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第10話 彼女なんて、作ろうとするな

 昼休み、寄宿舎の裏庭。


 章吾は、ベンチに腰かけ、スマホを手のひらでいじくり回していた。


「……なあ、チャド」


「ん? なんだよ、ブラザー!」


 陽気なアメリカン、チャドがにこにこ顔を向ける。

 章吾は、少し顔を赤らめ、低く続けた。


「……彼女、作りてぇんだけど」


 チャドは目を丸くした。


「マジか! いいじゃん!……でも、本当に『彼女』がほしいのか? 」


 一瞬、間が空いた。


「ほ、ほしい。だから、アプリとかないのかよ」


 章吾はスマホを握りしめる。必死だった。自分に言い聞かせるように。


(俺は……ふつうだ。女が好きなんだ)


 あいつに惹かれてなんか、いない。だから、証明しなきゃ。


 チャドは嬉々としてスマホを取り出す。


「これ、超オススメのマッチングアプリな。恋愛なら俺に任せとけ。とにかく行動あるのみだ!」


「マジか」


 章吾もスマホを開き、画面を覗き込んだ。その瞬間だった。


 背後から、ひやりとした声が飛んだ。


「何をしている?」


 振り返ると──アルジャーノンが、蒼い瞳でじっと立っていた。



 アルジャーノンは、静かに歩み寄ってきた。


 制服の上着が風に揺れる。佇まいは端正だが、足取りには苛立ちがにじんでいた。


「……Hiwatari」


「な、なんだよ」


 章吾はスマホを慌てて背中に隠した。まるで悪いことをした子供みたいに。


 アルジャーノンは一歩、ぐっと踏み込んだ。


 目が合った瞬間、章吾は息を呑む。その蒼い瞳には、見たこともない怒りが宿っていた。


「未成年だろう。マッチングアプリは禁止だ」


 ぴしゃりとした口調。冷静な言葉なのに、どこか焦りが混ざっている。


(……なに、マジギレ?)


 章吾はまばたきした。その横でチャドが小声で呟く。


「お、おい……アルジー、超マジ顔だぞ……」

「……別に、ただ彼女作りたかっただけだろ」


 章吾がぼそっと言い訳すると、アルジャーノンの眉がびくりと動いた。


「……愚か者め」

「な、なんだよ!」

「君が……そのような、見ず知らずの相手に身を預けるなど──あってはならない」


 声が少しだけ上ずっていた。普段の彼からは想像もつかない動揺が、滲んでいた。


「知らない相手にそそのかされたら、どうする。

 そのような者に、君を傷つけさせるわけにはいかない」


 一瞬、口をつぐむ。


「それでもまだ、『誰でもいい』なんて言えるのか?」


 章吾は、ごくりと喉を鳴らした。叱られているはずなのに、どこか、胸が締めつけられた。


「……なんで、そんな真剣なんだよ」


 その問いに、アルジャーノンの唇がわずかに震える。何かを言いかけて、やめたように見えた。


「君は……そんなもので、心を与えるべき人じゃない」


「は?」


「君には、もっと大事にしてくれる人が──」


 言いかけたところで、アルジャーノンは目を逸らした。ほんのわずか、耳が赤くなっていた。


 章吾の胸が、どくんと跳ねる。


(……なんだよ。なにを言いかけたんだよ)


「……俺、別に誰でもいいわけじゃないし」


 そう呟くと、アルジャーノンの肩がふっと緩んだ。


「ならば……最初から、やめてくれ」


 その声音は、さっきよりも少しだけ、優しかった。

 章吾はスマホをポケットにしまいながら、呟く。


「わかったよ。もうやんねぇよ、マッチングアプリなんか」


 アルジャーノンは、どこか安堵したように息を吐いた。


「当然だ」


 そう言った彼の耳は、やっぱり赤かった。


「……嬉しそうな顔すんな」


 章吾が言うと、アルジャーノンは少しだけ顔を背けた。


「嬉しくなど、していない」


「嘘つけ。耳、真っ赤だぞ」


 否定はなかった。その仕草が、何より雄弁だった。


 章吾は、思わず小さく笑った。


(……やっぱバカだ、俺)


 言い合ってばかりなのに、どうしてこんなふうに、心が温かくなるんだろう。



 夕暮れの校庭。


 ふたりは、特に言葉もなく並んで歩いた。章吾は、心の中で呟く。


(……ま、別に。悪くないかもな)


 すると、アルジャーノンがちらりとこちらを見た。章吾は慌てて目を逸らす。


「……変な顔すんな」


「失礼な。君の顔ほどではない」


「は?」


 軽く小突きあいながら、ふたりの歩幅は、自然とぴたりと揃った。


 傾いた夕陽が、ふたりの影をそっと重ねた。 

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