目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第9話 心の在り処

 扉を開けて、許しを請いたい。


 だが、衝動のままに動くのと、冷静に現実を

見定めて判断し、行動するという事は対極だ。

 罪悪感に駆られて判断力を失い、仲間を危機に

晒すとなれば、愚かの極みとしか言えない。


 場数をこなしたハンター達が最大限に警戒している。

それが現実の在り方を示しているようだった。


 今、感情のままに動いてはならない。

 扉の先に向かい、現状の情報を知ろうと、

己に言い聞かせて口を開いた。


「ソウ君、どうして、そんな風に言いながら、

私のいる場所に来てくれたの……?」

『……』


 おかしい。恨み言を言いながら、助けを求めに

来るだろうか? 混乱しているにしても、この

来訪の仕方は、相手を不審がらせるだけでしかない。

 乾く口内と唇を舌で湿らせながらも動揺が声に現れぬよう、

ドアの先の未知と化した既知の友に呼びかけた。


「何があったの?」

『……』

「ソウ君?」

『……うるさいっす……』

 呟いた声が、次第に膨れ上がっていく。


『ゴチャゴチャうるさいんすよ! いいから、

とっとと開けろよ! 開けろ! 開けろ!』

 ドアが殴打される。突き上げられた扉の表面は

脈打つように震えていた。

 やがて、轟音を立てながらドアが蝶番から外れて倒れた。

 ソウが体当たりをしたらしい。

 シザーに襟首を掴まれ、後方に放り投げられた。

「きゃあっ!」

 倒れる前に緋牡丹の腕に受けとめらたが、眼前では

伸びた蔓のようなものがシザーの両腕を絡み取っていた。


「シザー!」

「何だ?」

 修羅場慣れしているシザーの動きを

瞬時に封じたモノの正体は何なのか? 顔を上げると、

全身から血の気を引く音を聞いた。


「……ひっ!」

 目の前に居たのは、ソウであってソウではなかったのだ。

 半透明のジェルの表面に、あぶくのような円があり、

そこに見覚えのある少年の顔が浮かんでいた。

 クラゲに似た全貌と、下部で蠢く触手は

しなる鞭のように地を這っている。




 ソウの目は白く濁り、口からは唾液が零れ落ちていた。

 そして、その泡は他にもあり、その中にはソウと似ている

バイオロイド二体の顔もついていた。


 彼の両親らしい。血の繋がりを感じさせる容貌が、

無念を訴えるようにユラユラと揺れていた。

 悪夢の如きグロテスクさに口を押さえた。

 吐き気がしたのだ。


『今度逢えたら、傷つけないようにしよう』と決めていたのに、

思考など、目にした現実の前では儚く飛び散った。

 こちらの反応にソウの身体がゴボゴボと、

くぐもった音を発し始めている。


『……ほら、またそんな顔して、おれの事、

気味悪がるんすよね! これだから、人型は……』

 もう、嫌悪感というより、恐怖によってソウを

受け入れる事が出来なくなっていた。


「その中に居るの、おじさんとおばさん……?」

 震える喉で問うと、ソウが歪んだ笑みを浮かべる。

『そっすよ? おれ、強くなりたいって言ったら、

ブレア先生が手術してくれたんす』

 その名にシザー達が反応したが、

ソウは構わずに語り続ける。


『…でも、母ちゃん達はそんな先生を責めたから。

こんなの、バケモノだからって……おれを拒絶した!

……だから、吸収してやったんすよ!』

「……吸、収……?」

『吸収するって、き、気持ちいいんすよ! 何か、他人の

心も身体も、自分のモノになって……へへ、そうだ……

……施設で、アンタに傷つけられてから、おれ、

ずっと考えてたんす!』


 ソウには、こちらの言葉が届いていないかった。陶酔した

台詞は狂気に満ちている。

 あの時、逃げた現実の代償は、最悪のカタチとなって

目の前に突きつけられている。


『……あんなに、構ってやったのに、あんなに

面倒みてやったのに、アンドロイドが怖いから、

生物がイイとか言ってた癖に!

連れてったのは、機械のニルヴァーナじゃないすか!

