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第11話 調律

 鞄の中から長細い品質保持用ケースを一本取り出す。表面を撫で上げるように魔力を通し、レイはケースにかかった封印を解いた。中に入っているペン型の注射器をそっと取り出す。通常は収納されている注射針は、先端を強く押し付けることでばねが作用し、針が出てくる仕組みとなっている。この機工だけはレイではどうしようもなかったため、外部委託するしかなかった。――魔力回路のリミッター解除剤。これを摂取すると、レイの魔術回路が限界を超えて働くようになる。薬が切れた後の反動はもちろん、面倒な副作用もある。


レイは自身の太ももに注射器の先端を思い切り押し付けた。カチッという音がして、薬液が自身に入ってくる感覚がした。魔法薬の効きは、統計的に本人のイメージによって早まることがわかっている。レイは太ももの筋から全身に薬液が駆け回るイメージをした。しだいに目の奥がじりじりと痛み始め、薬の効果が全身に回ったのがわかった。


 注射器をケースに戻して鞄に押し込み、レイは魔法の構成を思い浮かべる。結界膜を二つ、身体強化、古代魔術を応用した幻惑魔法。普段使わないような魔力が簡単に練り上げられる。魔力回路さえ丈夫だったなら、と思わずにいられなかった。この薬を使うたびにレイは万能感に酔ってしまう。


魔法は一瞬で爆発させる準備だけをして、時間のかかる古代魔法の詠唱に入る。


≪祖は光を拒み、影に語らいし者。視よ、見えぬものを。惑え、揺蕩い、驕り、偽りを愛せ。我は世界を欺きし者なり!≫


脳が焦げそうな程、混ざりそうな構成を思い浮かべながらすべてを同時に行使する。白い煙幕に混ざって銀色の靄が結界の外を覆い始めるのが見えた。乱射されていた魔力弾が止み、周囲からざわりと人の声がする。いったい何人の刺客が来ていたのかと考えていたところで、クラウスが驚愕の表情を浮かべた。


「レイ!?」


驚愕の声をあげるクラウスの胴に飛びついて、レイは地を蹴る。クラウスを抱えながら天幕を跳ね除け、空へ舞う。内側からクラウスの結界が割れて舞うのが見えた。夜空から夜営していたところを振り返ってみると、思ったよりも広範囲に銀色に輝く霧が立ち込めているのが見えた。


「そんなに魔法使ったら――!」


心配で怒るクラウスを見ながら、レイは木々の先を飛び石の如く軽々と飛んでいく。レイは真剣な面持ちでクラウスに語り掛ける。


「クラウス、帰ったらやってもらわなきゃならんことがある」

「……なんだ」


怒りを抑えながら、クラウスが続きを促すのを聞いて、レイはそのまま答えた。


「部屋に入ったら、出るな。内側から鍵をかけて、どんな音がしようが出てくるな」


トンットンッと今度は木の枝を順に降りて地面に着地する。そのままクラウスを肩に担ぐようにして走った。流石にまだ身体強化魔法が続いている間は、レイが抱えて走った方が幾分速いだろう。


「意味が、わからん! そして降ろせ!」

「着いたら降ろす! しゃべると舌を噛むぞ!」


小柄なもやし体形の男が自分より大きくがたいのいい男を肩に担いでる姿は、それは滑稽だろうが、こんな深夜に誰も見ていないだろうから気にしないでもらいたい。そんなことより、レイは焦っていた。前回テストした時は、薬の効果はおよそ30分。いや、それよりも4つ同時行使の無茶のおかげで、一つひとつの魔法の効果時間はそれほど長くない。どうにか古代魔法による幻惑魔法に対処されていないことを願うだけだ。


