卒業式を無事に終え、今度は学園の敷地内にある大ホールへと移動する。
王城の舞踏会場のような大きさのここも、演舞場と同じく歴史ある建物だ。聞けば、学園には王侯貴族も通うことがあるらしく、そのために設備だけではなく警備なども万全を期しており、近隣の貴族がこぞって子息をこの学園に入学させる理由のひとつらしい。
そんな話を案内人から聞きながら大ホールにある控室へ通された私は、ソファに腰掛けるとやっとひとつ息を吐いた。
(……恥ずかしかったわ……!)
それじゃなくてもアレク様は人々の注目を浴びる存在なのだ。普段は陰日向で慎ましく生きている私のような凡庸な人間に、あの突然舞台にあげられるような仕打ちは辛い。しかも主役級の人間と婚約者の関係だというのだから、狼狽えるのも仕方ないと思う。
(そう、モブよ。私完全にモブ令嬢なのに)
なんだか段々、思考が白橋ゆふになってきている気がする。おかしいな、思い出すまではこの世界で教育を受けた、一般的な貴族令嬢だったというのに。
「さあお嬢様、のんびりしている暇はありませんよ!」
いつの間にかアナが鏡台の前にずらりと化粧道具を並べ終え、鼻息荒くこちらを振り返った。
「本番はここからです! 気合を入れましょう!」
なぜだか興奮するアナの高揚した顔を見て、さらに疲労が増したような気がしたのだった。
*
「本当に素敵です、お嬢様」
鏡越しにアナがうっとりと私を見た。自分の才能が怖い、などとブツブツ言っている。
(……本当に、素敵にしてもらったわ)
アナが丁寧に時間をかけて施してくれたお化粧は、いつもの控えめなものよりもずっと華やかで、アレク様の用意してくれたドレスと宝飾品に負けていない、気がする。
(私じゃないみたい。お化粧ってすごいのね)
鏡に近づいてまじまじと自分の顔を、というよりも化粧を見る。それほど濃くはないのにどうしてこんなに印象が変わるのだろう。いろんな色を使ってる? 絵画みたいね。
「お嬢様はとても美しいお顔立ちをしてらっしゃるんです。それを髪や瞳が普通だとか一般的な顔だとか言って、全然私にお化粧をさせてくれないから!」
「う、ご、ごめんなさい?」
「やっと私の実力を出せました! どんなご令嬢よりも一番美しいです!」
「大げさよ」
「大げさかどうかは婚約者様にお聞きしましょう!」
「そ、それは」
アナの言葉につい狼狽え、鏡に映る自分の姿をもう一度見る。
私があの華やかで美しい若者の隣に立っていいのだろうか。今夜の主役と言っていい彼と、ダンスを踊る?
動くとキラキラと光を跳ね返す銀色のドレス、美しいエメラルドのチョーカーとビアス。
全身、アレク様の色だ。
(執着、かもしれないけれど、これは私を守る武器でもあるんだわ)
彼の色を纏ってそばに立つだけで、私が彼の婚約者なのだと周囲に知らしめることができる。彼がそばにいなくても、私が侯爵家の一員なのだと示すことができるのだ。
(どうして私なのか、どうしてこんなに……私を大切にしてくれるのか)
『僕が……僕が成人したら、必ずお話します』
七年前にしたあの約束を、今夜聞けるだろうか。
『前世で果たせなかった約束を今世で果たしましょう――』
あのカードの言葉が蘇り、ズキリと胸が痛む。アレク様のことを考える一方で、どうしても頭の片隅に残る言葉。
(前世の約束――)
今の私が思い出せるのは、高槻レンとしたあの約束だ。
鏡の中で輝く首元の大きなエメラルドにそっと触れると、ひんやりと輝く宝石が、一瞬暗く翳った気がした。
(だめよ、ちゃんと集中して。今日のことをしっかり考えなければ)
今夜の主役である卒業生たちは、皆それぞれの家族や婚約者を伴いホールへ入場する。そして私は、アレク様と入場するのだ。初めて婚約者としてアレク様と並び社交をする。貴族名鑑を何度も読んで覚えた貴族たちの名前や家系、歴史、果ては事業に取り扱い品目まで。どんな会話を振られても対応できるようにするのは基本だけれど、侯爵家ともなると私の実家とは付き合いが違う。
上手く立ち回れるように、アレク様の足を引っ張らないようにしなければ。
(緊張する……)
そもそも、婚約者として二人揃って人前に出ること自体が初めてなのだ。絶対に注目を浴びるに違いない。
コンコン、と扉をノックする音が響いた。思わずビクリと身体を硬くすると、アナが扉まで行き対応する。そして大きく扉を開けた。
「――ユフィール」
近衛騎士の正装姿でアレク様がマントを翻しやって来た。
前髪を後ろへ流し、その精悍な顔を晒している。真っ白なマントと隊服は、王都の近衛隊の正装だ。肩章やボタン、ジャケットの縁取りは金色で施され、腰には昼間の卒業式典で賜った宝剣を佩いている。洗練された身のこなしと圧倒的な存在感は、とてもじゃないけれど成人した、卒業したばかりの青年には見えない。
「アレク様、とても素敵ですわ」
その姿の凛々しさに思わず見惚れてしまい、思ったことをそのまま口にした。
「ありがとうございます」
前髪を上げているからか、顔を赤くしたアレク様の顔が丸見えだ。赤くなったのが恥ずかしいのか、彼は口元を手で覆った。
「ユフィールも、その、とても……綺麗です」
「あ、ありがとうございます」
私にもそんな言葉を掛けられ、こちらも恥ずかしくなる。顔が熱くなり俯いた。視界の隅で、アナが静かに部屋を出て扉を閉める姿が目に入った。
「……ユフィール」
(うわ……)
彼の落ち着いた声が私の名前を呼ぶ。そのことに慣れていないのもあるけれど、熱の込められたその声にこちらの体温も上がる気がした。なんだか胸の奥がムズムズと落ち着かない。
白い手袋をしたアレク様の手が、私の手を取った。
「本当に、とても綺麗です」
「あ、ありがとうございます」
「これも」
もう片方の手で、スルリと耳元のピアスに触れる。大振りなエメラルドのピアスに小さなパールがいくつかぶら下がるそのデザインは、高価なものだけれど大げさなものではなく、シンプルで気に入っている。
耳元でちり、と小さく音が鳴り初めて、耳まで熱いことに気が付いた。
「僕の色ですが、嫌ではないですか」
「い、嫌だなんて! とても、その、嬉しいです。私なんかにはもったいないわ」
「なんか、なんて言わないで」
アレク様の手がそのまま顎を捉え上を向かされた。
エメラルドの瞳がまっすぐに私に向けられている。そう、この瞳だ。初めて会ったあの日も私に向けられた瞳。どうして私をそんな瞳で見るんだろう?
「あなたは僕の大切な人です。とても美しくて、優しい人」
「ど、どうして」
そんなことを思うの、と言おうとして。
アレク様の手が私を引き寄せ、その腕の中に閉じ込められた。
「!」
「ユフィール」
突然のことに返事もできず身体を硬くすると、アレク様の掌が宥めるように私の後頭部をするりと撫で、そのままぎゅっと抱きしめた。
アレク様が深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
抱きしめられた彼の腕の中で、頬を寄せた身体からものすごくドキドキと心臓が鳴っているのが聞こえる。私の心臓の音かもしれない。
「……すみません、少しだけ」
彼の囁くような、小さな声が頭上から降ってきた。
「は、い」
私はそれ以上何も言えず、ただ黙ってその腕の中で目を瞑った。