昼休み、寄宿舎の裏庭。
章吾は、ベンチに腰かけ、スマホを手のひらでいじくり回していた。
「……なあ、チャド」
「ん? なんだよ、ブラザー!」
陽気なアメリカン、チャドがにこにこ顔を向ける。
章吾は、少し顔を赤らめ、低く続けた。
「……彼女、作りてぇんだけど」
チャドは目を丸くした。
「マジか! いいじゃん!……でも、本当に『彼女』がほしいのか? 」
一瞬、間が空いた。
「ほ、ほしい。だから、アプリとかないのかよ」
章吾はスマホを握りしめる。必死だった。自分に言い聞かせるように。
(俺は……ふつうだ。女が好きなんだ)
あいつに惹かれてなんか、いない。だから、証明しなきゃ。
チャドは嬉々としてスマホを取り出す。
「これ、超オススメのマッチングアプリな。恋愛なら俺に任せとけ。とにかく行動あるのみだ!」
「マジか」
章吾もスマホを開き、画面を覗き込んだ。その瞬間だった。
背後から、ひやりとした声が飛んだ。
「何をしている?」
振り返ると──アルジャーノンが、蒼い瞳でじっと立っていた。
アルジャーノンは、静かに歩み寄ってきた。
制服の上着が風に揺れる。佇まいは端正だが、足取りには苛立ちがにじんでいた。
「……Hiwatari」
「な、なんだよ」
章吾はスマホを慌てて背中に隠した。まるで悪いことをした子供みたいに。
アルジャーノンは一歩、ぐっと踏み込んだ。
目が合った瞬間、章吾は息を呑む。その蒼い瞳には、見たこともない怒りが宿っていた。
「未成年だろう。マッチングアプリは禁止だ」
ぴしゃりとした口調。冷静な言葉なのに、どこか焦りが混ざっている。
(……なに、マジギレ?)
章吾はまばたきした。その横でチャドが小声で呟く。
「お、おい……アルジー、超マジ顔だぞ……」
「……別に、ただ彼女作りたかっただけだろ」
章吾がぼそっと言い訳すると、アルジャーノンの眉がびくりと動いた。
「……愚か者め」
「な、なんだよ!」
「君が……そのような、見ず知らずの相手に身を預けるなど──あってはならない」
声が少しだけ上ずっていた。普段の彼からは想像もつかない動揺が、滲んでいた。
「知らない相手にそそのかされたら、どうする。
そのような者に、君を傷つけさせるわけにはいかない」
一瞬、口をつぐむ。
「それでもまだ、『誰でもいい』なんて言えるのか?」
章吾は、ごくりと喉を鳴らした。叱られているはずなのに、どこか、胸が締めつけられた。
「……なんで、そんな真剣なんだよ」
その問いに、アルジャーノンの唇がわずかに震える。何かを言いかけて、やめたように見えた。
「君は……そんなもので、心を与えるべき人じゃない」
「は?」
「君には、もっと大事にしてくれる人が──」
言いかけたところで、アルジャーノンは目を逸らした。ほんのわずか、耳が赤くなっていた。
章吾の胸が、どくんと跳ねる。
(……なんだよ。なにを言いかけたんだよ)
「……俺、別に誰でもいいわけじゃないし」
そう呟くと、アルジャーノンの肩がふっと緩んだ。
「ならば……最初から、やめてくれ」
その声音は、さっきよりも少しだけ、優しかった。
章吾はスマホをポケットにしまいながら、呟く。
「わかったよ。もうやんねぇよ、マッチングアプリなんか」
アルジャーノンは、どこか安堵したように息を吐いた。
「当然だ」
そう言った彼の耳は、やっぱり赤かった。
「……嬉しそうな顔すんな」
章吾が言うと、アルジャーノンは少しだけ顔を背けた。
「嬉しくなど、していない」
「嘘つけ。耳、真っ赤だぞ」
否定はなかった。その仕草が、何より雄弁だった。
章吾は、思わず小さく笑った。
(……やっぱバカだ、俺)
言い合ってばかりなのに、どうしてこんなふうに、心が温かくなるんだろう。
*
夕暮れの校庭。
ふたりは、特に言葉もなく並んで歩いた。章吾は、心の中で呟く。
(……ま、別に。悪くないかもな)
すると、アルジャーノンがちらりとこちらを見た。章吾は慌てて目を逸らす。
「……変な顔すんな」
「失礼な。君の顔ほどではない」
「は?」
軽く小突きあいながら、ふたりの歩幅は、自然とぴたりと揃った。
傾いた夕陽が、ふたりの影をそっと重ねた。