鹿野明は理子を見つめながら言った。
「ええ、君は本当に、自分がLiだってことを公表しないつもり?」
もともと理子は面倒を避けるため、自分の名前にちなんで、開発したアルゴリズムに名付けたのだった。
その結果、業界ではそれが外国人の名前だと思われている。
誰も「Li」と「理子」を結びつけようとはしなかった!
だが理子は平然としていた。
「今まで公表しなかったし、今さら必要もないわ」
鹿野明は言う。
「じゃあ、外には君が僕の秘書だと言おう」
「いいわ」
出勤の合間を縫って、理子は病院へ向かった。
できるだけ黒沢家や早瀬家の人間と鉢合わせしないように気をつける。
優也が入院している今、この時間はきっとベビーシッターがいるはずだ。
息子のことを考えないと言ったら嘘になる。医者からはっきりと身体が妊娠に耐えられないと言われるまでは、なんとか優也を救おうといろいろ手を尽くしてきた。
この二日間、息子のことがずっと心に引っかかっている。
祖母と優也の病室は隣同士で、今の理子には面会の許可がある。
優也の病室の前まで来ると、中から話し声が聞こえてきた。
「優也、もしパパとママが別れたら、どっちについていく?」
竹内文子の声だろうか?
誤算だった。まさかこの時間に竹内文子が病院にいるとは思わなかったし、息子のベッドの前でこんなことを言っているとは思いもしなかった。
優也はほとんど考えもせず、即座に答えた。
「もちろんパパだよ!そして、清美姉さんがママになって!」
竹内文子はすぐに同調した。
「まあ、優也は本当にいい子ね!おばあちゃんが教えてあげるわ。君の選択は正しいのよ。君のママは刑務所に入っていたんだから、もし一緒にいたら、ほかの子に知られたら君のことを軽蔑するわよ。優也、そうなりたくないでしょう?」
理子はもう我慢できなかった。勢いよくドアを開け、鋭い視線で竹内文子を刺す。
「竹内文子!あなたみたいな愛人が、私の息子に何を吹き込んでるの?」
竹内文子は驚いて体を震わせ、あわてて立ち上がった。
「り…理子?あ、あなた、どうしてここに?」
その偽りの顔を見て、理子は今にもその口を引き裂いてやりたい気分だった。黒沢家の人の前ではいい人ぶりながら、裏では優也にこんな悪意を植え付けていたなんて!
怒りを必死に抑え、息子がベッドにいることを考える。
「どうしたの、現場を押さえられて動揺してる?」
竹内文子は本当に動揺して、無意識に後退りし、バッグを掴んで逃げようとした。
だが、優也は彼女の手をしっかり掴んだ。
「おばあちゃん、行かないで!ママが出ていけばいい!ママなんていらない、みんなにママが人殺しだって知られたくない!」
理子の胸は痛みに締め付けられ、鋭く声を張り上げた。
「優也!何を言ってるの?誰が君のおばあちゃん?君のおばあちゃんは……」
優也は大声で反論した。
「この人がそうだよ!おばあちゃんは遊園地に連れて行ってくれたし、おいしいものも買ってくれる!あっちのおばあちゃんは頭がおかしいし、暴力を振るうから、僕はこっちのおばあちゃんがいい!」
幼い息子の言葉が、まるで刃物のように理子の心に突き刺さる。
「優也、今日言ったこと、絶対に後悔しないでね!」
理子の声は凍りつくような冷たさを帯びていた。
竹内文子はわざとらしく困ったような、そして悲しげな顔を作ってみせる。
「理子ね、私が言うのもなんだけど、あなたとあなたのお母さんじゃ今は子供の世話は無理よ。私だって本当は出ていきたいけど、子供が許さないのよ。この二年間、あなたがいない間、子供は私たちとだけ過ごしてきた。それが私たちが本当に彼を思っている証拠よ」
理子は冷たく笑った。
「本当に思ってる?本当に思ってるなら、他人を悪く言ったり、事実を捻じ曲げたりしないはず。竹内文子、優也はまだ五歳で、何も分からない。でも、あなたは大人よ!分かってて、わざと彼を間違った方向に導いてる!そんな風に育てて、黒沢家や早瀬家に知られても平気?家から追い出されるのが怖くない?」
一歩前に詰めより、言葉ひとつひとつが心を抉る。
「忘れないで。たとえあなたが父の寝室に入れたとしても、私の母が離婚しない限り、あなたは永遠に表に出せない愛人なのよ!」
竹内文子の視線が揺れ、ふとドアの方を見た。すると一瞬で表情が変わり、すぐに涙を浮かべて、泣き声で懇願し始めた。
「理子……誤解よ……私は子供が可哀想で世話しているだけで、あなたのお母さんとおばあちゃんの座を奪おうなんて思ってない……今、優也の体がどんどん悪くなっていって……わ、私、あなたに土下座するから……どうか彼を助けて……」
言葉が終わらないうちに、「ドサッ」と理子の前に膝をついて土下座した!
ほぼ同時に、病室のドアが勢いよく開かれる。
竹内清美が風のように駆け込んで、竹内文子の前に立ちはだかった。
そして、その竹内清美の後ろから入ってきたのは、まさに早瀬深だった!
理子は心の中で冷たく笑う。やはり!竹内文子のやり方は、かつて母を追い詰めたときと全く同じだ。可哀想なふりをして同情を誘い、相手を陥れる!
早瀬深は理子の手首をがっしり掴み、彼女を竹内清美母娘から無理やり引き離して怒鳴りつけた。
「理子!正気か?どうして年長者にそんな態度をとれるんだ!」
理子は彼の手を振り払った。その勢いに早瀬深もよろめいた。理子は彼を真っ直ぐ見つめ、冷たく、そしてあからさまな嘲笑をそのままぶつけた。
「心が痛むの?なら、あなたが彼女の代わりに私に土下座してみせてよ!」