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第12話 人質

 レイは眠りから覚めると、簡易ベッドに横たわっていた。朧げな記憶を辿ると、調律が終わって、その場で体やシーツの汗やらを、洗浄魔法を使って取り除き、クラウスに抱かれながら狭い簡易ベッドで眠った覚えがある。だが、今は自身を包むように腕を回していた張本人は、服を着て椅子に座って眠っている。やはり寝づらかったのかと思うと、罪悪感を覚えた。それでも客室に戻る選択肢もあったはずなのに、近くにいようとしてくれたクラウスの気持ちが有難かった。


 昨日の夜に脱がされた衣服は、今クラウスが座っている椅子に置いてあったはずだが、今はデスクの上に移動している。枕元に置いてある眼鏡をかけてから、レイはそっとベッドから降りて、服をもぞもぞと着替えた。サスペンダーをつけている時にふと視線を感じてそちらを見ると、じっと動かずに、腕組をしながらこちらを見ていたクラウスと目が合った。


「おはよう」


昨夜のことを思い出すと少し気まずかったが、レイは声をかけた。クラウスも「おはよう」と小さく返してくれるが、その視線はずっとレイから外れない。髪をまとめ直している間すら煩わしいぐらいずっと見てくるので、流石にレイはクラウスの顔を睨みつけた。


「……何か?」


クラウスは言われてはっと気付いたようで、慌てて視線を逸らした。


「すまない。少し、見惚れていた」

「何言ってんだか」


そう返しながら、レイはクラウスに近寄った。左手を差し出すと、クラウスは腕組をやめて手を重ねてくる。キィンというまだ澄んだ音がする。解析魔法を行使して、炎症反応を探る。調律されている自分の魔力のおかげか、はたまた調律し合った相手だからか、すんなりと情報が入ってくる。昨日魔法を使った割には、汚染はそこまで進んではいないようだ。鼻がもげそうなほどの臭いを感じない。


「うん……まだ、問題なさそうだ」

「むしろ聞きたいのはこちらなんだが?」


手を離そうとした瞬間、クラウスが重ねた手でそのままレイの手を握る。じっと見つめてくる瞳に、レイは何を探られているのかわからなかった。


「目の色は、戻ったみたいだな」


そう言われて、あぁ副作用の件かと合点がいってレイは微笑みかけた。


「心配かけてすまない。おかげさまで、すこぶる良好だ。調律というのはすごいんだな。魔術師が重要視する理由が分かった気がする。より繊細な操作が必要な魔法を使うとなると、魔力のコンディションは確かに重要――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


レイの言葉に、クラウスは何故だか慌て始めた。初めての調律で、確かに少し興奮気味に語ってしまったが、おかしなことを言ったつもりもないし、反芻してみても引っかかるようなことは無いように思うが、何故かクラウスの顔は青ざめている。


「……調律の、経験は?」


暗い声音で問われ、レイは片眉をあげながら答えた。


「試みたことは何度かあるが、昨日が初めてだ」

「………………なる、ほど。それまで、調律には至らなかった、と」


長い沈黙の後、呟くようにそう言って、クラウスはやっとレイの手を離した。そのまま顔を覆って俯いてしまった彼を見て、レイは本当に訳が分からなかった。どう対応していいか分からず、疑問符を浮かべるだけだった。


「相性については、仕方ないことだろう? クラウスはきっと、いろんな人と相性がいいということで、それは魔術師としては良いことなんじゃ――」


クラウスからすごく大きな歯ぎしりの音が聞こえて、レイは言葉を噤んだ。仕方なくクラウスが何やら苦悩している姿をそのまま見下ろしていると、クラウスが口を開いた。


「てっきり、何度も経験があるものだと……だから私は、ああ言えば……君が興味を……いや、そもそも誠実な行動をしていない私が悪い……」


ぽつりぽつりとこぼれるクラウスの自責の言葉が、何を意味しているのかをレイは理解できなかった。ただ、何かを悔やんでいるクラウスの前にしゃがんで、視線の高さを合わせた。


