ため息をついて、レイは研究室の結界を見た。ここじゃだめだ、ルミアの結界が強すぎる。
「ちょっと席を外す」
レイは浄化薬を机の上に置き、鞄を持って結界の外に出た。地下からそのまま2階へと階段を駆け上がり、客室に入る。ベッドの脇にあるサイドテーブルの上に鞄から取り出した通信魔法機器を置いて、秘匿回線用にモードを切り替えた。秘匿回線による通信魔法は、かける側も受ける側も魔力消費が強い反面、傍受される危険性が低い。また、声も出さずに思い描いた言葉がそのまま相手に伝わる。魔力消費量は格段に跳ね上がるが、致し方ない。レイの魔力回路でどれくらいもってくれるか分からないが、一般回線で話をするにはリスクがあり過ぎる。通信魔法機器で宛先をマルキオン教授に設定して通信魔法を行使した。マルキオン教授のスケジュールは分からないが、頼むからまだ大学にいてくれという気持ちが逸る。
頭が締め付けられるような感覚とともに、通信魔法が繋がった手ごたえを感じる。同時に、秘匿回線用の透明な魔法陣が通信魔法機器から浮かび上がる。ざざっというノイズとともに、「ちょっと待ってね」というマルキオン教授の声が聞こえる。おそらくこのノイズ音は、レイの魔力回路が上手く働かず、魔力放出が安定していないためだろう。
「――もしもし? どうしたの?」
マルキオン教授が応えてくれる。レイは魔力回路が熱を帯び始めて、苦しくなりながらも、なるべくはっきり伝えようと歯を食いしばった。
「教授、すみません。今、大丈夫ですか?」
「うん、いいよ。要件から聞く」
秘匿回線を使うことによるこちら側の負担を考えてか、マルキオン教授も早口だった。
「研究用に確保している浄化薬、送ってもらえませんか?」
「――はぁっ!?」
マルキオン教授の驚愕が伝わる。いや、当たり前だ。分かるんだが、こちらもちょっと譲れない。秘匿回線を使用することにより頭痛がしてきて、うまく言葉が浮かばないが、なんとか言葉を紡いだ。
「教授、“あの日”俺が見たものなんですけどね」
突然俺が話を切り替えて、マルキオン教授が黙った。
「“南”の方は、とても長閑でいいところだなって。俺、“ばあちゃんち”がこっちのほうでよかったなって思ってます」
南とは、王都フィルドンの南に位置するレーヴェンシュタイン公爵領を意味し、情報を補完するためにルミアの魔法薬店がある領地を示した。加えてマルキオン教授は、レイがルミアの手伝いに魔法薬店に滞在していることも知っている。秘匿回線通信魔法が傍受されているかどうかは分からないが、レーヴェンシュタイン公爵領には追跡魔法を妨害し、さらに隠蔽まで施す魔法使いがいる。暗喩がどこまで伝わるか分からないが、念には念を入れておくに越したことはない。
「……へぇ……」
こちらの意図が伝わったようで、マルキオン教授の返答がとても簡素だった。
「俺、休学中でも勉強したいんですよ。……“助けてください”お願いします」
とってつけたような理由は、我ながらとても胡散臭い。伝われと祈りながら、レイは透明な通信魔法機器から浮かぶ透明な魔法陣を見つめた。
「……いいよー?」
マルキオン教授がいつもの調子で答えるが、それでも言葉の調子は固く、色々考え、飲み込みながらそう伝えてくれたのが分かった。これだからこの教授には頭が上がらない。
「でも、どれだけ急いでも3日はかかるからね。あ、“レポート提出”してね」
そう付け加えられて、レイはにやりと笑った。――送ってやるから代わりに証拠をよこせ、か。なるほどね。
「ありがとうございます。では、“急いでるので”失礼しますね」
「ほーい! りょうかーい!」
教授の軽い返事を聞いてから通信を切断し、肩で息をしながらレイはまた笑った。マルキオン教授が3日と言ったなら、3日で届く。対外的な依頼についてはルーズなところがあるが、教え子に対してできないことをできると言ったことは一度もなかった。浄化剤は必ず届く。それまでの間、レイは何とかクラウスの状態を維持させなければならない。
レイは踵を返して、部屋を出た。さて、これからどうするかな、と考えながら階段を降りて研究室の結界をくぐる。クラウスがこちらを神妙な面持ちで見ており、レイはため息をついた。椅子に座って、膝に肘をつき、顔を覆う。
「何か、あったのか?」
クラウスが声をかけてくる。レイは、なんと言えばいいか分からなかった。――どうやったらクラウスを守ってやることができるか、そればかりが頭を占めていた。
マーベック氏の依頼で浄化薬を検査したあの日から、レイは密かに調べていたことがあった。浄化薬の効きが悪いと訴え出る患者がいるかどうかというものだ。だが、それは調べても一切出てこなかった。もちろん領地側がもみ消している可能性もあるし、正しいことではないかもしれない。ただ、もしそれを信じるのであれば、クラウスのところに必然的にエラー品が届いているとしか思えない。
「クラウス」
顔を覆った手をゆっくりとずらし、鼻と口を覆うように手を合わせる。まだ二回しか会っていないこの男は、きっと答えてくれないだろう。それでも答えてくれと、願うしかなかった。
