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第10話 浄化

 その夜から浄化薬が届くまでの間、クラウスとの共同生活はレイも心穏やかに過ごせた貴重な時間だった。年齢が近いということもあるが、誰かと共同生活を送るということが、家族とのふれあいがあまりなかったレイにとっては、特別感を孕んでいた。自分たちの世話をしてくれるモートンでさえなんだか嬉しそうだった。


 毎朝クラウスを診察して体の状態を確認し、日中はゴブリン調査へ出かけた。流石にレイは一人で行こうとしたが、クラウスが「そもそもこの依頼は公爵家がやるべきだ」と主張し、押し切られた。


 やはり諜報部としてのノウハウは、魔法だけではなく観察眼が違うと痛感させられた。レイには見つけられなかった獣の足跡や痕跡を次々と見つけるクラウスを、レイが「所属は狩猟部だったか」と揶揄すると、クラウスは満更でもない顔をしながらも「諜報部をやめたら冒険者ギルドにでも入るか」と笑っていた。それでもゴブリンの痕跡が見つからなかったことは、二人にとっても深い疑問として残った。


 帰宅し、晩御飯を食べてからしばらくは、諜報部で使っていた魔法談義に花を咲かせたり、レイはもう一つの依頼を粛々と研究室で進めた。その間はクラウスにはもちろんご退室願っている。


 約束の3日が経った頃、昼ご飯を食べているときに、レイは自分の頭に響く着信音に耳を塞いだ。秘匿回線による通信魔法だ。レイが突然険しい顔をしたので、クラウスが驚いてレイを見ていた。レイは手で大丈夫、と示してから、ポケットの通信魔法機器を取り出した。それを見て、クラウスは察したようだ。透明な魔法陣に触れて応じる。


「もしもーし、聞こえる?」


マルキオン教授の声が脳に直接入ってくる。朝服用していた薬が切れかかっているのか、魔力回路が熱を帯び始めた。あまり長い時間はかけられない。


「大丈夫です」


そう頭の中で言いながら、レイは席を立ってカウンターの中に置いてあった自分の鞄から魔力回路の発熱抑制剤を取り出して噛み砕いた。


「今からそちらに転送する。座標の指定をしたい」


レイは驚いた。てっきり普通に送ってくるかと思ったが、でも確かにそうしたほうが妨害もされず安心ではある。レイは魔法薬店の外に出た。流石に転送されるなら、魔法薬店の結界がどう作用するかわからない。屋根のない場所を探して、レイは地面に手を着き、座標指定用の魔法陣を展開した。二つ同時の魔法展開に魔力回路が悲鳴を上げ始め、全身が燃えるように熱い。あまりの熱さに呻き声をあげながら、レイは必死に魔法陣に魔力を込めた。


「お願いします!」


目の前が明滅するかのように視野が狭くなる。ほぼ悲鳴に近いメッセージを送ると、マルキオン教授の声が頭に響いた。


「――座標確認! 切るから耐えて!」


通信魔法が解除されて、魔力回路のリソースが座標指定用の魔法陣のみに割かれ始め、視界は良好になった。程なくして、魔法陣の中に箱状の輪郭が浮かび始める。魔法による物質の転送には時間がかかる。魔法薬なら特に、変質を避けるために慎重に行う必要がある。じりじりと音を立てながら、徐々に箱が現れる。


背後で店のドアが開く音がして、レイは魔法陣を維持しながら振り返った。クラウスが心配そうにこちらを見ており、レイは心配をかけまいと笑顔を作った。


全ての転送が終わるのに体感で15分ぐらい魔力を放出し続けた。魔力回路の発熱でしんどい体に喝を入れて、箱を持ち上げようとすると、クラウスがレイよりも早く箱を持ち上げた。


「あ、悪い――」


そうレイが言うと、クラウスの顔がムッとした表情を浮かべる。箱を小脇に抱えるようにして持ち直し、立ち上がったレイの腰を支えるようにエスコートしようとするので、レイは慌てた。


「いやいや、大丈夫だから」

「どこが大丈夫なのか、もうちょっと説得力のある顔で言ってほしいものだな」


クラウスの有無を言わさない言葉に、レイは黙った。自分が不甲斐ないせいで心配をかけてしまった。自然と視線が下がってしまう。


魔法薬店に入ると、食事を中座したことでモートンもこちらを心配そうに見ていた。クラウスが一般の診療スペースにある簡易ベッドまでエスコートしようとするので、それは丁重に断り、カウンターの椅子に座った。


「クラウス、食事が終わったらでいいから、その箱を部屋に運んでくれるか」


クラウスが小脇に抱えた箱を一度見て、大きく頷いた後、カウンターの上に箱を置いて席に着いた。レイは通信魔法機器を取り出して、マルキオン教授宛に「ありがとうございました。後でレポート提出します」という一文を送り、食事を再開した。流石に無茶をしたせいか、あまり食事は喉を通らない。レイは心配をかけたくない一心で無理やり飲み下した。


