 愛より金だよ! 払うもん

払ってから、ほざきな!」

 ダメだ、大家が強すぎる。

 だが、玄関で大家と問答するシザーよりも、生首状態のニルが

心配で、泣きながら話しかける。


「ニルが……し、死んじゃった……」

「落ち着け。オレは機械だと何度も言っているだろ」

「ニル! ……良かった!」

「別に、泣く事……ないだろ……」


 首だけの状態でニルは応答したが、緋牡丹は

首の無いバディ(首は外れているのに手足が動いている

ので、かなりシュールな光景であったが)を引きずって

部屋に連れ込み、早速改造を始めるようだった。


 頭さえあれば会話が出来るという荒事に溜息が出たが、

どちらにしろニルが居てくれた方が心強い(首だけでも)


 真っ赤なソファーに腰掛けて、ニルをテーブルに

乗せると、人間の首のようにリアルで、少し怖かった。

 まばたきまで備えた精巧なアンドロイドの顔を見つめ、

瞳にかかる前髪を指でよけると、ニルは目をそらす。


 大家とのバトルが終わったらしいシザーが

向かいのソファーに倒れるように

座り込み、ブーツを履いた足を乱暴にテーブルの上に投げ出す。


 ニルが露骨に嫌な顔をしていたが、シザーは構わずに

胸元を探っている。煙草を探しているらしいが、

切れたままだと思い出したようで、頭を掻いていた。


「いや~、すまんすまん。ちっとばかし見苦しいトコを

見せちまったってなモンだな。とりあえず、何から

話せばいいんだ?」

「あ、えっと……」

「ちなみに、おっさんは現在、バツイチ花の独身貴族(死語)だ」

 歯が光った。別に訊いていないのだが。


 とりあえず訊きたい事を思いつくままに口にすると、

ブレアの事が真っ先に出て来る。

 そこでシザーは手を組み合わせたまま、視線を

テーブルに落とした。


「ああ、ブレアは、俗に言うマッドサイエンティストってヤツだな。

色んな生物やら病原菌やら集めて改造するのが好きらしいが

詳しい事は知らんなあ」

 シザーの言葉にニルが反応した。


「ブレア=ウィッチと言えばバイオロイドの生体研究の

第一人者で、軍内部でも地位ある存在だと

言われているはずだ。それが、ただの軍人崩れの

ハンターと知り合いなのか?」

「まあ、俺と緋牡丹が軍にいた頃、ちょっと関わってなあ。

俺は戦場でヘマをやらかして一度、死にかけたが、

ブレアの治療で一命だけは取り留めたってなトコだ。

目が覚めたら心臓が動いてなかったのは流石に驚いたがな」


 シザーが言うには、作り物の心臓と手足、臓器の

ほとんどが車の部品のような機械に交換されていたらしい。

 それも、本人に何の承諾も無く。


「最初は、生還した実感が無かったな。ま、当然か。 いつも

寝る時に延々と聞こえてた心音が無くなったんだ。

ガキの頃は、それが怖くて眠れなかったってのに、

今は、それが聞こえなくて不安になってるってなモンなんだからな」

 だが、シザーはニルの視線に気づいたらしく、苦笑を浮かべた。


「すまんすまん。アンドロイドになりかけたのが

イヤなんじゃない。むしろ、死にかけて、ようやく

『死ぬのが怖い』ってコトに気づけた。人間ってのは

勝手なモンでな。いつか死ぬと知りながらも、それが

遠い未来だと何の確証も無く信じてる。


だが、それが未来ではなく、明日、数時間後と目に見えて

迫ってくると、途端に手の中の全てが惜しくなってきてな。

当たり前だと思っていた家族や友人、恋人、命、時間、

こうして思考する事も喋る事すら失う事への恐怖に変わる。


そこから這い上がれたのは本当に有り難かった。

……それまでムチャばかりやって家族とも疎遠になっていたし、

これを機にやり直そうと思ってな、軍を辞めて家に戻ったんだ。

だがなあ、そこにはなあ……キッツイモンがあってなあ」

 そこでシザーが、瞳に影を浮かべる

 握り締めた手は固く結ばれていた。


「……家に、俺がいた。同じ顔と同じ声……同じ身体で、

居座っている俺がいてな。まあ、当時

俺には嫁がいたんだが、偽者に銃を向けた俺の前に

飛び出して来た。……庇ったんだよ、アイツは。俺じゃない俺を」


 撃ったのか、とは訊けなかった。シザーも言いたくないだろうと

推測する。

 緋牡丹が言っていた『シザーは銃が嫌い』と

言うのは、この事に由来するのだろうか。


「当時の俺は若くてな。感情の抑えが効かなかった。軍人として

歯を食いしばっていたのも全ては家族の為だったんだが、それが

良くない方向に暴走してなあ……。お前の為に『してやっている』

のに、裏切る気かって怒鳴っちまってな。


人間、誰しも黒い感情を心に抱く瞬間はあるが、肝心なのは、それを

口に出してカタチにしてしまうかどうかってなコトだろうな。

だから、それから俺は、出来る限り感情に飲まれんように

しているが……取り返しがつかなくなってから、気づいちまったがな」


 その時、何があってどうなったのか?

