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第二十話 カルテ報告


早瀬深の視線は、理子の顔に鋭く突き刺さっていた。彼は、こんな彼女を見たことがなかった。


かつて、情熱的に自分を追い求め、黒沢家のお嬢様としての誇りを持っていた理子は、普段は穏やかな口調で彼に話しかけていた。


だが、目の前にいる理子は、鋭く、攻撃的で、まるで別人のようだった。その変貌ぶりに、深の心は不安に駆られた。


あの二年間の獄中生活が、彼女を完全に変えてしまったのだろうか――。


深はもう口を閉ざそうとしたが、背後で竹内文子の泣き声が急に大きくなった。竹内清美がそっと彼女を慰めている。


早瀬深の目はますます冷たくなり、まるで裁くような口調で言い放つ。


「これが黒沢家育ちのお嬢様としての品格か?」


理子は鼻で笑った。


「黒沢家に品格なんてある?浮気する父親、狂った母親、金しか頭にない兄二人、そして――誰かさんのおかげで植物人間になったおばあ様!」


その目は鋭く、竹内清美とその母娘を一瞥した。


深はその言葉に食い付いた。


「やはり、昔お前が俺を手に入れるために、全部演技だったんだな。」


理子はただ冷ややかに彼を見つめ、そこには見知らぬ色が浮かんでいた。


かつて彼女の心の中で輝いていた、潔白で高潔な男は、今や俗物にしか見えない。


彼女は視線を病床の優也へ向けた。子供は最初から最後まで彼女を見る目に嫌悪を込めていた。まるで彼女の存在そのものが、彼にとっての恥辱であるかのように。


心変わりした息子は、心変わりした夫よりも、はるかに心を冷やし、痛めつける。


今日、そもそも来るべきではなかった――。


理子はもうためらうことなく、くるりと背を向けて病室を出た。隣の、おばあ様の部屋へ向かう。


優也の病室の喧騒と比べて、ここは息が詰まるほど静かだった。


老婆は音もなく横たわり、体中に管を繋がれ、かすかに命を繋いでいた。この年齢で、これだけの重傷――目覚める望みは、ほとんどない。


ここには、嫌悪も、誤解もなかった。母が狂った後、おばあ様だけが、彼女の話を本気で聞いてくれ、理解してくれる唯一の存在だった。


おばあ様は休日に手作りのお菓子を持って彼女のアトリエを訪ね、彼女がLiアルゴリズムを開発した時は心から喜び、そして、すべてを捨てて深の起業を手伝うと決めた時には、こう深く諭してくれた。


――女は、どんな時でも自分の仕事を持つべきだ。男に振り回されるなよ――と。


「おばあ様、私が間違ってた……」


理子はおばあ様のやせ細った手を握りしめ、嗚咽まじりに言った。


「恋に溺れて、あの偽りの甘さに酔いしれて……その下に腐ったゴミが隠れてることに、気づかなかった。全部、私のせいで……」


「おばあ様、お願い、目を開けてよ。叱ってくれてもいい、怒ってくれてもいい、だから……目を覚まして……」


二年間溜め込んだ悔しさが堰を切ったように溢れ出し、理子はおばあ様の手を顔に押し当て、静かに涙を流し続けた。だが、老婆は全く反応しなかった。


彼女は長いこと呟き続け、ようやく心を落ち着けて主治医を探しに行った。


予想通り、二年前の致命傷はほとんど不可逆で、回復の見込みは限りなく薄かった。現状維持は命を繋ぐだけで、管を抜けば死を意味する。


黒沢家が彼女の命を繋いでいるのは、名門の家柄と背後の価値のために他ならない。人が亡くなれば、その絆も消えてしまう。


理子だけが、心からこの最後の家族を失いたくなかった。


病院を出ると、運命の悪戯か、またしても早瀬深一行と鉢合わせた。


彼は竹内清美と竹内文子を車に乗せるため、丁寧にドアを開けている。その親切で和やかな様子は、誰が見ても本当の家族のようだった。


そして、理子だけが余計な存在なのだ。


――それでいい。これなら、早瀬深との離婚もすぐに片が付きそうだ。


車内で、竹内文子が「偶然」窓の外の理子を見かけ、わざとらしく言った。


「深、理子さんがいるわ。タクシーがつかまらないみたいよ?良かったら、送ってあげましょうか?」


竹内清美がすぐに口を挟み、穏やかだが棘のある声で言う。


「お母さん、余計なことしない方がいいですよ。お姉さんがあなたを見たら、また騒ぎになるだけですから。」


竹内文子はため息をつき、寛容な年長者を演じた。


「私なんて、もう年だし、少しぐらい我慢できるわ。ただ、あなたたち若い人が仲良くしてくれたらそれで……」


早瀬深も理子の方を一瞥した。自分が運転し、助手席には竹内清美、後部座席に竹内文子――もう一人乗るスペースは十分ある。


ふと、その考えが頭をよぎったが、すぐに打ち消した。


この女は名門大に合格したと嘘をつき、長年自分の前でおしとやかな妻を演じて早瀬家に嫁いできた。今ここで親切にしてやれば、ますますつけあがるだけだ。


放っておいて、どん底を味あわせれば、いずれ自分の元に戻ってくるだろう。


そう思い、早瀬深は何のためらいもなくドアロックをかけ、アクセルを踏み込み、車を走らせた。


深たちが去ってすぐ、流線型の、控えめながらも高級感あふれる一台の高級車が静かに理子の前に停まった。


ウィンドウがゆっくり下がり、端正でインパクトのある横顔が現れる。男の低く響く声が、はっきりと彼女の名前を呼んだ。


「黒沢理子さん。」


理子はその声に振り向き、一瞬だけ目を見張ったが、すぐに警戒心をあらわにした――彼女はこの男を知らなかった。


彼女はまっすぐ男を見つめ、警戒した口調で言う。


「人違いでしょうか。私に何の用?」


男の長い指がハンドルにかかり、もう一方の手で分厚いクラフト紙の封筒を持ち上げ、彼女の前で軽く振った。唇に意味深な微笑を浮かべる。


「間違いありません。あなたを。」


理子は眉をひそめる。


「私たち、知り合いですか?」


男は封筒をもう一度揺らし、低く確信に満ちた声で言った。


「偶然ですが、ここにあなたの全てのカルテがあるんですよ。」


理子の瞳孔が一気に縮まり、窓に身を乗り出して、張りつめた声で問い詰めた。


「あなたは誰?何が目的なの?」



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