――親愛なるユフィール嬢
お元気ですか。
学園に入学して一週間が経ちました。少しずつ寮での生活にも慣れてきましたが、まだまだ知らないことが多く、日々発見や驚きの連続です。
今日は寮生たちと一緒に掃除をしました。
新入生は自分たちの部屋だけではなく、先輩たちの指導の元、学園内のありとあらゆる場所の掃除をするのです。
掃除を初めてする者も多かったのですが、みんなで苦労しながら片付けをするのは案外楽しいものでした。
僕は窓を拭き上げました。磨いてきれいになっていくのが楽しくて、すっかり夢中になってしまいました。
掃除や片づけが済むと、今度は先輩方が歓迎会を開いてくれました。
料理が上手な先輩もいて、ご出身の郷土料理をごちそうになりました。とても美味しかったです。
同期の生徒たちや先輩方の出身地の話を聞いて、いつか行ってみたいと強く思いました。
行ったことのない場所、見たことのない風景、そういう新しいものを見たり聞いたりすると、僕はいつもワクワクします。
そしていつか行ってみたい、自分の目で見てみたいと思うのです。
ユフィール嬢は旅行や他国の文化に興味はありますか? あるととても嬉しいです。
来週からは本格的に訓練が始まります。
遅れを取らないよう、しっかりと挑みたいと思います。
またすぐにお手紙を書きます。
ではまた。
アレク
* * *
――これは、初めてアレク様から受け取った手紙。
婚約式の後、すぐに学園に入学したアレク様は、忙しい学園生活の中でこまめに手紙を出してくれた。
全寮制という慣れない環境で大変だろうに、私に宛てて書いてくれたことが嬉しくて、私もすぐに返事を出した。
そしてこの手紙は小さな本に挟み、いつも持ち歩くようになった。そのせいか、四葉の柄が入った封筒は角が少しだけ草臥れている。それでもお守りのように持ち歩くことをやめられず、気が付くと無意識に指でなぞっていた。
「お嬢様? どうかされましたか?」
アナの声にぼんやりしていた私は現実に引き戻された。
「いいえ、ちょっと考え事をしていただけよ」
「まだ体調がすぐれないのでは? なんだかお元気もないですし、食欲もあまりないようですけれど……」
「大丈夫よ。ほら、アナもせっかくなんだから食べるといいわ」
今日は領地のみんなへお土産を買うために、街を歩きたくさんお店を回った。
目についた店や気になった店に入り、眺め、アナと話しながら買い物をするのはとてもいい気分転換になった。
そして足が疲れてきた頃、護衛騎士のハンスが連れてきてくれたここは王都で人気のカフェテラス。
さわやかな初夏の風が吹くテラス席にはパラソルが設置され、人々が楽しそうに話しているここは、アレク様が是非にと手配してくださったそうだ。
用意された席について、おすすめのパンケーキを頼み口にすると、甘いシロップが口の中に広がり、疲れた身体に染みていくような気がした。
ここに来るまでの間にアナも同僚たちに頼まれていたお土産をしっかり買えたようで、満足げだ。
「それにしても凄い量ね」
アナの横にある袋の山を見て思わず苦笑する。
「騎士様が荷物を持ってくださってとても助かりました」
今は隣の席で紅茶を飲む騎士は、こちらを見て小さく頷いた。相変わらず無口な人だけれど、領地から今日までずっと行動を共にしていると、彼がとてもまじめでいい人なのだとわかる。
先ほども、小さな子供向けのおもちゃを買っていた。聞くと、家には五歳のお嬢さまがいるのだとか。その子へのお土産なのだと、頬を緩め話していた。
「ところで、頼まれたものばかり買っているけれど、自分のものもちゃんと買ったの?」
「自分のもの?」
きょとんと私を見返したアナは、くるりと瞳を上に向けた。
その仕草に懐かしいものを感じてドキリとする。
(やだ、違う人なのに)
夢の中の高槻レンと、同じ動き、仕草。
そんなことを思ってしまうほど、私はもうずっと彼のことを考えている。
(どうしちゃったのかしら、私)
誤魔化すようにカップを傾け紅茶を飲むと、アナはあはは、と笑いぽりぽりと自分の頬を掻いた。
「なんだか買い物ばかりしていたら満足したというか。何かを欲しいと思う暇がなくて」
「欲がないわね」
「でも、楽しかったのでいいんです!」
そんなふうにきらきらと笑う笑顔が眩しくて、ふわりと心が軽くなる。ふふ、と釣られて笑うと、鞄から小さな箱の包みを取り出し、アナの前に置いた。