 食事が終わる頃には、発熱抑制剤が効いてきて普通に歩けるようになっていた。クラウスと一緒に部屋に行こうとするが、まるで壊れ物を扱うかのように階段まで誘導し、落ちてこないか心配そうにこちらを見上げながらついてくる客人の過保護っぷりには失笑しかない。客室に入ってから箱の中身を見ると浄化剤が3本と簡易転移装置が入っていた。簡易転移装置は魔法薬転送特化タイプで、少量を確実に品質を損ねず、登録されている座標へ転送するものだ。こんなものまで送ってくるとは、マルキオン教授の本気度が窺える。


 マルキオン教授もきっと確認をしたと思うが、念のためレイは浄化薬に解析魔法を行使した。間違いなく品質も成分も問題ない。使用期限も切れていないものだ。レイは浄化薬をクラウスへ渡し、簡易転移装置を手に取った。


「使用後の状態も確認する、使っておいてくれ」


レイはクラウスが頷くのを確認してから客室を出た。研究室まで降りて、クラウスが持参した名ばかりの浄化薬を簡単に梱包した。箱と簡易転移装置を手に持ち、研究室を出て通信魔法機器をマルキオン教授宛てに普通に起動した。間髪入れずに通信が繋がり、魔法陣が起動する。


「やっほー届いたー?」


繋がるタイミングを見ても心配させていたんだろうことはわかったが、それを少しもお首に出さない軽い返事に、マルキオン教授らしさを感じた。


「ありがとうございます。しかも、提出用のご配慮まで」

「いいよ。今から送ってくれるの?」

「はい、そのつもりですが、大丈夫ですか?」

「いいよー待機するからこのまま送っちゃってー」


レイは通信魔法機器を起動しながら歩き、魔法薬店の外に出た。玄関先でそのまま左手の箱の上に簡易転移装置を置いて起動させる。転移装置は箱を持ち上げるように軽く浮遊し、そのまま箱ごと空気に溶け消えた。


「送りました」

「うん、こっちも来たよありがとう」

「いいえ、では、あとはよろしくお願いいたします」

「はーい」


簡単な会話の後、通信魔法は切れた。レイは一仕事終えたと言わんばかりに両腕を思い切り上げて伸び、そのまま魔法薬店の中に入って客室へ向かった。軽くノックしてから客室に入ると、クラウスは椅子に座ってこちらを見ていた。明らかに顔色が良くなったクラウスに手を差し出すと、何も言わずにレイの手にクラウスは手を重ねた。


キィィィンンン……


遥か遠くまで響きそうな澄んだ音が自分の中に響く。マルキオン教授の手が触れた時よりも、力強く美しく。レイは、認めたくなかったなぁ、と思いながら、観念したようにクラウスの手を握りこんだ。この音は、自分との魔力相性を示している。一時的に穢れが祓われたクラウスの魔力と自分自身の魔力との、魂の共鳴音。――なんでよりによって患者なんだよ、とレイは思わずにいられなかった。






 午後は普段通り、ゴブリン調査に出かけようとしたら、クラウスに反対された。もう魔力回路も問題ないだと言っても信じてもらえず、また宣誓魔法使うぞと脅してようやく了承してもらえた。その代わり、もう頼むからそれを脅しに使わないでほしいと、膝をついて懇願された。どうやら相当なトラウマにしてしまったらしい。


 流石にゴブリン発見報告から時間も経っており、今日収穫が無ければ村長へ上申するよう伝えることを二人で話し合い、せっかくならもう少し遠くまで捜索範囲を広げてみようという話になった。今日は夜営することをモートンに伝えると、保管庫から「そろそろ入れ替える必要があるので」と携帯保存食を持ってきてくれた。「お気をつけて」と恭しく頭を下げるモートンに見送られながら、レイとクラウスは出発した。


 夕方になる頃まで歩き詰めて、前回見て回ったところよりもだいぶ遠くまで来たが、やはりゴブリンの痕跡は見つけられなかった。夜になると流石に視界が悪いので、夜営の準備をした。簡易天幕を魔法でひょいひょいと組み立てたレイに、クラウスは何もさせてもらえないとジト目でレイに訴えかけるが、「痕跡探しはクラウスに頼りっぱなしだから、これぐらいさせてくれ」と言うと、渋々納得してもらえた。


 流石に体力のないもやしのような体のレイには、半日歩き通しなのはだいぶ堪えた。焚火を囲んで、口数少なく保存食を齧りながら火に薪をくべていると、クラウスが話しかけてきた。


