### 県大会
夏のとある日。
中学陸上の県大会が、青空の下で開催された。
蝉の声が一層高まり、太陽の光がグラウンドに降り注ぐ中、カズは早起きをして、心を整えながら準備を進めていた。
朝の冷たい水で顔を洗い、手鏡に向かって自分に語りかけるように呟く。
「今日こそ、全国へ繋がる一歩を踏み出す日だ。絶対に後悔しねーように、走り切るしかねー」
会場入りしたのは、まだ朝の七時前。
他の選手たちが次々に姿を現し始める中、カズはすでにウォームアップを始めていた。
足の裏がトラックに触れるたび、胸の奥に広がる緊張と期待が混ざり合っていた。
今日の種目は、100メートルと200メートルの二つ。
どちらも全国大会への切符を手にするためには、欠かせない戦いだ。
カズは、これまでの練習で培った技術と、仲間たちからの応援の言葉を胸に、一歩一歩を確かなものにしようと心に誓っていた。
午前中の予選が始まるまで、まだ時間がある。
カズはベンチに腰掛け、遠くを見つめる。
「ハヤトは、絶対に来てくれるよな⋯⋯。マサノリやケンゴも、応援に来てくれるかな?」
仲間たちの顔を思い浮かべながら、心の奥に広がるドキドキが止まらない。
彼らがいてくれたからこそ、ここまで来られた。
その感謝と、期待が混ざり合って、胸が熱くなる。
予選が始まる。
カズの出場する100メートルの組は、三番目のレース。
選手たちが整列し、審判の合図が下る。
カズは、自分のレーンに立ち、深呼吸を一つ。
「行くぞ⋯⋯!」
ピストルが鳴る。
一瞬の静寂を破るように、カズは一気に加速した。
足が地面を蹴るたびに、風が頬を叩く。
視界の先にはゴールテープ。
他の選手たちの足音が近づいてくる中、カズは自分のリズムを崩さず、最後まで走り切った。
結果は、見事な一位。
タイムも自己ベストに近い数字。
観客席から歓声が上がる。
その中に、カズの耳に届いた声があった。
「カズ! やったぞ!」
振り返ると、そこにはハヤトがいた。
カズの顔が一気に緩む。
午後には200メートルの予選と、100メートルの決勝が控えている。
カズは、まだ油断はできない。
しかし、仲間の存在が、彼の背中を押していた。
「ありがとう、ハヤト⋯⋯。お前が来てくれて、本当に良かった」
カズは心の中でそう呟き、次の戦いに向けて、またグラウンドへと向かっていった。
午後の空は、朝とは打って変わって、より一層の熱気を帯びていた。
グラウンドに広がる白線と赤茶けたトラックが、太陽の光を浴びてきらめいている。
観客席は、午前中の予選を終えたことでさらに熱気を増し、応援の声が風に乗ってグラウンド全体に広がっていた。
カズはベンチに腰掛け、静かに目を閉じていた。
心拍がまだ高鳴っている。
100メートルの予選を制したことで、決勝への出場権を手にした。
しかし、それだけで満足するわけにはいかなかった。
全国大会への切符は、決勝で勝つこと、あるいは規定タイムを突破することでしか手に入らない。
「よし、次は200メートルの予選だ。ここでも、油断はできねー」
カズはそう呟くと、手のひらを太ももに打ちつけ、立ち上がった。
ウォームアップを再開し、足を軽く動かしながら、トラックの感触を確かめる。
足の裏が地面を蹴るたびに、昨日までの練習の記憶が頭の中で再生される。
雨の中でのダッシュ、疲労困憊の中でのインターバル、仲間との競り合い――すべてが、この日のためにあった。
「カズ!」
声に反応して振り返ると、そこにはマサノリとケンゴの姿があった。
二人は汗だくになりながらも、笑顔で手を振っている。
「来たな、お前ら!」
カズは思わず駆け寄った。
「当たり前だろ! お前の走る姿、見逃すわけないだろ!」とマサノリ。
「応援、ガンガン入れてやるからな! 絶対に全国行くんだぜ!」とケンゴ。
その言葉に、カズの胸が熱くなった。
彼らがいてくれたからこそ、ここまで来られた。
仲間の存在は、時に支えとなり、時に刺激となり、自分を成長させてくれた。
「ありがとう⋯⋯本当に、ありがとう」
カズは心からそう言った。
