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第24話 これは偶然だ

 花冠をかぶって、微笑む。春の天使みたいだったアルジャーノン。


 翌日もその姿がまぶたに浮かんで、章吾はどこか落ち着かなかった。


 寄宿舎の廊下を、うろうろと歩き回って。自分の熱を冷やすように、風に当たっていた。


 さらに──


(……どっかで、会わねぇかな)


 そんなことを考えていた。情けないと思いながらも、止められなかった。


 そして、曲がり角の向こうから――アルジャーノン・フォーセット=レイヴンズデイルが現れた。


「……よ」

 章吾はかろうじて、それだけ口にした。


「……ああ」

 アルジャーノンも、かすかに頷いた。


 それだけだった。ふたりは、すれ違った。背中合わせに、何もなかったふりをして。


 でも、章吾は振り返ることができなかった。


 アルジャーノンも、振り返らなかった。その背中が、やけに遠かった。


(……なんだよ)

(なんで、こんなに、簡単にすれ違えるんだよ)


 胸の奥で、小さな棘がずっと刺さったままだった。



 朝。


 章吾はぼんやりとベッドに腰掛けていた。

 ひとりきりの空間。誰にも気を遣わなくていい。


 好きなときに好きなように過ごせる。それは本来なら、歓迎すべきことだった。それなのに。


(……落ち着かねぇ)


 ポツンと広がる静けさ。どこにも、窓辺で本を読んでいる誰かはいない。


 章吾はわざと大きな音を立てて荷物をいじった。でも、その音すら、やけに虚しく響いた。



 廊下を歩く足音が、やけに響いていた。章吾はすれ違ったアルジャーノンの背中を思い出していた。


(……なんなんだよ、あの空気)


 ぎこちない挨拶。振り返ることもできなかった自分。情けなくて、胸の奥がざわついて仕方なかった。


 そんなとき、後ろから軽い足音が近づいてきた。


「Hiwatari君、浮かない顔だね」


 気だるげな声。振り向かなくても、わかった。レジナルドだった。


「……うるせぇ」


 ぶっきらぼうに返す。レジナルドは気にしたふうもなく、にやりと笑った。


「アルジーと、すれ違った?」

 ビクッと、肩が跳ねた。


 レジナルドは悪びれもせず続けた。


「寂しいんじゃない? ひとりの部屋に戻ったら、静かすぎて……ほら、ね?」


 にやにや。茶化すような、悪戯っぽい笑顔。章吾は顔をしかめた。


「別に、そんなこと──」

 言いかけて、言葉に詰まった。


 返事をし損ねた章吾に、レジナルドはますますにやにやして肩をすくめた。


「ふうん、まあいいけど。顔に、全部出てるよ」


 最後に軽くウインクまでして、レジナルドは軽やかに歩き去っていった。


 章吾はその背中を見送りながら、深くため息をついた。


 胸の中で、ぐらぐらと小さな波紋が広がっていった。


 夜。章吾はベッドに寝転がっていた。天井を、ぼんやりと見つめる。レジナルドに言われた言葉が、まだ耳に残っていた。


「寂しいんじゃない?」「顔に出てるよ」


(……うるせぇ)

(そんなわけ、ねぇだろ)


 そう思って、そう思い込もうとして。でも、どうしても。胸の奥のざわざわは、消えてくれなかった。



 目を閉じる。暗闇の中に浮かぶのは、金色の髪と、蒼い瞳。礼拝堂で。談話室で。窓辺で。静かに隣にいたあいつの姿。


(……あいつ)

(いま、なにしてんだろ)


 無意識に、そんなことを考えていた。隣の部屋にいるわけでもないのに。隣にいない、今だからこそ。やけに、強く思い出してしまう。胸が、ぎゅうっと締めつけられる。


(なんで、こんなに)

 ただの寂しさとも、ただの友情とも違う。章吾は薄く目を開けた。


 冷たい天井を見上げながら、小さく、吐息をこぼした。


(……やっぱ、俺、あいつが好きだ)


 夜の静けさが、余計に、胸のざわつきを際立たせていた。

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