朝の寄宿舎。
章吾は、ネクタイを結びながら鏡の中の自分をぼんやりと見つめていた。
目の下の隈が、ひどく濃い。昨夜、ほとんど眠れなかった。
(……あいつ)
思い出すたびに、胸の奥がきゅうっと軋む。昨日、口にしてしまった言葉が、耳の奥で繰り返される。
「お前に結婚なんてしてほしくない」
言ってしまった。もう、ごまかせない。
ネクタイの結び目を思いきり締めたせいで、喉が詰まる。それでも緩める気にはなれなかった。
──戻れない。そんな気がしたから。
(俺は……)
(あいつを、諦めたくない)
それだけは、はっきりしていた。
深く息を吐いてジャケットに袖を通し、ドアを開けた。
*
ロビーの隅。章吾はソファに座り、教科書をぱらぱらとめくっていた。……フリだった。内容なんて頭に入ってこない。
原因は、目の前でコーラをちゅーちゅー吸いながら、ニヤニヤしているチャドだ。
(……なんだよ、あいつ)
ちら、とだけ目を向ける。睨んだつもりだったが、まったく効果はない。
「……見んな」
低く呟くと、チャドは嬉しそうに肩をすくめた。
「いやぁ~、青春っていいなって思ってさ」
「は?」
「べっつに~」
にやぁっと笑うその顔が、ひたすらイラつく。心の中で何度も深呼吸。感情を顔に出していないはずなのに、心臓だけが勝手に暴れていた。
金色の髪、透き通る瞳。そして──あの言葉。
『お前に結婚なんてしてほしくない』
(……言っちまったもんな)
(取り消せねぇよな)
教科書の角を指先でぎりぎりと押し潰す。チャドのニヤニヤも、レジナルドの視線も、全部、無視したかった。
でも、もう遅い──誰よりも、自分が一番わかっていた。