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第9話 軽率

「――浄化薬を使用しても、クラウスの魔力汚染はそんなに浄化できていない。この浄化薬は、明らかにエラーとして弾かれるべきものだ。そして、俺はクラウスのもとにこれが集められているんじゃないかと思っている」


クラウスが持参した浄化薬を手に取りながら、レイはクラウスを見る。クラウスは苦々しく口を開いた。


「……だから、恨みを買ったのか、と聞いたのか」

「そうだ」


レイの返答に、クラウスは深くため息をつき、俯いてしまうクラウスに、レイは続けた。


「さっき、伝手を使って浄化薬を送ってもらえるように依頼はしたが、それだって本数があるわけじゃない。早急にクラウスに届く浄化薬を正常化させるか、君の……根治を目指す必要があると思う」


クラウスがぱっと顔をあげて、レイを見た。


「根治、だと?」

「……クラウスの呪いについて教えてもらう必要があるし、教えてもらったところで、何もできない可能性もある……祖母は呪いの原因を知っていたんだろう? それでも根治に至っていないという事実は、正直看過できない。ましてや、3か月間も呪われているというのが、どうにも腑に落ちない。相手が生きているという事実としてね」


レイは呪いについては何も書かれていないカルテを見ながらそう言った。何故祖母がカルテに呪いのことを書かなかったのかは分からない。どんな理由があったんだろうか。すると、クラウスがいきなり自嘲気味に笑い始める。


「レイは……私が禁忌魔法をつかったとか、悪魔と契約したとは思わないんだな。契約印が体にないか確認もしてないじゃないか」


クラウスがそんなことを言うので、レイはジト目で彼の方を見た。


「してないだろ?」

「あぁ、してない」

「なら信じるさ……他に質問は?」


何をつまらないことを聞いてくるんだと言わんばかりのレイの態度に、クラウスは笑いを噛み締めた。


「そうだな……正直、君が優秀なのはよく分かるが、来いと言われてすぐに来れるような立場にいる事が腑に落ちないな」


クラウスの「優秀」という一言に、レイは心底よく分からないという顔をした。その表情すらもクラウスには面白かったらしく、今度は噛み締めることなく笑い始める。レイは口を曲げながら答えた。


「俺の魔力回路に欠陥があるって話はしたな? 正直、魔法使いとして働くのもままならない。魔法使いとしての需要がないここだからこそ働けるって言っても過言じゃない。そして、やりたい研究があってそのまま院に進ませてもらえてるっていう状態なワケ。ただの親の臑齧りさ」

「親御さんは、何をしてる方だ?」

「……この話題、今必要か? 父は魔法史の学者をしてる。母もそれについていって世界中飛び回ってるから、ここ数年は顔も合わせてないな」


レイは時計を見た。残り時間はあと15分ぐらいか。時計を見ている振りをしながらクラウスに視線を移すが、治療には関係なさそうな個人的な質問をされて、居心地が悪いレイをクラウスは楽しそうに見ている。レイは無理やり話題を変更した。


「今後の治療について、取り寄せた浄化薬が届くまでは……そうだな、ここに泊まるか?」

「は?」


レイの提案に、クラウスが声を上げた。まあ無理もないかと思いつつ、レイは最後まで聞いてくれと手を振った。


「ここは、王宮よりも安全だ。害を与えようとするものを寄せ付けない。攻撃も効かない。なんたって伝説の魔術師ルミアの家だ。クラウスを害そうとするような環境に置いておくより、よっぽどマシだと思うがな……まぁ窮屈かもしれんが……モートンの飯も悪くないと思う。多少口うるさいのだけが玉に瑕だが」