 その経過をシザーは口にしなかった。言う必要は無いのか、

『カタチにして話せる』程、心の整理がついていないのかは、

彼のみぞ知る心境であるが。


「そんなワケでな、ブレアは、俺の身体が並外れて丈夫ってな

理由で複製を作って軍に提供していたらしい。

どうりで、アッサリ辞められたと思ったが、気づいた時には、

もう遅かった。オリジナルの俺よりも、

機械と薬で強化したクローンを量産した成果で

昇進してゆくブレアに、一般市民の俺が

どうこう言える状況じゃなかったってな結末だ」

「クローン……?」

「名称的には『S・パーツ』って呼ばれてるらしいがな」

「!」


 確か、ガイアシティで車に張り付いて襲って来た

正体不明の存在を『S・パーツ』と緋牡丹が言っていたが

あれがシザーのクローンだと言うのか?


 目の前に居るシザーと体格と声は似ていたが、あの凶暴な

口角や化物じみた動きは似ても似つかない。

 そう言えば、緋牡丹が言っていた。

『アレは、本物ではない』と。


 それが『怖い』と思った。もしも、自分の遺伝子や細胞を

持ちながらも、あのように狂った存在に改造され、

道具扱いされるなど……。


「ヤケになった俺は家を飛び出してな。

先にディーバを出奔してた緋牡丹と逢って、

今の状況に落ち着いたってワケだ」

「……」


 だから家族に逢いたくても逢えないと言っていたのか。

 両手を組んだまま、シザーはテーブルを見つめる。

 鈍色の瞳は、群れからはぐれた獣のように、

哀しげに細められたままだった。その傷を見せないように

しているが、傷口から滲む血は完全には隠せない。

 哀しみも流れ続けていた。


「脳があるから、記憶があるからホンモノだと言っても、

誰も信じなかった。家族を守っていたのは、

パーツの方で、俺は今まで、好き勝手

しておいて、今さら何言ってんだって言われてなあ……」

「……」


 それは、忍び寄る恐怖の足音か。

『ドッペルゲンガーを見ると死ぬ』という御伽話があるが、

人間のクローンが禁止されている理由を改めて

思い知らされた気がした。


 もう一人の自分がいれば、必然的に居場所を取り合う。

 己の『唯一』の概念が侵される。

 だから双方は必死になるのだろう。


「そういうワケでブレアには借りがあるってなトコだな。緋牡丹は

ブレアとは主治医と患者の関係だった。だから、

俺よりも、もっと根深いモンがあるんだろう。これは

俺が話していいものじゃないな。聞いただけの他人の過去を

知ったように話す事は、おっさんのダンディズム美学に反する」


 出逢った頃から感じていたが、シザーは要所要所で

筋を通す潔さがあった。

 己のコピーが世界に出回っている為、自我を強く

持たねば、潰されかねないからなのだろうか。


「そのマッドサイエンティストが、何故か今になって、

しゃしゃり出てきた。イヤな予感がするな。

何か、興味が惹かれるモンでも見つけたのかもしれんが」

「……!」

 そのシザーの言葉に、思い当たる節があった。


 もし、もしも、自分がID感染者という事を

ブレアが知れば、悪用されたりなどしないのだろうか?

 ニルを見ると、同じ事を考えていたらしい。

「だから、ブレア博士はレザボアをサポートしていたのか……」

「え?」

 ニルの言葉に問い返すと、シザーが頷いた。


「俺達がターゲットを誘き寄せた時、

S・パーツとバイオロイドが襲って来たんだ。

レザボアは頭部を潰したから死んだだろうが……。

お嬢さん達もブレアに狙われてるのか?」

「……」


 共通の敵を持つならば、こちらの事情を話して

おいた方がいいかもしれない。ニルに確認すると、

異論は無いようだった。

 シザーの過去の話を聞いて、ニルは何かを感じたのか、

静かに考え込んでいる。



 話すのは上手くないが、それでも懸命に自分の

経緯を伝えると、シザーは黙って聞いていた。


 旧時代の人間の生き残りである事、長い間眠っており、

目が覚めたのが施設だった事。

 ニルヴァーナというAIの助けで脱出し、IDの治癒と

家族の弔いの為、ニルは進化を求めて

E・シティを目指している事…。


 全てを聞き終えたシザーの顔を見ると、

相手は頭を掻いていた。

「……ほお。なかなか重いバックボーンだな。つまり、アンタさんは

俺より遥か昔のレムナントで、家族に逢うためにEシティへ

行くってコトでいいかな?

