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第32話 レン1


 父の派遣した騎士隊が現場へ駆け付け辺りは一時騒然としたが、ライアンが状況の報告や指揮を引き受けてくれたのに甘え、泣きはらし何も言えないサーシャとユフィールの震える身体を抱え屋敷へ戻った。


「サーシャ!」


 普段はあまり感情を出さない母が僕たちの馬車を見た途端、青い顔をして屋敷から飛び出してきた。その母の姿を見て、さらに涙が止まらず泣き出すサーシャの背を少しだけ押してやると、両親のもとへ駆け出しその腕の中へ飛び込んだ。


「……よかった」


 そう小さく呟くユフィールの肩を抱え、僕はちらりとこちらを見た父に目配せをして彼女の部屋へと移動した。


「さあ、座ってください。指先が冷たい、何か温かいものを頼みま」

「さっき」


 顔面蒼白の彼女をソファに座らせ、使用人を呼ぶためその場を離れようとすると、すぐにその声に呼び止められた。

 振り返るとじっと膝の上の自分の手を見つめたまま動かない彼女が、また口を開く。


「……いつから」


 そう言って、また押し黙る。

 僕は彼女の隣に腰を下ろし、そっと膝の上の手を握り締めた。


「僕は、貴女と初めて会った時に思い出しました」

「はじめて……?」


 ゆっくりと顔をこちらに向け僕の顔を見るユフィール。

 いつもは蜂蜜色の瞳が、光を消し暗く澱んだような色をしている。


「デビュタントの年に王都へいらっしゃったでしょう。その時に初めて、僕は貴女とお会いしたんです」

「……デビュタント」

「ユフィールが本好きなのは、その時から知っていましたよ」


 ふっと視線を下に向け、長い睫毛が伏せられる。その睫毛に隠れた瞳がパッと何かを思い出したように色づき僕を見た。


「あの、鷹の本を教えてくれた……?」

「ふふ、そうです。あの時、貴女に見覚えがあってつい後を追ってしまったら、近づきすぎてぶつかってしまった」


 覚えていてくれた。そのことが僕の胸をこんなにも躍らせる。


「その時に……思い出したんです。僕が」


 冷え切った細い指を取り、温めるように唇を寄せる。彼女はじっと僕の瞳を覗くように見つめている。


が、高槻レンだということを」


 持ち上げていた彼女の指先に力が入る。ギュッと僕の指を握る彼女の手は小さく震えた。


「貴女がゆふセンセだって、わかったんです」

「わ、たしは……わからなかったわ」

「はい」


 なぜなのかわからない。

 先に僕が思い出した。婚約が決まって顔を合わせても彼女に気がつく様子はなく、最後まで自分が年上で申し訳ないとそのことばかり話していた。

 でも僕は安心した。


「僕はそれでもいいと思っていました。思い出してくれなくてもいいと」


 その方がきっと幸せだから。僕たちの身に起こったことはもう過去のことで、取り返しのつかないどうしようもないことだ。

 だというのにこうして後悔に苛まれ罪の意識に溺れてしまう。苦しみ、己を責め、またあの過去に囚われてしまう。

 彼女にそんな思いをしてほしくなかった。


「この世界で幸せになれるならそれでいいと思ったんです。あれは僕たちの過去だけれど、今の僕たちを形成するもののひとつでしかないから。今の貴女に、今の貴女を幸せに生きてほしかった」


 でも駄目だった。こうして一緒にいては、いつか思い出してしまうことも十分に考えられた。本当はそばにいないほうがいいんだろうと、頭ではそう思っても、彼女を求める思いを抑えることができなかった。

 毎夜のように見るゆふセンセの言葉、少し人見知りの笑顔、教師になりたいとまっすぐ前を向く姿。一緒にいた時間はわずかだったのに、何よりもその夢ばかりを繰り返し見た。

 そんな彼女に僕は前世の俺と同じ、――恋に落ちたのだ。

 会いたい。会って、話がしたい。幸せな笑顔を目の前で見たい。俺が、僕が、そんな笑顔にさせたい――。


「貴女が僕といては思い出すかもしれない。あの辛い日を思い出すかもしれないとわかっていても、僕は貴女と一緒にいたいと思いました。時が来たらその日のことを話そうと、ちゃんと貴女にわかってもらいたくて」

「私の」


 震える瞳に水の膜が張る。今にも零れ落ちそうなその雫は、決壊しそうな彼女の心そのものだ。


「私のせいで」

「違うよ、――ゆふセンセ。俺がどうしてもセンセと一緒にいたかったから、家が同じ方向とか勉強してたとか、言い訳を作って一緒に帰ったんだ」

「でも」

「それを言うなら」


 そっと頬に触れると冷たい肌がピクリと揺れた。その動きでぽろりと雫がひとつ零れる。


「俺のせいで夢が叶わなかったでしょう」

「そんなの……っ!」


 俺から身体を離すように反対へ顔を逸らす彼女の腕を掴み引き寄せる。胸を押して離れようとする彼女を抑え込むようにその背中に腕を回し、頭を抱き込むように胸に抱いた。


「ずっと見てた。センセが俺の訃報を聞いた時も、教育実習を終えた日のことも、田中センセーと話してたことも、……センセの最後の姿も」



 ――気がついた時、俺はもうベッドの上だった。

 大きな音と衝撃があったような気がしたけど、ぼうっとした頭ではよく分からなくて、ただうっすらと目を開けて見えたのは白い壁と白い天井。やたら眩しくてがっかりした。


(――せっかくなら、雪景色がよかった)


 肌を刺す冷気も白く吐く息も、ちらちらと降る雪も、今年は特別だった。

 毎年見る景色なのに、特別だった。

 教育実習生としてやって来たセンセは小さくて一生懸命で、歳だってそんなに変わらないのになんだか大人で、でも自転車はもうやめなさいって、時々センセーっぽく言うのがなんかかわいかった。


(……かわいかった)


 最初は本当に夜道が危ないと思ったんだけど。


(なんか、ハマったって言うのかな)


 肉まん食べるのも、コタロー撫でに行くのも、なんか特別だった。わかんない、何が特別だったんだろ。


(ああ、俺、まだ死ねないな)


 真面目なセンセのことだから、きっと俺が怪我したのを自分のせいにしてる。や、もしかしたらセンセーになるの止めるとか言い出しかねない。


(やべ、早くセンセの顔見に行かないと)


 大丈夫だよって。

 センセ、俺もさ、センセーになろうと思う。そんでセンセみたいに俺みたいなやつのこと見守ってやるの。センセと一緒に働けるかな。

 ――働きたいな。

 元気になって、センセに会いに行きたい。肉まん食べようよ。あと、コタローの墓参りしたい。きっとあの店主、泣いて喜んでくれるよ。いい人だったしさ。

 大人になったら旅行もしたい。

 つうか、そっか俺、センセにちゃんと気持ち伝えないと駄目だな。いいよね、実習終わったらさ、ただの大学生と高校生でしょ?

 俺も来年卒業して、大学生の予定だよ。

 そしたらさ、いいよね。センセに、気持ち伝えてもいいよね?


 ねえ、神サマ。

 俺まだ、死にたくない。

 死にたくないわ――


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