「何をそんなに後悔しているかさっぱりわからないが、俺が何かしてしまったんだろうか?」

「違う。自身の愚かな行動を恥じている」


クラウスがレイの手を優しくとって、額に当てるように持ち上げる。何の懺悔をされるというのか。自分は聖職者ではないが、その懺悔に意味はあるのだろうか。


「可能ならやり直したい。ただ、そんなことを望むことすら図々しいことは十分承知だ。どうか愚かな私を許してもらえるなら、改めて機会をもらえないだろうか」

「機会……? なんの?」


懺悔かと思ったらまさかの懇願だった。レイの一言に、クラウスは言うのをためらった後、ため息をついて恥ずかしそうに眼を閉じた。


「……君を、口説く、機会を―――」

「く」


口説く。言葉を反芻し、咀嚼し、飲み込む。いや、飲み込めない。状況が飲み込めない。腑に落ちるわけがない。


「クラウス、その……気を悪くさせたら申し訳ないんだが、確認させてほしい」


レイは言葉を選びながら、混乱している自分を落ち着かせようとした。クラウスが目を瞑ったまま小さく頷いたので、レイは大きく深呼吸して、口を開いた。


「俺は……いつから好意を寄せられていたんだろうか」


思い返せば、一緒に暮らし始めた頃から多々気遣われていたとは思う。ただ、気遣いという範囲を超えていなかった、と思う。いや、わからない。今となってはそれすらも冷静に判断はできない。


クラウスは、気まずそうにレイの視線から逃れようと自身の視線を下へと下げていく。


「気付かれているとは思っていなかったが、言わなければならないだろうか」

「言いたくなかったら、いいんだが……」

「いや、言う」


レイの手を握るクラウスの手が震え始めている。普段から余裕でスマートになんでもこなすクラウスらしからぬ姿に、レイは人間らしい一面を見ている気がした。


「…………一目惚れだ」


レイはずれた眼鏡を直しながら首を振った。一目惚れだと?


「冗談――」

「ではない。確かにその後の……診察で私の態度はひどかっただろう。でも、こちらの状況もわかってほしい。私は日頃、追手から逃げていた。恋愛感情と新たな信頼関係は、切り離して対処せざるを得なかった。それだけは分かってほしい。優秀な魔法使いは大体が調律に好意的だ。だから、私は自分に目を向けてほしくてあんなことを言った。反省している」


その言葉の後半はあまり耳に入ってこなかったが、日頃追手から逃げていたという言葉に、レイは昨日の襲撃を思い出した。だとしたら、余計に腑に落ちないことがある。


「何故、祖母に助けを求めなかった?」


クラウスの顔が暗くなり、黙ってしまった。レイはその態度に一つの結論に至った。ふつふつと沸く怒りにも似た感情を必死に鎮め、荒げそうな声を抑えた。


「……お前、死ぬ気だったな? いや、正確には、結果的に死んでしまってもいいと思いながら生きていた。違うか?」


レイの手を握るクラウスの手が強くなる。クラウスの目が開かれ、腑に落ちたように、悲しそうな笑顔を浮かべた。



「そうか……私は、死にたかったのか……」



レイは、その一言に胸が張り裂けそうな深い衝撃を受けた。自分とそう年齢も違わないこの男が、今までどんな人生を歩んできたのかは知らない。ただ、そんなことすら分からなくなるほど、クラウスの置かれている状況は厳しく、寂しいものだったのだろうか。


レイはクラウスの手を強く握り返した。握り返された手に、クラウスは自嘲するように言った。


「いや、これは、卑怯だな。忘れてほしい。でも、君と出会って、私は今、生きたいと心から願っている。それは、揺ぎ無い事実だ。まるで脅しのように聞こえるかもしれないが、君との関係がどうなろうと、私は君の心を傷つけるような結果を選ぶことはない。それは信じてほしい」


こんな状況ですら、自分を優先して選択肢を減らそうとしないクラウスに、レイは奥歯を噛み締めた。絶対に、目の前の男を治してやりたい。その気持ちがレイの中で強くなった。


「……時間が、欲しい」


レイが絞り出すようにそう言うと、クラウスは微笑みながら頷いた。


「もとより、それはこちらが望んだことだ」







 とりあえず、レイたちは研究室から1階の店へ上がった。もう一度客室で寝直したらどうかと伝えても、クラウスには丁重に断られた。時間を見ると、だいぶ早い時間だ。普段はもっと遅く起きるのに、魔力のコンディションが良くなると早く目覚めるのだろうか。流石にこんな朝早くからモートンは来ないだろうし、夜営すると言ったのに朝食まで準備するつもりで来たりもしないだろう。仕方なく朝ごはんを自分で作るかとキッチンに向かうと、クラウスがついてきた。あんな話を聞いた手前、やはり意識してしまうが、なるべく普段通りに接した。


 トーストを焼いて、コーヒーを入れる。クラウスもレイも、ミルクや砂糖を入れないタイプだったので、準備はすこぶる楽だった。もとよりモートン程準備するつもりがないというのもある。他人の目があるので、面倒くさくても皿に載せるだけまだましだと思ってほしい。