「……はい」

「ふむ……。最初に言ってたのと、あまり変わらんな」

 いや、かなり込み入った事情があるのだが、そこで

シザーが手を伸ばし、頭を撫でてきた。


「いやいや、現状から目を逸らしていれば閉じられた世界でも

平穏に生きれたってなモンだろうに、アンタさんは選んだんだな。

抗う生き方を。頑張り屋な良い子だ!」

 そう笑いながら頭が揺れる程に撫でられる。

 その言葉に、喪った家族の温かみに触れた気がして涙が

滲んだ。




「そうだそうだ、泣け泣け。悲しいのも辛いのも

溜め込みすぎれば、いつか爆発して後悔しちまうってなモンだ。

受け止めてくれるヤツの前で好きなだけ泣けばいい」

 眩暈がするほど撫でられてから、シザーは笑った。


「まあ、心配せんでもいいさ。報酬分は、キッチリ働く。それが

ハンターのプライドとダンディズムってなモンだ」

 その言葉に涙が止まり、思い出した。

「ご、ごめんなさい! 私は、お金……持ってないんです」

 金銭がニル頼みというのが申し訳なくて俯くと、

腕を組んだシザーが「ほお」と笑った。


「そうか~。なら、仕方ないな? 金が無いならカラダで

払ってもらおうってなモンだろう?」

「え?」

 ま さ か と青ざめた時、ニルが「ふざけているのか?」と

怒声を上げた。


「オレのマスターなら、オレが出すのが当然だ! オレの

モノは、こいつのモノなんだからな!」

「ニル! でも、私……」

「五月蝿い!」

「う、うん……」

 怒鳴られ、半ベソをかきながら服の袖をいじっていると、

シザーは大きな声で笑い出した。


「おいおい、おっさんは困っている女の子の弱味に付け込むような

卑劣な男じゃないつもりだぞ? それは男の美学に

反するってなモンだ。それに、報酬は何も金じゃなくたっていい。

ま、アンタさん達をE・シティに届けるなら、おっさんも行ってみるか。

ついでだから、コピーを全部、差し押さえでもしてケリつけんとな」

「どうして、急に?」


「お嬢さんが命を賭けてるのに、それより遥かに年上の

おっさんが泣き寝入りしてヤサグレてるなんて、三文小説でも

ありえん展開だからなあ~。その意気込みをアンタさんは

くれた。おっさん的には、それで充分な報酬ってなモンだ」

 負けず嫌いなのかと思った時、噴きだしてしまった。


「おいおい、ここは笑う場所か?」

「ご、ごめんなさい……でも、理由が……」

「深く気にするモンじゃないぞ。決意してスジ通す意思が堅ければ、

動機の大小は重要じゃない……そうだろう?」

 そう言いながら、また煙草を探すシザーの姿に

照れているのだと気づき、微笑ましく思えた。


 その時、自室から顔を出した緋牡丹が「最中に失礼。シザー、

ニル君の部品が足りないので少しばかりパシって頂きたい」と

顔を出した。

 その言葉にシザーが立ち上がらずに応える。


「構わんが、おっさんはアンドロイドのギミックなんざ分からんぞ?」

「貴方はアンドロイドと生身のハーフのようなものでしょう」

「いやあ~『自分の血管の部品買って来い』って言われても

ドコのドノ血管か、わからんってなモンだろう?」

「何をたわけた事をほざいておられるのか。その程度、

常識では?」

 血管の区別など一般人は分からないと思うのだが。


 シザーは洗濯中であったし、手持ちぶさたの

自分が行こうかと言いだした。

 だが、ニルから「オマエ、自分が

追われている事を自覚しているのか?」と呆れられた。


「う、うん。ごめんね、わかってるつもりだけど……でも、

あのね、その……何か私にも出来る事があるなら、しなくちゃ

いけないと思うの。私、皆に助けられてばかりだもん。

だから、お掃除でも、ニルの靴紐を結ぶ事でも、どんな

小さな事でも、自分に出来る事を少しづつ

増やしていきたいと思ったの。助けてもらってる恩返しに……」

「……」

「…だめ?」

 ニルを怒らせたかと思ったが、相手は「いいんじゃないか」

と呟いた。


「オレは、オマエを何も出来ないニンゲンにしたいわけじゃない。

オマエが自立行動を取るのならサポートする。それが、

オレの義務だ」

「ごめんね、ニル……」

「……」

 だが、ニルは不機嫌そうな表情を浮かべた為、怒らせたのかと

俯いてしまうと、後頭部を軽く叩かれた。

 振り返ると、ジャンパーを片手に持ったシザーが立っている。


「お嬢ちゃん、『ごめんね』じゃなくて『ありがとう』だろう?