 先ほど空から見た村は遠く、遥か先だった。どうにか、あの世界一安全な魔法薬店へ逃げ切らなければならない。


 どのくらい走ったかもわからない。枝を踏み抜き、草をかき分け、木々の合間を縫ってレイは走り続けた。結界膜が切れると、レイの腕や足に細かい枝が当たって痛みを覚えた。最後までもってくれた身体強化魔法は村に辿りつく直前で切れはじめ、担いでいたクラウスの重みを感じ始めた。いったん彼を降ろし、身体強化魔法を再度行使しようとすると、今度はクラウスがレイを横抱きして走り始めた。キィンと、また自分の中で音が大きく鳴る。浄化薬を使用したばかりの頃よりは透き通ってはいないが、まだ澄んだ音がする。よかった。さっきクラウスは魔法を使っていたから、魔力汚染が進んでいないか心配していたが、まだ許容範囲だ。いや、今はそんな場合じゃない。レイはクラウスに苦情を言った。


「おい! 走れる!」

「――君はどれだけ無茶をすれば気が済むのか」


見上げるクラウスの表情は明らかに怒っている。レイはクラウスの腕の中でため息をついた。


「大丈夫だ。オーバーヒートは起こしていない」

「いったいどんな無茶をしたのかと言ったのだ! 明らかに普段の君ならできない所業だ。……その目もそうだ。帰ったら教えてもらう」


目のことを言われて、魔力回路のリミッター解除剤がまだ効いていることはわかった。あの薬を使用すると、一時的に瞳の色が赤黒く変色する。テスト使用時にまるで静脈血のような色だと思った記憶が蘇った。視力にも問題は無い上、薬が抜けたらきちんと元に戻るので取るに足らないと思っていた。


「ダメだ。せめて明日にしろ」


レイが拒否するので、クラウスは黙った。クラウスの表情は確実に納得しているそれではない。レイが続けて言おうとしたとき、眩暈を覚えて目を抑えた。くそ、副作用が来るのが早い。行使した魔法の種類か? それとも使用した魔力量? また今度テストしないといけない。


レイは切れ始めている結界魔法を再度クラウスにかけ直そうとした。すでに魔力が練り上げづらい。薬の副作用で、急速に魔力のコンディションが悪くなっているのがわかる。魔力回路を流れる自分の魔力がまるでざらついているようだ。それでも時間をかけて何とか魔法を行使した。少なくともこれで店までは持ってくれるだろう。結界魔法を使ったことでクラウスの眉間の皺はまた深くなった。


「クラウス、身体強化魔法まではかけてやれそうにない……使い慣れてない魔法を人にかけるのも、怖いし」


レイがこぼすように言った言葉に、クラウスは前をまっすぐ見ながら答える。


「大丈夫だ、運べる……意外だな、君からそんな弱気な発言が出るのは」

「ははっ! そんなにいつも自信満々に見えるなら、俺の虚勢も大したもんだな」


魔力のコンディションの悪さは、精神面にも影響する。口から出てきた自虐に、レイは内心毒ついた。こういうのは、気ごころ許した相手でも、患者に言うことではない。


「追手は?」

「大丈夫だ。レイの幻覚魔法……か? あれはすごいな。今度教えてくれ」

「古代魔法の適性は?」

「……それは、残念だ」


クラウスが本当に残念そうだったので、レイは罪悪感を覚えた。自分の秘密について、いつか打ち明けられる日は来るんだろうか。村の中を走るクラウスの顔の傷跡を見ながら、レイはそんなことを考えた。


 明かりが一つもついていない村の中を、クラウスはレイを抱えて走っていく。流石に息が上がり始めているのに、クラウスはレイを降ろしてくれない。もうすぐ魔法薬店に着く。レイはすぐに家に入れるように鞄から鍵を取り出した。この鍵も、ルミアは不要だと言っていたが、モートンの希望に応えてつけたものだ。


 ルミア魔法薬店の結界は、ルミアやその家族に害をなそうとするものを一切寄せ付けない仕様になっている。最初は悪意が無くても、例えば店の中で相手に暴力を振るおうとした瞬間に外に弾き飛ばされる仕様だ。外からの攻撃も一切効かず、雨漏りすらしない。優しいのに他の害意を一切許さない。そんな魔術師がわざわざ鍵をかける理由は、モートンが非魔法使いなせいだ。結界があるから鍵をかけないという感覚が、モートンには全く理解されない。このため、魔法による開錠魔法は結界で弾かれてしまうので、七面倒くさい「鍵を開ける行為」をしなければならない。


