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第14話 アレク2


 騎士学園卒業を控え、慌ただしい日々を過ごしている今この瞬間も、すぐ近くに、屋敷にユフィールがいるというのに会いに行けないジレンマ。

 それだけでも十分僕には大きな苦痛だというのに、初めてユフィールからなんの返信もないことに、情けないが不安でたまらなかった。

 会えない、顔を見ることができないというのは、不安な時には余計な憶測ばかりしてしまうものだ。それはこの七年間で学んだことだが、ではそんな時どうするのが正解なのか、それは未だにわからない。

 だが、ただ待つだけでは何もわからないまま。

 僕は報告を聞くために、ユフィールに付けている護衛騎士ハンスを寮に呼び寄せた。


「――倒れた?」


 そしてそこで初めてハンスから聞いた、彼女が気を失い倒れたという報告に、ぞわりと全身から血の気が引いた。

 そんな時にそばにいられなかった自分とこの状況に苛立ちを覚え、腰掛けていたソファの肘掛けをぎゅうっと握りしめる。革張りのソファが、ギシッと音を立てた。


「医師によると貧血とのことです」

「貧血……」


 彼女がこちらで安全に過ごせるよう、領地のご両親に許可を得て健康状態については確認している。

 特に気をつけることはないと主治医からの手紙ももらっていたが、遠方からの移動がやはり体に負担をかけたのかもしれない。良かれと思って街の案内をハンスに頼んだのだが、そう急ぐ必要はなかったと自分の不甲斐なさに申し訳ない気持ちになる。


「ご本人は少しお休みになり、すぐに回復されました。食事も美味しいと、しっかり召し上がっているそうです」

「――本は買えた?」

「お買い上げになる前に倒れてしまったので全てかわかりませんが、その時手にしていたものは侍女殿と一緒に確認し、購入して屋敷に届けています」

「そうか、よかった」


 彼女は昔から読書が好きだ。

 これまで度々、王都で流行っている本や彼女の好きそうな本を贈ってきた。そういう時は彼女からすぐ、まだ領地では手に入らない、ありがとう、嬉しいと喜びの手紙を貰った。そんな時の彼女の文字は嬉しさに溢れ、弾んでいる。僕はそんな手紙を受け取るのがとても嬉しかった。

 彼女はどんな宝石やドレスよりも、本や美しい万年筆、シンプルだが質のいい便箋などの文具を好んだ。一度、素晴らしいレース職人によるストールを贈ったら、とても喜んでくれた。今も気に入って使っていると手紙にも書かれ、そして今回も出かけるときに身に着けていたと聞き、頬が緩む。


「ところで」

「は」


 僕はソファに深く座り、立ったままのハンスを見上げる。白金色の髪の男は視線を直接合わせることなく、じっと次の言葉を待った。


「倒れた彼女を運んだのは誰かな」

「……」


 場がしん、と静まった。もとより、二人しかいないのだが。

 誰もいないラウンジに、ハンスのゴクリと息を呑む音が響く。


「……自分、です」

「ふうん?」

「じ、侍女殿についてもらい、馬車までお運びしました」

「屋敷についてからは」

「屋敷でも同じように……」

「へえ」

「……」

「……」


 ものすごく面白くないのだが、仕方ない。女性騎士を選抜できなかった僕の責任でもある。

 ハンスは愛妻家で娘思いだから心配はないが、それでも面白くない気持ちになるのは当然だろう。僕はまだ彼女に触れたことなど一度もないというのに、目の前のこの大きな男が触れたのかと思うと腹立たしい。

 その姿を想像しないように他のことに思考を巡らせる。ライアンのニヤついた顔が蘇り、また舌打ちをしそうになった。


「自分は、む、胸当てと篭手を装着しておりました……」

「……」


 まるで呻き声のようなハンスの言葉に僕はぐっと目を瞑った。きっとまた、ライアン曰く怖い顔をしていたのだろうか。眉間を指で揉むと、ものすごく力が入っている。

 大人げないのは十分にわかっている。別にハンスにやましい気持ちなどないことも、わかっている。

 僕はこほん、とひとつ咳払いをすると、これ以上このことについて続けないよう話を変えた。


「……それで、何か他に問題は?」

「離れた場所で警備についていた騎士が、三名ほど怪しい人物を捕えています。すぐに閣下へお知らせし、尋問は終了しました」

「やはり父上も警備をつけていたか」


 すでに捕らえたのなら黒幕が誰かわかっているのだろう。ハンスから他にも怪しい人物がいたとの報告を受け、さらに警備を強化すること、そしてそれらをユフィールに悟られないようにと念を押した。


(自分が警備対象になっていると知ったら、出かけるのを躊躇うだろう)


 ハンスを付けただけでも大袈裟だと笑っていたという彼女。彼女の立場を狙う貴族がいかに多いか、そんなことは彼女に知られたくないし、知る必要はないと思っている。

 今は、せっかく王都まで来てくれたのだ、少しでも楽しい思い出を作ってほしい。

 彼女がこれからも狙われる立場になるということは、もう少し後で話をしたい。心構えについては僕のいる時に、僕が少しづつ話したいと思っている。それまではどうかのびのびと過ごしてほしいのだ。

 ハンスにいくつかの確認事項と警備の追加、そして父への伝言を伝え、改めて彼女が到着してからの様子についてさらに報告を促した。

 そう、それは僕がずっと聞きたかったことだ。


「――はあ……」


 ハンスからその後の報告を聞き、僕は思わず頭を抱えた。

 サーシャがユフィールにいい感情を持っていないのはわかっていたが、そこまでとは。父がずいぶんと厳しく叱責してくれたようだが、本人が理解したかはわからない。

 そして恐らくそれらは、サーシャの幼さの罪であると同時に、ユフィールを蔑んだ令嬢たちにも責はある。


「ガゼボにいた令嬢たちの家名はわかる?」

「はい」


 確かに一度、あの令嬢と夜会でダンスは踊ったことはあるが、それだけだ。一体何を期待してユフィールを蔑むのか理解に苦しむ。ユフィールは侯爵夫人となる人だ。そのような態度でいてはいずれ後悔することになるだろう。

 そして、先に送っていた手紙もドレスも、本人の手元に届いていなかったと知り、ほっと胸を撫で下ろした。

 筆まめな彼女から何の返事もなく、やりすぎだったかと気を揉んでいたが、サーシャがユフィールに届かないよう隠していたという。


(困ったお姫様だ)


 僕とは年が離れた両親念願の女の子であるサーシャが甘やかされて育ったのは否めない。そしてそのせいか、年齢よりもどうしても思考が幼い。

 ご令嬢方のきらきらした世界に憧れ、自分も背伸びをしてその場にいたいのだろうが、そんな下世話な会話しかできないような令嬢方と自分の質を合わせる必要はない。だがここは、僕が口を出さず母に任せるべきだろう。女性の世界というものには、渡り歩くための術があるようだから。

 ――それよりも。


(彼女はドレスを、喜んでくれるだろうか)


 初めて婚約者にドレスと宝飾品を贈った。そして僕は卒業式で、子供ではなく一人の成人した男として彼女の前に立つ。

 僕の用意したドレスを身に纏った彼女の手を取り、初めてのダンスを踊る。もう二度と、彼女以外の令嬢と踊ることはない。

 今まで離れていた分を取り返す。そのためにはどんな手段でも使おうと決め、そのために七年もかけて準備してきたのだ。


(早く会いたい)


 ユフィール。早くあなたに会いたい。

 そしてあなたと、話がしたいんだ。


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