あんな涙も流せない機械には優しくするのに、

連れてくのに、おれには……おれには!』

「……! ご、ごめんなさい、私……」

『あぁ? 聞こえないっすよ? 本当に悪いと思ってるなら、

誠意ぐらい見せれないんすか!』


 触手が振り下ろされる前に緋牡丹が発砲した。

 だが、銃弾はジェルに埋まるだけでダメージが無い。

「緋牡丹! ちゃんと的を狙え、的を!」

 触手と格闘していたシザーが悪態をつくも、緋牡丹は

急所と思われる顔面を狙っていた。

「ブチ殺すつもりで狙撃しましたが、物理攻撃が

効かない……神経が、無いのか?」


 舌打ちする姿を見たソウが笑い、緋牡丹の頬を

撫で回すように触手を伸ばして触れ始めた。

 あからさまな嫌悪を浮かべて顔を背けた姿を

ソウは嘲笑っている。


『アンタ、バグにやられてるんすね』

 ソウの言葉に緋牡丹が青ざめ己の足を見る。自宅という

事もあって包帯を巻いていなかった。鱗の肌は

闇の中で薄っすらと淡く光っていた。


『何スか? その、足……気持ち悪いっすね』

「……くッ!」

 笑い出すソウに緋牡丹は唇を噛み締めていた。

 ソウは己が受けた苦しみや痛みを他者に同じように

ぶつけだしている。


『まあ、バイオロイドでも、こういうヒトガタの

カオのキレイな奴は傍に置くんすよね、メス型って!

メスどもは、いっつもそうだ! おれを見下して!

気味が悪いって! こんな風に生まれたのは、おれの

所為じゃないのに! おれだって、レムナント風に

生まれたかったのに! こんな、バケモノみたいな姿で

生まれるくらいなら、いっそ……!』

 その時、ソウの身体の表面に彼の両親の顔が歪んだ。

 嘆くような表情は直ぐにジェルの波でかき消される。


『でも、おれがチョット力入れたら、こいつの

頭ぐらい砕けるっすから、おれの方が凄いっすよ、ホラ!』

 言うなり触手が空を切る。咄嗟に緋牡丹が身を伏せ、

こちらを庇ったが、鈍い音の後に飛び散った液体が

肌に落ちた。




「ッ!」 

 鈍器の如き重い触手で頭部を殴打された緋牡丹の

額からは鮮血が滲む。それは見る見る黒く染まり、

頬を伝って流れていた。床に落ちた銃が転がる。

「緋牡丹さん!」

「……」

 それでも、逃げようとしない。

 目を閉じ、口元で苦痛を噛み殺している。

 黒い血が伝い落ちて、ワンピースの胸元が染まっていた。


「緋牡丹! おい、緋牡丹!」

「……ッ……く……」

 シザーが呼びかけるが、緋牡丹は悲鳴をあげなかった。

 叫べば相手を悦ばせるだけだと、必死に堪えているのか。

 多量の出血の為か、やがて緋牡丹は

意識を失って倒れこんだ。


「緋牡丹さん! 緋牡丹さん!」

 呼びかけても反応が無い。次なる攻撃が

振り下ろされる前に彼を何とかしなければと、

緋牡丹の身体の下から這い出る。

 その時、シザーがソウへ向け、場違いなまでに

明るい声で話しかけた。


「おいおい、盛り上がってるトコ悪いんだが、カエルの坊や、

アンタさん、その力、自分で手に入れたモンじゃ無いだろう?

