今日は、いよいよアレク様と会う日だ。
緊張のためか昨日の夜は中々寝付けず、それでは翌日に響くからとアナにマッサージやほんの少しのワインを用意してもらい、なんとか寝付いた。夢は見ないだろうと思っていたのに――、夢の中で、彼に会った。
(昨日は、あまり見たくなかったわ)
今日はアレク様のために心からお祝いを言いたい。
なのに、昨日の高槻レンの様子が気になって、そのことばかり考えている。なんだかいつもと違い寂しそうで笑顔も元気がなかった。
(前世のことなのよ。もう会えない人のことを気にしてどうするの)
そう思いながら、今夜はまた彼の夢を見るだろうか、その時はまたあの明るい笑顔を見せて欲しいと願う自分がいる。
夢で会うことを楽しみにしているのだ。
(きっと、物語の続きを気にするような、そんな気持ちなのよ。主人公に肩入れしてしまったのね)
どちらかと言うと推しに肩入れしている、のかしら。
そんなふうに前世の言葉で色々と今の自分の気持ちを言語化しようとしていると、カタンと扉の外で物音がした。
「アナ?」
扉の向こうに声を掛けるが返事がない。不思議に思い扉を開けても、そこには誰もいなかった。
「気のせいかしら……、あら?」
ふと、足元に白い封筒が置かれているのを見つけた。
「手紙……?」
ここは侯爵家の屋敷だ。外部の人間が入り込むようなことはないだろう。
(誰かが落としたのかしら)
室内に戻り扉を閉める。
封筒には何も書かれておらず、誰宛かわからない。しかも封をした跡がない。
(どうしよう、中身を少し確認してもいいかしら)
深く読まなければ平気だろうか。
出だしを確認して、分からなければヘンリーに渡そう。
そう思い中身を取り出すと、シンプルなカードが一枚。そこには。
「……え…………?」
私はそのまま、崩れるようにソファに座り込んだ。
カタカタと小さく身体が震え、目の前が暗くなる。指先が冷え、手にしているカードを落としそうだ。
(どうして、なんのこと? これは……なにを、言っているの?)
震える唇を押さえるように掌で覆った。
叫び出しそうな衝撃が全身に走る。
『前世で果たせなかった約束を今世で果たしましょう――』
そしてカードの最後には、こう書かれていた。
『親愛なる、ゆふ先生へ』
――と。
*
「お嬢様、本当に大丈夫ですか?」
何度目かわからないアナの心配する声に、笑顔で大丈夫だと答えるけれど、上手くできているかわからない。
「大丈夫よ、そんなに心配しないで」
「でも……」
「ほら、着いたみたいだわ。さすが侯爵家の馬車ね、優先順位が高いみたい」
卒業式が行われる騎士学校の演武場前には多くの馬車が乗り付けていた。侯爵家の紋章が付いたこの馬車は順番を待ち並ぶ多くの馬車をゆうゆうと追い越し、あっという間に会場へと到着した。
侯爵夫妻とサーシャ様は前の馬車に乗り、先に降りる姿が見えた。
「私たちも行きましょう」
アナを促し、馬車の扉が開いて先にアナが降りるのを確認し、一人改めて息を吐きだした。
(さあ、今はアレク様のことを考えて。お会いしたらちゃんとお祝いを述べなくては)
今朝のあのカードを見てから、ずっと心臓が変な音を立てている。意味が飲み込めず、カードに書かれた文字を何度も何度も読み返した。
そしてどうしても同じ疑問に辿り着く。
――これは誰が書いたの?
この人は、私が前世の記憶を持っていることを知ってる?
この人も、前世の記憶がある?
『親愛なる ゆふ先生』
私をゆふ先生と呼ぶ、あなたはまさか――
ふる、と頭をひとつ振り、瞑っていた目を開く。
今夜もきっと夢を見るだろう。ここに来てから見ない日は一度もない。
もしかしたら、だからこそ夢を見るようになったのかもしれない。
近くに、彼がいるから突然思い出したのかもしれない。
(いたとして、どうする?)
高槻レンの生まれ変わりがいてその人に記憶があったとして、何も言ってこないのはどうして?
前世の話なんて誰にもしたことがないのに、私を見て、すぐに白橋ゆふだと思ったのはどうして?
私に前世の記憶があると確信があるのに、白橋ゆふだと確信があるのに話しかけてこないのは、私がアレク様の婚約者だから――?
「――ユフィール」
馬車の入口から差し込む光が翳る。
少し低く、けれど落ち着いた心地いい声が私の名前を呼んだ。
俯いていた顔を上げると、入り口を塞ぐように濃紺の制服にマントを纏った一人の男性が、身を乗り出し馬車に半身を入れ手を差し出してきた。
(……この方は)
「ユフィール、……手を」
差し出された白い手袋をした手に、何も言えず黙って手を乗せると、美しい動きで私を立たせ馬車から降りた。
私を見つめる強い瞳から目が離せない。
「……お久しぶりです」
帽子の下にある銀色の髪が風に吹かれふわりと揺れ、馬車の中では暗く翳っていた翠玉の瞳が、今は陽の下に晒され美しく輝いている。
そしてあの、強くまっすぐな視線が私を射抜いた。
「……アレク様?」
そう名前を呼ぶと、目の前の見上げるほど背の高い男性は私の手を取ったまま嬉しそうに破顔した。
「はい。やっと会えましたね、ユフィール」
子供の頃の面影をわずかに残した笑顔で、アレク様は私の手の甲に口付けを落とした。