「じゃあこれ、貴女に」
「え?」
白い箱にミントグリーンのリボンが結ばれたそれは、先ほどアナが立ち寄った店の隣のもの。ウィンドウに飾られたそれが、彼女の雰囲気にぴったりだと思ったのだ。
「え、ええ!? こここれを私に!? で、でも」
「貴女にとても似合うと思って。受け取ってもらえるかしら」
アナはおろおろと視線を泳がせ、「でも」とか「どうしよう」と困惑した様子を見せたけれど、意を決するようにその箱を手に取ってリボンを解いた。
白い天鵞絨のクッションに収められているのは、金色のリボンの形をしたネックレスだ。真ん中に小さな誕生石が嵌め込まれている。
「いつもありがとう、アナ。貴女のおかげで、ここでも楽しく快適に過ごせているわ。それはほんの、感謝の気持ちよ」
「お、お嬢様……!」
「しまい込まず、ちゃんと身に付けてね?」
「あ、ありがとうございます……!」
アナは感激したように震え、瞳を潤ませて箱を抱き締めた。
「お、お嬢様あの、差し出がましいのですけれど……」
「なあに?」
アナは箱を丁寧にリボンを結んでもとに戻すと、壊れ物を扱うようにそっと自分の鞄にしまった。
「私なんかにこんな高級なものをお選びいただいて……婚約者様には、その、何か買われたのですか?」
「……そう、ね」
その言葉に思わず苦笑する。
「申し訳ありません、ずいぶん悩んでらっしゃるようだったので、その」
「いいのよ、気を遣ってくれてありがとう」
そう、それは本当に迷っていた。
私がアレク様からもらったものは、私の資産ではなかなかお返しできないようなものだ。同等のものをお返しするのは無理だけれど、彼に相応しいものを選び買おうと思っていた。
けれど、品物を見てもアレク様のお顔が分からなくてはどうにも選べないのだ。
私の中にいるアレク様は美しい銀髪の、翠玉のように輝く大きな瞳を持った少年だ。大人になった彼にどんなものがふさわしいのか、いまいちピンとこない。
そして、ウィンドウに並ぶ品物を見るたびに思い浮かべるのは、いつも夢で見る、高槻レンの笑顔。
(こんな気持ちで選んだ祝いの品を、アレク様が嬉しそうに受け取られたら)
そして笑顔でありがとうと言われたら。
(そんな酷いこと、できるわけがないわ)
アレク様のお顔がわからなくても、とても優しくて人に気を遣える素晴らしい人だということはわかる。
そんな彼の気持ちに応えた品を選びたいと思っているのに、なんだか気が散ってしまい決められないままでいた。
婚約者失格だ。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
「……アレク様は私と婚約して、本当に良かったのかしら」
思わずぽつりと呟くと、アナが信じられないものを見るような形相でテーブルに身を乗り出してきた。
「お嬢様! あんな小娘たちの言うことなんて気にしてはだめです!」
「小娘って」
「お嬢様と婚約者様はこれまでしっかりと交流されてきたではありませんか! それはお二人だけのかけがえのないものです!」
「アナ……」
「離れていても婚約者様は誠実な方でした。もしお嬢様を悲しませるようなことをする方なら、私が黙っておりません! 代わりに殴ってやります!」
「まあ、騎士を?」
ふふ、と笑うとアナは「騎士だからなんだっていうんです!」と腕を組み憤った。
「ありがとうアナ。違うのよ、ただちょっと……、自信がないの。私は本当にアレク様に相応しいのかしらって」
「お嬢様しか有り得ません!」
「ふふっ、自信満々ねえ」
「お嬢様のように思慮深くて愛情深い方は、国中どこを探してもいらっしゃいません!」
「そ、それはありがとう……?」
「お二人はとても想い合っています。私にはわかるんです!」
「まあ、ふふ! そうなのかしらね」
「そうですとも!」
何がアナをそう信じさせるのだろう。
わからないけれど、確かにこれまで一度だってアレク様のことで辛いと思ったことはない。それほど、大切にしてきてくれたのだ。
だからこれは私のわがままなのだ。もっと真剣にアレク様のことを考えなくてはいけない。
「お嬢様、もう一度お店を見てみましょう! きっと婚約者様に相応しい、素晴らしい品物と出会えますよ!」
「……そうね、もう少し見てみようかしら。何か見つかるかもしれないものね」
「はい、そうしましょう!」
隣に座るハンスが、小さく息を吐き出し紅茶を飲み干した。