ンなモン振りかざして優越感感じてるってのは、

ちっとばかしカッコ悪くないか?」

『あぁ? 今までビビってたオヤジが何を……』

 触手を引き千切るも、次々に再生する鬱陶しい戒めに

シザーが苦笑する。


「ビビってんのは、アンタさんだろう? わからんモンかねぇ。

男には、男の面子ってのがあるモンだ。

相棒が男気を見せてるってのに、おっさんが

しゃしゃり出るわけにはイカンだろ? その相棒は

プライドは人一倍高くてな。扱いが難しいんだ。

顔を立ててやらんと直ぐに吠える。

ま、人間を辞めた輩には理解出来んってなモンか」

『なんだと!』

 激昂したソウの触手がシザーの頭部を打ち据える。


 昏倒しかけながらもシザーが血を吐き捨て、笑った。

「何だ、見た目の割りに、あんまり強くないな。大家の

マダムの鉄拳のが、ちっとばかし痛いってなモンだ」


 口を切ったらしく、滲んだ鮮血が垂れていたが、

過剰に挑発する仕草は、この中の誰よりも

打たれ強い体を持つ己を標的にさせようと

意図的に行っているのだと気づく。


 緋牡丹もシザーも逃げる事や命乞いを微塵も考えていない。

 強く雄々しいハンターの姿は暗闇の中であろうと

翳る事を知らぬようだった。

 ソウとシザーがぶつかり合っている最中、息も絶え絶えな

緋牡丹が呟いた。


「逃げて頂きたい……シザーならば、数分は稼げるでしょう」

 相棒の命を囮に使おうと言うのか?

 だが、そこで緋牡丹は強い眼差しを向けた。


「我々は己の選んだ仕事にプライドがある……。

生半可な覚悟で戦う事も、殺しも選んだ覚えは無い。

受けた依頼は必ず果たす……それが命を賭ける事に

なっても……途中で投げ出す位ならば、始めから茨の道など

選びはしない!」

「で、でも……ソウ君は私一人が狙いだから、だから……」

 その言葉を遮るように、シザーが怒鳴りつけた。


「おいおい、バカな事言いなさんな! 

アンタさんに敵意を持つヤツの思考に、

染まる事なんかないだろう! わざわざ、そんなヤツを

喜ばせる必要はない! むしろ、

アンタさんの事を必要としてる人間が何を望んでるか、

考えた事あるのか! 憎まれて生きるのは辛いだろう。

生きる事を否定されるのは悲しいだろう。

だがな、それでも共にいたい。だから生きてくれと言うに

決まってるだろう! その想いに、応えられないのか?」


 その二人の行動に、軟弱な心が思い出したのは、

今まで出逢った者の誇り高い言葉の数々だった。


 それらは、戦う事を怖れていた己を叱咤し、

後押しする。


『人間としての権利は他者から与えられ、認められるもの

ではない。己の気高い精神によって築かれるものだ』


『卑屈になってまで得た居場所にプライドなど

持ちえない。それは、誰より自分が知っている』


『アンタさんが他のヤツよりも劣っているとか、

弱いとか、そういう風には思ってないな』


『オマエは、死ぬ為には生きてない。

本能はいつでも、『生かす為』にしか機能していないんだ』


 生きる、為に……。


 それは頭(こうべ)を垂れて逃げ惑う事ではない。

 生を掴み取る為に、戦え と。


 何の為の『闘争』本能なのか。


 己の誇り、拠り所である存在を守る為に牙を剥く事へ

躊躇うなと何かが叫ぶ。

 胸の中に灯った火種は記憶の奥にある言葉を糧に、

火の粉を散らして燃え上がっていた。

 ゆっくりと立ち上がり、涙を拭いて前を見据える。


「ソウ君、私を殺さないと、許せない……?」

『……』

 漏らした一言にソウの動きが止まった。

 死んでもいいと安易に思い、命を差し出そうとしていた

感情は炎の中で灰になっていた。




 嗜虐のままに仲間をいたぶる姿は、

加害者へと転化した被害者か。

 償う、とは、怒りに満ちた者に身体を差し出し、好きなように

嬲らせる事だろうか?

 そうなれば法も掟も要らぬ世となる。


 被害者に加害者の身柄を与え、武器を与え、好きに

裁かせればいい。

 だが人類は、それを拒んだ。

 罪人を激しく憎みながらも、死罰以外の刑を細分化した。


「でも、私、死にたくないの。生きていたい……。

それに、大好きな人達にも、死んで欲しくなかった……」

『……』

「それが、あなたにとって不愉快極まりない

行動なのだと知っても、この手の中のものを手放せない。

未練があるの。一緒に、いたい人がいるの。

その人に、返したい恩があって……

もっと、話したい事も、いっぱいあって……あなたとも、

もっともっと、話すべきだった……」


 だが、この言葉も想いも、ソウには届いていない。

 応えは、吐き捨てるような責めの言葉だけだった。


『ふん! 結局、アンタは謝りながらも、死んで詫びる気が

無いんじゃないすか! いいすよ。こいつら

全部引き千切って、グチャグチャの

ミンチみたいにしてやるっす!』

「やめて!」

 ソウの動きが止まる。


『……何、してんすか……?』

 首から下げていたインのペンダントから、

取り出したものは、ニルから貰った白い銃だった。

「……」


 重く、冷たく、硬質なそれを両手で握りしめ、銃口を向ける。


 争う事が怖かった。

 争いの先にあるのは焦土であるから。

 その人類の歴史を見て来た。

 だから、どんな時でも謝り、曖昧に笑っていた。

 黒も白も選ばなければ、戦う事など無いと信じていた。

 だが、それを『自らの力で生きている』と言えるだろうか?


