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荒涼とした大地に広がるのは破壊しつくされた巨大な建造物の瓦礫の山。人という偉大な生物が自ら生み出した凶器によって腐敗し堕落した世界は最早かつての栄光とは程遠い姿をしていたが、けれどそれでも人々は残った資材から街を作りかつての技術を用いて新たな文明を築こうとしていた。草木は自由奔放にその手足を至るところに伸ばし、世界を再び緑溢れる世界へ変えようとしていたが、けれど人間もまたそれに負けじと協力し合い、世界復興の道を模索し続けていた。
桂木ノノはそんな瓦礫に覆われたどこまでも続く長い道路脇に立てられた、歪んだ鉄パイプで作られたバス停の前に立ち、鞄を両手で下げて遥か遠くに小さく見える、廃材で覆われたボンネットバスが来るのをのんびりと待っていた。時折吹く風はノノの美しくさらさらと流れる髪を悪戯に揺らし遊びながら去っていく。左耳には紅い石のついた小さな涙型のピアスがはめられており、風に揺れてきらきらと輝いていた。
ノノは乱れる髪を右手で押さえ、左腕に巻いた電話機能付き腕時計型個人識別健康管理票『リスト』に目を向ける。そこに表示されている時刻は最早バス停の運行表に書かれているバスの到着時刻を十分以上も過ぎていたが、しかしそれでノノが慌てるようなことは決してなかった。ぼうっと空を見上げたノノの心はどこか別のところへ旅立ち、次第に近づいてくるバスの影にすら気づく気配を見せない。
やがてバスがノノの前に停車して扉を開けたが、けれどノノはそのことに気づかなかった。ただぼんやりと空を見上げたまま、ぽかんと空を舞う鳥達を眼で追っていたのである。バスの乗降口では女性乗務員が困ったような笑みを浮かべており、なかなか乗って来ないノノに話しかけてきた。
「あの、ノノちゃん? 遅刻しちゃうわよ?」
「ほへ……? あ、ごめんなさ~い!」
ようやく我にかえったノノはへらへらと笑顔で謝りながらバスに飛び乗り、それと同時に個人識別チェックの電子音がピッと小さく鳴った。女性乗務員は乗降口脇に設置されたモニターでノノのデータを確認すると、バスの運転手のほうへ声をかける。
「発車オーケーでーす!」
程なくエンジンがかかる音がしてバスは大きく揺れ、走り始めた。
ノノは一息つきながら空いている席に腰を下ろし、どこまでも続く瓦礫だらけの風景に目を向けた。
甚大な被害を世界中にもたらした凄惨な世界大戦が終結してから早五十年。ある程度の復興を遂げた世界は、しかし今なおその傷跡を残したまま現在に至っていた。世界人口も戦前の一〇〇分の一にも満たず、一時は新型大量破壊兵器による残留放射能によって人類は死滅してしまうだろうとすら言われていたけれども、その予想は大きく外れることとなった。一部自棄を起こした者が自殺したり殺人を犯したりするなど問題にはなったが、人口は年々増加傾向にあり、このままいけば人類が滅亡することはまず有り得ないだろうと言わていた。
やがて人々は残った資材を使い家を建て小さな町を作り、公共の移動手段となるバスを作った。生きていくのに最も重要な食糧の確保を最優先させるために、街の発展ではなく土地を得て田畑を作り、試行錯誤を繰り返しながら食物の栽培を始めた。そのため世界にはいまだに多くの瓦礫や廃墟が至るところに取り残されており、それらはさながら世界の現状を表したある種のアートのようだった。
ノノはそんな瓦礫や廃墟の周りに見える田園風景にぼんやりと目を向けながら、うつらうつらと舟をこぎ始めた。バスの揺れや暖かい気温も相まって、ノノは次第に睡魔に抗うこともなく眼を閉じる。そしていつの間にか、すうすうと可愛らしい寝息をたてはじめるのだった。
