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交換花譚 ―后に選ばれぬ者たちの館―
交換花譚 ―后に選ばれぬ者たちの館―
YOR
歴史・時代日本歴史
2025年07月29日
公開日
1.9万字
連載中
※歴史の糸を紡ぎながらも、現実とは異なる独自の文化と制度が息づく、架空の和風世界を舞台にした物語です。 【あらすじ】 この国では、「后」となる妃に求められるのは――“女子を授かること”。 男子ばかりを授けた妃は、どれほど家柄が良くとも后にはなれない。 そして、女子を産まぬ妃のもとには、“交換”という制度がある。 農民、庶民、あるいは卑賤の家から娘を一人「交換」する。 その娘は妃の娘として籍に入り、実の親との縁を断ち、后に選ばれる運命を託される。 代わりに、妃の実子である男子は密かに里に降ろされるのだ。 そうして送り込まれた娘たちは、ある一つの館に集められる。 それが―― 人々がひそかに呼ぶ「交換花の館」。 ここは、后に選ばれぬ者たちの館。 交換された少女たちは、「身分を持たない仮初の姫」として暮らし、 様々な学問を学びながら、静かに己の存在理由を問う。

第1話:男装の娘と、女児を産む国

――女児を産めぬきさきは、きさきになれない。


それは、この国にまだ『交換花譚制度こうかんかたんせいど』がなかったころの話にございます。


わたくしが王妃様の侍女を務めておりましたころ──そのお方は、男女の双子を慈しみ育てておられました。

男児には花蕊かづい、女児には真葉まはと名付け、朝な夕な、庭にて遊ぶお姿は、それは、それは美しゅうございました。


真葉まは姫様は、5歳とは思えぬほどのご聡明さで、何より、言葉以上に雄弁に語る「香り」を嗅ぎ分ける才能をお持ちでございました。


ある日、庭の白梅の前で立ち止まり、目を閉じてこう申されたのです。

「この花は、昨日よりも静か。誰かが泣いたのかも」

その言葉に、妃様はふと目を伏せ、そっと真葉まは姫様の髪を撫でられました。


隣では活発で好奇心旺盛な花蕊かづい坊ちゃんが、鯉の跳ねる池へと真葉まは姫様の手を引いて走ってゆき、笑い声が庭に響いておりました。


あの頃の妃様は、双子の成長を何よりの喜びとされており、この幸せが永遠に続くものと、信じておられたのでございます。


けれども──その幸せは、長くは続きませなんだ。


その年、宮廷にて新たな制度が定められました。

その制度の名は、『交換花譚制度こうかんかたんせいど』。


この制度の背景には、悲しい歴史がございます。


かつて王家は男系の継承を重んじ、争いが絶えませなんだ。

血で血を洗う戦乱が国を疲弊させ、多くの命が失われました。


戦乱を鎮めたのは、香をもって人心を掌握した女性たち。

自らの心を香りに託し、愛する人々を守るために、身を削って争いの渦中へと身を投じたのでございます。


その才をたたえ、女児こそ国を導くべしという考えが広まりました。


しかし、この考えが新たな制度として定められることは、それまで一度もございませんでした。

そのため、宮廷は誰もが困惑し、実例のない前代未聞の事態に、下女たちは噂していたのです。


「『交換花譚制度こうかんかたんせいど』って言うのができたらしいよ」


「男女の双子をお産みになったあの妃様は、どうなるのかしら?」


「男の子は、家門に名を残すことすらできないそうよ。」


「女の子だけが、后の候補になのよね」


この制度の裏には、残酷な仕組みが隠されておりました。


王家から女子が生まれぬ場合、妃の実子である男子を密かに里に降ろし、代わりに身分の低い家の娘を妃の娘として迎える、それが「交換」という制度だったのでございます。


この制度となったのは、イナ妃様の手によるものにございます。

香后こうごう様はご老体ゆえ隠居されており、その代わりに元は掃除係であられた方──その才覚と執念により、今や実質的な権力を握るお方となりました。


双子を育てる妃様の在り方は、制度に綻びをもたらすものとされたのでございます。

それは、ただ、純粋な愛情ゆえに、二つの命をともに手放せなかった。

そのことが、ついにイナ妃様の耳に届いたのでございます。


「そなたの行動は、制度の定めに背くものだ。王室の威厳を保たれよ」


その言葉を受け、妃様はすべてを悟られました。

その夜、わたくしと清溶ちょんよんに、密やかな命を託されたのです。


明溶みんよん清溶ちょんよん、頼みます。あの子たちを、どうか守って」