 共に生きたいと望んだ者が蹂躙されても笑っていられる

臆病な『平和主義者』など、唾棄すべき存在だ。


「だから、あなたが、私の周りにいる人を傷つけるなら

私は、あなたと戦う覚悟がある」


 血を浴びても歩き抜く。

 その姿にソウは明らかに戸惑っていた。

 頭痛が落雷の如く脳を苛むが、痛みは邪魔だと、

唇を噛み締め押し殺す。


 これは、エゴか。

 ニル達が生への未練となっている。だから、それを

消そうとする者には武器を向ける。

 手の中に滲んだ汗で銃身がヌルつく気すらしたが、

ソウから視線を逸らさずにいると、背中を押すように

シザーが笑った。


「大体アンタさん、外見で怖がられて相手を殺していたら、

目つきの悪い緋牡丹は大量殺人犯ってなモンだろう?」

 シザーの台詞に、緋牡丹は朦朧としながらも応えた。

「……全くだ。通常、誰もが不快な思いをしても、

そうそう復讐には走らない。憎しみに駆られた行動の

結果、失うものの重さを知っているのだから……」


 両親や己の過去を手放してまで、復讐を

選んだソウに、その言葉は何よりも痛みを与えたのだろう。

 触手がザワつき、二人に更なる苦痛を

与えようとしている姿に危険を感じ、引き金を引く。


 火薬の破裂音と振動が掌の中で弾け、叩き出された

銃弾がジェルに埋まる。小銃であろうと

扱いに慣れぬ体は反動でよろめいた。


「……くっ!」

 それでも、狙いを外さぬように何度も相手に

弾丸を撃ち続ける。頭痛は視界すら白く染め上げるまでに

激しい痛みを伴っていた。


 このまま、死んでしまうのではないかと思う程に。


 ほんの少し前は、何をされても仕方が無いと諦めて

いたのに、今は霞む視界の中、敵と認識した

存在をとらえて、冷酷なまでに引き金を引き続ける。


 共に過ごした思い出が脳裏を掠めても、振り払うように

して銃口を向け直していた。

 温かな過去を思い、手を緩めれば、この眼前の

無情な現実に足を掬われる。


 だが、生物としての摂理を捨てたソウには、連撃すら

ダメージを与えられていないらしい。

 手の中の得物が吠え続ける振動で身体がグラついた時、

それを待っていたかのように素早い動きで

飛びついた触手が首を掴む。

「あぐ!」

 細い音をたてて、無防備な喉が締め上げられた。

 絞首の如く吊られて、意識が遠のく中、泡音の混じった

ソウの声が聞こえる。


『反省の色、無しっすか。そんなヤツには

お仕置きっすよね。 あいつらを挽肉にするか……

そうそう、オレ、寄生型クリーチャーを生み出せるんすよ?

あいつらの脳に寄生させてやろうかな?

