早瀬深は無意識のうちに竹内清美の方へと視線を送った。彼女がほとんど分からないほど小さくうなずくのを確認してから、再び理子に目を向けた。
彼は手を伸ばし、理子の手首を掴もうとした。彼女をこの息苦しい空間から連れ出そうとするかのように――
「理子、外で話そう」
理子は勢いよく彼の手を振り払った。その声は氷のように冷たかった。
「みんな分かってることでしょう。わざわざ外で話す必要なんてないわ」
彼女の強い態度を見て、早瀬深は竹内清美へと向き直り、有無を言わせぬ口調で言った。
「優也も連れて、二階へ行ってくれ」
竹内清美はすぐに察し、早瀬優也の手を取って、優しく子どもをなだめながら二階へ連れて行った。
早瀬深はもう遠慮しなかった。残酷な現実を直視し、断固たる口調で言い放つ。
「優也は病気になっている。新生児の臍帯血が彼の命を救う唯一の方法だ。理子、もう一人子どもを作るしかない」
その言葉は重い鉄槌のように理子の心を打ち、全身が止めどなく震えた。
息子とは心が離れているとはいえ、それでも十月十日、命を賭して産み落とした我が子だ。血は繋がっている。どうしても切り離せない存在だ。
それなのに、いま新生児の臍帯血がなければ彼を救えないという。
だが、自分の体は――すでに病魔と獄中生活でボロボロになっている。そんな体が、妊娠の重みをどうして耐えられるだろうか。
絶望と痛みが混ざり合い、理子の体は目に見えて震え、顔は紙のように真っ白になった。
竹内文子はそれを見て、すぐに近寄り、年長者らしい気遣いのポーズを取りながら、偽りの心配そうな口調で言った。
「理子、大丈夫?そんなに震えて……体を壊したら大変よ。子どもも作らなきゃいけないんだから。優也はまだ子どもで、言葉もわきまえがなかっただけ。気にしないで。優也はあなたの実の子よ。今、彼が病気になって、救えるのはあなただけなの。母親として、目の前で子どもを見殺しになんてできないでしょう?」
その言葉は一見やさしさに満ちているようでいて、実は一言一句が理子を「冷酷な母親」という道徳の火にさらすものだった。
彼女が言い終わる前に、父の牧夫が待ちきれずに立ち上がり、厳しい声で命じた。
「理子!優也は黒沢家と早瀬家が最も大切にしている後継者なんだ。将来の希望なんだぞ!これまでどんなにわがままでも、俺は許してきた。だがこの件だけは絶対にわがままは許さん!すぐに深と子どもを作り、優也の命を救え!」
その口調も表情も、まるで自分の娘ではなく、任務を命じているかのようだった。
二重の衝撃は氷水を浴びせかけたようだった――自分はもう長くない、息子も命が危ない。理子の心はすでに粉々に砕けて、もはや痛みすら感じなくなっていた。
まさか自分が一言も発する前に、最も信じていた父親と、あの悪女が、こんなにも早く手を組んで自分に圧力をかけるとは思わなかった。竹内文子の「慰め」はすべて刃であり、かつて自分を大切にしてきた父が、今やこんなにも冷酷に自分を追いつめてくるとは。
理子は倒れそうな体を必死で支え、爪が掌に食い込むほど強く拳を握ったが、もう痛みすら感じなかった。その時、兄の黒沢悟と黒沢青峰までが近寄ってきて、何か「慰め」の言葉をかけようとした。
もう、道徳の高みから自分を責め、命令する言葉は聞きたくなかった。
「もう、やめて!」
彼女は叫ぶように言葉を遮り、声はかすれていたが、玉砕覚悟の決意が込められていた。
「竹内清美の代わりに刑務所に入れって言われたから入った。今、出てこいと言われたから出てきた。今度は優也を救うために子どもを産めって……そうしろって?必要なのは、新生児でしょ?」
深く息を吸い、理子は目の前の面々を一人一人見渡し、冷たくはっきりと宣言した。
「卵子は提供する。産むのは……誰でも好きな人と産めばいい。この家にはもういられない。私は出ていく」
言い終わると、もう誰にも目を向けず、毅然と背を向けて歩き出した。
誰一人、彼女を止める者はいなかった。背後には、ただ死んだような静寂だけが残った。
熱い涙がついに溢れ、冷たい頬を伝って流れ落ちた。何が何だか分からなくなり、ただ運命が自分を嘲笑うように残酷な悪戯を仕掛けてきたとしか思えなかった。
黒沢家という息苦しい家を出て、理子はまっすぐ病院に向かった。自分の体の限界について、答えが欲しかった。
診察室で、彼女は医師を見つめ、震える声で尋ねた。
「先生……今の私の体で、妊娠して出産なんて、できますか?」
分厚い検査報告書を手にした医師は、眉をひそめ、ついには驚愕の色を浮かべて顔を上げた。
「……ご冗談でしょう?今のあなたの体で妊娠出産なんて……自殺行為ですよ!命を賭けるようなものです。今一番大切なのは、すぐに治療を受けて、薬もきちんと飲んで、病状を安定させることです!」
理子の心は底なし沼に沈み込んだ。それでも、ほんのわずかな希望にしがみつき、食い下がるように尋ねた。
「もし……もし妊娠できたら?可能性は……」
医師は大きくため息をつき、重く憐れみの混じった表情で言った。
「早瀬様、たとえご自分の体を顧みず、無理やり妊娠したとしても、健康な胎児を育てられる保障はほとんどありません。仮に医学的な奇跡が起きて、何とか出産までこぎつけたとしても……」
そこで言葉を切り、医師は理子の目をまっすぐ見つめて、重たい問いを投げかけた。
「でも、その時――母親のいない子どもを残すことになる。それは、その子にとってあまりにも残酷ではありませんか?」
残酷――
その二文字が、またも理子の心を激しく打ち、息もできなくなった。
そうだ。本当に、あまりにも残酷だ。
一人の命を救うために、全てを懸けてもう一人の子を産んだとして、その子はどうなるのだろう。
もし自分が死ねば、早瀬深はきっと竹内清美と一緒になり、さらに彼らの子どもができるだろう。
兄を救うためだけに生まれたその子は、竹内清美の手に渡り、どんな運命をたどるのか。
でも、産まなければ……優也は?このまま見殺しにするしかないの?
理子は意地になって涙を拭き、目には異様な覚悟と孤独な勇気が宿った。
「先生、やっぱり体外受精を試してみたいんです。まだ救わなきゃいけない子どもがいるから……臍帯血が必要なんです」
医師は無力感に満ちた声で首を振った。
「早瀬様、その気持ちは分かります。でも、今のあなたの体では体外受精も成功の見込みはほとんどありません。それは、ほとんど不可能への挑戦です……」
理子はもう一度背筋を伸ばした。その背中はすでに限界だったが、声ははっきりと、頑なだった。
「それでもいい。万に一つの希望でも……私は、子どもを諦めません」