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第3話


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 昼休憩を挟んだ五時限目の授業は体育で、体育館として使用されているかつての立体シアターの中では今まさにバスケットボールの試合が繰り広げられているところだった。葵とノノは同じチームで、他に奈良飛鳥や谷井ミユウ、西秋原瑠璃羽といった三人の仲間が居たけれど、誰一人体育の得意でない文系少女達だった。


 葵はミユウからパスされたボールを手に二人の敵に行く手を阻まれ、その二人と睨みあっていた。二人の敵の肩越しに見える向こう側には、ノノを含めた三人のチームメンバーが控えている。しかし、うち二人にはバスケ部の部員が、決して葵からのパスを受けとらせるまいと壁のように立ちはだかっていた。唯一自由に動けるのはノノだけで、けれど葵にはどうしても、ノノにだけはパスしたくない理由があった。


 葵は両手にボールを持ったまま誰にパスをするべきか迷い、行く手を阻む二人の敵は今にも襲い掛かってきそうな様子だった。


「葵ちゃん!」


 ノノが、真剣な眼差しで葵の名前を呼びながら、右手を振る。


 葵は二人の敵とノノに交互に眼をやり、ついでノノ以外のメンバー三人にももう一度目を向けた。けれど相変わらずバスケ部の連中が張りついており、どう考えてもパスを成功させるのは困難なように思えてならなかった。


 そもそも、一チーム五人の体育授業のバスケで、敵チームのうち三人がバスケ部の連中だってことがまず在り得ないと思う。葵達のチームとの実力差はあまりにも明白で、正直言って勝てるなんて思ってもいなかった。けれど、できれば0対0に抑えたいというのが葵達のチームのせめてもの目標で、葵達はこの数分間、そのためだけに頑張ってきたようなものだった。


 相手チームも前半だけはこちらの実力に合わせて手加減をしてくれていたけれど、後半に入ると途端に容赦がなくなり、こちらの弱点をついてくるようになっていった。


 ――こちらの弱点。


 それは、今のこの状況を考えてみれば、明白すぎるほどに明白だった。


 それでも葵はせめてもの希望を胸に、

「ノノ!」

 とノノにパスをまわした。


 二人の敵の間を飛んでいったボールは放物線を描いてノノの所まで飛んでいき、ノノはそれを見事に受け取った。


「走れ!」


 葵の叫び声にノノは頷き、ゴール目指して突っ込んでいく。それを阻もうと何人もの敵が立ち向かっていったけれど、誰もノノを止めることはできなかった。ノノは彼女らの間を器用にかいくぐり、ゴール下まで来ると地を蹴ってジャンプ。


 ノノの放ったボールは見事に的にあたり、綺麗にバスケットの中を通過して床に落ちて撥ねた。


 しかしその瞬間。


 ピ――――――!!


 当然のように、先生の笛が体育館内に響き渡る。


「ほへっ?」

 とノノが首を傾げながら、先生の方に顔を向ける。


「トラベリング!」


「え、えぇ~~~~~~~~~~!?」


「え~~~~~~!? じゃないわよ!」


 葵は怒りに拳を震わせながらノノのところまで走り、ノノの両の頬を思いっきり抓ってやりながら叫んだ。


「アンタねぇ! いい加減バスケのルール覚えなさいよ!?」


「にゃ、にゃあぁぁぁぁぁああぁぁあああぁ~~~~~~!!」


 ノノの声が、体育館内にこだました。





「現在のように世界を荒廃させてしまった先の大戦は、互いに政府高官のエゴによって引き起こされたと言われている。引くに引けなくなった北方の国が新型大量破壊兵器を各国に向けて発射、それに対抗した核保有国もそれに対抗すべく続々と兵器を使用、結果世界の三分の一が焦土と化し、全人類の九割近くが死滅したと言われている」


 社会科の進藤が黒板に白墨ですらすらと要所を書き込み、葵はそれをノートに書き写していった。黒のシャーペンと赤ペンの二色を使い分け、さらに黒板には書かれなかった進藤の発した単語をいくつか書き込んでいったそのノートは見た目にも解りやすくなっている。


 その隣では、ノノが涎をたらしながらすうすう眠っており、葵とは対照的にノートの上に大きな斑紋ができあがっていた。


 進藤はそれを知りつつも、話を続ける。


「これにより地球全体に放射能が蔓延、多くの生物も共に絶滅した。人々も戦争どころではなくなり、うやむやのうちに終戦を迎えることとなったのは言うまでもない。生き残った人々の多くが当時地下核シェルターに身を隠して暮らしていた人々であり、運良く破壊兵器から逃れることができたものの今度は食糧危機に瀕することになった。我々大和の国の同盟国であるベイ国からの援助もあったが、それだけで全ての国民を賄えるはずもなく、多くの者が飢えに苦しみ倒れ、命を落としていった」


 進藤はそこまで言うと、黒板から生徒のほうへ顔を向けて教科書を教卓の上に置いた。


「それだけではない。地上に降り積もった放射能が地下核シェルターにまで浸透。人々の体を蝕み始めたのだ。食糧危機と残留放射能、そして戦中戦後のストレスもあいまって人々は精神的にも身体的にも追い詰められ、終戦から十年後の人口は、終戦時の人口のさらに半分以下だったとまで言われている」