悪いと思ってない相手から謝られても、逆に困るってなモンだ。

オドオドした表情で謝られるより、笑顔で『ありがとう』って

言われた方が、嬉しいモンだぞ?」

 話をふられたニルは目を逸らした。


「……別に。ユレカがしたいようにすればいいだけの話だ。

でも、どうしてもやりたいなら……笑えばいいだろ。オレは

別にどっちでもいいけどな」

 その言葉に思わず笑ってしまうと、ニルが目を細めていた。

「オマエ、よく笑うようになったよな……」

 微笑んでいた。

 だが、何処か寂しそうな、距離を感じるものだった。


「そ、そう、かな?」

「ああ。インセクタリウムにいた時より、活気がある。それが

有機生命体の言う『幸せ』というヤツなのか?」

「……そうなんだ。なら、それはニルのお陰だよ」

「オレの?」

 ニルが瞳を見開いた。想定外の返答だったらしい。


「うん。だって、ニルが私を助けてくれなかったら、

こんな世界、知らなかったもの。白い病室の中で、

ずっと夢ばかり見てたから」

「……」

「だから、……ありがとう、ニル。ニルがいてくれて、良かった」

「そうか……」

 心からの感謝を伝えると、ニルが笑う。

 今度は、嬉しそうに。



… … … … … … … … …


 その後、シザーが買い物から帰って来るまで、

家中の掃除をしていた。


『旧時代の雌レムナントは家事が得意』という概念の所為か、

食事を任されたものの……料理は上手くない。

 ニルにレシピを出してもらおうにも、彼のバディが

メンテナンス中だった為、仕方なく作成したカレーだったが……。


 誰もが黙々と食事を進めている。

『美味い』も『不味い』も何も無かった。ただ、飲み水だけが

異様に減っていた。


「あの……美味しくなかった、かな?」

 誰に問うでもなく呟くと、全員、肩が揺れる程に反応した。

 そして、同時に目を逸らしている(ニルは首だけだったので

逸らせなかったらしい)