「信用されないのは仕方ないと思う。何かしらの理由があることも分かる。だが、これだけは分かってほしい。……俺は、君を助けたい」
顔から手を離し、真っ直ぐクラウスを見つめる。クラウスの表情は変わらず、レイを見つめ返すだけだった。レイは、意を決して口を開いた。
「君は――レーヴェンシュタイン公爵家に恨みを買ったのか?」
その一言で、クラウスの表情が一気に険しいものに変わった。肌を刺すような殺気じみた空気が張りつめる。
呪いの浄化薬の製造に使われる素材は、鮮度が命だ。そのため国安保の一括管理のもと主要都市に素材が輸送され、輸送先で作られて対象者の元へ定期的に送られる。レーヴェンシュタイン公爵領にその製造所がないとは考えづらく、また、クラウスのところにエラー品を集めることができるとしたら、レーヴェンシュタイン公爵家が噛んでいるとしか考えられなかった。
クラウスは、何も語らない。もし本当に公爵家に恨みを買っていたとしたならば、理由もなくいきなり指摘してきたら、身構えてしまうのは当たり前か。気持ちが逸り過ぎて下手を打った。
どれくらい時間が経ったか分からない、長い沈黙だった。クラウスの目が、どこか厳しさを保とうと必死になっているようにも見える。レイはゆっくりと息を吐き、立ち上がった。クラウスがはっとしたようにレイに視線を向けてきたのは分かったが、レイは構わず近くにあった白紙の紙とペンをとった。
「一つ。この効力は、効力開始を宣言直後から30分間とする。……一つ。効力開始を宣言し、効力の有効時間内において一切の虚偽を口にしない」
レイが声に出しながらその文字を書き始める。クラウスが少し怪訝な顔をしていたが、レイはそれすらも無視して書き始める。
「一つ。この契約は、効力を失うと同時に、自動的に破棄されることとする」
「……いったい何を――」
クラウスの言葉を遮るように、レイは紙に手をかざした。構成を思い浮かべて、魔力を練る。やがて掌から赤紫色の魔法陣が現れた。
「――待てっ!」
現れた魔法陣を見て状況を察したクラウスの制止の言葉も空しく、宣誓魔法は行使され、紙の上に落ちてレイの名前がしっかりと刻まれた。レイはクラウスに見せつけるように掲げて見せた。
「契約の効力開始を宣言する」
そう宣言したした瞬間、頭の中で時計の秒針が動き始める音がした。掲げた宣誓書の魔法陣が光りを放ち始める。レイはデスクの上に宣誓書を置いた。まるで一仕事終えたと言わんばかりに息を吐いて椅子に座り直し、顔を押さえて座っているクラウスに、そのまま続けて言葉をかけた。
「クラウス、俺は、君を助けたい。それを、分かってもらう方法がこれぐらいしか思い浮かばなかった」
クラウスはゆっくりと顔を上げて、怒りに震える手を固く握り口を開いた。
「宣誓魔法を破ったら、どんなことになるか分かっててやったのか!」
クラウスの怒気を孕んだ言葉に、レイは静かに頷いた。
「宣誓魔法はその内容によって破ったことによる報復内容が決まる。まぁ、正式な宣誓書でもなく、破った際の内容について記載されてもいない、簡易的な作法に則ったものだから、そこまで酷いことにはならないだろう。……そうだな……今回の宣誓魔法を破った場合の報復内容は、舌が焼かれるぐらいのものじゃないか? ――あ、虚偽を口にしないと言った手前、逆説的にしっぺ返しの内容が定まったな」
レイがさらりと言ってのけた言葉に、クラウスは愕然とした表情を浮かべている。レイは乾いた笑みを浮かべた後、クラウスに付け加えるように言い放った。
「しかし、言えないこともあるのは、ちょっと先に謝っておく。その場合は“言えない”って言うから深く掘り下げないでもらえると有難い。……ほら、時間がもったいない。何を聞く? クラウスの不安はどうやったら解消できる?」
レイが微笑みながらクラウスを見ると、彼は少しショックを受けたようにこちらを見ていたが、やがて諦めたように笑った。
「いや、充分すぎるさ……」
目を覆うように手を顔に当てて、クラウスはそう言った。クラウスからの信頼を得たようだが、レイは軽く笑みを浮かべて言った。
「何を聞いてもいいぞ。NGは多々あるがな。身長とか……身長とか」
言葉が尻すぼみしていくレイにクラウスは苦笑いしながら、「それでは」と質問をした。
「何故、レーヴェンシュタイン公爵だと?」
核心をついた質問に、レイは一度咳ばらいをしてから答えた。
「浄化薬は主要都市で作られ、直接浄化薬が必要な人のもとへ定期的に送られる。レーヴェンシュタイン公爵領ほどの場所に浄化薬の製作所がないというのはむしろ考えにくいという事が1つ。そして、ここからは“言えない”ことに関わるから詳細は省くが、レーヴェンシュタイン公爵領には、浄化薬の粗悪品をわざと出している疑いがある」
レイの言葉に耳を傾けながら、クラウスはこめかみを押さえた。信じられないという表情を隠そうともしない。呆れが混ざった複雑な表情をするクラウスを見ていられなくて、レイは自身がデスクに置いた宣誓書に視線を逸らした。
宣誓書の魔法陣は、ただ煌々と光を放っていた。