「あっはははははは! さすがノノだねぇ!」
豪快に笑うミユウだったが、すぐにそれに気づいて口元に手をやり、周囲を見回す。数人の客はそれぞれの話しに夢中でミユウの笑い声など気にしてなどいないようだったが、カウンターの向こうで食器を拭いている喫茶店のマスターは眉間に皺を寄せてこちらに顔を向けていた。
「す、すみません、マスター……」
あはは、とミユウは愛想笑いしつつ、葵たちに顔を戻す。
「いいよ、今日はワタシがおごったげるよ」
「本当!? ありがとう! ミユウ」
「ありがとぉ~、ミユウちゃん!」
「まぁ、一番安いカレーで勘弁してな」
ウィンクするミユウに、葵はそういえば、と口を開いた。
「ミユウの口からワタシなんて言葉初めて聞いたけど…… やっぱりマスター、厳しいの?」
その問いかけに、しかしミユウは首を横に振って否定した。
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど。マスターさ、お前も女なんだから少しは女らしい態度をとってみたらどうだって突然言い出しちゃって。だから今月いっぱいは、ミユウ女性強化月間って呼んでオレ――じゃないワタシが店で働いている間は女性らしくふるまえってことになってるの」
「へぇ、大変だねぇ~」
言ってノノはストローを口に咥え、ちゅるちゅると音を立てながらオレンジジュースを飲み干す。その動きはまるで五歳前後の幼児のようだった。
葵はそんなノノを横目で見つつ、
「まぁ、普段のミユウから見ればねぇ……」
呟くように、口にした。
「悪かったねぇ、男みたいでさ」
口を尖らせて言うミユウだったが、すぐにいつもどおりの笑顔に戻る。
「まぁいいや。ちょっと待ってて、マスターに注文してくるからさ」
「うん、ありがとね」
「ありがとね~!」
カウンターに体を向けるミユウの背中に、二人は笑顔で礼を述べた。それから程なくして、ミユウが二人分のカレーライスをトレイに載せて戻ってきた。ミユウはノノと葵の前に慣れた手つきで皿やコップを配膳していく。白い湯気が天井に向かって柱を作り、香辛料の芳ばしい香りが鼻をくすぐる。
「はい、マスターお手製の無農薬野菜たっぷりのカレーでございます」
「うわぁ、結構本格的じゃない」
葵が感心すると、ミユウは胸を張りながら口を開いた。
「まぁね。うちの店で一番安くてうまい――じゃなくて美味しい人気メニューだからさ。実はこのカレーに入ってるかぼちゃ、ノノのお父さんが育てたやつなんだぜ――だよ」
「え? パパの!?」
「そ。ノノのことだから、知らなかっただろ?」
ウィンクするミユウに、ノノはうんうんと何度も頷いて見せた。
葵も感心するようにへぇと声を漏らし、
「そっか、ノノのお父さんが育てた野菜なんだ。ってことは、ノノが収穫した分かもよ?」
「えへへ~」
ノノは嬉しそうに笑うとスプーンを手にし、一口大に切られたかぼちゃを掬い取って、眼を輝かせながら、
「パパの野菜~!」
とぱくりと口に放り込んだ。
「ん~~~!」
「おいしいだろ?」
「うん!」
頷くノノを満足そうに見て、葵はふと思い出したようにミユウに顔を向けた。
「そういえば昨日の話、どうなったの?」
「昨日って、なんの話だ?」
「ほら、タイヒくんとヒカルくん」
「あ、あぁ、あいつらか――」
とミユウはちょっつ困ったような顔になる。
「うん、一応、ね。タイヒ、部活を途中で抜けてヒカルを迎えに行ったみたい。オレ――じゃない、ワタシもバイト終わってから様子を見にあいつの家に行ったんだけどさ。また、殴り合いの喧嘩しててさ」
「殴り合い? ダメなんだよ~、喧嘩は」
ノノが眉間に皺を寄せながら呟いた。
「ノノっちは喧嘩嫌い?」
「うん、ノノ、喧嘩嫌い」
神妙な顔つきで答えるノノに、ミユウは微笑む。
「ワタシと一緒だね。……だから、やめさせようと思って、すぐに止めに入ったんだ」
「うわ、大丈夫だったの?」
まぁね、とミユウは葵に答え、
「ヒカルは乱暴者ではあるけど、ワタシに手を上げるようなことはないし――」
それ以外はめちゃくちゃだけど、と困ったように苦笑した。
「それで、一応は喧嘩、やめてくれたんだけどさ。またヒカルの奴、出て行っちゃって。タイヒと一緒に探し回ったんだけど見つからなくて、夜の二時くらいかな? タイヒにもう良いから帰れって言われてさ、渋々帰ったんだ」
「それで、その後ヒカルくんは見つかったの?」
「さぁ、わからない。今日学校で訊こうと思ったんだけど、タイヒの奴、無断で休んだみたいでさ。もしかしたら、まだ探してるのかもしれない」
「……そっか。なんか大変だね」
「でもまぁ、毎度毎度のことだし、もう慣れてるよ」
兄弟っていうのも、大変だなぁと葵は心底思った。一人っ子である葵は幼い頃、兄弟が欲しくてよく両親にせがんだものだけれど、こうして話を聞くとどうも楽しいことばかりではないらしい。男同士というのもあるのかもしれないけれど、自分ではない家族中の他人である以上、感じ方も考え方も違うわけで、そうそう仲良くしてばかり居られるわけないか、と何だか複雑な心境だった。
そのとき、カランっと喫茶店の入り口の扉が鐘を鳴らして開き、一組のカップルが店の中に入ってきた。あたりをきょろきょろするカップルを見て、カウンター越しにマスターが話しかけてくる。
「ほらほら、ミユちゃん、お客さん」
「あ、はい! いらっしゃいませ~!」
とたんに、ミユウが普段とは違う、営業スマイルと女性らしい声で出迎えに行く。
それを見ながら、ノノは口をぽかんと開いた。
「ミユウちゃん、女の子だ」
「ミユウも、あんな喋り方できるんだ……」
思わず感心してしまう、葵だった。