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第6話

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『きのことたけのこ』をあとにした葵とノノは、再び商店街に戻ってきていた。バスに乗って帰るにしろ歩いて帰るにしろ、この商店街を抜けていかなければならない。


 もっとも、葵は手持ちが全くのゼロ。どうやらノノのリストにはバスの支払い機能も備わっているらしく、それを使わせてもらえればバスに乗れないこともなかった。


 いや、しかし、そんなことをして許されるのか。勝手にふたり分のバスの支払いが発生して、ノノの父親はどう思うだろうか。いやいや、そもそもノノが父親へのプレゼントを買うために、私はお小遣いの全額を叩いたわけだから、それくらい許されたっていいだろう。けど、でも……


「ねぇねぇ! 葵ちゃん、コロッケ! コロッケ食べよ!」


 悩む葵の肩をノノがぽんぽん叩いてくるが、


「あのねぇ、そんなお金、どこにあるってのよ」


「あ、そっか…… じゃぁ、何なら食べられる?」


「ノノ? あんた、さっきカレー食べたばっかじゃない」


「え~? だって、お腹空いちゃってぇ……」


「はいはい、どうせもう帰るんだから、我慢しなさい!」


「ぶぅ~! は~い……」

 唇を尖らせて肩を落とすノノ。


 やれやれ、と葵も並んで肩を落とした。


 その時だった。


 ふいに遠くの方からけたたましいサイレンの音が聞こえてきたかと思うと、通りの向こう側から数台の淡緑色の自動車――それは警備局のみが使用できる車色で、巡回車であることはすぐに解った――がこちらへ向かって走り来るのが見えたのだ。


 葵は車道側を危なっかしく歩くノノの腕を強く引っ張る。


「はわわ、なになに!?」


 慌てるノノのすぐ後ろを、次々に巡廻車が走り抜けていく。巡廻車は葵やノノたちが通過した十字路を右側へ曲がり、あっという間にその姿は見えなくなった。あとには何か事件でもあったのだろうかといぶかしむ多くの通行人を残して。


 そしてそれは葵やノノたちも同様で、呆気に取られた様子のノノはしばらくの間ぽかんと口を開け、それから思い出したように、

「ねね、葵ちゃん」

 声をかけられて、葵もふと我にかえる。


「え、なに?」


「なんだろうね、なんだろうね」


「知らないわよ」


 けど、あんなにサイレンを鳴らしていたのだから、結構な事件に違いない。


 いったい、何があったのだろうか。


「気にならない? 葵ちゃん」


「そりゃ、気にはなるけど……」


「行ってみようよ!」


「え?」


「ほら、早く早く!」

 言うが早いか、ノノはさっさと駆け出した。


「あ、待ちなよ、ノノ!」

 葵も慌てて、ノノのあとを追うのだった。






 辿り着いたそこは隣町へと続く橋の袂で、すでに多くの野次馬でごった返していた。


 あまりの人だかりに、葵やノノたちの身長ではいったい何事かまったく見えない。


 ざわざわとたくさんの人の声、小さな悲鳴、制止する声――よほどの事件のようで、人だかりの向こう側からは野次馬を散らそうとする警備局の職員の声が聞こえてくる。


「み、見えない! 葵ちゃん! 向こう行ってみよ!」


「あ、ノノ! ちょっと待ってって!」


 ノノは足早に、人だかりを器用に迂回するように葵の前を駆けていく。


 体育の授業でバスケットをする時もそうだったけれど、ノノは案外運動神経が良いらしい。軽やかなステップで人混みを駆け抜け、比較的人の少ない場所に向かっていく。そんなにまでして見たいと思うノノの野次馬根性にも困ったものだ。


 必死の思いでノノのあとをついて走り、息も切れ切れになりながら、葵は一度膝に手をあてて息を整える。


「――はぁ、はぁ。もう、早いって、ノノ!」


 けれど、その言葉に対するノノの返事はない。


「……ノノ?」


 もう一度声をかけても、ノノは眼を大きく見開いたまま、まるで微動だにもしなかった。


 いったい、何をそんなに凝視しているのか。


 思いながら、葵もノノの視線の先に顔を向けて。


「――――っ!」


 その瞬間、声を失った。


 目の前の河原が、一面赤黒く染まっていたからである。


 ……血だ。


 大量の血が辺り一面を赤黒く染め上げているのである。


 そしてその河原の向こう側、橋げたに視線をやれば。


「の、ノノ!」


 葵は、思わずノノの腕を掴んでいた。


 そこには、無残に斬り刻まれた、頭や腕、胴体、そして脚が転がっていたのである。


 警備局の人間が、相も変わらず野次馬を散らそうと声を張り上げている。


 彼らはブルーシートで辺りを覆い隠す作業を始めており、葵やノノたちに気付くと、慌てたようにこちらに駆けてくる。


「君たち! 見ちゃダメだ! 早く帰りなさい!」


 けれど、ノノの視線はその赤黒い河原と、必死に隠そうとしている切断された四肢に釘付けになっていて。


「の、ノノ?」


 葵は、そんなノノに声をかける。


 明らかにおかしい。完全に硬直してしまったノノに、葵は違和感を覚える。


 そんなノノに、警備局の職員が手を伸ばした。


「ほら、早く行くんだ! 早く!」


 その手がノノの肩に乗せられた、その瞬間だった。


「――ぐあぁっ!?」


 突然、ノノが職員の腕を掴んだかと思えば、その腕をあらぬ方へ捻じ曲げようとしたのである。


 職員の男はそのままノノの手に組み落とされ、一瞬にして地面に顔ごと叩きつけられる。


「うっぐぐぐうぅぅ―――っ!」


 唸りながら痛みをこらえる職員の男。


 ノノは眼を見開いたまま、さらにその手に力をこめようとして。


「ノノ! やめて!」


 葵は、大きく叫び声をあげた。


 その途端、ノノがはっと息を飲み、瞬きをする。


 驚いた表情で職員から手を離し、身体を震わせながら、

「あ、わ、わたし、わたし――っ!」


「ノノ! どうしちゃったの? 大丈夫?」


 葵は、ノノの両手を握り締める。


 怯えるようなノノのその表情は、今にも泣きだしてしまいそうで。


「あ、あおいちゃ……わたし、わたし――っ! なんで、わたしは――っ!」


「お~い! どうした! なにごとだ!」


 河原でブルーシートを張り巡らせていた他の職員のひとりが、こちらに気付いて向かってくる。


 葵は咄嗟に「ヤバい」と口にして、

「行こう、ノノ!」


「え、えぇ? で、でも、わたし――っ!」


「いいから、早く!」


 葵はノノの腕を引っ掴むと、脱兎の如く、駆け出したのだった。


「待ちなさい――待てっ! お前らぁ――――っ!」


 警備局の職員たちが、大声を張り上げるのを後ろにしながら。

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