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第5話


「あ、ごめん、オレ、バイトの時間だ」


 ミユウが突然リストを見てそう告げ、葵も同じようにリストに目を向けた。


 時刻は午後五時半。そろそろ太陽も地平線に半分以上その真っ赤な顔を隠しており、空もだんだん藤色へと変わりゆこうとしていた。


「あれ、もうそんな時間なんだ?」

 葵が言って、

「えぇ~ ミユウちゃん帰っちゃうの~?」

「いいじゃ~ん、もっと遊ぼーよぉ、ミユミユぅ」

 ノノと飛鳥が、残念そうな顔をする。


「えぇ? むりムリ無理。オレの生活かかってんし」


「そういえばミユウ、どこでバイトしてるんだっけ?」


 葵が訊いて、ミユウは「あれ?」と首をかしげた。


「言ったこと無かったか? オレの住んでるアパートの一階」


「あぁ、あの“純喫茶きのことたけのこ”とかいう?」


「そうそう。あそこで働いてんのさ」


「じゅんきっさ? な~に、それ~?」


 ノノが首を傾げて、飛鳥が答えた。


「へへぇん! ワタシ知ってるよぉ! 女の人がフリフリのエプロンつけて、おかえりなさいませぇって言う所だよ!」


「へぇ~! 飛鳥ちゃん、物知りだねぇ~!」


「……いや、飛鳥? それなんか違うと思うけど。ノノも、信じちゃダメよ?」


「あっはははは! いやぁ、それもいいけど、オレがやってんのは、ごく普通の喫茶店さ。なんだったら、今度皆で来なよ。コーヒーくらいならおごるからさ」


 ミユウは笑って言って、「あっ!」と叫んだ。その視線の先にはバス停があって、今まさにバスが到着したところだった。行き先表示はミユウの住んでいる南地区になっており、

「バス来てんじゃん! じゃね! また明日!」

 慌てたようにミユウが駆け出す。


「じゃぁ~ね! ミユウちゃ~ん!」


「また明日ねぇ! ミユミユぅ!」


「バイト頑張りなよ、ミユウ!」


 三人して、手を振るのだった。


 ミユウが発車寸前のバスに飛び乗り、そのバスが走り去るのを見送ってから、飛鳥が口を開いた。


「う~ん、ミユミユ帰っちゃったしぃ、ワタシも帰ろうかなぁ」


「えぇ~、飛鳥ちゃんも帰っちゃうの~?」


「うん、ごめんねぇ、ノノちゃん、葵ちん!」


「じゃぁ、また明日ね、飛鳥」


「元気でねぇ~!」


 葵とノノは手を振りながら飛鳥を見送り、飛鳥の姿が通りの向こう側に消えたところで、ふいにノノがニヤニヤと笑い出した。


 葵はいぶかしむ様にノノに顔を向ける。


「なによ、急に」


 するとノノはにへら~と笑顔になり、頬を赤くしながら答えた。


「だって~、葵チャン、ノノがプレゼントしたピアス、毎日してくれてるから、すっごく嬉しくって!」


「……そういうことは言わないでって言ったでしょ? 馬鹿娘」


「今まで言わなかったよ~?」


 へへん、と胸を張るノノに、葵は溜息混じりに答えた。


「みんなの前ではね。そうじゃなくて、アタシが恥ずかしいって言ってんの、解る?」


「またまたぁ、そう言いつつも毎日ちゃんと付けてくれてて、ノノはとっても幸せだよ! ほらほら。ノノも葵チャンから貰ったやつつけてんだ~!」


 ノノは言って長い髪を掻きあげ、左耳にはめられた紅いピアスを見せた。それは一週間前のノノの誕生日に葵がプレゼントしたもので、葵のはめている青いピアスははそのお礼として翌日にノノからプレゼントされたものだった。


「だぁかぁらぁ!」

 と葵は顔を赤く染め、目の前のノノの頭に、ぐりぐりと両手ドリルをお見舞いする。

「恥ずかしいから言うなって言ってんでしょーが!」


「い、イタイイタイ、痛いよ葵ちゃ~ん!」


「まったく!」

 漸く葵はノノ頭から両手を放し、

「まぁ、あれよ。せっかくノノがくれたんだから、ちゃんと付けてあげないとノノ、悲しむでしょ?」

 葵は頬を染めつつ、そっぽを向いた。


 ノノはその言葉を聞いて「くうぅ~~」と唸ったかと思うと。


「も~! 大好きだよ、葵ちゃ~ん!」


「ぐへ!」


 葵の体に、力いっぱい抱きつくのだった。


「く、苦しい! 解った、解ったから、離れてノノ!」


「い~や~だ~! ノノ、離れないも~ん!」


「た、頼むから、ホント、苦しいから!」


 苦しそうに顔を真っ赤にして葵が叫んだ瞬間。


「あ! ルリハちゃん!」


 唐突にノノが葵から飛び離れ、その反動で葵は思わず転倒してしまいそうになった。


「お、おわっ!」


 何とかバランスを取り戻して恨めしそうにノノに顔を向けると、当の本人はそれを気にするふうでもなく、やはりいつもの笑顔で商店街の一画を指差しながら嬉々として葵に顔を向けてくる。