 政府はこれに対し、町の復興よりもまず食糧問題や国民個人個人の健康管理に焦点を合わせた。優先して地下核シェルター内の田畑を増やし食料の確保を図りつつ、健康管理に関してはそれまで大和軍の兵士にのみ配布されていた腕輪型個人識別健康管理票を国民一人一人に配布、それを利用して年齢、性別、居住地区による身体的影響の違いを調べ上げた。さらに大和国中だけでなく比較的被害の少なかった同盟国に協力を要請、集められるだけ集めた医師たちに彼らの治療を任せた。識別票は生まれたばかりの赤ん坊にも出生届を出した時に配布、子供への装着も義務付けられ、もしこれに反すれば強制的装着と共に重い懲役が科された。国民からは個人情報やプライバシーの問題で多くの批判の声が上がったが、政府はこれを黙殺、僅か二年にして全国民にリストが行き渡ることとなる。


「この個人識別健康管理票こそが現在携帯電話機能やプリペイド機能の付加された『リスト』と呼ばれるものの原型である。これはいつどこで誰が生まれ、どのように死んだかを政府が明確に記録するための記憶媒体だった。現在でも政府はこれを利用して国民一人一人の“人生”を管理していると酷評する研究者も居るほどだ」


 葵の横で、ノノが「う~ん」と唸り声を上げた。それから自分で作った涎の海の中へその顔を沈める。


「やがて二十年以上が経過し、残留放射能も落ち着いてきたころ、ようやく地上に人々は戻ってきた。世界は荒廃しきった酷い有様だったが、しかしそこに広がっているのは自生する植物に満ちた森に、生き残った動物達の自由気ままな生活だった。人々はこれに勇気をもらい、比較的放射能に汚染されていない土地に田畑を作り始めた。自然との共存をスローガンに人々は破壊された建造物の瓦礫の中から使えそうなものを探し出しこれを再利用して家を建て、それらが集まってやがて町ができた。まだ形を残していた建物は補修し、これを行政施設や今我々がこうして勉学している学業施設ができた。放射能汚染の影響で人類は二度と地上には戻れないと考えられていたが、放射能の汚染は年々落ち着いていき、こうして普通に暮らしていけるようなった、というわけだ。もちろん、今なお放射能に苦しむ人が居るのも事実なわけなのだが」


「ん、んんん、んんんんんん~~~~~~~~!?」


 そこで突然ノノの唸り声が大きくなり、進藤は口を真一文字に閉じた。それからじいっとノノのほうへ顔を向ける。それに習うように、葵も他の生徒達もノノのほうへ顔を向けた。


「んん、んんんんんん!?」


 ノノはしばらくの間苦しそうに唸り。


「く、くくく……ぶっはあああああああああ!!」


 顔を真っ赤にしながら、上半身を起こすのだった。


「し、死ぬかと思ったぁ~……」


 ノノが肩で息をしていると、それまでじっとして進藤が教科書を片手につかつかとノノのところへと歩み寄る。上からノノを見下ろしながら、


「……桂木?」


「は、はひぃいいい!?」


 声をかけられ、ノノは飛び上がった。


 恐る恐る上目遣いに進藤に目を向ければ、進藤の顔には鬼の影が射していた。


「――眼は、覚めたか?」


「う、うい……」


「今度寝たら、どうして欲しい?」


「あ、あにょ、そにょ……」


 しどろもどろになるノノを見て進藤は、細い通路を挟んで隣に座る葵に顔を向けた。


「次ぃ桂木が寝たら、京都、お前に任せる」


「へ? あ、はい……」


 葵が驚いて返事をして、進藤は再び教壇の方へ戻っていった。


 その後ろ姿を見ながら、葵はノノに言う。


「あんた、ほんっとよく寝るよね」


「だってぇ~、眠いものは眠いんだも~ん」


 ノノは言って目を擦る。


「どうでもいいけど、授業ぐらいちゃんと聞いてなさいよね?」


「ふぁ~い……」


 眠そうにノノは返事して、シャーペンを握り締めた。


 教壇に戻った進藤に顔を向ける。


「さて、ここで登場するのが、私やこの中にも何人か居るだろう、通称“第二世代大和人”と呼ばれている人たちだ。これは健康な男性から取り出した精子と健康な女性から取り出した卵子を体外受精させ、さらにあらゆる病気に抵抗を持つように遺伝子操作を施し、胎育器で創られた、いわゆる人工ベビー達である。政府がこれに踏み切った理由は単純明快で、放射能に汚染された者達の交合によってその害を引き継いでしまった子供達の多くが生まれてまもなく命を落とすということが相次いだために、国の存続を期待して着手されたのだ。現在では人口も安定し第二世代は作られていないが、その第二世代同士の間に生まれた子供達を、われわれは通称“第三世代大和人”と呼んでいるというわけだな」


 進藤はそこで一旦言葉を切り、ノノの方へ視線を向けた。ノノはやはりうつらうつらと首を上下に揺らしており、さながら端午の節句に飾る首振り虎のようだった。それから葵の方へ視線が移り、葵はその意味を解してノノに目を向けた。


「政府は当初、この第二世代大和人のことを伏せていた。人工授精による人類製造には倫理的な問題があり、これが明らかになればいわゆる第一世代大和人の非難の対象になるのが解っていたからだ。実際、第二世代大和人はその存在が明かされた当初、多くの人々から非難を浴びいじめを受けた。排斥運動も起こったが、しかし人工授精と言えど、それが人であることに代わりはない。母の胎内から産まれたか、胎育器から産まれたかの違いでしかないからだ。やがて第二世代も第一世代の人々に認められるようになり、現在に至っている――」


 進藤がそこまで言った、次の瞬間。


 バシンッ!


 葵がノノの頭を思いっきり叩き、その音が教室内にこだました。


「起きろ、この馬鹿娘!」


「は、はにゃ!?」


 ノノは涎を垂らしたまま、慌てて飛び起きるのだった。


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