……あぁ、それより、ニルヴァーナをスクラップにして

やった方がいいかな』

「ニル……」


 ニルは、まだ動けず、無理に稼動させるべきではない

状態だと聞いていた。

 ニルの方へ行かせては……と、歯を食いしばって

意識を保とうとする中、ソウが告げた。


「ニルに利用されてるのも知らないで呼ぶんすね。

知らなかったんすか? ニルは、プログラムされてる

行動以外、出来ないロボットなんすよ? そこに、

あいつの意思や心なんて、あるわけないじゃないすか」

 それは本人が何度も言っていた。

 出来る事と出来ない事が、プログラムという『遺伝子』に

組み込まれ、制限つきの可能性しか無い無機物なのだと…。


 ニンゲンの為にしか動けない。

自分の意思では何も出来ないと。


 首を振る。

 誰かの言葉に惑わされるなと心が警鐘を鳴らす。

 己の目で見たもの、心で感じたものを信じろ。

 我が価値観を他人に委ねるな。


 ニルは従うだけのロボットなどでは無かった。

 己の存在意義である看視任務を捨て、自由を与えてくれた。

身体が壊れるまで守ってくれた。

 スネたり怒ったり笑ったりしながら、誰よりも傍に居てくれた。


 その行動を汚された気がしたのだ。

 ソウを見据え、残された呼吸の全てを言葉に託す。

 最後の最後まで足掻き、反抗する意思表示だった。


「……そんなコト無い! ニルは私を

受け入れてくれて、居場所をくれたから!」


 怒りと憎しみに駆られるのは楽で、それらを鎮め、

相手を受け入れて許す事は憎むよりも遥かに難しい。

 壊す事よりも継続させる方が困難なのだ。


「ニルは、いつでも自分の意思で生きてるもの!」


 そう叫んだ時、緋牡丹の部屋の扉が激しく開き、

猫のように飛び出した影が触手を切り裂いた。

 戒めから解放され、抱きとめられた。苦しい息の中、

顔を上げると、青く澄んだ瞳が在る。


「ユレカ……」


 見慣れた青に、ようやく非日常の中の日常を

見た気がした。

「ニル!」

「……怖い思いをさせたな。もう、大丈夫だ」

 安堵させるように笑って見せる優しさに、こらえていた

涙が伝い、首を振る。


「へ、平気。こ、怖くなんか、なかったもの! ……グスッ…」

「ああ、頑張ったな。泣き虫のクセに」

 涙を拭う冷たい指の感触と、低く優しい声音に目元の

熱は増すばかりだった。


「……誰も、傷つけさせない」

 ソウを睨んだまま、両手に革の手袋を嵌め、腰に

大型のナイフを装着したニルが身構えた。

 その構えに既視感を覚える。


 それは、マンイーターとの戦闘でシザーが

見せた構えだったのだ。

 空手なのか柔道なのかの判別はつかない。

 だが東洋武術を匂わせる動きは、ニルの

学習機能がシザーの戦闘パターンを覚えたのだろう。


「ソウ、しばらく見ない間に、随分、様変わりしたな」

『ニルヴァーナは、全然変わってないすね。そんな

人形の身体にAIを移してまで、人間のフリして、

そこまでして人間になりたいんすか?』

「ああ。オレは、ヒトになりたい」

『なりたいっすよねえ! おれだって、ちゃんとした人間に』

「オマエは、人間だったろう」

『何?』

 問い返すソウを見るニルの目は、深い海の底のように、

沈んだ蒼を浮かべていた。


「血肉があり、遺伝子があり、家族があり、

哀しみ、苦しむ心があった。五感があった。

オレに無い全てを持っていた。……どうして、ニンゲンは

己が持っているものをスグに捨てたがるのか理解不能だ」

 そこでニルが顔を上げる。


「それらを捨て、人ならざる存在への道を選んだ。

今のオマエは、憎悪に駆られ己を不快に

させるモノを壊してゆくだけの欲動のクリーチャーでしかない」

『オレは、ニンゲンっすよ!』

 泡吹くような音声にニルが首を振った。


「オレの『対人感知センサー』が全く反応していない。

オマエは、ニンゲンじゃない。クリーチャーだ。

ニンゲンならば、その欲動の攻撃性を押し止めている。

……ユレカが、バイオロイドを見た事が無いと

知っていただろう」

『……』

「それを知りながらニンゲンである事を捨てたオマエは

惨めで哀れだとしか言えない」


 ナイフで切り落とした触手は既に再生し、蠢いている。

「ソウをスキャンしたが、物理攻撃はムダだ」

