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第7話 準備

「――シルフロスの結晶体、ブリゼスノー鉱、白銀の溶解液……うん、使えそうだ」


 レイはルミアの地下研究所の薬棚の奥を探っていた。一般人にとってこんなものは、夏を涼しく過ごすために使うような商品に少量だけ使われる程度の素材だが、レイにはとてもありがたい素材だった。効果を高めれば、山火事を起こさずにゴブリン一匹なら簡単に相手できるぐらいの攻撃用魔法薬を作ることができる。


 攻撃用魔法薬は冒険者ギルドを通して売られることが多く、ルミアも以前、金になりそうだと言って作っていたが、如何せんルミア製は威力が強すぎた。並みの冒険者は扱えず、「むしろこんなの兵器ですから卸さないでください」と冒険者ギルドから言われ断られた過去がある。その際に仕入れていたのだろう、投擲しやすいように先を細くしてあるバレット型の特殊瓶が使われずに保管庫に入っていたので、レイはそれを有難く頂戴することにした。といっても、ゴブリン調査で使用する予定の物だし、魔法薬店としての仕事の依頼なのだから、問題ないだろう。初級の攻撃魔法ぐらいしか扱えず、中級攻撃魔法の使用に耐えられる魔力回路を持たないレイは、攻撃用魔法薬を使うのがベストな攻撃方法だった。


 必要なものを調合台の上にセットしていく。今回はバレッド型の瓶に直接封緘する必要があるので、瓶を立てるスタンドの上に、4本のバレッド型の瓶を並べた。調合台を攻撃用魔法薬精製モードに切り替えると、刻まれていた魔法陣がぐにゃりと変形した。レイは危険物を加工する際に職人が着用する特殊マスクを口に装着し、普段はしないゴーグルとエプロン、保護手袋を身に着けた。攻撃用魔法薬を一から魔法を使って作ると、一個作るだけでレイの魔力回路はオーバーヒートを起こす。可能な工程は手作業で進めるしかないが、その分危険が伴う。調薬魔法で済ませられるなら、済ませられる方がいいに決まっていた。


 魔法薬士免許取得試験前にも散々練習したし、マルキオン・ゼミに入っている学生の指導にも何度も付き合っており、レイはこの手作業で行う工程が案外好きだった。手作り感があるし、作り終えた後の達成感が何より良い。


一般的に魔法使いは魔力量が少ない者が多いため、工程の全てを調薬魔法で賄おうとすると、多量に作る場合にその分多くの魔力を消費することになり、あまり現実的とな手段とは言えなかった。そのため、多量な魔法薬を作る際には、素材の加工を手作業で行い、調薬魔法で仕上げるか、あるいは加工と調薬を日を分けて行う必要がある。ただ、後者の場合、素材の品質保持に難があるため、結局は一度にまとめて行える前者の方が好まれやすい。手作業故に、魔力の使用が抑えられるため量産には向いているが、当然ながら時間がかかる。


 魔法薬を調薬するために作られた特製の乳鉢と乳棒で、澄んだ水色のシルフロス結晶体を砕きつぶしていく。これがなかなか手強い。保管するときは塊である方が品質保持には適しているので致し方ないが、加工するときは話は別だ。これはもう頑張るしかない。ひたすらゴリゴリと音を立てて、乳棒を押し付けながら根気よく粉砕していく。


 レイは、この調薬器具たちがまだルミアの研究室に残されていたことに感動していた。正直ルミアには無用の長物だろうに、レイが魔法薬士免許取得前にここへ滞在した時に、練習していけとばかりに学校では取り扱ったことのない鉱物やら結晶やらを使って練習させてもらえた、思い出深い器具たちだった。


 腕がだるく、腱鞘炎になるんじゃないかと思うほど手が痛くなったところで、なんとかシルフロス結晶体を均一にすりつぶせた。一度レイはゴーグルとマスク、手袋を取って汗を拭いた。再び着用して、今度はブリゼスノー鉱をハンマーで荒く砕き、調薬用の小鍋に移した。白銀の溶解液と魔法精製水を1:2の割合で混ぜ、小鍋に注いで調合台で鍋を加熱していく。一定温度に達すると、蒼いブリゼスノー鉱が溶液に溶け始めた。ルミアの調合台は自動で小鍋の温度を均一に保ってくれるので、非常に楽だった。学校や魔法薬士免許試験で使われる一般的な調合台では、こうはいかない。小鍋を軽くゆすって、専用のヘラで混ぜながら溶かしていく。万一皮膚についたら、付着箇所が凍り付いてものの数秒で壊死するので気が抜けない。足が棒のようになるまで混ぜ続け、ブリゼスノー鉱が溶け切ったところで、レイは調薬魔法に集中するため、ゴーグルと保護手袋を取った。