 心をこめて作った事を思い出すと、照れ臭くなって

両手の人差し指を付き合わせて、もじもじしてしまう。

 ちょっと気になる相手もいたが、自分などが好意を示すのも

どうかと悶々としたまま作成したのも思い出す。


ユレカ「あのね、そのね、お、美味しくなるように、

ちょっぴりおまじないしたの」

ニル「ああ、あの料理に人毛とか爪とか血とか入れるヤツか」

 病室にいた当時、女の子のおまじない関連を

ネットで調べさせられていたニルが呟くと、シザーと緋牡丹が

同時に噴いた。


「い、入れてないもん! お料理にそんなの

入れたら汚いよ!」

 慌てて否定したが、そこで緋牡丹が「どうりで銀のスプーンが

錆びると思ったら……」と、手の中の得物を示すと、何故か

銀製のスプーンが変色していた。

 毒など入れていないのだが。


「素晴らしい毒物作成スキルですね」

「いやあ、なかなか作れんよ、コレは。凄いな、お嬢ちゃんは。

ああ、相棒、ちょっとそこの酒、取ってくれんか」

「スピリタスを飲むのは止めろと何度も申し上げれば

覚えて頂けるのやら……」


 緋牡丹が酒瓶を掴むとシザーに向けて放り投げていた。

 慌ててシザーが受け止める。


「おいおい、アンタさんなあ、この酒は火気厳禁なんだ。

割れて飛び散ったらどうする?」

「そんな消毒用アルコール並みの飲み物とカレーを

同時に喰らう味覚ごと焼いてしまわれた方がいいのでは?」

 ストレートな嫌味と湾曲された嫌味を使いこなしている。

 話題が上手い具合に逸らされているが、やはりマズかったのか。


「うう……。おまじない百科に載ってたのに……。満月の晩、窓に

滲んだ夜露を一滴入れて、その後に『美味しくなーれ美味しく

なーれ、美味しくならないなら腐敗しておしまい!』……って

呪文を30回唱えるといいって……」


ニル「30回も言う間に、料理の本でも読み返した方が効率的だ。

って言うか、唱えたのか? そんなセリフを」


シザー「何だかなあ、キッチンから腐乱死体の臭いがしてて、

おっさんドキドキが止まらなかったってなモンなんだが……」


緋牡丹「見事に腐敗している味がします。香辛料とは肉の痛みを

誤魔化す為に使用されていたという歴史をまさか、こんな

科学の進んだ時代で体感するとは思いませんでしたが……」


ユレカ「え? 新鮮なお肉だったんだけど……おかしいなあ?」


 その時、全員から同時に

『新鮮な肉がここまで劣化したのか』的なツッコミを頂戴した。


ユレカ「ニル、私……もしかして、お料理、ヘタ、なのかな?」

ニル「ああ、ヘタだな。通常のレムナントなら殺せると推測する」

緋牡丹「下手とか言うよりも大量殺戮兵器です」

シザー「おいおい、坊や達。こういう時は美味そうに食べて

『美味しかったよ、ありがとう。次は僕も一緒に

手伝うからね☆』って、女の子の料理の腕を

育ててやるモンだろう? そうすれば好感度も上がるしなあ」


 一番文句を言いながらも、緋牡丹が空の皿を突き出してきた。

 食が細い割りに大食漢のようである。

 ニルは味覚が無い上に、今は身体も無いので

文句を言いながらも食べている二人を恨めしそうに見ていた。

 生首状態であるだけに、妙に迫力がある。


「ご、ごめんね……次は、違うおまじないを試してみるから……」

 その時、ニルと緋牡丹から同時に

『もうマジナイから離れろ』的なツッコミを頂戴した。

 なんだかんだ言いつつ、鍋はカラになった。

 恐るべし、男達の晩餐。



 ニルの身体のメンテナンスと改造は、もうほぼ完了している

との話で、あとはエネルギーの装填やらで済むという。

 その間ニルを動かせず、今日はシザー達の家に

泊まる事となったが、どこで寝ればいいのだろうか?


