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第3話 解析

 研究室からとある倉庫に転移させられた5人は、目の前に鎮座するコンテナの山に意識が遠のきそうになった。


「これ……本当に今日中に終わらせるんですか?」


というフォルトンの声に、マーベック氏は申し訳なさそうに頷いた。


 一同はラッピングされたコンテナを解き、浄化薬に解析魔法をかけて検証作業を行っていった。チェックが終わったものからマーベック氏の指示のもと、サルベルト教授たちが魔法でまたコンテナに入れて積んでいく。汚染された魔力で作られたものは、やはり微かに揺らぎがあり、解析魔法を通して伝わってくる臭いものを嗅がされているような感覚は、レイへ精神的なダメージも蓄積していった。少しでも疑問が残るものについては弾いていくが、汚染された魔力で作ったものが今後どのように変質するかは分からない。ここまでくるとセンスと経験則がものをいう。


「俺が見た分、責任取れないですよこんなの!」

「浄化薬の使用期限は製造から3か月! 保管状況によっても品質なんて変わるんだから、半年以降のことは考えなくていい!」

「3か月伸ばしてるじゃないですかッ!」


手を休ませず、レイはヤケを起こしながらマルキオン教授に毒つくが、同じく手を止めないマルキオン教授にいけしゃあしゃあとハードルを上げられた。お互い消耗してイライラしているのはよくわかった上での応酬である。


「これ、相手の税関で引っかかったりしないです!? 汚染された『臭い』でバレそうじゃないですか!?」

「――君ね、知らないで言ってるかもしれないけど、そういうの感じ取れるのは魔術師でも少ないよ? 頼りにしてるんだからもうちょっと自分を信じて!」


レイはマルキオン教授の言葉に耳を疑った。自分が顕著に感じている悪臭を、他の人は感じていないだと? 俄かに信じがたく、同じく解析魔法が使えるフォルトンを見るが、フォルトンはレイが何を言っているのか分からないという視線を投げかけてくる。レイは驚いたが、こんなところに適正があっても今の自分には何の足しにもならないことに辟易した。早くこの体質が何とかできる薬を開発したい。――そうじゃないと、いつまでたっても俺はただ養われているだけの人間になってしまう。


 そこからは淡々と検証作業が行われた。ほぼ持続的に魔力を流し続けるため、ものの30分程でレイの魔力回路は熱をあげ痛みを伴い始めた。魔力回路の発熱抑制剤は朝服用したため、次に飲めるのは昼頃になる。レイは途中で痛み止めも服用した。昼過ぎになって、マーベック氏が一度席を外し、ランチボックスをもってまた転移してきた頃には、レイは熱中症のような症状でふらふらしていた。体の熱さで食べる気は起きなかったが、もらったランチボックスを何とか気持ちで胃に流し込み、また発熱抑制剤をかみ砕いた。魔力回路の熱なのか知恵熱なのか分からず、熱を冷まそうと、ふらふらと倉庫の中を歩いた。


 熱が少し落ち着いた頃、レイはふと思い立って、マーベック氏が見ていないことを確認し、手近にあるコンテナの前にしゃがみ込んだ。コンテナ自体に解析魔法を応用し、どこから運ばれて来たのかを遡れるかを試みる。もし本当に解析魔法に自分の適性があるのなら、きっとできるはずだ。レイはコンテナに手をかざして、魔力を流し込んだ。急遽組み立てた応用魔法なので、魔力の消費量が多い。これは解析魔法の構築理論を見直す必要があるな、と痛感した。


 確認できた情報が視覚情報として巻き戻されるように脳裏に浮かんでくる。体がまた熱くなってくるが、構わずレイは続けた。もっと、もう少し、あともうちょっと。脳裏に浮かぶ映像が乱れ、キンキンと耳鳴りがし始める。魔力回路が灼ける寸前で、レイは魔法を解除した。息を切らしながら、魔法解除ギリギリに見た信じがたい映像を反芻する。掻いた汗が魔力回路の熱さのせいなのか冷や汗なのかが分からない。――遠くに見えた家紋、双頭の鷲に銀の杖のモチーフ。それは、貴族年鑑で王家の次に記載されているレーヴェンシュタイン公爵の家紋だった。


* * *


 レイはまた、国立魔法大学の仮眠室で目を覚ました。今度は起こされたわけではなく自然と目が覚めたが、気分は最悪だった。流石に二日連続で魔力回路がオーバーヒートを起こしたのだから、仕方がないだろう。体がとにかく重だるい。首を動かして壁掛け時計を見るが、まだぎりぎり朝と言っていいぐらいの時間だった。


