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第12話 夢2


「――センセ、こういうの読むの?」


 わざわざバスと電車を乗り継ぎ、家や高校から離れた本屋へ来たというのに。

 突然背後からかけられた声に、文字通り心臓が跳ねあがった。


「なっなななななん、なん、なななにして……っ!?」

「参考書買いに来たの」


 背後から私の手元を覗き込むように、彼、高槻レンが立っていた。


(ていうか! なんでここに!? なんでこのコーナーに!? 参考書ってフロア違うし!?)


 思わず周囲を見渡し、自分がどこにいるのか確認する。

 こ、ここここってTLコーナーデスヨネ!?

 ヤバいもうだめだどうしよう! こんなところを生徒に見られるなんて!

 絶対週明けの学校で知れ渡ってる! いや今すぐにも写真撮られて学校中に拡散されかねないのでは……!?


(社会的に死んだ、コレ……)


 指先が冷たいのに額の汗がすごい。背中にもぐっしょりと汗をかいている。震える身体を何とか抑え込むようにぎゅうっと力を入れて、なんて言い訳をしようかと考えを巡らせるけど、手に既に持っているのだ、何も言い訳が思いつかない。


「あ、それ新刊でしょ。姉ちゃんに買って来いって言われててさ」

「……は?」

「こっちってさ、ネットで買うより本屋で買う方が早いらしくてさ、センセもそれでリアルに本屋来た?」

「い、いやいやいやいや? え、は? あ、ああ? たっ、たたたか、たかつき、くん」

「あははっ! ゆふセンセ、なんかゲシュタルト崩壊してる」


 けらけらと笑う高槻レンは、「あ、これも買おう」と平置きされているTL本を見て何冊か手に取った。

 お姉さん? え、弟にTL買わせるお姉さん? なんで?


「ちょちょちょ、ちょっとまっ……」

「これね、うちの姉ちゃんが書いたんだよ。この作者、俺の姉ちゃんなの」


 もう何も声が出なかった。あんぐりと口を開いたまま動けない私を見て高槻レンは「何その顔~!」と笑うと、私の手を引きレジへ向かって、さっさと参考書とTL本を同時に購入した。


 *


 そして、今はカフェで向かい合って座っている。何の拷問だろう。


「いやあ、それにしても運命の出会いだよね! 土曜の昼間にセンセに会えるなんて~!」


 そう言って高槻レンはクリームたっぷりのカフェラテをあっという間に飲み干した。これはもちろん私の奢り。

 運命なんて。こんなの神様の気紛れな意地悪だと思う。


「……まだなんか頼みたかったら……」

「もしかして口止めのつもり?」

「うっ……」

「わかりやす!」


 じゃあ遠慮なく~、と高槻レンは店員を呼び、今度はワッフルプレートを頼んだ。甘いものが好きらしい。


「別に口止めなんてしなくても言いふらしたりしないけどね、俺」

「そ、かもしれないけど……」

「大体さ、姉ちゃんに言われて買ってる俺も相当じゃない?」

「それはそう」

「でしょ」


 テーブルに置いた本屋の濃い濃紺の袋をちらりと見て、はあっとため息をついた。なんかもう……なんなんだろう。ほんとに崩壊してる。


 高槻レンは、実習初日の夜に会って以来、なぜか担当学年でもないのに毎日会うようになった。

 廊下ですれ違うたびに「ゆふセンセ!」と挨拶をされ、放課後も仕事をしていると平気で一年生の教室や職員室にやってくる。

 どうやら普段から素行がいいようで、先生方の覚えもめでたく可愛がられている様子だ。田中先生とも楽しそうに話している姿を見て、それだけで私の中で彼に対する信頼度が増した。そもそもそれがよくなかったのだろうけど。

 そして毎日、私をあの遠いバス停まで送った。コタローに挨拶をして、肉まんを買って帰る。受験や志望校の話をして、どんな塾に通っていたのか聞かれ、アドバイスをする。そんな毎日だった。


「お姉さんって……」

「うん、TL作家。ラノベも書いてるけど」

「そう……」


 深いため息をつく。そのままテーブルに突っ伏してしまいたい。


「さっきの本屋ってさ、無人レジじゃん。さすがの俺も知り合いがいるかもしれない本屋で買いにくくてさ。姉ちゃんがTL作家って説明するのもなんか面倒だし」


 確かにセルフレジの本屋は増えてきたけれど、高校や実家周辺にはまだない。そういうこともあってこっそり足を延ばしてここまで来たというのに。

 それにネットで買うよりも本屋で並んでいる中から買うのが好きなのだ。そんなこだわりが自分の首を絞めたのはわかってるけど!


