「すみません、あなたが近くまで来ていると思うと……どうしても、すぐにお会いしたかったんです」
「お、お忙しいのに申し訳ありません」
「いいえ、僕のわがままです」
ふふ、と目許を赤らめ笑うアレク様の姿に、周囲から黄色い声が上がった。恥ずかしさに目を逸らしたいのに、緑に輝く強い瞳から目が逸らせない。
「ユフィール」
「は、はい」
そこでピタリと動きを止め、じっと私を見つめたアレク様は身を屈め顔を寄せた。
その距離にどきりと心臓が鳴る。
ものすごく顔がいい。これは令嬢方が私に嫌味を言うのも頷ける。それになんだか、いい匂いがする。
なんとか第三者の目線で観察するつもりで冷静さを保とうとするけれど、この方の美貌の前では上手くいかない。
「……顔色が悪い。まだ体調が悪いのですか?」
「いいえ、大丈夫です。なんだか緊張してしまって……」
「そうですか……無理はさせたくないのですが、でも来てくれてありがとうございます。……嬉しいな」
もう一度私の手を持ち上げ手の甲に口付けを落とし、そのまま私を見上げるように瞳をこちらに向ける。
何かしらこの威力……! なんか出してます?
「もう行かなくては。では、また後で」
「は、はい」
さっと礼をすると、周囲のご令嬢方の甘い視線などには目もくれず、アレク様は颯爽とその場を立ち去った。
「……ここまでよく耐えたと思うわ」
夫人がポツリと呟くのを振り返り、言葉の意味を汲み取ろうとしたけれど、口許を扇子で隠しているのでよくわからない。
あの晩以来久しぶりにお会いするサーシャ様は、自分に声をかけてもらえなかったのがショックだったのか、青い顔をして俯いたまま。
『まだ体調が悪いのですか?』
(……まだ?)
「さあ、中に入ろう」
閣下の促す声に私たちは会場へと足を向けた。
卒業式の会場となる大ホールに通され、侯爵夫妻とサーシャ様に続き貴賓席へと案内される。
大人しく座っているのだけれど、周囲の視線が痛い。
当然だろう、今日の主役と言ってもいい卒業生代表のアレク様が、リハーサルや準備を抜け出してわざわざ私を馬車まで迎えに来てくれたのだ。目立って当然。
ヒソヒソと扇子で口許を隠しながらこちらをチラチラ見て話しているご令嬢方の会話には、きっといい評価など含まれないだろう。
はあ、とため息を付きたいのを目を瞑りこらえていると、夫人がトン、と私の腕に閉じた扇子で触れた。
「気にすることはないわ。堂々と顔を上げなさい」
「……はい」
その言葉に、お腹に力を入れて背筋を伸ばした。
*
式典が行われる演武場は昔から剣技の大会なども行われる場所らしく、卒業生の関係者は会場を囲むように誂えられた席に座り、高い位置から式を見下ろすようになっている。
しばらくして会場の一角に整列した楽団が入場し、それぞれの席についた。指揮者が最後に現れ、静かに両手を上げる。これから卒業式が始まるのだ。
のんびりした空気が流れていた会場の雰囲気が、一気にしんと静まり返った。
(――初めてなのに、なんだか懐かしい)
それはきっと、前世で経験した卒業式を思い出させるからなのだろう。
整列し、一糸乱れぬ行進で入場してくる騎士服を纏った卒業生たち、名を呼ばれ堂々と卒業生代表として近衛隊隊長から宝剣を授かるアレク様。
彼らの姿を見て、前世の自分が教員としてこの光景を見たのか思いを馳せる。
ぼんやりとしていて形を持たない郷愁の想いが、なぜか強く胸に迫った。
*
演舞場を出て外で待っていると、式を終えた卒業生たちがマントを翻してわあっと入口から駆け出してきた。
彼らは家族や知り合いが囲む前庭に集まると「せえの!」という掛け声とともに、被っていた学園の帽子を空高く投げる。
周囲を取り囲む人々から上がる歓声、拍手。
長い道のりを共に過ごした友人たちと抱き合う人、家族の元へとすぐに駆けていく人、婚約者だろうか、涙ぐむ女性を抱きしめる人。
それらをぼんやりと眺めていると、人混みをかき分けアレク様が駆け寄ってきた。
「父上、母上!」
「おめでとうアレク」
「ありがとうございます!」
「よく耐えたな」
「はい、おかげさまで。お二人のおかげです」
「心にもないことを言うな」
「ははっ!」
両親と抱き合い笑顔を見せるアレク様。晴れやかでとても美しい笑顔に、見ているこちらもとても誇らしく嬉しい心地がした。
なんだかお邪魔なような気がして、少しだけ下がってご家族の姿を目に焼き付けるように見つめる。
「お、お兄様、ご卒業おめでとうございます」
サーシャ様が嬉しそうにアレク様に声を掛けると、両親から身体を離したアレク様はサーシャ様のこともぎゅっと抱きしめた。
「ありがとうサーシャ」
嬉しそうに頬を染めたサーシャ様も、ぎゅうっとアレク様を抱きしめ返す。
(よかった、やっと笑顔を見ることができたわ)
あの夜以来、晩餐にも参加されずずっとお部屋に籠もられていたサーシャ様。酷い言葉を言ったかもしれないけれど、やはりまだ子どもなのだ。大好きな兄上に会えて、心が少しでも救われているといいのだけれど。
「――ユフィール」
微笑ましい気持ちでお二人の様子を見守っていると、アレク様が私を見た。
その真っ直ぐな瞳にどきりと心臓が鳴る。
アレク様は私の前に立ち、両手をそっと取った。白い手袋越しでもアレク様の熱が伝わるようで、私の顔も熱くなる。
「あ、アレク様、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。ここまで頑張れたのもユフィール、あなたのお陰です」
「そんな! 全てアレク様の努力の成果です」
「いいえ、あなたがいなければ僕はこんなに努力はしませんでした。あなたが僕の全ての原動力です。だから……ありがとう、ユフィール」
アレク様はそう言うと、私の両手を取ったまま背中を丸め、私の頬に柔らかく口付けをした。
「……!!」
周囲から悲鳴のような声とヒュウっという口笛が鳴る。何故か拍手まで聞こえてくる始末。
突然のことに、私は完全に身体を硬くした。
こんな大勢の前で口付け……! しかも、七年ぶりの再会で!?
「アレク、間を詰めるのが早すぎるわよ」
夫人の呆れたような声に、アレク様は身体を起こすと私を見つめながら目許を赤らめニッコリと笑った。
「この七年間、僕がどれほど耐えてきたかご存知でしたら、これでもまだ随分と我慢していることがわかるはずです」
理解するにはやや時間が欲しいその言葉と背の高い美しい男性の顔を見上げ、私は七年という歳月を痛感したのだった。