 検証作業は、なんとか昨日の夜中に終わった。疲れて床に座り込んだマルキオン教授から「明日は休み……いや、ごめん。午前中はゆっくり休んで、昼からでいいから研究室に来てくれる?」と言われ、床にへばりついていたレイは片手をあげて応えた。一歩も動けず、心配したサルベルト教授が簡単にその場で診察してくれた。魔力呪い治療の専門家であるサルベルト教授は、すぐにレイの魔力回路の問題に気付いたようだ。その場で応急処置を施してもらい、何とか立ち上がれるようになって、皆で大学に帰ってきたときはすでに日付を跨いでいた。


 レイは寝返りを打ってもう一度眠りにつこうかと思ったが、いや、今日こそ風呂にゆっくり浸かろうと思いベッドから降りた。浴室に向かう前に、昨日鞄に入れっぱなしだった通信魔法機器を確認する。取り込み中モードにしてすべての通信を拒否していたのをすっかり忘れていた。ふと昨日の深夜に祖母から連絡があった履歴があったが、それ以降の着信履歴はなかった。深く考えず、通信魔法機器に魔力を流して補填してから浴室に入った。今日は洗髪剤の試供品は無いようだ。レイはほっとして服を脱いだ。


 湯を浴びると、頭がはっきりしてくる。昨日コンテナで試した解析魔法の組み立てに不備がなかったか頭の中で思考を繰り返す。魔力回路に負荷のかからない方法は? 使用魔力量を調整したらどの程度の映像になる? 今度魔法構築科の知り合いに話を投げてみようか。むしろもう何かノウハウがあるかもしれない。新しいことに挑戦できるなんてなんて素晴らしいんだ。なんてったって、向う1年間、課題免除なのだから!


 湯船に湯を張って浸かると、体にじんわりと熱が入って解れていく。時間としてはあまりのんびりはできないが、もう少し浸るぐらいには何も問題はない。――と、思っていた。


 部屋の方から通信魔法機器の呼び出し音が聞こえ始め、夢見心地が一気に現実に引き戻される。レイは立ち上がりたくなくて、魔法でドアを開き、さらに通信魔法機器を遠隔で手元に引き寄せた。黄みがかった赤色の魔法陣が通信魔法機器と一緒に浮かんで近付いて来る。まだ昼にはなっていないのに、どうしたのだろうと思いながら、レイは魔法陣に手をかざした。


「レイです」

「ははっ! お風呂入ってる? おはよう」


マルキオン教授の声が魔法陣から流れ始める。こちらの音声が浴室の反響音も拾って、風呂に入りながら受けているのはすぐにバレた。


「はい。どうしました?」


悪びれることなくレイは答えると、マルキオン教授は笑いながら続けた。


「サルベルト教授が心配してたよ。昨日の今日だからね。でも元気そうだね」


マルキオン教授の背後から小さく「余計なことを言うな」とサルベルト教授の声が聞こえた。どうやら二人一緒にいるらしい。


「サルベルト先生、先日はありがとうございました。おかげで助かりました」


レイは素直にお礼を言ったが、魔法陣の向こうからサルベルト教授の声は聞こえてこず、ケタケタと笑うマルキオン教授の声が聞こえ、「何照れてんの」「黙れ」という会話が小さく聞こえる。