 ここからは時間の勝負だ。調薬魔法を行使するための構成式を思い浮かべながら魔力を練り上げ、いつでも発動できるように準備した。調合台を調薬モードに切り替えると同時にレイはすぐさま調薬魔法を行使した。調合台の魔法陣がぐにゃりと元にの紋形に収束した刹那、小鍋がバキッと音を立て凍りついたが、レイが行使した調薬魔法で中の溶液が空中に浮かび上がる。もう一瞬でも遅かったら、鍋が破壊されて中身がこぼれていただろう。攻撃用魔法薬精製用のモードだと、繊細な撹拌作業が難しい。調薬魔法で先ほど粉末状にしたシルフロス結晶体を溶液に溶かしきると、溶液は澄んだ青色に変わった。そのままレイは調薬魔法で溶液を濃縮していく。レイの魔力回路は熱を帯びるが、研究室の部屋は急激に冷えていき、吐く息が白く変わり始めた。限界まで濃縮すると、バレッド型の瓶にそのまま4等分して注いだ。今回は調合台での液体固定はしない。まだ魔力で薬液の状態を保持しながら、瓶に蓋をして安全ピンをさす。そこでやっとレイは調薬魔法を解除した。


 達成感とともにマスクを取って、汗をぬぐう。凍り付いた鍋の氷をこんこんとハンマーで砕いて取りながら、次は何を作ろうかなと思案した。



* * *



 ある朝、ルミアの地下研究室にある簡易ベッドの上で寝転びながら、自身の不甲斐なさと、そもそも魔法薬士の仕事じゃないという言い訳に挟まれながら悶えていた。


 この一週間、レイは残りの依頼に着手していた。日中は村の周りの探索、夜は避妊具の潤滑剤の強化研究に時間を費やした。ただ、ゴブリン調査については芳しくなく、実際遭遇ができない上、ねぐらの所在も分からないと、まだいるのかいないのか確信を持てなかった。祖母ならもうとっくに解決していたんだろうな、という気持ちが頭を擡げた。


 正直、ルミア魔法薬店の仕事は、ほぼ他の民間企業からの研究依頼で成り立っており、クラウス以外、非魔法使いしか住んでいない村に魔法薬店としての役割はほぼないと言っても過言ではない。これ以上ゴブリン調査について成果のない状態が続くなら、本格的に公爵領か冒険者ギルドに依頼をかけることを提案しなければいけない。


 深いため息を一つついて、レイは起き上がった。浴室でシャワーを浴び、眼鏡をかけて鏡の中の自分を見た。モートンに管理されるようになってから、明らかに肌艶が良くなっている。もともと髭が薄いレイだが、肌の調子が良くて部分的に剃る必要な髭の処理も難なく済ませられる。髪を乾かそうと自身の頭に触れても、心なしか髪の調子もいい気がする。


「……いい加減、髪も切るか」


髪を乾かしながら独りごちて、髪をまとめた。手早く着替えて脱衣所を出た。今日は午前中にクラウスが再診に来る。同じ常用薬は念のため7日分昨日のうちに作ってあるが、状況によってはまた別の調薬が必要かもしれない。魔法薬店として本来あるべき貴重な仕事だ。気合も入る。


 部屋を出ると、モートンが小さなリビングに朝食を準備してくれていた。焼けたトーストとコーヒーの香りを嗅ぎながら、レイは席に着いた。挨拶をすると、モートンが不機嫌そうにこちらを見ながら、目玉焼きとスライスしたトマトを載せて持ってきた。


「おはようございます、レイさん。昨日は、何時までお仕事を?」


あぁ、その不機嫌さは心配の裏返しか。レイは苦笑しながらトーストに手を伸ばして答えた。


「まぁ、うん……ちょっと時計は、見てないけど」


嘘である。本当は日付をとっくに跨いでいた。流石に依頼とはいえ避妊具の潤滑剤に関する研究物を拡げた状態でクラウスを迎えるわけに行かないと、少々片付けていて遅くなったのだ。コーヒーに口を付け、トーストを流し込む。


