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第13話


 すっきりと目が覚めた。

 重たい瞼を何とか開けて起きるような朝ではなく、瞬きのようにふと目を開き、すぐに身体を起こすことができた。

 天蓋のカーテンをめくりベッドから降りて窓を開ける。見上げた空は薄水色に輝き、小鳥のさえずりと動き出した人々の気配に満ちていた。

 ソファに腰かけ窓から吹き込んでくる朝のひんやりした空気を吸い込み、ふうっと吐き出す。なんとか心を落ち着けようと深呼吸を繰り返してみるけれど、――ダメだった。


(……高槻レンにTL好きがバレた夢……!)


 思わず頭を抱え悶えた。

 どうしてわざわざ人生で一番恥ずかしかった思い出を夢に見るんだろう! 見なければ思い出すこともなかったのに!

 羞恥が蘇り、けれど前世の話だ、何もできることはない。この苦しい羞恥心に一人耐えるしかないのだ。

 呻き声を上げそうになりながら、無意識に視線がベッド脇のチェストへと向く。

 あれに興味を持った自分を今とても後悔している。

 鍵付きの引き出しとはいえ、あの本を持っていることが人に知られたら、またとんでもなく恥ずかしい気持ちになるし、たぶん前世よりも失うものが多い気がする。


(王都で人気かもしれないけど、ここに来たばかりの私がすでに手に入れて読んでいるのってなんか……なんか……)

『いいじゃん、好きなもの好きって堂々としてても』


 複雑な瞳の輝きを持つ彼の声が頭に響く。

 私のこんな悩みを彼が知ったら、明るく笑い飛ばすだろうな。そう思うと、なんだかどうでも良くなってくる。


(――彼がいれば、きっともっと生きやすいのかもしれないわね)


 彼はあの後、どんな人生を歩んだのだろう。

 教師になりたいと言っていた、明るくてよく笑う彼。コミュ力が高くて、肉まんが好きな男の子。


(ふふ、肉まん……)


 ふかふかの肉まんを思い出し、思わず一人で笑ってしまう。本当に毎日買って帰ったな。寒かったのもあるけど、あれは彼が単純に肉まんが好きだったのだと思う。あとコタロー。あの子を撫で回すのが好きだったみたい。

 ふうっと息を吐き出し、窓の外に視線を向ける。

 涼しげな影を落とす梢の間から、まばゆい光が差し込んできた。

 ――あの時のことばかり思い出して、その先の自分のことを思い出さないのは、なぜかしら。

 私はぼんやりと、少しづつ昇る日の光を見つめた。


 *


「まああ! なんて素敵なんでしょう! とてもお似合いです、お嬢様!」


 アナが瞳を輝かせ両手を胸の前で組んだ。なんなら瞳を潤ませている。そんなに? 大げさじゃない?

 促され姿見の前に出ると、確かに今まで身に着けたことのないデザインの、美しいドレスだ。

 あまり派手なものが好きではないことをわかってなのか、シンプルな白一色で編み上げた総レースのドレス。腰から裾に向けゆったりと広がり、ボリュームは抑えめなのにトレーンがたっぷりと後ろへ流れるようになっている。花や蔓を象ったレースには、ところどころに砂粒のようなビーズが縫い留められており、動くときらきらと光り輝く。アンダードレスに灰色がかった光沢のあるキャミソールドレスを合わせ重ねることで、全身が銀色に輝いているように見える。


(これってつまり、アレク様の色、ということよね)


 夫人と同じ美しい銀色の髪を持つアレク様。


『あのドレスを見たら……、いえ、何でもないわ』


 何かを言いかけやめた、昨夜の夫人。


(夫人が言っていたのはこのことね……)


 このドレスを見たら。


(私への執着がわかる……)


 自分でそんな考えに至り、顔が熱くなる。自意識過剰じゃないかしら。単純に侯爵家の一員としての色かもしれないし。

 鏡に映る顔が赤くなった自分から、姿見の横に置いた天鵞絨ビロードの箱へ視線を移す。中には私にはもったいない、高級な宝飾品が収められている。それは、まるでその執着の強い現れと言っていい品だった。


(私なんかにこんな素晴らしいものを準備してくださるなんて……)


 私はその思いに相応しい婚約者なのだろうか。

 チクリと小さく、胸が痛む。


「そちらも身に着けてみますか?」


 アナの楽しそうな声に首を振り辞退する。


「これはいいわ。とても高級なものだし、本番まで取っておきましょう」

「そうですか? でも、ふふ、婚約者様のお気持ちが感じられますね!」

「そう?」

「そうですよ! だって今まではちょっと貴族の贈り物としては控えめなものばかりだったじゃないですか!」

「それは、私がそのほうが嬉しかったからよ」

「でも、婚約者って恋人と同じですよね? だったら宝石のひとつでも渡したいと思うのが普通です!」


 ――恋人。

 アレク様は七年前と変わらず、私をあんな瞳でまっすぐ見つめてくるのだろうか。

 先日のご令嬢方を見るに、恐らくとても人気のある方なのだろう。侯爵家嫡男であり騎士学園を首席で卒業、卒業生代表として式典では近衛隊長直々に騎士の宝剣を授かるそうだ。

 そんなアレク様を年頃のご令嬢方が注目しないはずがない。何としても近付きたいと思うだろうし、その隣を狙うのは当然こと。

 けれど、そんな素晴らしい男性には年上の、私のような田舎から出てきた婚約者がいる。彼女たちにしたら納得もいかないだろうし、嫌味も言いたくなるだろう。


(アレク様と同じ年頃の美しいご令嬢は大勢いるわ。社交の場に出ているのなら、もしかしたらいいお相手と出会ってるかもしれない)


 なぜ私なのか。

 そればかりが頭を過る。

 特になんの取り柄もない私。家柄も特別良いわけでもなく、容姿だって地味で平凡だ。しかも領地は遠く、互いに顔を合わせることもないまま七年もの間手紙のやりとりだけで交流してきた。

 そんな私なんかよりも、何度か出席した夜会で出会う素敵な女性と恋仲になる方が普通だろうと思う。


(ううん、違うわね……)


 手紙だけとはいえ、彼はそんな人ではないと知っている。

 きっとそんな出会いがあれば、すぐにこちらへ言ってくるだろう。

 アレク様とはそのくらい誠実で素敵なやり取りをたくさんしてきた。そう思えるほど、彼の手紙はまっすぐでいつも待ち遠しかったし、私は彼に会えることを、卒業式に参加できるのを楽しみにしていた。

 ――だというのに。


『ゆふセンセ!』


 思い浮かぶのは、彼の……高槻レンの、輝くような眩しい笑顔ばかり。

 私が今会いたいと思うのは夢の中の、彼の笑顔だ。


 ――こんな私が、アレク様の婚約者でいいのだろうか。


 鏡の中のアレク様の色を纏った自分の姿に、言いようのない違和感を感じた。


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