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第八話 役立たずの彼女が刑務所に入ってくれたのも貢献だ


理子は、自分が送ったあのメッセージが何を意味するのか、知らなかった。


メッセージを送った後、返事はなかった。しかし翌朝早く、彼女の部屋のドアがノックされた。


ドアを開けると、そこに立っていたのは、何年も会っていなかった古い友人だった。


その瞬間、理子は鹿野明をほとんど認識できなかった。かつてはチェックシャツを着て、黒縁メガネをかけていたプログラマーが、いまやスーツに身を包み、髪型もきちんと整え、全身から大人のビジネスの香水が漂っている。


だが、鹿野明の話し方は、昔と変わらず懐かしいままだった。


「Li、会社の空きオフィスにすべてを用意しておいたよ。しかも、昔二人で夢見てたマッサージ機能付きのベッドだ。」


その一言で、理子は一瞬にして、理想と情熱に満ちた青春の時代に引き戻されたような気がした。


十代の頃、彼女たち数人の友人でスタジオを立ち上げ、いろいろなプロジェクトを請け負い、ついには会社にまで発展させた。しかし理子は、いわゆる「愛」のために、夢もキャリアも一時停止してしまった。


かつての仲間たちがそれぞれの道を着実に進んでいくのを見て、何年も離れていた自分が、またこの業界に戻っても、皆に追いつけるかどうか不安だった。


鹿野明は、彼女の複雑な表情を見て、思わず言った。


「Li、あの時受賞したアルゴリズムのプロジェクト、今でも誰にも超えられていないんだよ。どれだけのテック企業があれを欲しがってるか、知ってる?」


理子は淡々と微笑んだ。


「昔のことよ。五年も離れて、もうついていけないわ。」


鹿野明はバッグからノートパソコンを取り出した。


「Li、これがまとめておいた資料だ。会社の全プロジェクトのソースコードも入ってる。時間があれば、早めに慣れておいて。」


「君はいつまでも、俺の記憶の中の十五歳の天才少女のままだ。」


理子はためらいながら言った。


「でも、もうすぐ三十よ。」


この数年で、時は彼女をすっかり変えてしまった。


だが鹿野明は、なおも言い張る。


「スタートが違うからって何だ?Li、国内のどれだけの企業が君のアルゴリズムの使用権を求めてるか知ってる?もしそれを売り出せば、すぐにでも富豪リストに載れるぞ。」


この言葉で、理子は過去を思い出した。それは、彼女が早瀬深と起業していた時、唯一どうしても投じたくなかった資源だった。


過去の栄光は誇れるものだが、彼女は自分が前に進まなければならないことも、よく分かっていた。


その後の日々、理子は部屋に閉じこもり、狂ったように勉強を始めた。


黒沢家も早瀬家も彼女と連絡が取れず、焦りで気が狂いそうだった。早瀬深は一日に十数回も電話をかけ、誰も出ず、やがて電源まで切られてしまい、なすすべなく焦り続けるしかなかった。


黒沢家の経済状況は早瀬家に依存しているため、さらに切迫していた。黒沢牧夫は、理子の注意を引こうと、わざわざトレンドに話題を仕掛けるまでした。黒沢青峰や黒沢悟は、騒ぎが大きくなりすぎるからやめるようにと助言した。


竹内清美は静かに尋ねた。


「お姉ちゃん、本当に優也を諦めちゃうのかな?」


竹内文子も忠告した。


「牧夫さん、やっぱり理子ときちんと話し合ったほうがいいよ。ネットじゃ問題は解決しない。」


母娘の言葉は、さらに黒沢牧夫の怒りを煽った。


「優也だってあの人の実の息子だよ?実の子さえ助けられないやつに、人間としての資格があるのか?俺たちがあれだけ金を使って刑務所から出してやったのに、この仕打ちか?」


竹内清美は冷静に言った。


「実際、お姉ちゃんがどんな条件を出してもいい。でも優也の状況は、待っていられない。」


黒沢青峰が宥めた。


「父さん、焦らないで。理子はきっと心にわだかまりがあるんだ。あの時、仕方なく彼女に罪をかぶせたこと、絶対に恨んでる。僕が話しに行ってみるよ。」


黒沢牧夫は冷笑した。


「刑務所に入れたくらいで何だ?二十年以上も食わせてやって、お嬢様みたいな暮らしをさせてやっただろ。役立たずは、刑務所に入るのも家族のための貢献だ。今回の件だって、まともな仕事がないのは彼女だけで、家族のために犠牲になってもらうしかなかった。たった二年で出してやったんだ、まだ文句があるのか?」


傍らに座っていた黒沢悟は、もう我慢できず立ち上がった。


「会社で会議があるから、俺は先に行くよ。」


彼は、ずっと胸の中に溜めていた言葉を結局口にすることができなかった。


竹内清美は知っていた。あの事件が起きた時、黒沢悟もまた理子に罪をかぶせることを支持していた。結局、この家で理子だけが専業主婦のような暮らしをして、キャリアを持っていなかったのだ。一方、竹内清美は早瀬深の会社AI部門の中心人物で、彼女を失えば黒沢家の経済基盤は崩壊する。


長男の黒沢悟は、ずっとこの事に引け目を感じていた。妹には有能な父親がいなかったのに、他人の竹内清美が家の支柱になっている――それがずっと彼の心に引っかかっていた。


最近、竹内清美が「株式会社リライズ」と「Liアルゴリズム」の独占使用権の契約交渉をしているという噂がある。もしそれが成功すれば、黒沢家や早瀬家での彼女の地位は、さらに高まることは間違いない。

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