「私が朝、店の鍵を開ける前までは、どちらで寝ていらしたんですか?」


そう言われて、レイは視線を逸らした。鍵の開く音がしたのは浴室でシャワーを浴びている最中だった。その前と言えば、もちろん地下にある研究室だ。――あぁ、目玉焼きがおいしそうだ。外側はきちんと火が入っているのに、中はしっとりしていて半熟過ぎないところが特にいい。モートンがサラダを盛り付けた小皿をレイの前に差し出す。


「研究室のベッドを、撤去なさるつもりはありませんか?」


モートンの視線が痛いので、レイは「わかった、わかった」と言った。


「今日は、ちゃんと客室で寝るから」

「今日“から”お願いしますね」


レイは渋々頷いて、目玉焼きをつついた。






 ほどなくして、クラウスがやってきた。クラウスの表情は、前回帰って行ったときと比べると暗く、一週間前にここを訪れたときと同じぐらい顔色が悪かった。


「……良くなさそうだな」


研究室に入りレイがそう言うと、意外にもクラウスは首を振った。明らかに体調は回復してなさそうなのに、気を遣われているとしか思えないが。


「レイの薬は、よく効いている。正直、ルミアのものよりも。現に食事がきちんととれている」


レイは驚いてクラウスを見るが、クラウスの表情は真剣そのものだった。配合が同じ薬でレイの調薬の方が効くと言われると、思い浮かぶ結論は一つしかないが、レイはその言葉を飲み込んだ。


――魔力の相性が、いいのかもしれない。


 世に魔法薬店が数多くある理由の一つに、実はこの魔力の相性がある。人の魔力に作用する魔法薬は、調薬したものの魔力の影響を受けやすい。魔力の相性というのは軽視できない問題で、患者と相性のいい魔法薬士のもとには、魔法医からの処方箋をもってやってくる者もいるぐらい、治療の根幹にかかわることがある。ただ、その相性の良し悪しがわかるようなツールがないというのが不便なところだ。そういう点では、魔法大学のマルキオン教授とサルベルト教授は、その出会いの奇跡を見事に勝ち取った二人と言える。――レイが言い淀んだ理由はまさにこれだった。魔力の相性がいいということはすなわち、調律の相性もいいということに他ならないからだ。


 レイは、自身と魔力相性のいい者に出会ったことが無い。非魔法使いには「爛れている」と一蹴されてしまいそうな魔法使いのあるある話の一つに、「魔法大学1年は調律の年」というものがある。何故なら、「調律」について習う学年なのだ。魔法使いというのは、皆一様に好奇心と探求心を持っている。加えて、大学1年なんて多感な年ごろの子が「調律」なんてことを覚え始めると、“試してみたい”が先行する。それを逆手に取った犯罪も後を絶たず、大学側としても注意喚起に余念がない。レイにとっては、周りから聞こえる共鳴音の響き方を聞き分ける一年でもあった。魔力の調律が上手くいって、共鳴音もある程度はっきり聞こえるカップルは、破局を迎えず長く続いていることが多い。


 レイが両手を差し出すと、クラウスは何も言わずにその手を重ねた。少し鈍い音が耳の奥に大きく響く。解析魔法を使ってクラウスに魔力を少しずつ流すと、前回と比べるとまだマシではあるが、またひどく鼻につく臭いを感じた。それに耐えながら、レイは慎重に炎症反応を探っていく。薬の効果のためか、確かに炎症反応は少な目だ。ただ、やはり気になるのは、汚染された魔力の量だ。


「浄化薬を最後につかったのは?」

「昨日だ」


クラウスが放った信じられない返答に、レイは一度クラウスの顔を見た。何が問題なのかも分かっていないクラウスの顔を見ながら、頭を悩ませる。


「……魔法は」

「使ってない」

「生活魔法も?」

「極力」


嫌な予感がした。流石に昨日の今日でこの悪さは、確実におかしい。


「クラウス、浄化薬、持ってきてるか?」

「あぁ、先週言われたから」


そう言ってクラウスは鞄から浄化剤を取り出して、レイに手渡した。


 レイは手の中の浄化薬に解析魔法を走らせた途端、鼻がもげそうなほどの悪臭に吐き気をもよおした。それでもなんとか解析魔法をかけ続け、品質状態を確認する。


――あぁ、これはだめだ。


レイは浄化薬に張られているシールの製造日を確認すると、日付はおよそ2か月前だった。浄化剤の使用期限は製造日から3か月。期限内のものだった。

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