「ノノちゃん? ノノちゃん?」
肩を揺すられていることに気がついたノノは、ゆっくりと瞼を開けた。いつの間にかバスは停車しており、横に立っているのはいつもの女性乗務員だった。
「ふえ……?」
ノノは自分の置かれている状況を理解できず、小首を傾げながら眠たい目を擦った。それから窓の外に顔を向け、そこが廃墟と化した、けれども多くの若者でにぎわうテーマパークであることに気がついた。厳密に言えば、それは“かつて”テーマパークだった場所。今現在はノノの通う、『大和第一高等学校』という国立高校だった。戦後もその原型を留めた建造物は修繕ののち、行政施設や教育の場として利用されているのである。
「あ……学校だぁ~」
ノノが呟くように言って、女性乗務員は微笑む。
「そうよ、ノノちゃん。早く行かないと、このまま町まで乗っていく気?」
「え、あ、あぁ!」
ノノは慌てて飛び起き、女性乗務員の脇を抜けて乗降口へと駆けていく。
その様子を笑顔で見詰めていた女性乗務員だったが、先ほどまでノノが座っていた椅子の足元に鞄が置かれたままであることに気づいて、慌てて叫んだ。
「あ、ちょっと、ノノちゃん! 鞄忘れてるわよ!」
それに気づいたノノの足は乗降口を降りる手前で急ブレーキをかけ、しかし体の重心をうまくコントロールすることができず。
「ひゃ、ひゃああぁ!?」
叫び声と共に、ノノの体は派手な音と共にバスの外へと転げ落ちていくのだった。
「ノ、ノノちゃん!?」
女性乗務員はノノの鞄を抱えつつ、慌ててバスを降りてノノに駆け寄る。
「くう~~~」
ノノは呻きながら上半身を起こし、ぺたんと地面の上にへたり込んだ。
「へ、えへへへへ、こけちゃいましたぁ~」
舌を出しながら言うノノに、女性乗務員は眉を寄せつつ、
「こけちゃいましたぁ~、じゃないでしょ? 大丈夫? 怪我はない?」
「んーと……」
ノノは腕やら足やらを触って確かめ、どこにも怪我がないことを確認するとへらへらとした笑顔を女性乗務員に向けた。
「大丈夫みたいっす!」
「ならいいけど…… ちゃんと気をつけるのよ?」
言って乗務員はノノを立ち上がらせると鞄を手渡した。
「じゃぁ、また夕方ね。いってらっしゃい!」
「はい! 行ちきます!」
ノノは笑いながら敬礼してみせ、乗務員を乗せたバスは町の方へ走り去っていった。
それを手をぶんぶん振って見送っていたノノの頭に。
「な~にやってんのよ、朝から」
バスン、と柔らかい何かが振り下ろされる。
「うぎゃ!」
ノノは呻き、ゆっくりと後ろを振り向いた。
そこにはショートヘアの少女の姿があって、ノノを呆れたような目で見上げていた。少女の背はノノより僅かに低く、その手には体操服の収められた継ぎ接ぎだらけの巾着袋が握られていた。ノノと同じ制服を着ており、もう一方の手にはやはりノノと同じ鞄が握られている。右耳にはノノとは対照的な青色の石のついた涙型の小さなピアスがはめられており、朝日に照らされてきらきらと輝いていた。
「あ。葵ちゃん、おはよ~!」
ノノが笑顔で挨拶すると、葵ちゃんと呼ばれた少女――京都葵は肩を竦めた。
「おはよう、ってか、朝から元気だねぇ、あんた」
言って葵は、やれやれといった感じで背を向ける。
「ほら、早く行かないと、あんたまた遅刻するよ?」
言って、ノノを置いて一人校門――テーマパークだった頃の入り口ゲートへ歩き出した。
「あ、待ってよ、葵ちゃ~ん!」
ノノも慌てて、葵のあとを追い駆けて行くのだった。