「無理するな。寝ていい」

「今寝たら、途中で起きられる自信がない」


レイはそう答えて、保存食として作られた固い干し肉を齧った。クラウスは、眠そうにもぐもぐと口を動かすレイを見ながら微笑む。


「君は毎晩遅くまで研究に没頭し過ぎだ。寝ずにあれだけ動けば疲れるのは当然のことだよ」

「もう少しで、結果が出るから……そしたら依頼元に投げて、テストモニターを――」


今にも上瞼が下瞼とくっついて離れなさそうなレイを見て、クラウスは声を殺して笑った。レイの手から干し肉を取り上げて、ひょいとレイを持ち上げる。クラウスが持ち上げたままレイの顔をじっと見ると、レイは不機嫌そうに苦情を言った。


「あ、小さいって思ったな? 持ちやすいって思ったな?」

「運びやすくて何よりだよ」

「殴りたい。この美形殴りたい」


口ではそう言いながらも、一向に手をあげようとしないレイを見ながら、クラウスは今度こそ声をあげて笑った。


「君といると、本当に飽きないよ」

「そりゃどうも」

「褒めてるんだ」


天幕の中にレイを運んで毛布の上におろすと、レイは苦笑しながらクラウスに言う。


「野郎を寝床に運んでも、なんの役得もなくて残念だったな」


レイが揶揄うように言った一言に、クラウスがふと考えるような素振りを見せた。その後、じっとレイの瞳を覗き込むクラウスに、レイの心臓が一瞬跳ね、視線を切って毛布に丸まった。クラウスのくっくと笑う声が聞こえる。イライラとしながら、レイは毛布の中にもぐりこんだ。



 しばらく意識は落ちていたと思う。突然周囲に張られた結界の反応にレイは瞬間的に目を覚ました。意識が一気に覚醒してレイは枕元に置いてあった鞄を持ち上げ、天幕の外を見た。クラウスが自身と天幕を包むように結界を張っているのを見える。よく見ようと天幕から頭を出そうとした刹那――。


「出るな!」


クラウスの怒号が飛ぶ。左方から結界に向かって氷の粒が飛び、結界に弾かれたのが見える。


奇襲だ。全く痕跡がなかったところに魔法が使える上位種のゴブリンがいるわけもない。そして、飛んできた氷の粒は明らかにクラウスを狙っていた。……まさか、クラウスは毎回こんなことをしてたのか? 粗悪な浄化剤で完璧な浄化もされず、こうやって日々魔法を使わされていたと?


「……ふざけるなよ」


レイは怒りで歯を食いしばった。怒りに震える手で鞄を開き、発熱抑制剤を噛み砕きながら対ゴブリン用に持参していた魔法薬を取り出した。小さいバレッド型の澄んだ青色の瓶が4つ、白く濁った大きめの瓶が1つ。それらの蓋についている安全ピンを引き抜いた。山火事にならないように基本的には殺せるほどの殺傷能力のあるものは持ってきていないため、対魔法使い用としては非常に心許ない。レイは天幕から躍り出て先ほど氷の粒が飛んできた方を見る。暗闇に光る魔法陣の数は4つ。レイは目標を確認し、物体を浮遊させる魔法で澄んだ青い瓶を宙に浮かばせた。


「クラウス、合わせろ!」


言い放って、着弾までの数秒だけ持つように魔法薬に結界を張り、魔法薬にかけた浮遊魔法を凝縮させた。魔力回路がすぐに熱を持ち始めるが、構わずレイは凝縮した浮遊魔法を爆発させるように敵影に向けて発射させた。クラウスが器用に魔法薬が通る瞬間だけ天幕の周りに張っていた結界に穴をあけ、その穴から魔法薬が飛び出していく。


敵の魔法使いも、空中でレイの魔法薬を打ち落とそうと魔法陣からまた氷の粒を発射させた。一つ、二つと魔法薬にあたるが、魔法薬にかけた結界が剝がれるだけで飛ぶ勢いは落ちない。敵が張っている結界に魔法薬が着弾した瞬間、魔法薬が破裂して空気に触れる。敵の結界を巻き込みながら4つの魔法薬は空気に散布され、次の瞬間大きな氷山を作った。氷山の中で動く人影は3つ。ひとり取り逃している。レイは周囲を見渡した。さっき確認できた魔法陣がたまたま4つというだけで、他にもいるかもしれない。


「何人だ」

「確認できたのは8人。もっといるかもしれない」

「ハッ! モテる男は大変だ――な!」


レイは氷山とは反対側の空間に向かって白く濁った大きめの瓶を投げた。クラウスがまた合わせるように白い瓶が通る部分だけ結界に穴をあけて通してくれる。穴が塞がった瞬間、白い瓶は空中で撃墜された。結界のすぐ近くで瓶が破裂し、周囲に白い煙幕を張る。


逃げよう。そう言おうとした瞬間に、右方向から魔力弾が乱射され、クラウスの結界がそれらを弾き返していく。このままでは結界を解除した瞬間に蜂の巣になる。クラウスの表情は厳しく、レイを見つめてきた。巻き込んでしまったとでも言うような顔を見ると、レイの心がぎしりと音を立てる。――これだけは正直、使いたくなかった。レイはゆっくりと鞄に手をかけた。


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