「お昼から研究室でいいんですよね?」


まだ風呂に浸かっていたかったので早くしないでほしいだけだったが、レイは魔法陣に向かって声をかけた。マルキオン教授は笑いを噛み締めるようにしながら答える。


「うん、研究室は昼からでいいんだけどね? ちょっと、ルミア様にかけてあげて?」

「……は?」


突然マルキオン教授の口から出てきた祖母の名前に、湯船に預けていた背を起こした。お湯がざばりと音をたてて大きく波打つ。マルキオン教授は、うーんと唸った後に続けた。


「実はね、今朝からこっちにめちゃくちゃ着信があってさ。君、取り込み中にしてたから気付かないだろうって」

「……す、みません……」


レイは顔に手を当てて身内の迷惑を詫びた。マルキオン教授は「いいよいいよ」と許してくれた。


「昨日無理させちゃったのはこっちだからね。こちらこそごめんね」

「いえ……祖母には俺から言っておきます。本当にすみませんでした。では今からかけ直します」

「うん、よろしくねー。それじゃー」


軽い挨拶を残して、マルキオン教授からの通信は切れた。レイは仕方なく湯船から上がり、体を拭いた。通信魔法機器の履歴を見て、祖母のルミアに通信を開始する。


魔法陣が青緑色に光って浮かび上がる。レイは家族関係の通信には青緑色を設定してあった。ルミアとレイの瞳の色だからだ。魔法陣の起動音がして、ほんの数舜で繋がった。


「レイ! 聞いたよあんた無事なのかい!?」


魔法陣が揺れるほどの大音量で、ルミアの声が部屋に響き渡る。レイは頭を拭きながら、ため息交じりに答えた。


「ばあちゃん……生きてるから、そんな電気ショック与えるような勢いでしゃべらなくていいから……」

「何言ってんだい。二日連続でオーバーヒート起こしている奴が」


マルキオン教授め、しゃべったな……とレイは心の中で毒ついた。


「大丈夫だよ。発熱抑制剤飲んでからだったし」

「本当に気を付けておくれよ?」

「わかってるよ……で、話はそれだけ?」


レイは魔法で髪の毛を手でなでつけるように乾かした。体についている余分な水分も、やろうと思えば魔法でとることはできるが、レイはタオルで拭く方が好きだった。


青緑色の魔法陣が一瞬黙った後、またルミアの声を発し始める。


「レイ、ちょっと折り入ってアンタに頼みたいことがあるんだ」

「ばあちゃんが!? 俺に!?」


思わず体を拭く手を止めて、レイは魔法陣を見た。魔法陣を見たところでルミアの顔が見えるわけでもないが、反射的に見てしまう。あのルミアが頼んでくることなんて、確実に面倒なことに決まっている。


「ちょっと厄介な依頼が舞い込んできてね……どうしても店を空けなきゃいけなくなっちまった。でもそれじゃぁちょいと困ったことになるんだよね」

「――どういうこと? 俺に店番しろってこと? 大学があるんだよ?」


レイは着替えながら矢継ぎ早に疑問を投げかける。するとルミアは「ん?」と声を上げた。


「レイ、今回の報酬で向う1年間課題が無いんだろ?」

「マルキオン教授、なんでしゃべっちゃうかなぁ」


今度は口に出てしまった。シャツのボタンを留めつつ、レイはため息をついた。ルミアの明るい笑い声が響く。


「前も夏季休暇中にお願いしたことがあったろ? 今回はちょっと長いけど、頼むよ」

「どれくらい? 1か月?」

「1年」

「俺の研究が進まないじゃないか!」


レイが捲し立てるが、ルミアも負けじと言い返す。


「私は反対だよ。お前がこの前試作外注した薬の設計だってそうだ。なんつーもんを依頼してんだい。あんな体に負担がかかりそうな――」

「どうしたって必要だよ。少なくとも今の俺にはね」


レイがルミアの言葉尻を遮って話すと、ルミアは苦々しく唸った。それでも、納得はできないと言ったように。


「あの理論は……うまくいったら、最悪、軍事転用されかねない」

「わかってる」


レイは鞄の中を開いた。財布やペンケースなどの日用品と、常用で飲んでいる発熱抑制剤や痛み止めが入っている白いピルケース、そして、中に入っている魔法薬の品質を長期間損なわないように設計された長細い品質保持用ケースが2本入っている。レイは品質保持用ケースを手に取って魔力を流し、品質保持を行うために必要な魔力を補填した。


魔法陣からルミアの深いため息が聞こえる。心配してくれるのは有難いが、この件については譲るわけに行かなかった。


「とりあえず、また店番頼むよ。もう私も出なきゃならん。いつ来れる?」


ルミアが決定事項を伝えるように頼んできた。レイは鞄にケースを戻しながら、通信魔法機器から浮かび上がる青緑の魔法陣を見る。そこに祖母の顔があるわけでもないが、レイはこの青緑色の魔法陣を見ると、祖母の温かさを感じるようになってきていた。


「……ねぇ、ばあちゃんの魔法薬店があるのってさ、レーヴェンシュタイン公爵領だったよね」

「? あぁ、そうだよ。といってもだいぶ外れの方だけどね。それが、どうかしたのかい?」


レイは昨日の一件でコンテナから読み取った、今いる王都フィルドンより南に位置するレーヴェンシュタイン公爵領、その家紋の映像のことを思い出し、少しばかり気持ちが億劫になった。


「……ううん、なんでもない。それだけ長い期間になると、休学になると思うから、休学届が受理され次第すぐに行くよ」

「そうか。ありがとうね。たぶんレイがこっちに来る頃には、私はもう出発しちまってるだろうから、鍵はモートンに預けとくからね」

「俺がそっちに行っているときも、モートンさんが来てくれるんだったらむしろ有難いよ」


モートンは、ルミアが暮らす村の住人で、ルミアの生活能力がからっきしであるために食事や洗濯掃除などの管理を行ってくれている、いわば執事のような人だ。初老の男性ということもあり、住み込みではなく通いのため、レイが祖母の店に行くとなると夜は慣れない土地で独りぼっちになる。ただ、レイはすでに一人暮らしをしている身なので、モートンが来てくれるなら家事全般しなくて済むことを思うと、むしろ天国だった。


「そうかい、じゃ、頼むよ。なるべく早くね」

「あぁ、わかったよ」


久しぶりの祖母との会話が終わった。本当に久しぶりだったのに、勢いに押されたせいでもあるが、レイは自分から祖母を気遣う言葉を一言もかけられなかったことが、ひどく胸に残った。

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