 ニルの瞳は青白く輝いており、その表面には

無数の数字や方程式のようなモノが配列されている。

 見ただけで生体データを採取できるようになったのか。


 その進化したニルの足首に触手が絡みつき、締め上げる。

「ニル!」

「ユレカは離れていろ! シザー、緋牡丹、

悪いが巻き込むぞ!」

 ニルの瞳が赤く変わってゆく姿に緋牡丹が身構えた。

「シザー! ガードを! 来る!」

 その言葉が終わるか終わらないかの間に、

仄暗い部屋の中で、激しい閃光が散る。


『ぎゃあ!』


 ソウの悲鳴の後に、シザーは床に投げ出された。

 受身もとれずに頭部から落下していたが……。

「シ、ザー、生きてますか?」

 先に起き上がった緋牡丹が声をかけると、

シザーは片手を振って生存は示したが、昏倒しかかっていた。


「……ッ……まさか、仲間ごと放電するなんて、

クレイジーな坊やだ……くっ、頭がマトモに

動かないってなモンだ」


 シザーは立ち上がる事も出来ない程のダメージを

受けている。緋牡丹は幾分、動作が鈍くなってはいたが、

シザー程ダメージを受けていない。

 生身とアンドロイドで構成された身体は

電流が弱点なのかもしれない。

 味方にまでダメージを与える攻撃だが、ソウの

触手は電撃で収縮しており、こちらまで伸びてこない。


「悪かったな。ハッキリ言えば、ソウは警戒して

近づかないのが計算出来た。だから巻き込んだんだが……

どうせ、この程度じゃ死なないタマばかりだろう」

「一思いに死ねた方がラクなのが人生というものですけどね」

 軽口を叩く緋牡丹の姿に、安堵したのか

ニルは、腕から取り出した小型のナイフを宙に放る。


 それはスタンガンじみた火花を散らせたまま浮いていた。

 海中に浮かぶ魚のように、ゆらめいて動く金属は

ニルの思うが侭に動く。

 ニルが腕を振ると、数本のナイフがソウへ向けて降り注ぎ、

串刺しにしていた。


『うぐぁ!』

 攻撃の的になっているソウの姿にシザーが顔を上げた。

「……おいおい、ありゃあ軍に正式

投入されたばっかりの追尾型兵装『ペイルライダー』

じゃないのか。違法スレスレ……と言うより、

完全に違法ってなモンだろう」

「ぺいるらいだー?」


「生身の人間には扱えない兵装です。アンドロイドの脳である

AIから送られる特殊信号が、ナイフに伝達され、

飛び道具や防御フィールドを起こす攻守優れた……

難度の高い武器ですよ」

 緋牡丹の言葉にニルが頷いた。

「ああ。使い勝手は悪く無い。なかなかの玩具だ」


 言いながらニルは片足で床をガンガンと蹴って

闘争への意思表示をしていた。

 それもシザーの見せた行動で、この短期間で

様々な事を会得したようだった。


『ニルヴァーナ……キカイのクセに……道具のクセに……!』


 叫び声と共にソウが口から体液を吐き飛ばした。ニルに

触れれば電流によって焼かれる為の飛び道具であったが、

ニルの前には、ペイルライダーが立ち塞がり、体液を弾く。

 焦げる音と共に異臭が立ち込め、金属が溶けていた。


「酸か」

 熔解してゆく得物を捨て、新たに腕から取り出した

刃物を構える。

 どれだけ体内に武器を収納しているのか。

 ニルの身体自体が、DADポケット化

しているのかも知れない。


 そこでシザーは床に倒れたまま「おい、緋牡丹、アレを!」と

声を荒げた。シザーの意図を瞬時に

理解したのか、テーブルの上のシザーの酒を投げた。


「ニル君!」

 その行動で意図を察したニルの腕が火花の

激しさを増す。だが、ソウの触手が酒瓶を受け止めた。

 そこでシザーの声が再び響く。


「お嬢ちゃん、酒を撃て!」

「あ、は、はい!」

 吠えるような怒声に飛び上がりつつも、

スピリタスの酒瓶に向けて引き金を引いた。


 ほぼ奇跡としか思えない命中率であったが、砕けた瓶は

高純度のアルコールをソウの身体に撒き散らす。

 同時に走りこんだニルは吐き出される酸をかわしながらも、

無数のナイフをジェルの表面に突き立てた。

 ナイフからは電流が伝い、火花が発火を誘う。


『ギャァアアアア!』


 薄暗い部屋の闇を業火が喰らい、膨れ上がりながら

揺らめいて、ソウの身体を貪り尽くす。

 生贄をくべた祭壇の火のように、

