目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第24話 夢と記憶


「うわ、さっむ!」

「積もってきたねえ」


 暗くなった帰り道、高槻レンが自転車を押しながらぶるりと身体を震わせた。積もった雪が街灯の明かりを跳ね返し、道は昨日から一変し明るく輝いている。


「マジ失敗した、手がめっちゃ冷たい」

「なに、自転車なのに手袋ないの?」

「探し出せなかったんだよー」

「何それ! ほら、貸してあげるからつけなさい」

「え、いいの? センセは?」

「私はいいよ、ダウンの袖の中に収納する」

「収納て」


 あはは、と笑うと彼は「ありがとう」と素直に手袋をはめた。やっぱり寒かったのだろう。


「本当に、明日から自転車やめなさいね」

「でもさ、これ乗れないと朝マジで時間ないんだよ」

「早く起きなさいよ」

「いや、俺が受験生って忘れてない? 受験生の夜は長いのよ、寝れないの」

「だったら小説書く時間を睡眠に回しなさい」

「やだよ! 超乗ってきてんだから!」

「なんなのもう」


 ダウンのフードに少しずつ雪が降り積もるのを、彼は時々まるで大型犬のように頭を振って払い落とす。

 寒いとはいえまだ十一月の雪は少し大きくて水分が多い。ダウンを濡らし、道を濡らしてそれでも少しずつ積もっていく。


「ねえあの商店さ、俺たちが毎日肉まん買ってくのわかってて、ちゃんと蒸してくれてるよね」

「まあ、これだけ毎日通えばね」

「てことで今日も行こうよ」

「一刻も早く帰りたいとは思わないの?」

「一刻も早く肉まんが食べたい」


 商店につくと自転車を止め店内に入る。

 今日は、いつもはそこにいるコタローの姿が見えない。彼も気が付いたようで、店内をうろうろと歩き探している。

 店先に立つ人も、いつもの店主ではなくバイトだろうか、不愛想な女の子だ。レジ横にある、いつも肉まんが温まっているはずのスチーマーも空。


「あれ、肉まんがない」


 店内を歩きレジへ戻ってきた彼は、スチーマーを見て残念そうに声を上げた。


「あ、すみませぇん、今日はもう売り切れたんですよー」


 それまで無表情だった女の子が彼の顔を見て頬を染めた。それはそう、一軍の顔だ。


「えー残念」

「仕方ない、ホットドリンク買おう。コーヒーでいい?」

「あ、俺ココアがいい」


 缶コーヒーとココアをカウンターに置きお会計をしている間に、彼が店員の女の子にコタローのことを訪ねた。

 すると彼女はけろりとした顔で答えた。


「ああ、あの犬、今朝死んじゃったんですよ」


 まっすぐ切りそろえた黒髪を揺らし、焦点が合っていないような真っ黒な瞳で彼女は彼を見た。


「――え?」

「なんか、老衰? だかで、朝店に来たら死んでたって店長がぁ」

「ウソ、え? まじで?」

「あっ、店内で死んでたとか嫌ですよねぇ! すみません、余計なこと言っちゃった」

「いや……」

「私も嫌で! なんか気持ち悪いじゃないですかぁ」


 私たちはけらけらと笑う彼女の顔を唖然と見つめ、それ以上何も言えず店を出た。背後から「ありがとうございましたぁ!」と元気に声をかけられる。

 いつの間にか雪は止んでいて、街頭の明かりを跳ね返した雪が夜道を明るく照らしている。しばらく二人で並んだまま店の前に立ち尽くし、私は彼の前に黙ってココアを差し出した。


「行こう」

「……うん」


 ココアを受け取った彼の手は、少し、震えていた。


 *


 意識が先に戻った。

 目を開けたいのに重くていうことを聞かない。

 身体を動かすと、そばに人の気配を感じた。


「――ユフィール」


 焦ったような、けれど優しい囁き声。

 何とか目を開けると、すぐそばでアレク様が私を見下ろしていた。薄暗い室内で、緑の瞳が心配そうに翳っている。


「……アレク様」

「よかった、気分はどうですか」


 アレク様の手が私の前髪を撫でる。その手は少し震えている。


「大丈夫、です……、あの、私……」

「ホールで倒れたんです。僕の責任です。具合が悪いのに無理をさせてしまって……」

「そんなことありません。楽しかったのに、ごめんなさい、ご迷惑を……」

「いいえ。……目を覚ましてよかった」


 あまり覚えていない。

 アレク様を見ると、隊服は脱ぎシャツ姿だ。もう夜も遅い時間なのだろうか。


「……ご友人とお別れする最後の日だったのに、申し訳ありません」

「彼らにはまた会えます。気にしないでください」

「でも」


 大事な日だったのに。私のせいで台無しにしてしまった。


「ユフィール」


 アレク様はそっと私の頬に掌を当てた。その温かさに小さく息を吐く。アレク様のもう片方の手が、私の手を握っていることに気が付いた。

 ずっとついていてくれたのだろうか。そっと握り返すと、アレク様の手に力が入る。


「今はゆっくり休んでください。侍女を呼びますか? 彼女もずっと心配しています」

「大丈夫です。アレク様、あの……」

「ユフィール」


 アレク様は私の言葉を遮るように私の名を呼んだ。


「大丈夫です、今夜はもう眠ってください。どうか……いい夢を見て」

「夢……」


 アレク様の大きな手が頬を撫で優しく髪を撫で。私はまたうとうとと瞼が重くなり、やがて眠りに落ちていった。

 夢で、彼に。

 高槻レンに会いたかった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?