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第33話 レン2


『――白橋のせいだって』


 その言葉で、ふと意識が戻った。


(……は? 何、ゆふセンセの話?)


 目の前で、ウチの制服着た女子が二人ででかい声出して話してる。わざと、聞かせるように。


『アイツ、高槻君のことめっちゃストーカーしてたとか』

『ゲエ! きっも何ソレ』

『ババアのくせにイタすぎん』

『イタイだけならまだしもさあ、高槻君怪我したって、責任問題じゃんね』

『なんでアイツ来れんの? 年取ると不感症なワケ?』

『マジそれ意味違うから』


 ゲラゲラ笑う女子生徒のその先に、ゆふセンセがいる。


(おい! なんも知らねえくせに勝手なこと言うなよ!)


 腕を振ってみても何も起こらない。身体が動かない。

 違う、これは俺の視線しかない。

 俺、見てるだけだ。映画みたいに映像が流れていく。


 薄暗い玄関でゆふセンセが靴箱を開けると、ざあっと靴箱から砂や石ころが溢れた。ゆふセンセの上靴が砂に汚れていく。


(センセ! ゆふセンセ!)


 俺は一生懸命叫んでるのに、ゆふセンセは気がつかない。遠くで誰かの甲高い笑い声が聞こえた。

 しばらくぼんやりと足元を見つめたまま、ゆふセンセはそこに立ち尽くしていた。



『白橋先生、ちょっと』


 朝の光が眩しい職員室で、ゆふセンセが教頭に呼ばれた。青い顔をしたセンセは小さく返事をすると会議室に向かう。なんか瘦せた気がする。俯いていて、顔がよく見えない。

 部屋に入ると俺の担任や性格のきっつい学年主任や、なんかいろいろセンセーたちがいて、みんな一斉にゆふセンセを見た。穴みたいな目だ。


『――今朝、高槻君が亡くなったそうです』


 ゆふセンセが小さく揺れた。


『あなたの実習、明日までだけど今日はもう帰りなさい。明日も、しんどいだろうから休んでいいから』

『……わたし』

『実習は最後までやったってことでいいから』

『それじゃなくても生徒たちになんて言われてんの? 舐められて、まともに授業もできてないでしょう』

『これからいろいろ対応しないと駄目だし、悪いけど白橋先生に構ってる暇はないんだよ、こっちも』

『すみません……』

『彼は人気だったから、ショックを受ける生徒は多そうですよ』

『スクールカウンセラーに連絡した?』

『メディア対応ありますかね?』

『いや、帰宅途中の交通事故で事件なわけではないから』

『でも彼人気だから。SNSで結構この話出回ってますよ』

『面倒だなあ~』


 何こいつら、ねえゆふセンセ、こいつらの話なんて聞いちゃだめだよ! ねえ!

 センセは何もしてない! 何も悪くないよ!


『ゆふ先生』


 玄関で冬靴に履き替え大きな鞄を手にしたゆふセンセに、田中センセーが声を掛けた。

 ゆふセンセの目標にしてるセンセーって、田中センセーでしょ。俺わかるよ、この人いい人だけどさ、なんでゆふセンセのこと助けてくれないの。なんで黙ってんの。


『お世話になりました』

『……何もしてあげられなくて済まない』


 ゆふセンセは小さく首を振る。


『――先生、奥様はお元気ですか?』

『ああ、うん……今日もこれから病院に行くんだよ。道も悪いからね、僕が送ってやらなくちゃいけない』

『どうか、お大事にしてください』

『……ありがとう』

『田中先生』


 ゆふセンセはそこで、やっと俯いていた顔を上げた。

 久しぶりに見るセンセの顔。

 白くて、今にも雪みたいに溶けてしまいそうで、そこには何の感情も読み取れない。


『私、先生みたいになるのは無理みたいです』


 そう言ってゆふセンセは、小さく笑った。

 笑うように泣いたのかもしれない。



『――ねえ、アンタが白橋ゆふ?』


 帰り道、辺りは雪が積もりすっかり雪景色に様変わりしていた。

 大きな荷物を持ったゆふセンセに声がかけられて、センセはのろのろと振り向いた。

 学校がもう始まってるこの時間、周囲に人気はなくて、そいつが制服でそこに立ってるのは違和感しかなかった。上着も着ないでブレザー姿のそいつは、手に何か持ってる。


(なに? 手になにを持ってるんだ?)


 それはカチ、と小さく音を立てた。

 カチカチ、カチカチ。手の中にあるそれは、ペンケースに入っているようなものじゃなくてもっと大きくてごつい、美術室とかにある重たいカッターだ。

 刃を出し入れするスライドを、カチカチ、カチカチと音を立てて出したり戻したりしている。


 ゆふセンセはその手の中のものをぼんやりと見つめ、そしてそいつを見た。

 そこにあるのは、何もない表情。諦めでもなく、絶望でもなく、後悔でもなく。

 ――やめろ、


『アンタが死ねばいい』


 ――――やめろ!




 ゆふセンセはしたいことがたくさんあった。夢もあって、キラキラしてた。

 優しくて、でもちょっと人見知りなとこもあって、なんかかわいくて、肉まんは好きだけど、甘いものはそれほどでもなくて。

 TL小説が実は好きだったり、俺の姉ちゃんの小説も読んでた。俺に見つかって、めちゃ恥ずかしがって慌ててた。かわいい。

 俺の小説、読んでくれる約束した。俺のこと、馬鹿にしたりしなかった。


 ねえ、神サマ。アンタほんとにいるの?

 いるならさ、これってホント酷いエンディングだよ。まじでセンスない。最悪。俺、バドエン嫌い。

 俺たちが何したの。俺たちまだ死にたくないのに。

 こんなの酷い、ひどすぎる、せめてゆふセンセを助けて、ねえ助けてよ。

 誰か、誰か! ねえ! なんで誰もいないんだよ!



 まっ白な雪に広がる黒い髪を凍らせるように、空から降る雪が覆っていく。

 ゆふセンセの身体からじわじわ広がっていた赤い血が、流れるのをやめた。


『雪ってさ青空の時も降るよね。風に乗ってどこか遠いところから舞ってくるの。あれ、結構好きだな』

『えー? いつも雪降ってるの見ると文句言ってんのに?』

『青空はいいの。青と白の世界はきれいだよ』

『ふーん』

『……なに』

『いや? そっか、センセはそういう言い回しがお好みなわけだ』

『ちょっと、なにソレ!』

『なんつうか、執筆の参考に?』

『媚び売った文章はすぐわかるからね』

『ちょ、言い方! 厳しくね?』

『頑張って、楽しみにしてる~』

『急にプレッシャー!』


 ねえセンセ、最後に見た景色は何?

 ねえ、俺のこと見えてる? センセ、声聞かせてよ。俺も一緒に行くからさ、どこで待ってたらいいの。一人にしないよ、大丈夫。一緒なら夜道も怖くないでしょ。

 一緒に行ける? ここじゃなくても、どこかでまた楽しく話せる? 一緒にいられる?

 また、笑ってくれる?


 ぼんやりと空を見上げるセンセの瞳を覗いて、俺はゆふセンセの瞳から光が失われていくのを、ただ見つめ続けた。


 ――たぶん俺は、ずっと、泣いていたと思う。



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