燃え上がっていた炎は見る見る縮んでゆき、ソウが

子犬ほどの大きさになったあたりで、燻るだけになっていた。


 灯りをつけると、両手の平に乗る程度にまで

縮んだソウは、それでも死に切れずに蠢いていた。

 這いずりながら何事かを繰り返し呟いている。

 近づこうとしてもニルは止めなかった。

 もう危険は無いと判断したのだろう。


「あ……う……お、おれ……」

「ソウ君……」

 歩み寄り見つめると、僅かに火が残る燃え滓の中に、

懐かしい顔が見えた。


「……ご、ごめんっす、おれ……ヒドイ事、を……」


 正気に戻ったソウは、途切れ途切れながらも必死に

声と言葉を繋ぎ合わせ、心を遺そうとしていた。

 それは、よく知る優しい友の言葉だった。


「おれ、本当は……恨んでたんじゃなくて……

情けなかったんす。ニルヴァーナは、捕まれば

スクラップにされるって知りながらキミについてって……

おれは、そんな事、出来なくて……」

「……うん」

 言葉が届いているのだと示す為に頷いてみせたが

瞳から、ぼろぼろとこぼれる雫が雨のようにソウに落ちた。




「ニルヴァーナに負けた気がして悔しくて……でも、キミに、

逢いたくて……もう、よく、わかんなくなってきたんす。

博士に、改造されてから……アタマの中、ごちゃまぜで……」

「うん……」

「おれ、自分がわからなくて……誰の事も何も

わからなくなって……だから、だから……」

「うん……。私も、自分の事全部を知らないもの……」


 わからなくなるのは当然だろう。

 喜怒哀楽だけでは計れぬ程、精神とは複雑で、

愛情と一口で言っても、ただ見守る慈愛や、

相手を奪いつくす程の激しい情愛と、

決して一つに纏め切れない。


 ソウは負の感情も寂しさも全てが混ざり合い、何かが

突出する事も出来なくて壊れてしまったのだろう。


「きっと……それが、心がある事の苦しみだから……」

 そう告げた時、死の闇が近づいた相手は笑った。


「そっか……。良かった……おれ、まだ……

心、あっ……た……」


 こぼした涙で火は消えていたが、火と魂のどちらが

先に消えてしまったのかわからなかった。


「う、う、うぅ……」

 本当に、心とは解らない。

 死にたくないと足掻いて相手の命を奪いながら、こうして

涙しているのだから。

 嗚咽の声だけが響く中、ソウの亡骸の中に、金属片が

転がっているのをニル達が見つけていた。


「メッセージチップか」

 ニルの言葉の後にチップが動き出し、その中から

ホログラム映像が浮かび上がる。


 そこに『居た』のは、ガイアシティでS・パーツを

連れていたブレアだった。

 ブレアの姿に、それが立体映像だと知りながらも皆

の空気は瞬時に張り詰める。

 だが、虚像の美女は優雅に嗤って見下ろしていた。


『御機嫌よう、私の可愛いモルモット。この映像が

見えているなら、生きているというコトね。

プレゼントは、お気に召していただけたかしら?』

「貴様の仕業か!」

 緋牡丹の言葉にブレアは微笑む。

 記録されたデータでありながら、会話が成立している

ように見えるのは、こちらの言葉を予見しているからか。


『勘違いしないでね。私は、憎くてしているんじゃないの。

愛しているから改造するの。カスタマイズは、愛情なのよ?

より良い進化を得られるように……。だって、子供の成功を

願わない親は、いないでしょう?』


 そこでブレアは目を伏せた。真意を読めない相手では

あったが、その時、彼女がヒトとしての感情を

滲ませたように見えたのだ。


『ふふ……鳥かごの中にいれば幸せだった小鳥、

貴女が飛び出した世界は、どう? 空の青だけでは

なかったでしょう?』


 白だけの世界の外は、様々な色が混ざり合っていた。

 赤い血を見た。ドス黒く渦巻く感情も見た。


『あなたの進化は、一人では成せない。誰かを助け、誰かに

助けられながら得られる中にあるわ。だから、戦いなさい。

己の、怖れるものを見据えて、立ち向かいなさい。

生き残る為に……。飛べなくなる前に、ね』


 そこで、ヴィジョンは消えた。

 誰もが何も言わなかった。

 ブレアの意図を理解出来なかったからだろう。

 彼女は何がしたいのか? ソウのこのような末路を

予期しながら、メッセージを送ったのは何故なのか?