 魔法薬店に到着して、ようやくレイは降ろしてもらえた。鍵を開けて、魔法薬店の中に入ると、クラウスが後からすぐさま入り、ドアを閉めて鍵をかけた。背をドアに預けて息をするクラウスに、レイは申し訳ないなと思いながら、ふらふらと地下に向かおうとした。


「レイ」


後ろから呼ばれるが、レイはそのまま地下に向かおうとした。魔力のコンディションの悪さが際立ってきた。体が震え始めている。体の芯が熱くなってきて、じんわりと汗も出てきた。


「待て、レイ!」


後ろから肩を掴まれるが、振り払ってレイはクラウスから距離を取った。掴まれた肩が熱い。息が上がる。そろそろ限界が近い。


「クラウス、俺がさっき使ったのは、一時的に魔力回路の……効率を上げるような魔法薬だ。もうそろそろ効果は切れ始めるが、すでに副作用が出始めている」

「副作用だと?」


クラウスがまた触れようとしてくるので、レイはまた一歩あとずさって距離をとった。嘘も方便な説明で気が向かないが、どうやらクラウスは薬の本作用より副作用の方が気になるらしい。レイはあがる息を必死に抑えながら、クラウスに語り掛ける。


「頼む、触らないでくれ……。だいぶ、毒だから」

「毒だと?」

「あ、違う。そういう、意味じゃない」


クラウスが勘違いしそうな一言を、慌てて訂正する。段々頭が回らなくなってきていて、うまく言葉が出てこない。


「副作用が、その……魔力のコンディションを、すこぶる悪くする。その意味が、わかるな? クラウス」


レイは、回らない頭で、察してくれとクラウスに祈った。――魔法使いにとって魔力のコンディションは、非常に重要だ。それが著しく悪くなると、体の調子も連動して悪くなる。それを整える調律を、自然と求めてしまうほどに。レイにとっては、今、目の前に初めて出会った魔力相性のいい相手がいる。体が知らずしてクラウスを求め始めている。自身の都合に、彼を巻き込むわけに行かない。


「頼む。さっき言ったとおりにしてくれ。もしかしたら、夢遊病の如く、君の部屋を訪ねてしまうかもしれない。絶対に、今晩は、俺の声がしてもドアを、開けるな」


レイが言い含めて、地下室の方を向いて歩き始めた。すでに体が疼いている。体がクラウスに背を向けることを拒否している。自制心を強く持って一歩前に踏み出した瞬間、後ろから抱き留められた。


キィン


自分の中に音が鳴る。息が止まりそうだ。振り向くな。喜ぶな。自分に必死に言い聞かせた。


「……そんなもの、こちらが我慢できない」


クラウスの声が耳にかかる。甘い刺激に全身が震え、膝の力が抜けた。かくんと倒れそうになるレイをクラウスが支える。訳が分からないのに目に涙がにじむ。すべての刺激が期待に変わってしまう。レイはクラウスの顔を覗き見た。クラウスの瞳は相変わらず冷たい色をしているが、瞳の奥に熱を感じる。


「貴族の……中でも魔術師が魔法薬士を囲おうとするのは、閨への誘いだ。君はやはりわかっていなかったようだな」


レイの耳に入ってくる情報が、あまりにも予想より斜め上過ぎて、レイは顔に手を当てた。呆れてものが言えそうにない。クラウスは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。


「もちろん、それだけじゃなかったのは確かだ。……でも、魔術師の中では、普通にあることだ」

「出会って二回目の野郎を真昼間から閨に誘う行為がか?」


レイに鋭く言われて、クラウスは言われて「うっ」と目を伏せた。


「魔術師の魔力コンディションの問題は、結構重要な問題なんだ。……節操がないと言われると、少々身の置き場がないが」


クラウスの言葉に、レイは回らない頭で考えた。確かに魔法使い全般として、調律できるパートナーというのは囲いたがる傾向があるのは確かだ。ただ、いざ自身がその立場に立つと、情緒もへったくれもあったもんじゃないんだなと、レイは理解した。少しだけ何かを期待していたのかもしれない自分に戸惑いつつ、なんとなく、心が冷めたような感覚がする。ツールの一種にされるのは釈然としないが、そういうことなら何も遠慮する必要もないのか。