その夜、イナ妃の侍女によって、双子様はそれぞれ別の場所へと連れて行かれたのでございます。


明溶みんよんは、宮廷から出された真葉まは姫様を追い、故郷の農村へと参りました。

幼き真葉まは姫様は、何も問わず、ただ静かにわたくしの手を握っておられました。


村の夫婦に事情を話し、姫様を「」と名付けて託したのでございます。


清溶ちょんよんは、イナ妃によって少し格のある屋敷へ送られた花蕊かづい坊ちゃんを追いました。


清溶ちょんよんには、かつて師事していた百花庵との縁があったのでございます。


そこで、花蕊かづい坊ちゃんが安全に過ごせるよう、庵主と密かに手を結び、花蕊かづい坊ちゃんは「」と名を変え、女の子として暮らすこととなりました。


妃様は、双子様と引き離された悲しみから、次第に心を病まれました。


やがて、妃様の食事には、何者かによって少量ずつの毒が盛られるようになり、そのお身体と心を蝕んでいきました。


妃様の立ち居振る舞いには、かつての高貴な品格をかろうじて残しておられましたが、髪は伸び放題となり、王様から贈られた一本のかんざしだけを、緩く束ねておいででした。

そのかんざしは、わたくしたち侍女が命がけで隠し、妃様にお渡ししたものでございます。


窓から差し込むわずかな光の下、妃様の香りだけは、まだ完全に失われてはおりませなんだ。


それは、冬の寒さに耐えて咲くのような、もの悲しくも、強い決意を秘めた香りでございました。


妃様は幽閉されたまま、遠く離れた双子様の無事を、ただひたすらに祈り続けておられました──。



* * *



スハ様が農村の暮らしに、なかなかなじめずにおられた頃のことでございます。


ある日──

その川辺にて、書物を広げていたスハ様に──

一人のご婦人が、風のようにひっそりと現れ、声をかけられたのでございます。


「――お前は、人とは違うものが見えているのだろう」


そのお声は、まるで香のように静かで、けれど確かに心に届くものでございました

ご婦人は、スハ様の小さな手にそっと触れ、指先に墨の筆をなぞられました。


「学を学びなさい。弓も剣も、馬も。

そして何より、人間の本質を観察する目を持ちなさい」


その言葉は、種のようにスハ様の幼き心に蒔かれ、やがて深く根を張ることとなりました。


川辺でご婦人と過ごされた日々は、スハ様にとって何よりも安らぎに満ちたひとときにございました。


ご婦人は、いつも問いかけておられました。


「花とは何か?」

「真の香とは?」

「和平の根にあるものは?」


その問いは、まるで香の層を一枚ずつ剥がすように、スハ様の心を静かに揺らしておりました。


そして、ご婦人は語られました。

制度の矛盾、宮廷に渦巻く欲──それらを香によって読み取る術を。


「一つの腹から生まれた二人が、別々の運命に分かたれる。

その矛盾が、制度の綻びとして隠された。

綻びは、やがて真の姿を現す──その時、お前が嗅ぎ分けるのだ」


そのお言葉は、幼きスハ様の胸に深く刻まれ、香のように消えることなく残り続けたのでございます。



* * *



あれから、五年の歳月が流れ──

スハ様は、十歳になっておられました。


村の者たちの間で、こんな噂が囁かれていたのでございます。

「男の子のような服を着ているが、見惚れるほどに美しい娘がいる」

「言葉少なだが、所作は静かで洗練されている」

「書も詩も学び、農家の娘にしては尋常でない教養を持つらしい」


その娘こそ、妃候補として交換されるはずの一人──


農村の片隅で、静かに暮らしておられたスハ様にございます。


けれど、スハ様は妃となることを望んでおられませんでした。

着飾ることも、媚びることも、選ばれるための努力も──

すべてを拒み、男装をして日々を送っておられました。


その在り方が、かえって周囲との違いを際立たせたのでございます。


努力せずとも目を引く。

競わずとも見惚れられる。

そんな不思議な魅力を、スハ様は自然と身にまとっておられました。


后宮の空気さえ吸ったことのない娘の噂が、風に乗って、遠い后宮にまで届き始めた頃──

ふと耳にしたその噂に、目を細めた一人の妃がおりました。


后宮に仕えるその方は、誰よりも早く行動を起こされたのでございます。


それが、すべての始まりにございました。




(つづく)

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