クラウスらしからぬ、あんぐりと口を開ける姿に、レイは少し笑った。クラウスの視線がさ迷っている。


「無理強いをするつもりは無い、ただ、心配しただけだ。他意はない」

「いや、有難い申し出では、あるが……迷惑を掛けたくない」


クラウスの表情が沈む。レイは片眉をはね上げながら、やれやれと口を開いた。


「患者が良くならないんだぞ? 心配するのは当然だろ」


クラウスはレイの言葉に逡巡し、ため息と共に答えた。


「分かった。世話になる」

「そう来なくちゃな」


レイはニッコリと笑った。クラウスは少し考えてから、口を開く。


「先ほど言っていたやりたい研究というのは?」


また話題が自分の方に戻ってきた。レイは苦々しい顔をしながらも、別に黙っているほどの話でもないかと思って答えた。


「先天的魔力回路の欠陥に対する治療薬。需要が無さすぎて民間企業じゃ研究対象にもならない」


クラウスはそこで「ふむ」と口元に手を当てながら考え始めた。


「魔力回路の治療が済んだら、次は何をする?」

「まだ雲を掴むような話だが……そうだな。魔術師を目指して、仕事を探すよ」


レイの答えにクラウスは唸りながら考えて、口を開いた。


「私専属の魔法薬士になるつもりは?」


突然そんなことを言われ、レイはぽかんとした顔でクラウスを見る。クラウスの顔は至極真面目で、レイは余計に訳が分からなくなった。


「オススメしない。それに、いつになるかも分からんぞ」

「予約じゃない、今の君に言っている」

「ますます訳が分からん……」


レイはこめかみを押さえた。魔力の相性がいいからと言って、欠陥品である自分を専属なんて正気の沙汰では無い。


「加えて、君の研究も後押ししよう。存分に研究してもらって構わない」

「待て待て、話が美味すぎる。何が目的だ?」


クラウスの不安を解消しようとしたのに、まさか自分の方がクラウスに同条件で宣誓魔法を使って欲しいと思うことになるとは思わなかった。貴族が魔力相性のいい魔法薬士を囲いたがるっていうのはよく聞く話だが、同時にもっと相性のいい相手が見つかると、いきなり捨てられるというのも珍しくない。


クラウスは一度押し黙り、言葉を選んでから再び口を開いた。


「……私は、君が心配だ。見ず知らずの私にここまで心を砕く姿を見ると、余計に不安になる」

「お? お人好しって言ってんのか?」


レイの軽口に、クラウスはジト目で返した。


「お人好しが過ぎると言っている」

「ははぁ、喧嘩売ってるってことだけは分かったぞ?」


レイはクラウスに青筋を立てながら笑いかけた。それすらもクラウスは嬉しそうに笑って見ている。レイは落ち着けと自分を律して目頭を押さえた。


「一応言っとくぞ? 俺だって誰にでもそう優しい訳じゃない。クラウスはばあ――祖母が懐に入れた人だ。信用してるんだよ」

「……ルミアの信頼とは、レイにとってそこまで重要なものなのだな」


クラウスは複雑な面持ちで首を傾げるが、その首が反対に倒れる際に、クラウスは「ん?」と声をあげた。


「ルミアの信頼が厚いはずである私の申し出を蹴ろうというのは、私自身が君に何か不快な思いをさせてしまったのだろうか」


少ししょげた顔をするクラウスに、レイは慌てて弁解をした。


「いや、そういう訳では、ない。……単に、俺の問題だ。気を悪くしないで欲しい」


レイの言葉に、クラウスは宣誓書を見てからホッとした。なんでこの返答だけ宣誓書の効果があることを確認するまで信じてもらえなかったのか、大変遺憾である。


「なんだろうか。首都に恋人でも置いてきているのか?」

「いないよ、そんなもん。過分な話ってだけだ」


クラウスが明らかに不服そうな顔をしながら、レイの目を見る。


「とにかく、私は心配なんだよ」

「余計なお世話だ」

「いや、君は大変軽率なことをしたんだよ。それをもっと自覚するべきだ」


全く意味がわからない。信頼してもらうために宣誓魔法を使ったことは、相手に緊張感を与える軽率な行動だったかもしれないが、クラウスの態度が、少し砕けたことからも、やはり効果はあったと思う。先に心を開いてやらないと、こういう手合いは心を開いてくれないものだ。


