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第4話


   3


「ねぇねぇ、これはこれは!」


 はしゃぎながら話しかけてくるノノに、葵は呆れた口調で答える。


「……いや、ノノ。それクレヨンだから」


 商店街の一角の文房具屋に、ノノと葵の姿はあった。土曜日の放課後ということもあり街にはノノや葵たちと同様、制服姿の学生の姿や子供連れの姿が目立つ。お昼時ということもあって軽食店や飲食店には長蛇の列が出来ており、ノノと葵は昼食を後回しにして、ノノの父親へのプレゼントを選んでいるところだった。いつもならばミユウや飛鳥と四人で過ごすのだけれど、飛鳥は家の用事があるからと言って先に帰り、ミユウもバイトがあるからと言って帰ってしまった。


 文房具屋とはいっても、店の中には様々なものが並んでいた。勉強や事務などで使用する格安の鉛筆やボールペン、消しゴム、そして用途に合わせて罫線の引かれた沢山のノート。そういったものは大抵が店頭に並んでおり、奥に入るにつれて万年筆やインク、実印といった高価なものへと変化していった。今二人がいるのはそんな文房具屋の店頭で、何故かノノは幼稚園児が使うような可愛らしい絵の描かれた自由帳やクレヨン、色鉛筆などの並んだコーナーを、眼を輝かせながら見ているのだった。その隣には学生向けの味気ないデザインのノートや女子高生向けのそれなりに気取った感じや可愛らしいデザインのものも多くあるにもかかわらず、ノノが興味を示しているのは擬人化された二頭身の動物が仲良さそうに果物を食べている絵の描かれたものだけだった。


 そんな姿を眺めながら、葵は思う。本当に、ノノの精神は幼稚園児と何も変わらないのだと。動作だけでなく、言動もどこか幼い。これが障害によるものなのか何なのかは解らないけれども、そんな姿を見ていると何だか本当に幼稚園児を見ているようで、どこか可愛らしかった。けれどもそれと同時に、葵はいつも不安に思う。このままノノが大人になったとき、果たしてどうなってしまうのか、と。自分のことではないし、自分に直接関係してくることでもないのにもかかわらず、葵はそれが心配でならなかった。


「葵ちゃん葵ちゃん! じゃぁこれは!?」


 そういってノノが葵の鼻先に示したのは、十二色入りの色鉛筆だった。クレヨンに比べれば幾分マシだけれど……


「あのねぇ、ノノ? おじさんが欲しがってるの、ペンじゃなかったの?」


「ん~? 色鉛筆ってペンじゃないの?」


「……いや、確かに形や使い方はそこまで違わないけどさぁ」


 葵の言葉に、ノノは眉間に皺を寄せながら首を捻った。ペン一つとっても、ノノにはその違いが判らないのだ。鉛筆、シャーペン、ボールペン、万年筆、クレヨン、色鉛筆…… どれもこれも細い棒という似たような形状で、字や絵が書けるということにかわりはない。けれどもその使う場面場面でそれらは異なり、高校生にもなればその違いなど考えなくともわかるはずなのに、ノノには判らない。だから、父親が「ペンが欲しい」と言えばそれがボールペンや万年筆(たぶん、ノノの父親が言っていたのは万年筆だろうなぁ、と葵は思っている)をさしている事であろうとも理解することが出来ず、自分の欲しいものと相まって、このようにクレヨンや色鉛筆といったものを選んでしまうのだ。ペンというのはモノが書けるもののこと、そして自分が貰って嬉しいものを相手にプレゼントしたい。たぶん、そういうことなのだろう。


「ねぇ、ノノ。ノノはいくらぐらいまで出せるの?」


「ん~? えっとねぇ~」

 とノノは財布を取り出し、難しそうな顔で、

「えっと、百円玉が一つでしょ、十円玉が四つで、五円玉が二つ、一円玉が三つだから……?」


「なるほど、百五十三円ね」


「お~! すごいすごい、葵ちゃん! 早いねぇ~!」

 すんなり答えを出した葵に、ノノは本気で感心したように拍手する。


 しかし葵はいつものことだとばかりに、

「いや、褒められるほどじゃないから」

 言ってボールペンや万年筆のコーナーへ向かった。もちろん、ノノの所持金である百五十三円なんかで良い物が買えるとは思っていない。一番安いものを、葵の所持金と足して買おうと思ったのだ。葵のおこづかいも残り僅かだったけれども、ノノの気持ちを無碍にすることなど葵には出来なかったのだ。ノノが悲しむ姿を、葵はあまり見たくはなかった。


「あ、待ってよ、葵ちゃん!」


 ノノも慌てて、葵に付いて店の奥へと進んでいくのだった。




「ありがとね、葵ちゃん!」

 満面の笑みで礼をのべるノノであったが、言われた当の本人である葵は顔を蒼褪めさせながら肩をぐったりと落とし、ふらつく足取りで「あ、うん、別に」としか答えられなかった。


 結局、一番安いものでも三千円代で、それはノノや葵の所持金を合わせた額よりも遥かに高かった。葵は迷いに迷った末に文房具屋にノノを置いて銀行まで走り、預けていた貯金を下ろすことによって何とか購入。しかし、購入してからの葵は『なんでアタシ、ノノのためにここまでやってんだろう』と何度も心の中で叫び続けていた。どう考えたって、これは葵のお金で買ったようなものだ。ノノのお金なんて一割にも満たない。どうしてノノの父親のために他人であるアタシが、とは思いつつ、しかし本当に嬉しそうに父親へのプレゼントを胸に抱くノノを見ていると、『あぁ、きっとこの笑顔のために私はお金を出したんだ』と思わずにはいられなかった。当然、そのすぐあとに『いや、貢いだの間違いか』とまた肩を落としたことは言うまでもない。


「あ、ねえねえ、葵ちゃん」


「ん? 何よ」


 ノノに肩を叩かれて、溜息一つ吐きながら葵はノノに顔を向ける。


「あのねぇ~、ミユウちゃんの働いているお店に行かない?」


「あん? 喫茶店に?」


「うん!」


 しかし、と思いながら葵は自分の財布をさする。残金はお釣りで受け取った二十三円のみで、ノノに至っては全額はたいて残りは0。そんな状態で、いったい何をしに喫茶店までいけというのだろうか。まったく、ノノの能天気さには参ったものだ。


 するとノノが、そんな葵の憂鬱顔を覗き見つつ、

「ほら、こないだミユウちゃん、おごってくれるっていってたし~」


「! あぁ、そういえば」


 そうだ、そういえば一昨日だったか、確かにミユウはそんなことを言っていた。来てくれたらコーヒーぐらいはおごってやるからさ、と。もしかしたら、頼めば昼食ぐらい――などと甘いことを考えつつ、いやいや、さすがにミユウでもそこまでは、けど、ノノの父親のプレゼントにお金を使ってしまったと事情を話せば――


「そ、そうだね、たまには、働いてるミユウを見るのも、悪くないよねぇ?」


 どこか後ろめたさを感じつつ、妙な期待をする葵だった。


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