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第16話 夢3


「ゆふセンセ、字がきれいだねえ」


 一年生の教室でメモを取っていると、背後から突然声を掛けられた。

 これも毎日のことで、もう慣れたものだ。


「毎日毎日……飽きないね、君も」

「普通にガッコでゆふセンセに話しかけてるだけだよ」

「予備校はどうしたの」

「ん、受験生の授業開始時間は遅いの」

「友達は?」

「予備校で自習してる」

「君もしなさいよ!」

「まあまあ。ちゃんとするから」


 私の向かいで椅子を引き出すと跨るように腰かけ、背もたれに腕を載せる。長い手足を持て余したその姿は日本の学校に合っていなくてちぐはぐだ。


「寒いね~、雪降るかな」

「もういつ降ってもおかしくないね」

「俺さ、子供の頃は小説家になりたかったんだよね」

「へ?」


 突然の告白に思わず日誌から顔を上げた。いつも彼は文脈なく話し出す。時についていけないことがあるけど、それでも面白くてつい聞いてしまう。

 高槻レンは背もたれに乗せた腕に頬を寄せて、窓の外を見ていた。

 薄暗い教室に曇天の空が鈍い明かりを放ち、陰影の濃い横顔を浮かび上がらせる。その横顔がいつもより大人びていて、なんだか落ち着かない。

 廊下から、わあっと誰かが盛り上がり笑っている声、遠くから吹奏楽部の調音の調べが響き、確かにここには多くの人々がいるのに、まるで静かな世界に二人きりのような錯覚を起こした。


「姉ちゃんが書いてるっていうのは関係なくてさ、ただ文章書くのが好きっていうか……それで食ってこうと思ったわけじゃないから、将来設計に入れてないわけ」

「将来設計」

「大事でしょ、生きて食ってかなきゃいけないし」

「そう、だね」

「ゆふセンセは? ずっと教師になりたいって思ってた? なんかこう、クリエイティブなことしたいって思ったことない?」

「クリエイティブ」

「ものを生み出す力ってさ、すごいと思うんだよ! 姉ちゃんもそうだけど、自分の中にあるものを形にして、人に見てもらって、そしてそれがもしかしたら感動を与えたりするかもしれないでしょ。作り出してなければ感じる必要がなかった辛いこととか、なんか上手くいかない藻掻きとかもあるけどさ、そういうの全部ひっくるめて、それでも作り出す、生み出すってさ、すごくない?」


 言いたいことはわかる。

 創作する、生み出すということは、どんなジャンルであれ他者の才能や熱意に当てられ、苦悩や劣等感、自分が抱えている欲望、認められたいという欲求を目の当たりにする。様々な感情を、知らなくてもいいのに知る羽目になるのだ。

 それは生きにくいと思う。だけどそれでも、生み出そうと足掻く。


「一度アウトプットすることを覚えちゃうと、自分に才能がないと思って諦めるのは簡単じゃないでしょ。外に出したいものが毎日自分の中で生まれてきてさ、それを出さない苦しみの方が、俺は辛いと思うんだよね。だからどんなに報われなくても、みんな藻掻きながら書いたり生み出したり、作り出したりするんだよ」


 ピーっと体育館から笛の音が聞こえる。上靴がキュッとなる音、誰かの掛け声、拍手。


「高槻くんは物語を書いたことがあるの?」


 いつの間にか手が止まり、彼の顔をじっと見つめていた。

 こちらに顔を向けた彼は、ははっといつもより覇気がない笑顔を見せた。


「あるよ、小学生の時に。ただそれを友達に見られて、めっちゃ馬鹿にされたんだよね。俺、ハーフでしょ? なんかこの顔でそんなことしてるのがダサいって言われてさ。クラスのみんなに晒されて、担任にも笑われて。今じゃ全然意味分かんねえって怒れるけど、そん時はすげえ恥ずかしくて。それっきり、やめちゃった」

「……読みたいな」


 素直にそう口にすると、高槻レンは驚いたように目を丸くした。


「え、TL?」

「ぶっ、ふふっ! なに、TL書くの? いいよ、君が書いたものなら、なんでも読んでみたい」

「ええっ!? センセに俺が書いたエロとか見せんの意味わかんない!」

「そこは薄目で読むから」

「ナニソレ必死じゃん!」


 わはは! と声を上げて笑った彼は、はあっと息を吐き出し腕に額を乗せて顔を伏せた。


「でも、そう? そうなの? ……そっか」


 彼はもう一度「そっか」と言うと、腕に顎を載せて私を見上げた。薄暗い明かりで見る彼の瞳は緑にオレンジ色の虹彩が光る。


「そこはさ、なんか「酷い先生だね!」とか「周りの言うことなんて気にしちゃ駄目!」とか言うもんなんじゃないの? センセーなら」


 彼のその言葉にひとつ首を傾げる。


「言ってほしいの?」

「いや別に」

「何それ」


 タブレットの画面を閉じ、ちょっと考える。確かに彼のその出来事は酷く辛いことだ。


「――でもさ、君はそれを乗り越えたんじゃない? 思い出して嫌な気持ちになるかもしれないけど」

「まあね、今なら堂々とできるよ。そんな他人の好きなもの笑うとか俺嫌いだし」


 ピヨッと唇を尖らせる彼は瞳をくるりと上へ向けた。子どもみたいな様子にふふっと笑ってしまう。


「確かにしなくてもいい経験だと思うし、最悪だなって思うけど、君の多様性っていうか他人のセクシャリティをさ、理解できなかったとしても馬鹿にせず尊重するおおらかさが私は凄いことだと思う」