「ねえ、なんかそんなに落ち込まないでよ。恥ずかしいことじゃないって」

「……恥ずかしいでしょ……他人に知られたのだって初めてだし……」

「そうなの? まあ、あんまりリアルでそういう趣味の話はしないか」


 何も言えずブラックコーヒーを飲んでいると、ワッフルプレートが運ばれてきた。たっぷりの生クリームにチョコレートソースがかかっていて、ちょっと見ているだけでお腹がいっぱいだ。高槻レンは行儀よく手を合わせ「いただきます」と言うと、きれいにナイフで切り分けた。育ちがいい子なんだな。


「俺はさ、どんな趣味でも恥ずかしがることないと思うよ。でもそういうのを馬鹿にしたり嫌がる人がいるのもわかってるから、あんま表に出さないだけでさ」


 大きな口を開けてきれいにどんどんワッフルを放り込んでいくのを、ぼんやりと見る。ワッフルですらそんなに早く食べるんだなぁ。


「いいじゃん、好きなもの好きって堂々としてても」


 店の窓から差し込む日差しを受けて、高槻レンの明るい茶色の髪がきらきらと輝く。父親が外国籍らしく、ハーフなのだと聞いた。不思議な瞳の色は普段学校で見るよりも複雑できれいだった。


「……高槻君はお姉さんの本読むの」

「うん、読んだことあるよ」

「すごいね……」

「結構好きなんだよね。別にエロ目的とかじゃなくてもストーリー面白い話たくさんあるしさ。あ、ねえよかったらさ、姉ちゃんにサイン頼もうか?」

「え!?」


 思わず大きな声を出してしまい、隣の席からちらりと視線を向けられた。恥ずかしさに背中を丸める。


「ご、ごめ……」

「あは、喜んでくれるなら嬉しいな」

「い、いやでもだってどう……」

「姉ちゃんも喜ぶと思う。リアルにファンとか読者いて、サイン欲しがってくれたら普通嬉しいでしょ」

「それは」

「姉ちゃんに話してもいい?」


 そこはちゃんと私に聞いてくれるんだ。勝手に進めるんじゃなくて、尊重してくれるんだ。

 そのことが、なんだか嬉しかった。

 嬉しかったし、サイン本がほしい私が、勝ってしまった。


「う、うん……お願いします」


 ごん、とテーブルに額をつけると頭上から「大げさだなあ!」とケラケラ笑う声が降ってくる。そして頭をよしよしと撫でられた。恥ずかしくてその手をぺっと振り払うと「いてえ~」と言いながらやっぱり楽しそうに笑う声がして、なんだか気持ちがムズムズした。


(自分の趣味を笑われないなんて、なんか……なんか)


 そこでふと、あれ? と思い至り顔を上げる。


「ねえ、どうやってやり取りするの?」

「え、ガッコで普通に」

「いやいやいやいや、ダメでしょう!」

「えー?」


 いつの間にか恐ろしい勢いでワッフルを食べ切った高槻レンは、お水をグイっと飲み干した。そして考え事をするときの彼の癖なのか、瞳だけ天井に向けて少し首を傾げる。


「じゃあ連絡先交換する?」

「生徒とのSNS等の交換は禁じられています」

「あ、センセの顔、すんってなった」


 彼は突然冷静になった私を見て笑うと、「じゃあ」と私の購入した本をひょいっと取り上げ自分のリュックにしまい込んだ。


「これは俺預かりで、実習が終わる最終日に持ってくるよ。そん時に渡す。どう?」

「お、終わってから……」

「その日はさ、一回家帰ってからガッコ行くから。一日中持って歩くわけじゃないし、センセも安心でしょ」


 いいのかな。いいのかな? なんだかもう頭が働かない。

 ていうかこの子のコミュ力恐ろしいな? そもそも私、なんでこんなに懐かれているんだろう。


「実習を終えたご褒美ってことで。あと二週間がんばろ、ゆふセンセ」


 一軍陽キャの高槻レンは、少しだけ幼さの残る笑顔で楽しそうに笑った。


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