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第17話 スターティング練習

### スターティング練習


 合宿最終日。

 カズはスターティング練習に念を入れていた。

 小学生の頃には無かったスタート方法で、慣れるまで少し時間がかかりそうだ。


「適当に合わせては駄目だぞ。キチンと自分の足の幅に合わせるんだ」


 そう教えてくれる小崎先輩に、カズは素直に、


「はい!」


 と返事をしている。


 しかし、座った状態の時と、腰を上げた時の感覚が良く理解出来ない。


「これって座った状態に合わせた方がいいんですか? それとも、腰を上げた時の状態!?」


 カズは理解出来ずに、小崎先輩に尋ねる。


「どちらも合わせた方が正解だな。バランスを考えろ」


 そう言われても、何となくしか理解出来ないカズ。


「とにかく合わせてみて、走りやすい方を選択しろ」


 そう言う小崎先輩に、


「はい!」


 と素直に応えておく。


 小崎先輩はとにかく速い。

 全国大会にまで出場しているくらいの実力者だ。

 脚力が物凄くて、何度もスターターを壊しているくらいの脚力なのだ。

 50メートルを過ぎる頃まで姿勢も前傾姿勢のままで起き上がる事がない。

 直ぐに身体が起きてしまうカズとはえらい違いだ。

 カズはグラウンドの端から端まで、何度もスターティング練習を繰り返していた。

 汗が頬を伝い、息も荒くなっている。

 それでも、小崎先輩の姿を見ると、自分に甘えることは許されないと強く思う。


「カズ、もう一回やるぞ。今度は腰を上げた時の足の幅を意識しろ。スタートの瞬間に、足が滑らなくなるからな」


 小崎先輩の声は、グラウンドに響くように明瞭で、どこか温かみもあった。

 カズはその声に応えるように、小さくうなずくと、再びスタートラインに立った。


「はい、わかったっす!」


 グラウンドには、他にも練習に励む部員たちの姿があった。

 合宿最終日ということもあり、全員が気合いを入れて取り組んでいる。

 太陽はすでに高く昇り、空は青く澄み切っている。

 風も心地よく、走りやすいコンディションだ。


 カズは、小崎先輩の指導通り、腰を上げた時の足の幅を意識して、スタートポジションを取った。

 グラウンドに手をつき、片方の足を後ろに引いて、もう一方の足をブロックにしっかりと押し付ける。

 その感覚は、まだ慣れなくて違和感があるが、少しずつではあるものの、自分の体に染みついてきているようにも感じた。


「よーい⋯⋯」


 スターターの声がかかる。

 カズはその瞬間、自分の意識をすべて足の裏に集中させた。

 地面を蹴る瞬間の感覚。

 その一瞬が、いかに重要かを、小崎先輩はいつも言っていた。


「スタートの一歩目がすべてだ。その一歩で、レースの流れが決まる」


 そして、ピストルの音が鳴った。


「パンッ!」


 カズは一気に地面を蹴り、体を前に投げ出すようにして走り出す。

 しかし、まだ完全に感覚が定まっていないのか、体がすぐに起き上がってしまい、前傾姿勢を保つことができない。

 そのせいで、スピードに乗るまでに時間がかかってしまう。


「カズ、体が起き上がるのが早すぎるぞ! 最初の五歩は前傾を保て!」


 小崎先輩の声が飛ぶ。

 カズはその言葉に耳を傾け、自分の中で反省点をメモするように心に刻んだ。


「はい! すんません!」


 カズは再びラインに戻り、今度は意識を変えてスタートポジションを取った。

 今度は、腰を上げた時の足の幅を意識しつつ、体が起き上がらないように、前傾姿勢を保つことを念頭に置く。


「よーい⋯⋯」


 またしてもスターターの声。 

 カズは深呼吸し、集中する。


「パンッ!」


 再びスタートの合図が鳴る。

 カズは一気に地面を蹴り、体を前に倒すようにして走り出す。

 今度は、前回よりは前傾姿勢を保つことができた。

 しかし、まだ五歩まではいかず、途中で体が起き上がってしまう。


 それでも、小崎先輩はうなずきながら見ていた。


「よし、少しは良くなってきたな。でも、まだだ。前傾を保つ意識がもう少し必要だ」


 カズは息を切らしながらも、小崎先輩の顔を見上げた。


「はい⋯⋯でも、どうしても体が起き上がってしまうっす。どうすれば、もっと前傾を保てるようになるっすか?」


 小崎先輩は少し考えると、カズの肩に手を置いた。


「それは、脚の力と、体幹の強さが関係してる。脚力がないと、前傾姿勢を保つことができないんだ。だから、まずは脚のトレーニングをしっかりやる必要がある」


 カズはうなずいた。

 トレーニングは嫌いではない。

 むしろ、自分を成長させる手段だと信じている。


「わかったっす。トレーニングも頑張るっす」


 小崎先輩は微笑んだ。


「その意気だ。お前は素直だから、伸びる。俺も、お前には期待してるんだ」


 カズはその言葉に、心が熱くなるのを感じた。

 小崎先輩に認められたという実感が、カズのやる気をさらに高めていく。


「はい! 絶対に、先輩みたいに速くなるっす!」


 小崎先輩は笑いながら、カズの頭を軽く叩いた。


「その調子で頼むぞ。お前の走り、楽しみにしてる」


 その日、カズは最後までスターティング練習を繰り返した。

 何十回となく、ラインに戻り、スタートの音に集中した。

 そして、徐々にではあるが、前傾姿勢を保つことができるようになり、走り出しのスピードも上がっていった。


 合宿最終日。

 カズは、自分の中に新たな自信と、目標を見つけることができた。


――小崎先輩のように、速くなりたい!


 その想いが、カズの心を熱くしていた。




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