「ねね、葵ちゃん! ほら、あそこ! ルリハちゃんが居るよ!」


 葵はやれやれと思いながら、ノノの指差す小さな本屋の店先に目を向けた。そこには沢山の本が乱雑に並べられており、多くの人々がその中から自分の読みたい本を探し出しては買うでもなくただ立ち読みにふけっている様子だった。


 そしてそんな人たちの中に、同じクラスの西秋原瑠璃羽の姿があった。瑠璃羽は第二世代大和人の両親の間から産まれた通称第三世代大和人で、第二世代の二人から産まれた最初の世代だった。蔓の細い眼鏡をかけ、黒髪を耳の辺りでカットしているその姿はどこからどう見ても優等生を絵に描いたような少女である。


 瑠璃羽は本の陳列棚の前に立ち黙々と本を読みふけっており、その姿は如何にも文系らしい大人しそうな雰囲気の彼女に似合っていた。


「ル~リ~ハちゃん!」


 ノノが何の遠慮もなしに後ろから声をかけて。


「きゃっ!」


 瑠璃羽は驚きの声を上げた。その瞬間、読んでいた本を思わず取り落としてしまいそうになる。


 葵はそれを地面すれすれのところで受け止め、

「ちょっとノノ? 急に後ろから声をかけるのは反則じゃない?」


「えぇ~? そうかなあ~?」


 首を傾げるノノを尻目に、葵は本のタイトルに目を向けた。


『第二世代大和人に隠された闇』


 それはここ最近、至るとことで話題を呼んでいる問題作だった。


 人工授精と遺伝子操作、そして人工子宮を利用して誕生した試験管ベビーは社会倫理に反しているだけでなく、自然界から観ても宗教的観点から観ても問題を多分に含んだ行為であり、この世に存在すべきものではない。もはやはそれは『人間』などではなく、『人間』が創りあげた模造の人類、それはいわば『人形』でしかない。『人形』である彼らには人権など与える必要はない、むしろ存在そのものを否定すべきである。


 そんな内容が延々と書き綴られているその本は、いまだに第二世代や第三世代を認めない保守的な第一世代の者たちによって編纂された書物だった。実際、第一世代である葵の祖父母も第二世代大和人たちのことを忌避しており、葵が第二世代や第三世代の同級生達と一緒に居ることをあまりよくは思っていなかった。


 そういった本であるにも拘らず、自身が第三世代であるはずの瑠璃羽が真剣にこの本を読んでいたことに葵は驚きを隠せない。


「……嫌じゃない? こんな本」


 葵が眉を顰めながら瑠璃羽に手渡すと、

「……別に」

 蚊の鳴くような小さな声で、瑠璃羽は小さく首を振った。


 そんな瑠璃羽の横から、ノノが瑠璃羽の持つ本を覗き見る。


「えっと……、だい、に、よ、だい、だい、わ、ひと、に……う~ん――? なんだかむつかしそうな本だね~! 瑠璃羽ちゃんすごいね! ノノ、絶対に読めないよ~!」


 いつものへらへら顔でノノが言って、葵は頭を振りながら呆れたように口を開いた。


「ノノは絵本以外読めないんでしょ?」


「うん! なんかねぇ~、字ばっかり見てると眼が回ってね、二三行読んだ辺りで頭くらくらしちゃうんだ~。 なんでだろ?」


「そりゃぁノノに読む気がないからでしょ?」


「そんなことないよ~! 読む気はあるもん!」


「ほんとかなぁ~?」


 ほんとほんと! と叫ぶノノの横を、瑠璃羽はすすっと通り抜けていく。その手には先ほどの本が握られており、瑠璃羽は無言のまま、店の奥へと姿を消していくのだった。


「……行っちゃったね、ルリハちゃん」


「まぁ、もともと人と関わりたがらない子だからねぇ。それよりどうする、ノノ? アタシらももう帰る? それとも、もう少し遊んでいく?」


「う~ん。ノノ、お腹すいた~!」


「そっか。じゃぁ、帰ろうか」


「いや! もっと葵ちゃんと遊びたい! ねぇねぇ、パフェ食べに行こ、パフェ!」


「えぇっ!? 昨日も行ったじゃない、アタシお金ないよ? それにさっきコロッケ食べたばっかりだし、ダイエット中だし、これ以上食べるわけには……」


「ダイジョブ、ダイジョブ! ノノと分けっこすればいいだけだもん!」


「……」

 ノノの提案に、葵はしばらく悩んだ後。

「ま、まぁ、半分くらいなら、大丈夫よね?」


「うんうん! じゃぁ、きっまり~!」

 ノノは嬉しそうに叫ぶと葵の腕を掴み、

「じゃ、しゅっぱ~つ!」


「うわ、ちょ、ノノ! そんなに引っ張らないで!」


 意気揚々と本屋をあとにするのだった。


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