ほどなくして、200メートルの予選の案内が流れる。
カズは軽く手を振り、仲間たちと別れ、控室へ向かった。
200メートルの予選は、100メートルとはまた違う緊張感があった。
コーナーを曲がる技術、ペース配分、そして最後の直線での加速――すべてが完璧でなければならない。
カズの出場するレースは、五番目の組。
トラックに立つと、隣のレーンの選手がこちらをちらっと見る。
カズは無言で頷き返した。
ライバルはいる。
だが、自分に勝つことが先決だ。
「準備運動、終了。深呼吸、一回」
カズはそう自分に言い聞かせ、レースの流れを頭の中でシミュレーションする。
スタートダッシュ、コーナーの進入、体の傾き、直線での加速――すべてが完璧に決まらなければならない。
審判の合図が下りた。
選手たちが姿勢を整える。
「各用意」
カズは膝を曲げ、両手を地面につけた。
「行け――!」
ピストルの音が鳴る。
一気に加速するカズ。
最初の30メートルは他の選手と並ぶ形で進む。
コーナーに入る瞬間、カズは体を傾け、内側のラインを意識して走る。
風が顔を叩く。
視界の先には、曲がりくねるトラックと、遠くに見えるゴールテープ。
「ここからだ」
コーナーを抜けた直後、カズは一気に加速。
他の選手たちを引き離すように、足を前に出す。
ラスト50メートル。
息が乱れるが、意識は常にゴールテープに集中している。
「走れ! 走れ! 走れ――!」
最後の力を振り絞り、カズはゴールテープを切り取った。
結果は、一位。
タイムも自己ベストを更新する数字だった。
観客席から歓声が上がる。
カズはその中で、またハヤトたちの姿を見つけた。
彼らは立ち上がって、手を振りながら叫んでいる。
カズはガッツポーズをし、天を仰いだ。
「来たぞ⋯⋯全国への道が、もう少し近づいた」
午後三時。
100メートルの決勝が控えていた。
カズは控室で静かに目を閉じ、呼吸を整えていた。
すでに200メートルの予選を終えているため、疲労は感じていたが、それを感じている暇はなかった。
「最後の戦いだ。ここを勝てば、全国だ」
カズはそう自分に言い聞かせる。
仲間たちの顔、コーチの言葉、家族の応援――すべてが頭の中で交錯する。
「お前ならできる。信じてる」
その言葉が、心の奥から響いてくる。
決勝の案内が流れる。
カズは立ち上がり、グラウンドへ向かう。
トラックに立つと、そこには強敵たちが揃っていた。
予選を突破した精鋭たち。
カズはその中に堂々と立つ。
「さあ、始めるか」
ピストルの音が鳴る。
一瞬の静寂を破るように、カズは一気に加速。
スタートダッシュは完璧。
他の選手たちも一歩一歩を鋭く踏みしめながら進む。
50メートル地点。
カズは中段の位置をキープしていた。
風が頬を叩く。
足の裏がトラックを蹴る感触が、まるで音楽のように心地よい。
ラスト30メートル。
カズは一気に加速。
他の選手たちも追い上げてくる。
しかし、カズは自分のリズムを崩さない。
「ここだ!」
ラストスパート。
足を前に出すたびに、全身の力が注ぎ込まれる。
ゴールテープが近づく。
一瞬の差。
カズは他の選手をかわし、ゴールテープを切った。
観客席から歓声が轟く。
結果は、僅差の二位。
規定タイムはクリアしていた。
全国大会への切符を手にすることができた。
カズはその場にしゃがみ込み、涙をこらえながら、地面を握った。
「やった⋯⋯やったぞ!」
仲間たちが駆け寄ってくる。
ハヤト、マサノリ、ケンゴ――彼らの顔を見て、カズは思わず笑みをこぼした。
「カズ、おめでとう!」
「全国だぞ!」
「お前、本当にやるな!」
カズは立ち上がり、彼らと抱き合った。
その瞬間、これまでの苦労や不安、孤独がすべて報われた気がした。
「ありがとう⋯⋯本当に、ありがとう」
カズはそう呟き、青空を見上げた。
蝉の声がまだ鳴り止まず、太陽の光がグラウンドを照らしている。
夏の光の中、カズは新たな一歩を踏み出していた。
本日の結果――100メートル、二位。200メートル、一位。
全国大会への出場権獲得。