「お、褒めてる?」

「そ、褒めてる。それがそういう中で学んで得たものなら、君にとってステップアップするためのキッカケだったんだろうね」


 すごく無責任な考えかもしれない。辛い気持ちになったのは彼なんだし、とてもその心に寄り添えているとは思えない。でも。


「私は今の君がとても素敵だと思う。そんな目にあっても卑屈にならず、優しく在れるなんて素晴らしいことだよ」


 本当に、そう思ったのだ。

 黙って話を聞いていた彼は、「えへ」と腕に顔を埋めた。


「何それ、べた褒めじゃん!」

「何か今でもムカついててそいつらマジでなんとかしたいって言うなら話聞くけど」

「うわ急に武闘派ゆふちゃん」

「いいじゃん、そんなちっさい奴らなんて踏み台にしてさ、君は君のレベルを上げなよ」

「踏み台」


 あはは、と声を上げて笑うと彼は顔を上げ背筋を伸ばした。


「……ありがと、ゆふセンセ」


 その言葉と優しく細めた瞳にドキリと心臓が小さく鳴る。

 今の言葉は私が素直に感じたことだけど、教師として正しく答えられただろうか。――よかったんだろうか。


「……ねえ、さっきの質問に答えてないよ」

「え?」

「ゆふセンセはクリエイティブなこと、したくなかったかって」


 急な話題の変更に、これ以上踏み込まないほうがいいのだろうと私ももうそれ以上続けるのをやめた。


「あー……、クリエイティブっていうか」

「ん?」

「…………小説、書いたりは」

「やっぱり~!?」


 嬉しそうにガッツポーズをする高槻レン。何がそんなに嬉しいんだろう。なによ、やっぱりって。


「俺読みたい!」

「え、やだ」

「なんでよ! 俺の読みたいってさっき言ったじゃん!」

「う」

「ね、じゃあさ、俺もなんか書くから見せ合いっこしようよ!」

「ちょっと言い方!」

「短編は? あ、じゃあお互いの読んで意見出し合うとか」

「君、受験生でしょう!」

「え~! ほらなんか、五千字くらいで! ね、ね!」

「簡単に言わないで」


 机に広げていた日誌や資料をバサバサっとまとめ、机の上で乱暴に揃える。おかしなことを口走ってしまった。危ない危ない。逃げるように片付けを始める私に彼は「ねえねえ」と付き纏う。


「馬鹿なこと言ってないで、まじめに勉強しなさいよ」

「してるって! ちゃんとするからさ。ね、お願い! 付き合ってよ、ね?」

「なにそれ小学生?」


 この通り! と手を合わせて頭を下げる彼を呆れた気持ちで見下ろす。


「本気で言ってるの? あのさ、私これでも国語教師目指してるんだよ?」

「だから採点してほしいんじゃん。ゆふセンセの忌憚なきご意見を賜りたいわけよ」

「お姉さんに見てもらえばいいでしょう!」

「いや身内は恥じいでしょ」

「TL買いに行くくせに?」

「それは別にいいの」

「いや、そっちのがキツイと思うけど」

「じゃあさ、センセの実習終わるまでに俺、書くから。まず読んでよ、ね!」

「う、わ、私は」

「ゆふセンセは俺の読んでから自分がどうするか決めてよ」

「そんなの」


 見せるわけない。

 そう言おうとすると。


「俺さ、ゆふセンセなら読んでもらいたい。きっと俺の書きたいこと、センセなら伝わると思うんだー。コタローを撫でるセンセを見て、なんかそう思った」

「……」


 そんなずるい返事が返ってきて。

 ――やっぱり、何かあったの?

 そう言葉が出かかった。

 なんだかいつもと違い、やっぱり少し元気がないように思った。でも、本人が何も言わないのにプライベートなことに踏み込むのはよくないように思い、留まる。


「……はあ、わかった。いいよ」

「ほんと!?」

「わかったよ、いいよ読む」

「マジで!? 約束ね! ね!」

「ん、約束する」


 彼は「やった!」とガッツポーズをして立ち上がると、「あ!」と突然声を上げる。ほんと、色々忙しい子だ。


「ゆふセンセ、見て、雪だよ」

「えっ、うわ、ほんとだ」

「うわー、これ積もるかなぁ」

「どうかなぁ。ねえ高槻君、自転車でしょ? 危ないからもう帰りなさい」

「あー、うん、俺もう少し勉強してから帰る」

「……まさか待つつもりとか」

「ゆふセンセを待ってるわけじゃなくて、毎日たまたま、センセと帰る時間が重なるだけだよ」

「……」


 ふっと笑うと、彼は嬉しそうに笑った。


「そんじゃセンセ、また後でねー」

「結局後で会うんじゃん!」


 ひらひらと手を振りながら、高槻レンはそのまま教室を後にした。


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