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第26話 県大会

### 県大会


 夏のとある日。


 中学陸上の県大会が、青空の下で開催された。

 蝉の声が一層高まり、太陽の光がグラウンドに降り注ぐ中、カズは早起きをして、心を整えながら準備を進めていた。

 朝の冷たい水で顔を洗い、手鏡に向かって自分に語りかけるように呟く。


「今日こそ、全国へ繋がる一歩を踏み出す日だ。絶対に後悔しねーように、走り切るしかねー」


 会場入りしたのは、まだ朝の七時前。

 他の選手たちが次々に姿を現し始める中、カズはすでにウォームアップを始めていた。

 足の裏がトラックに触れるたび、胸の奥に広がる緊張と期待が混ざり合っていた。


 今日の種目は、100メートルと200メートルの二つ。

 どちらも全国大会への切符を手にするためには、欠かせない戦いだ。

 カズは、これまでの練習で培った技術と、仲間たちからの応援の言葉を胸に、一歩一歩を確かなものにしようと心に誓っていた。


 午前中の予選が始まるまで、まだ時間がある。

 カズはベンチに腰掛け、遠くを見つめる。


「ハヤトは、絶対に来てくれるよな⋯⋯。マサノリやケンゴも、応援に来てくれるかな?」


 仲間たちの顔を思い浮かべながら、心の奥に広がるドキドキが止まらない。

 彼らがいてくれたからこそ、ここまで来られた。

 その感謝と、期待が混ざり合って、胸が熱くなる。


 予選が始まる。


 カズの出場する100メートルの組は、三番目のレース。

 選手たちが整列し、審判の合図が下る。

 カズは、自分のレーンに立ち、深呼吸を一つ。


「行くぞ⋯⋯!」


 ピストルが鳴る。


 一瞬の静寂を破るように、カズは一気に加速した。

 足が地面を蹴るたびに、風が頬を叩く。

 視界の先にはゴールテープ。

 他の選手たちの足音が近づいてくる中、カズは自分のリズムを崩さず、最後まで走り切った。


 結果は、見事な一位。

 タイムも自己ベストに近い数字。

 観客席から歓声が上がる。

 その中に、カズの耳に届いた声があった。


「カズ! やったぞ!」


 振り返ると、そこにはハヤトがいた。

 カズの顔が一気に緩む。


 午後には200メートルの予選と、100メートルの決勝が控えている。

 カズは、まだ油断はできない。

 しかし、仲間の存在が、彼の背中を押していた。


「ありがとう、ハヤト⋯⋯。お前が来てくれて、本当に良かった」


 カズは心の中でそう呟き、次の戦いに向けて、またグラウンドへと向かっていった。




 午後の空は、朝とは打って変わって、より一層の熱気を帯びていた。

 グラウンドに広がる白線と赤茶けたトラックが、太陽の光を浴びてきらめいている。

 観客席は、午前中の予選を終えたことでさらに熱気を増し、応援の声が風に乗ってグラウンド全体に広がっていた。


 カズはベンチに腰掛け、静かに目を閉じていた。

 心拍がまだ高鳴っている。

 100メートルの予選を制したことで、決勝への出場権を手にした。

 しかし、それだけで満足するわけにはいかなかった。

 全国大会への切符は、決勝で勝つこと、あるいは規定タイムを突破することでしか手に入らない。


「よし、次は200メートルの予選だ。ここでも、油断はできねー」


 カズはそう呟くと、手のひらを太ももに打ちつけ、立ち上がった。

 ウォームアップを再開し、足を軽く動かしながら、トラックの感触を確かめる。

 足の裏が地面を蹴るたびに、昨日までの練習の記憶が頭の中で再生される。

 雨の中でのダッシュ、疲労困憊の中でのインターバル、仲間との競り合い――すべてが、この日のためにあった。


「カズ!」


 声に反応して振り返ると、そこにはマサノリとケンゴの姿があった。

 二人は汗だくになりながらも、笑顔で手を振っている。


「来たな、お前ら!」


 カズは思わず駆け寄った。


「当たり前だろ! お前の走る姿、見逃すわけないだろ!」とマサノリ。


「応援、ガンガン入れてやるからな! 絶対に全国行くんだぜ!」とケンゴ。


 その言葉に、カズの胸が熱くなった。

 彼らがいてくれたからこそ、ここまで来られた。

 仲間の存在は、時に支えとなり、時に刺激となり、自分を成長させてくれた。


「ありがとう⋯⋯本当に、ありがとう」


 カズは心からそう言った。


 ほどなくして、200メートルの予選の案内が流れる。