頭の中で秒針の音が大きく聞こえ始めた。もうそろそろ宣誓魔法の効果が切れる時間だ。


「もうそろそろ宣誓魔法がきれる。他に聞きたいことは?」

「特にない。君への信頼は充分過ぎて余りある。だから、こちらも君への信頼を勝ち取らせて欲しい」


頭の中で響くコチ、コチ、という音が更に大きくなる。レイは、クラウスの言葉を聞き漏らさないように耳に集中した。


「私の名前は、クラウス・フォン・レーヴェンシュタイン。君が恨みを買ったか聞いた公爵家の、三男にあたる」


カチン! と頭の中で時計の針が大きく鳴って、視界の端で宣誓書が燃え上がった。発火はたったの一瞬で、燃え移ることなく机の上にわずかに灰を残しただけだった。


「……は?」


レイの呟きに、クラウスは「ほら、軽率だっただろう?」と皮肉げに笑った。






 診察が終わって、モートンにしばらくクラウスを滞在させたいことを伝えると、よほど嬉しかったのか、てきぱきと準備を始めてくれた。「レイさんは、ぜひクラウス様をお手本にしてお過ごしくださいませ」などとしっかり皮肉を言う元気もあったようだ。レイが使う予定だった客室は、そのままクラウスに使ってもらうことにし、レイはそのまま研究室の簡易ベッドを使うことになった。その点については、モートンが簡易ベッドをきちんとしたベッドにすべきだと主張し、眠りが深くなりすぎると仮眠に向かないというレイの主張は火に油を注ぐ結果となったが、祖母の家財を勝手に変えるわけにいかないという形で決着がついた。


 レイは準備が終わった客室にクラウスを案内した。必要なものは買うというお貴族ぶりを発揮して、今はモートンが村へ買い出しに出てくれている。


「公爵家だって知ってたら、流石にあんな提案しなかったのに。客室と言うのも申し訳ないレベルのもてなししかできない」

「もてなしを受けられる立場ではないし、つもりもないが……。私はもともと必要最低限の教育を受けさせてもらった後、家を出ているも同然だ。公爵家の仕事は一切していないし、ほぼかかわりもない。シーズンに一度王都へ行く程度のものだったが……まぁ、この顔になってから呼ばれることもなくなるのではないかな」


愚痴るレイに、クラウスは自嘲気味に顔の傷跡をなでながら言ってきた。レイは、椅子に腰かけたクラウスに近寄って、クラウスの頬をよく観察した。


「治そうともしなかった、そんな感じだな」


レイは医療魔法は使えない。ただ、先ほど研究室で聞いた話を考えると、クラウスのこの傷跡には違和感しか感じられなかった。


 クラウスは公爵家を出て、オルディアス王国の諜報部に所属したらしい。しかも驚いたことに、祖母も同じ組織に属しているという。直属の上司は国王だというのだから、小国民レイには全く想像もできない世界だった。祖母が叙爵後に表舞台に出てこなくなった理由がまさかそんなところにあるとは思っていなかった。全てにおいて寝耳に水すぎて、理解が追い付くのに時間がかかった。血なまぐさい仕事も多かったらしい。きっとこの傷もそのうちの一つなのだろうが、こんなに深い傷を放っておくということが考えられない。諜報部なら、こんなに目立つ傷を顔に残しておくだろうか。


「……応急処置はしたさ」


クラウスは言葉を濁しながらすこし悲しそうに笑うので、レイは黙ってクラウスの瞳を覗き込んだ。藍色の瞳からは何も読み取れず、隠された感情を読み解くことはできなかった。


「――治したくなったら、言ってくれ。全力で治してやる」


レイの一言に、クラウスの細い目がさらに細くなり、声をあげて笑った。その様子を見て、わざとらしく伸びをしながらレイも笑った。


「んーーー今日は、飲むか!」

「いける口なのか?」

「からっきし! クラウスは強そうだ」

「そうでもないさ」


レイは白衣を脱いで、腕にかけた。そのままレイは「あ」と肩をすくめて見せる。


「モートンにつまみを作ってって言っておけば、今の買い出しで一緒に行けたな」

「それなら、私たちで行こう。モートン氏にはそのまま昼ご飯を作ってもらう運びでどうだろうか」

「いいね。この村は詳しい? 俺何も知らないんだよね」


突然できた期間限定の同居人が、レイにはとても心地よかった。

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