 一通り、家は掃除したがシザーと緋牡丹の部屋にはベッドがあり、

このキッチン兼居間にはソファーがあるものの、やはり

ソファーかと判断する。

 座っていると、シャワーを浴びていたらしいシザーが

バスルームから出て来た。


「お嬢さん、アンタさんは風呂、どうする?」

 ジーンズだけ穿き、裸の上半身からは熱い雫が

床に落ちていたが、その姿に「きゃあ!」と悲鳴を上げて

クッションで顔を隠してしまう。


「どうした~? おっさんのダンディズムに惚れ直したか?」

「ち、ちが、あの、その、わた、私、その、

裸、見慣れてなくて……」

 しどろもどろになって手を振り、目を逸らすと、シザーが

「清純な反応なんて、久々に見たってなモンだ」

と、言いながら笑顔でビールをあおっていた。


 初対面でシザーの身体は見ていたが、こうも無防備に

裸でウロウロされては、目のやり場に困ってしまう。

 相手は、こちらの困惑などドコ吹く風で、

黒のタトゥーが刻まれた屈強な半身を晒してソファーに

座り込んだ。


「そうだ、お嬢さん、アンタさんは俺の部屋で寝るといい」

「え? シザーさんの部屋で?」

「雇い主で、か弱い少女をソファーで寝かせるワケにもいかんし、

緋牡丹はボウヤのメンテで疲れているだろうから、ちゃんと

寝床で寝かせてやりたいってなモンだからな。

それに、俺の部屋は侵入出来る程の窓が無い。一番安全だ」

 確かにシザーの部屋は、最も安全そうだった。


「嬉しいけど、でも、私、ソファーでも平気だから……」

「ほお、アンタさん、本当にソファーで寝たいのか?」

「……」

「なら止めんが、ヘンな遠慮はイカンぞ?むしろ

『私、ベッドの方がいい~! もちろん、シザーさん、

添い寝……(タメ)してくれるよね? (裏声)』ぐらい

言ってもいいんだぞ~? あ、上目遣いでな」

「そ、そんなの言えにゃいもにょ!!」


 ソファーで寝たことなど無いが、転げ落ちそうで怖いと

いう感覚は在った。だが、それを言うなら他の皆も同じであり、

ならば自分が、引き受けるべきだと思っていた。


「でも、これ以上、迷惑、かけれないから、いいの」

「ふむ……アンタさん、いつから一人で生きてるんだ?」

「え……?」

 シザーがジーンズのポケットをまさぐり、煙草を取り出した。


「生きてれば迷惑をかけるに決まってるってなモンだ。

要は、ソレを自覚してるかしてないかったコトか」

 煙草の箱をテーブルの上に置いた。吸わないらしい。




「依存と協力は違うだろう? おっさんも緋牡丹も、一人じゃ

不便だから、互いに出来ないコトを補う為に組んでる。

生きてく為に」

 どうやら、気を遣って言葉を選んでくれていたのだと、

その仕草から何となくわかった。


「でも、二人共、凄く強いし、立派なのに?」

「そりゃあまあ、情けない部分を丸出しにして歩いてる人間は

あまりいないだろうなあ。誰でも外を歩く時は、本来の

情けない自分より五割増しで見えるように振舞ってるってなモンだ。

弱い部分を誰彼構わず曝け出して、同情を

乞うようになったら、人間終わりだからな」


 そう言いながら、シザーが頭を掻いた。癖らしく、

煙草を取り出して口に咥えるも、火はつけない。

「だから、おっさんはアンタさんが他のヤツよりも劣ってるとか、

弱いとか、そういう風には思ってないぞ。逆に、

何でもかんでも、しょい込んで、謝って

他人を恨まないアンタさんは、立派だと思うんだがなあ~」

 顔をあげると、シザーと目が合ったが、相手は頬を掻いた。


「お嬢ちゃんみたいな境遇なら、誰かを恨むってなモンだ。

監禁してた施設なり、自分に病気をうつした人間なり、

今まで黙って監視してたボウヤの事だって、

憎もうと思えば憎めるのに、そうしない。他人の所為に

した方が、ラクなのになあ」


 そんな風に考える事も出来たのか。だが、施設には

優しいソウがいたし、ニルは家族のようなもので、

恨む事など出来ない。

 それを口にすると、シザーが「……俺は、アンタさんみたいに

考えられなかったからな……」と、掌を見つめながら呟く。


「戦う力があるだとか、何かが出来るだとか、そういう

目に見えるものじゃなくても、誇れるモノはある。

引っ込み思案でも、心に秘めてるモンがある。

今の世の中は、自分の思ってる事を上手く口に出来る人間が、

もてはやされるが、口下手でも誠意があるヤツは分かるもんだ。

だから、あんまり卑屈にならん方がイイ」

 どうやら不器用かつ遠回しながらも

励ましてくれているらしい。


「……ありがとう、シザーさん……」

 それが嬉しくて、はにかみながら笑うと、相手は

頭を掻いて立ち上がった。

 何かマズイ事でもしてしまったのかと思ったが、口に

咥えた煙草を上下させながら「すまんすまん、ちっと外でタバコを

吸ってくる。お嬢さんは早目に寝るんだぞ?」と、どうやら、

気恥ずかしかったらしい。


「あ、その、ベッドも、私、寝相、悪いから……

ホントのホントは、嬉しかったの……」

「ほう?」

「だ、だから、その、ホントのホントに、あ、ありがとう……」

 そこで頭を撫でられた。『ありがとう』を言えて

誉められた気がして頬が熱くなる。



 シザーは外出し、言われた通りに休む前に、

緋牡丹に声をかける。一人でニルのメンテナンスを

執り行っているのだから、

疲労しているのではないかと思ったのだ。


 部屋の扉をノックすると、顔を出したのは眼鏡を着用した

緋牡丹で、こちらを見るなり眉間を寄せる。

「……何か御用でも?」

 そのつっけんどんな物言いと態度に距離を感じると、

緋牡丹が溜息をついた。


「……ニル君の様子を見に来られたのでしょう。どうぞ」

 部屋はシザーが言ったように、とにかく乱雑としていた。

 本棚に隙間はあるのに、床に積み上げられた工学書は

崩れそうな際どいバランスを保っている。恐らく、読んだら

そのまま床に置いていたのだろう。




 埃は積もっているし、ネジやらスパナやら金属が無造作に

転がり、足で踏むと相当に痛そうな部屋であるのに、

眼鏡をかけた緋牡丹は、床も見ずにヒョイヒョイ歩いている。

 あの奇跡のドライビングテクニックと言い、