 カズは軽く手を振り、仲間たちと別れ、控室へ向かった。




 200メートルの予選は、100メートルとはまた違う緊張感があった。

 コーナーを曲がる技術、ペース配分、そして最後の直線での加速――すべてが完璧でなければならない。


 カズの出場するレースは、五番目の組。

 トラックに立つと、隣のレーンの選手がこちらをちらっと見る。

 カズは無言で頷き返した。

 ライバルはいる。

 だが、自分に勝つことが先決だ。


「準備運動、終了。深呼吸、一回」


 カズはそう自分に言い聞かせ、レースの流れを頭の中でシミュレーションする。

 スタートダッシュ、コーナーの進入、体の傾き、直線での加速――すべてが完璧に決まらなければならない。


 審判の合図が下りた。

 選手たちが姿勢を整える。


「各用意」


 カズは膝を曲げ、両手を地面につけた。


「行け――!」


 ピストルの音が鳴る。


 一気に加速するカズ。

 最初の30メートルは他の選手と並ぶ形で進む。

 コーナーに入る瞬間、カズは体を傾け、内側のラインを意識して走る。

 風が顔を叩く。

 視界の先には、曲がりくねるトラックと、遠くに見えるゴールテープ。


「ここからだ」


 コーナーを抜けた直後、カズは一気に加速。

 他の選手たちを引き離すように、足を前に出す。

 ラスト50メートル。

 息が乱れるが、意識は常にゴールテープに集中している。


「走れ! 走れ! 走れ――!」


 最後の力を振り絞り、カズはゴールテープを切り取った。


 結果は、一位。

 タイムも自己ベストを更新する数字だった。


 観客席から歓声が上がる。

 カズはその中で、またハヤトたちの姿を見つけた。

 彼らは立ち上がって、手を振りながら叫んでいる。


 カズはガッツポーズをし、天を仰いだ。


「来たぞ⋯⋯全国への道が、もう少し近づいた」




 午後三時。

 100メートルの決勝が控えていた。


 カズは控室で静かに目を閉じ、呼吸を整えていた。

 すでに200メートルの予選を終えているため、疲労は感じていたが、それを感じている暇はなかった。


「最後の戦いだ。ここを勝てば、全国だ」


 カズはそう自分に言い聞かせる。

 仲間たちの顔、コーチの言葉、家族の応援――すべてが頭の中で交錯する。


「お前ならできる。信じてる」


 その言葉が、心の奥から響いてくる。


 決勝の案内が流れる。

 カズは立ち上がり、グラウンドへ向かう。


 トラックに立つと、そこには強敵たちが揃っていた。

 予選を突破した精鋭たち。

 カズはその中に堂々と立つ。


「さあ、始めるか」


 ピストルの音が鳴る。


 一瞬の静寂を破るように、カズは一気に加速。

 スタートダッシュは完璧。

 他の選手たちも一歩一歩を鋭く踏みしめながら進む。


 50メートル地点。

 カズは中段の位置をキープしていた。

 風が頬を叩く。

 足の裏がトラックを蹴る感触が、まるで音楽のように心地よい。


 ラスト30メートル。

 カズは一気に加速。

 他の選手たちも追い上げてくる。

 しかし、カズは自分のリズムを崩さない。


「ここだ!」


 ラストスパート。

 足を前に出すたびに、全身の力が注ぎ込まれる。

 ゴールテープが近づく。


 一瞬の差。

 カズは他の選手をかわし、ゴールテープを切った。


 観客席から歓声が轟く。


 結果は、僅差の二位。

 規定タイムはクリアしていた。

 全国大会への切符を手にすることができた。


 カズはその場にしゃがみ込み、涙をこらえながら、地面を握った。


「やった⋯⋯やったぞ!」


 仲間たちが駆け寄ってくる。 

 ハヤト、マサノリ、ケンゴ――彼らの顔を見て、カズは思わず笑みをこぼした。


「カズ、おめでとう!」


「全国だぞ!」


「お前、本当にやるな!」


 カズは立ち上がり、彼らと抱き合った。

 その瞬間、これまでの苦労や不安、孤独がすべて報われた気がした。


「ありがとう⋯⋯本当に、ありがとう」


 カズはそう呟き、青空を見上げた。

 蝉の声がまだ鳴り止まず、太陽の光がグラウンドを照らしている。


 夏の光の中、カズは新たな一歩を踏み出していた。


 本日の結果――100メートル、二位。200メートル、一位。


 全国大会への出場権獲得。






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