午前二時。
アルジャーノンは、眠れなかった。
「お前はもう、俺の『友達』じゃない」
「……お前に、結婚なんてしてほしくない。それだけだ」
章吾の、ふたつの言葉。それは──友情の否定ではなく、愛の告白だったのかもしれない。
ベッドに仰向けたまま、アルジャーノンは目を閉じた。それなのに、眠りは来なかった。脳裏には、章吾の顔が焼きついていた。
ふいに、あの言葉が脈を打つ。
(──もし、私がそれに応えるなら)
思考が静かに、だが確かに、ある場所へと辿り着く。
彼を選ぶということは──この家を、父を、未来を、問うことだ。
アルジャーノンは、ゆっくりと身を起こした。毛布が肩から滑り落ち、足元に積もる。
机の上には、薄明かりの中で揺れる便箋があった。書きかけの手紙。書き出せなかった未来。
彼は一歩、また一歩と歩み寄る。時計の針は、午前三時を指していた。
ランプの灯りが、かすかに揺れている。筆を手にしてから、長い沈黙があった。
便箋には、自分の名前だけが書かれている。
「Algernon Fawcett-Ravensdale」
父が与えた名。家が背負わせた名。
けれど今、それはただの「名」だった。
(──私は、それを、誰のために残す?)
静かに視線を落とす。記憶の底から、章吾の声が蘇る。
『……お前に、結婚なんてしてほしくない』
(……どうして、あのとき言えなかったのだ)
(あれは、私のすべてを試された問いだったのに)
彼の脳裏に浮かぶのは──笑う顔。ぶっきらぼうな口調。時々、泣きそうな目。
「……もし、父があいつを認めないと言ったら」
声に出してみると、それはずしりと重く胸に落ちた。
「……情けないな」
ぽつりと呟いて、ランプの火を絞る。部屋はさらに薄暗くなり、心の内だけが明るく燃える。
アルジャーノンは、そっと左手の薬指を見つめた。そこにはまだ何もない──だが、彼を迎える準備は始まっていた。
「何年かかったって、いい」
そして、筆を走らせる。
Shogo──
その一文字の中に、彼は国より重い決意を込めた。
未来がどう転んでも、この気持ちだけは変わらない。
この手で守る相手は、もう決まっている。誰の許しもいらない。
ただ、君の心がほしい。
君しかいない。
便箋には、整然と文字が並んでいく。それはまるで、誓いのように強い愛の詩だった。