危険回避だけは異常に優れているのかもしれない。


「わ、わわ」

 歩きなれておらず、体勢を崩した時、腕を支えられた。

「……」

 無言のままの緋牡丹を見上げると、眉間を寄せて

手を離された。やはり、彼のぶっきらぼうな態度は

少々苦手に感じる。


「チューンナップは最大限にまで施しましたし、ギミックの強化も

万全です。ラブドールであろうと、軍用アンドロイド以上に

スペックは特化していると思います」

 そう言いながら眼鏡を外し、目頭を押さえていた。疲れたのだろう。

「らぶどーる?」

「……ご存知なければ、そのままでおられればいい」


 作業台の上で目を閉じたまま動かないニルからは

無数のコードが伸び、身体には白い布がかけられていた。

 さながら集中治療室のようであったが、

開かれた腕の皮膚の下には、人間のモノではない部品が

詰まっていた。


 近づき、その白い手を握るが、脈も熱も微塵も無い。

 肌は冷たいのに肉に似た弾力を持つ人形の身体は

腐らない骸のようだった。

 首は接続されていたが、目蓋は閉じたまま動かない。

 戦闘に向いていないバディで、無理をし続けていたのか。


「……おやすみなさい、ニル。あのね、ニルが起きたら、

たくさん、話したい事があるの。

一緒に行きたい場所があるの……」


 そこで緋牡丹がイスに座る音が聞こえた。

 長居し続けてしまったかと振り返ると、不機嫌そうな顔で

腕を組んでいた相手は「その……」と、口篭っている。

 それでも眉間は寄っていた。癖なのか。


「先程は、不快な思いをさせてしまったかと思いますが……

それに関しては、その、……謝罪しますよ」

「不快? 謝罪?」

 そこで緋牡丹が目を逸らした。白い頬が僅かに赤い。


「……その……苦手な癖に、調理をされたでしょう。出来ぬなら

出来ぬとシザーに言えばいいものを。あんな、料理初心者でも

作れないような水っぽくて辛いだけのカレーを大鍋に作成されて」

「……ご、ごめんなさい」

「……ですが、その……

懸命に、作って頂けたのは……知ってますから」

「え?」

 緋牡丹を見つめると、また目を逸らされる。


「作っておられる所を……偶然、たまたま拝見しました。ですから、

下手でも、相手を喜ばせようとする気持ちがこもっている料理を

不味い不味いとけなせば、良い気はしないでしょう。それに、

その……自分は、悪くは無いと思いましたから。食べられない事も

無かったし、個性的と言えなくもない。だから、もしも、

貴女の迷惑でなければ……また……」


 そこで緋牡丹が口をつぐみ、デスクに向き直り、背を見せた。

「……失礼。少しばかり、喋りすぎました。今夜は、早目に

休まれた方がいい。……病み上がりの貴女にはご自愛頂かねば、

治るものも治らないでしょう」

「そうですね。いつか治るといいな……」

 その言葉にムッとしたのか、緋牡丹が振り返って微笑を浮かべた。

 だが、声は酷く不機嫌そうだった。怒らせたのか。


「……自分は、可能性が無いと思わぬ事は口にしない。

『いつか』ではなく、『明日にでも』完治させるという強靭な精神力で

在らなければ、病と闘う者は心が折れがちだ。余計な事を

思考するくらいならば、とっとと寝床に戻られた方がいいでしょう。

……眠れぬならば、本ぐらいお貸ししますよ。

そうでないなら、寝るべきだ」


 そっぽを向いた緋牡丹の言葉も態度も、

トゲがあったが優しかった。




 ニルのいない場所で眠るのは初めてで、

なかなか寝付けなかった。

 降り出した雨は、小さな窓の表面に幾つも水の筋を作り、

街灯の明かりを歪ませている。


 そういえば、眠れない夜に彼は音楽を流してくれたり、

御伽噺を読んでくれていた。

 特によく選んで読んでいた昔話は何だったろうか…。


 そうだ、雨の降る嵐の夜、溺れて死にかけた男を

助けた人魚の話だ。

 人間に憧憬を覚え、恋を実らせる為に魔女と契約し、

美しい声と引き換えに足を手に入れた人魚姫。

 だが、哀れな姫の恋は実らず、海の泡となって

天へ昇ったと言う。

 ニルは理解出来ないと何度も言っていた。


『何故、恋敵の娘ではなく、王子を殺さねばならないのか』

『声という代償を支払っているのに、報われ

なければ消えてしまうのは魔女の過剰な契約

ではないのか?』と…。


 それは、きっと、本来死すべき運命にあった男の

命を奪うことで、出逢う前の己に回帰するという意味では

ないだろうか。

 もしくは、人への未練を断ち切る為の儀式的な意味合いも

あったのかもしれない。


 だが、同胞が待つ海の国に戻るよりも、

たった一人の人間を選んだ。彼女は歩く度に激痛を

生み出す両脚で、ただ前へと進み続けたのだ。

 愛されたくて、痛む足を引きずりダンスを踊ったと言う。


 故郷も、仲間よりも、自分の命よりも、選んだのは一人。


 強い意志の持ち主なのだと、そう考えた時、

まどろみが思考を飲み込んでくる。

 うとうとと眠り込んでいた時、ふと、物音がした。


「ん……?」

 どうやら来客があったらしい、呼び出しベルが鳴っている。

 玄関に一番近いシザーが出るのだろうが、そこで、

違和感を覚えた。

 窓の外を見ると、嵐の夜の海のように濁った闇が見える。

 枕元の携帯電話のディスプレイには『2:34』と

表示されていた。

 真夜中なのに玄関のベルは鳴っているのだ。




 背筋に寒いものを感じながら、一人で部屋に居るのも

不安で、そっとドアを開けると、ライターを手に持ったシザーが、

緋牡丹と話していた。

 その間もベルは鳴り、扉がノックされ続けている。


「すまんすまん。起こしちまったか」

「何か、あったんですか?」

 緋牡丹は首を振ったが、銃を取り出している。

「ピストル?」

「銃は嫌いですが、威嚇には最適ですから」

 緋牡丹が銃をドアに向けて構える横で、シザーがドアノブに

手をかけながら、相手に話しかけた。


『……』


 しかし、ドアの向こうからは不気味な沈黙だけだった。

 そして、またノックが繰り返される。シザー達が顔を

見合わせ頷いた。

「どうした? 叩き起こしておいて、ダンマリか?