 狂った思考を読める機械は無いと言っていたが、

ブレアの思考回路を捉える事は出来なかった。


「どうせ、我々が右往左往してるのを

見て愉しんでいるだけだろうに!」

「まあ、それ以外は思いつかんかな」

 シザーと緋牡丹はブレアへの積年の憎しみがある為、

それ以上の思考を放棄しているようだったが、。

ニルは何かを考え込んでいた。


「……進化?」

 ニルと目が合ったが、直ぐにこちらを見て、青ざめていた。

「ユレカ!」

「え?」

 駆け込んだニルの手が、こちらの手を強く弾く。


「な、何? 何するの? ニル……」

「オマエ……腕……」

「え?」




 己の手を見ると、白い肌に無数の傷痕が走っている。

 口を開けた傷に指を突き入れ、

中身を抉り出すようにしている。己の指と、

ナイフで肌を切り裂いている自分が在った。

 大量の出血をしていると言うのに、苦痛は無く、むしろ

妙な恍惚感と温もりを覚える。


「……何? こ、これ、いつの間に?」

「ユレカ、オマエ、まさか!」

 ニルの表情に『怯え』が浮かぶ。

 シザー達も駆け寄って来たが、血塗れの腕からは

真新しい赤が滲み出し、見る見る染め上げていく


「まさか、発症したのか! IDを!」


 ニルの言葉に足元から恐怖が湧きあがり、たまらずに

掻き毟ろうとしていた腕をシザーが掴んだ。

「お嬢ちゃん、落ち着け!」

 思考を停止した視界の中では緋牡丹が

ニルに詰め寄っていた。


「どういう事だ? 感染しても、発症の可能性は、

ほぼ無いと君は言っていなかったか?」

「ああ、発症の確率は0.0008%だった!

薬だって飲ませていた! ありえない。ありえないんだ!

何故、IDの症状が出ている?」


 その疑問に答えを出せる者など、此処にはおらず、

ただ『発症すれば致死率100%』の情報だけが、頭の中で

嘲笑うように踊り続けている。


 凶暴化し、最後は自ら溺死する、と。


「でも、大丈夫、心配しないで。私、その、ホラ、全然……

暴れたり、してないし、ホントのホントに、大丈夫……

だい、じょうぶ……だから……」

 全身を包む悪寒に両腕を抱くも、どれだけ肌をさすっても

温かくはならない。

「ユレカ! しっかりしろ! クソッ! 体温が低下してる!」


 寒くて冷たいから、肌を抉って温かい血を浴びたいと、

本能が訴える。血にまみれた部分は熱さを感じるようで、

体中をナイフで切り裂きたくなる狂った衝動が

突き上げてきた。


 いや、それは自分のものでなくとも良いのだと何かが囁く。

 血を混ざり合わせれば、きっと、もっと温かい。


 この血を統合したい……誰でもいいのだと。


 体中に浴びたソウと緋牡丹の鮮血が、酷く温かく感じた。

 もっと、欲しいと喉が鳴る。

 だが、そこで頭部を打ち据えるような頭痛がした。

 悲鳴をあげて頭を押さえる。


「だめ……ッ! そんなの、絶対にダメ! やめてぇ!」

「ユレカ! 落ち着け!」

「いやぁああ! あ、頭が……痛い! 痛いよ!」

「緋牡丹、坊や! お嬢ちゃんを押さえろ!」

 必死に止めようとするシザー達すら、

邪魔だと思える程に血に飢えながらも、殺意を

押さえ込もうとする理性。


 これが、IDの真の恐怖なのか。


 牙と爪の全てをもって眼前の生物に喰らい尽きたい。

 でなければ体中が冷え切って、無機物に

作り変えられてゆくような違和感と恐怖が在った。

 目の前が白く濁る。


 飛べなくなる前に。


 そのブレアの言葉を思い出す中、

意識を手放しつつある頭に何かが見えた。


 白い鳥と、何処までも広がる青い空。


 蒼空を自由に羽ばたきたいと飛び立った鳥の

翼が折れ、舞い散る白い羽の中、小鳥は何を願うのか。

 地に落ちて土に還る前に、一体、何が出来るのだろうか。


 力を失った身体が重力に導かれるように倒れかけた時、

受け止める誰かの腕を感じた。

 酷く不器用でありながら、壊れ物を扱うような

優しさがあり、それは……

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?