レイは自身の中の何かと引き換えに、頭の中を切り替えた。


「閨の趣味嗜好は?」

「……そう、逆にドライに来られると、答えづらいが……」


そう言いながらも、クラウスはそっとレイに耳打ちしてきた。レイは顔が熱を帯び始め、顔を隠した。その行為をクラウスは肯定と受け取り、そのままレイを横抱きにして、客室へ行こうとした。


「ま、待て。明日、モートンが来て見られたら、倒れそうだ」


クラウスの肩あたりの服を摘まみながら、レイは慌てて止めた。クラウスは承服しかねるという顔をしながら、レイを見る。


「……初めて君を抱くのに、簡易ベッドは趣が――」

「今の会話に趣とか必要そうには感じなかったが?」


男ながらにこのクラウスの心情はよくわからん、と思いながら、レイはため息をついた。渋々クラウスの足が研究室に向かう。レイは自身の鼓動がうるさく鳴るのが耐えられそうになかった。


「……公爵家なら、婚約者の一人でもいそうだが?」

「諜報部に入った時点で破棄されている」

「現在、他のパートナーは?」


副作用で火照る体を紛らわせるように、矢継ぎ早に質問攻めにするレイに、クラウスは少し考えてから口を開いた。


「特定の相手はいない」

「特定の相手は、ね。了解」

「……訂正させてほしい。少なくとも任務の関係でどうしても調律したい場合を除いて、私はしていない」


何を訂正しようというのか分からないが、クラウスは少し反省したように言葉を紡いだ。


 研究室に入り、レイは簡易ベッドに寝かされた。さっきまで走っていて汗だくの体でそれをするのは申し訳なさ過ぎて、簡単に身を清める魔法を行使しようとしたが、魔力のコンディションが悪すぎて発動できない。レイが何をしようとしていたのか察したのか、クラウスは聞いてきた。


「気になるか?」

「クラウスが気にならないなら、いい。ただ、お互い今魔法も使えない状態だ。非魔法使いのやり方になるぞ。……もってないだろう?」


 レイは一応聞いたが、するとクラウスは部屋の一点をじっと見つめ始める。レイがクラウスの視線が示す方向を見ると、夜に行っている改善依頼品を、悪戯心で改造したものが置いてあった。レイの顔がサーッと青ざめた。依頼物と混ざらないように横に置いておいたのが仇となった。


「身をもって実験してみる、と言うのは、君としては本望なのでは?」

「待て、待て、違う。あれは、ちょっと違うんだ。依頼の物とは別で、ちょっと作ってみた後に捨てようと思っていたもので」

「依頼物とは別? ますます興味がそそられるが、どういったものだ?」


レイは目を逸らした。先日持ってきた情報誌に書かれていた催淫作用が確認された香料であるティアーモが、たまたま祖母の研究室にあったので、以前セリルに宣言した通りやってみてやろうと興が乗って作った「催淫作用を増幅させた」いかがわしい代物だ。あまりにもよくできたので、その場で捨てるのを惜しんだ挙句、眠くて片付けることに気を抜いた自分を今すぐに殴り殺してやりたい。


クラウスが手に取ろうとするので、レイはその手を掴んだ。首を振って拒むレイに、クラウスは、にっこりと意地の悪い笑顔を浮かべ始める。


「クラウス! 後生だ!」

「そこまで言われると余計に気になるんだが?」

「明日! 明日話すから! 必ず話す! 誓ってもいい!」

「宣誓魔法の話は辞めてくれと言ったはずだ」

「違う、言葉の綾だ!」


クラウスは深いため息をつきながら、そっとレイの髪をなでる。レイはそれでさえ全身に走る快感に身もだえした。


「では、今日はできるところまで」


引っかかる言い方をしながら、クラウスの顔がレイに近付いてくる。――あぁ、キスはするのか。心の通わない調律でも、するものなんだな。まぁ、どうでもいいか、そんなことは、些末なことだ。そう言い聞かせるようにレイはそのままクラウスの唇を受け入れた。

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