ウチには金目のものは緋牡丹の眼鏡くらいしかないぞ」

『……ウ……』

 濁った水音のような呻き声がし、直ぐに緋牡丹が

こちらを庇うように前に進み出た。こんな状況でありながら

ニルだけがいない。


「あ、あの、ニルは……」

「彼は、まだOSのバージョンアップが済んでいません。

無理に動かせばデータが損傷します」

 その時、ドアの向こうから『……ニル?』と声がした。


『ニルも、いるんすか?』

「ソウ君?」

 ソウの声だった。あの後、ソウがどうなったのかは

気になっていた。どうやら、かなり切迫しているらしく、

ソウの焦りが声から充分に伺える。


『ソウっす! 施設大変なんすよ!』

「ど、どうしたの?」

『……母ちゃんと、父ちゃんが、死んじまって……おれ、おれ……

もうどうすればいいか、わかんなくて……』

「え? おじさんと、おばさんが?」

 ソウの両親には優しくしてもらった思い出がある。


 風邪をひいた時、時間外であろうと様子を見に来てくれた

心の温かい夫婦だった。それが何故、死んだのか?

 だが思い当たる結論は、たった一つだった。


 彼等の仕事は、研究体である自分の世話であった。

 だが、その対象は逃げた。ならば、当然、発生するのが

『責任問題』だろう。

 レザボアが彼等に罪を求め、処断したと言うのなら…。


「私が、逃げたから……?」


 ソウは何も言わなかった。嗚咽が響く。


『う、うぅう……母ちゃん……父ちゃん……』

「……ッ!」

 ドアに駆け寄り、カギを開けようとした時、

シザーに止められた。


「で、でも、ソウ君は、、私の……」

 混乱した頭に、泣き声だけが染みて、涙腺の奥から

涙が溢れたが、シザーも緋牡丹も鋭い眼差しのまま

動かなかった。


「落ち着け、お嬢ちゃん。おかしくないか? 設定的に」

「?」

「何でアチラさんは、この場所、知ってるのかねえ?

アンタさんとニルが一緒に居るのを知っているのは、

ごく一部だろう?」

「イ、インさんも知って……」

「今もマンイーター掃討で忙しい少佐殿が、アンタさんの友達と

係わり合いになる時間があると思うか?」

「あ……」


 血の気が引いた。

 それにソウは、どうやって、此処まで来れたのか?

 その時、ドアの向こうの嗚咽が止まった。

 しばしの沈黙の後、突如、ドアが折れんばかりの衝撃に

激しい音と振動が部屋に響き渡る。


「きゃあ!」

 そして、何度も何度もドアを殴り始めたのだ。


 ドン! ドン! ドン! ドン!


 言葉もなく、叩きつけるように繰り返される、その音に

合わせるように、恐怖で心臓の鼓動も早くなってゆく。


 違う、ソウではない。


 そう思った矢先、緋牡丹が

「シザー!」と呼ぶと、ピストルを構える。

 シザーに腕を引かれ、ドアから離れる。それと同時に

弾丸が数発、ドアに叩き込まれた。


「……ドア越しですから、致命傷にはなっていないでしょうが……」

 空になった銃に直ぐに弾丸を装填している。

 こちらが拳銃を所持している事、危害を加えるならば

迷わず発砲する事を言葉でなく威嚇行動で示したのか。


 ドアの向こうの相手は、ソウなのか? それとも、ソウの

フリをした、誰かなのか?

 判別がつかずに居ると、嗚咽が繰り返された。


『うぅ……痛い。痛いっすよ……ヒドイすよ……』

「……」

 その声は、いつも励まし笑わせてくれていた少年のもので、

懐かしさが今の目の前の不信感を拭おうとする。だが、

それは『現実逃避』。現状から思考を

回避したいという甘えでしかない。


『おれ、ずっと、ずっと好きだったのに……おれの事、

気味悪がるだけでなく、こんな風にするんすね……

やっぱり、おれが、バイオロイドだから……』

「!」

 施設での出来事を思い出した。


『ひどいっすよ……あぁ、痛い、痛いよ。父ちゃん、母ちゃん……

血が、いっぱい出て痛いよぉ……』

「……うぅ……」


 謝るべきだ。開けて、ソウを落ち着かせて、謝って……

そう訴える理性と、開ければ何が起こるかわからないと

警告する本能がせめぎ合う。


 ドアを……

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?