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第25話 それはどういう意味だ

 寮の談話室。章吾はソファに沈み込んでいた。窓の外では、アイビーの葉が風に揺れている。


 手元の携帯電話が、低く震えた。【父親】。周囲に誰もいないことを確認してから、通話ボタンを押した。


「──もしもし」


 受話器の向こうから、張りつめたような父の声が聞こえた。


『章吾。様子はどうだ?成績は?』


 「──まぁ、普通だよ」


 無駄のない問いかけ。そして、父が思い出したように言った。


『留学先には、馴染めたか?』


 章吾は少し黙り、ぽつりと口を開いた。


「いまは、馴染めてる。『友達』のおかげだ」


『そうか』


 父の声は、一瞬だけ柔らかくなった気がした。


『世界を導く者は、支え合う術も覚えねばならん』


 それだけ言って、あっさりと通話は切れた。章吾は、スマホを見つめたまま、しばらく動かなかった。


「……友達、か」


 ぽつりと呟く。


 部屋で、教室で、ボートの上で。

 何度も、何度も、笑って、ぶつかって、それでも並んで立ってきた顔が浮かぶ。そして、胸の奥がざわめいた。


(……あいつも、友達、だよな)


 だけど、どうして。アルジャーノンの顔だけ、こんなにも鮮やかに浮かぶんだろう。


 その答えは、もうとっくに知っていた。


 友達なんかじゃない。俺はあいつのことが──


「Hiwatari」


 心臓がひとつ跳ねて、振り返る。いつも通りの微笑を浮かべた、アルジャーノンが立っていた。


「電話?」

「あ、ああ」

 章吾は目を泳がせた。そのぎこちない視線に、アルジャーノンは眉をひそめた。


「どうした?」

「……なんでもない」

「何かあったか?言ってみろ。友達じゃないか」


 そのとき、「友達」という二文字が──刃物のように章吾を刺した。それがほしかった言葉なのに、それじゃ足りないことに、気づいてしまった。


「……お前はもう、俺の『友達』じゃない」

 章吾は、スマホを握りしめる。


 言いながら、自分の心が小さくひび割れていくのがわかった。


 どこかで、期待してた。ほんの少しでいいから──こいつだけは、わかってくれるんじゃないかって。


 だけど、アルジャーノンの目は揺れたままで。何も気づいていない、みたいで。それが、なんだか腹立たしくて。


(なんで、こいつ、こんなに鈍いんだ)

(俺が、どれだけ──)


 気づけば、アルジャーノンが章吾の腕にそっと手を伸ばしていた。

「意味が分からない、説明し──」


 その瞬間、章吾は手を振り払った。乾いた音がして、アルジャーノンの手が宙を泳いだ。空気が裂けた。


「──っ!」

「俺の気持ちなんて、知らないくせに……!」


 言葉にしたら、かえって苦しくなった。こみあげるものを飲み込む喉が、ひりついた。


アルジャーノンは、少しだけ後ずさる。「Hiwatari……」と呼びかける声が、遠くに聞こえた。


 沈黙の中で、たしかに何かが、壊れた。ふたりの間に積み重なっていた、やわらかくて大切なものが──二度と元には戻らない音で、砕け散った。

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