 カウンターに置いて、コーヒーと一緒に流し込んでいると、呼び鈴がなった。こんな早い時間に? とレイはクラウスと目を合わせ、二人はさっと立ち上がった。クラウスがカーテンの隙間からそっと覗いて玄関の前に立っている者を確認すると、険しい顔をした。


「……レーヴェンシュタイン公爵家の私兵だ」


クラウスがこちらにそっと伝えてくる。今度はレイが発熱抑制剤を噛み砕きながら玄関のドアスコープから外を覗いた。


「――モートン!?」


ドアスコープ越しのモートンは、申し訳なさそうな顔で俯きがちにこちらを見ていた。ルミアの魔法薬店の結界は、害をなそうとするものを遠ざける。つまり―――


「人質をとった、か。いよいよ手段を選ばなくなってきたな」

「昨日の追手も?」

「おそらくは……すまない。巻き込んでしまった」


クラウスの眉間に深く皺が入る。モートンには一切の事情を説明していない。ただ恐怖と今戦っているのだろうと考えると、早く救出してあげなければならない。


「私が出る」


クラウスの言葉に、レイは首を振った。


「この店を今預かっているのは俺だ。俺の客だよ」

「レイ、待――」

「モートンを、頼む」


クラウスの制止を聞かず、レイはドアを開けた。結界があるから、開けることについては何も問題はない。ただし、結界の外に出たら最期の可能性がある。迎撃できるような魔法薬の準備もできていないし、すでに調合してあったものは昨日使ってしまった。そしてそんなものを調合している暇もない。レイは恐怖心と無策で向き合いながら一歩前に出た。


 モートンが体を震わせながら、こちらを見ている。


「おはようモートン。世話をかけたみたいだね」

「レイ、さん」


モートンの声が震えている。レイはうまく笑えたかわからないが、なるべく笑みを浮かべるよう努めた。モートンが前に踏み出そうとした瞬間に、背後からつかまれて後ろに引き戻されていく。私兵の数は見える範囲でおよそ5人。玄関から大人の足で3歩ほどの距離。それ以上は公爵家の私兵も近付いてこない。いや、おそらくは近付いてこられない。


「レイ・ヴェルノットで間違いないな」


先頭に立っている私兵が、声をかけてくる。レイは変わらない表情で答えた。


「はい、そうです」


私兵が持っている武器に彫られた紋章に視線を走らせると、双頭の鷲に銀の杖の形をしており、レーヴェンシュタイン公爵家のもので間違いなかった。


「公爵様がお呼びだ」

「召喚状は? 正式なお呼び出しなら、失礼のないように身支度を整える時間をいただきたい」


そう言うと、モートンの首に短剣が突き付けられた。なるほど、それが召喚状だと。これは焦っている。思い当たることといえば、浄化薬についてマルキオン教授が上手い事公爵家を追い込もうとしており、レイがクラウスがもともと所持していた浄化薬をマルキオン教授に送ったことがばれた、というところだろうか。


――報復か。レイは背中に汗をかいた。レイに何かあれば、伝説の魔術師が黙っていないとは思わないのだろうか。あの人は一人で国と戦える人なんだが。


レイはため息をついた。伝説の魔術師を黙らせるための次の人質は、俺か。


「では、交換でよろしいか?」


レイが毅然とした態度でそう言うと、兵士たちは手錠を一つこちらに投げてきたが、結界に阻まれて兵士たちの一歩先ぐらいに落ちた。落ちた手錠をよく見ると、魔法陣と魔力石がついており、魔法使い専用の拘束具であることがわかる。レイは落ちた手錠を持ち上げる。せっかく昨日の夜に調律された魔力が嫌がるように指の先から逃げていった。それでもレイは自分で左腕に手錠をかけた。寒気にも似た恐怖感が体を支配し、全身からあふれ出る嫌悪感がすごい。


「モートン、中へ」


そう言うと、モートンはそっと私兵から離れてレイに近寄ろうとしたが「さっさと行け!」と私兵が一喝し、モートンはびくりと体を震わせる。「すみません」とレイに震える声で呟いてからモートンが店の中へ入っていくのを見届けて、レイは一歩踏み出した。左腕が重い。単純な手錠の重さではなく、魔力が完全に外に出せなくなったことによる支えがなくなったせいだ。これは、解除できない。魔法の解析ができない。


 兵がレイの右腕にも錠をかけると、レイは全身のあまりのだるさに膝から崩れ落ちた。

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