早朝から現れたレーヴェンシュタイン公爵の私兵集団は、モートンの家でも大暴れしたらしく、家の前を通った時に玄関前の鉢植えが割れて倒れているのが目に入った。通りには誰もいなかったが、窓から様子を伺う村人が多い中、外に出ていたのは村長だけだった。兵士に縛られ、担がれているレイを罪悪感を込めた目でこちらを見ており、周りを威嚇しながら進む集団が、唯一何も言わずに見過ごした人でもある。
レーヴェンシュタイン公爵の私兵がどこに向かおうとしているのかは知らないが、そのまま村の外れに停めてあった馬車の中に乱暴に押し込まれて、眼鏡を取られ目隠しをされた。魔力を封じ、視界を隠される徹底ぶりと、村での大っぴらな動き方を見ると、なんともちぐはぐな印象を受ける。連れてこいと言われたが失敗し、強硬手段を選んだのだとしても、その後のことを考えてないような動きばかりだ。
馬車は何度も乱暴に揺れ、平衡感覚もわからないまま、レイは馬車の中を転がり回った。あちこち体をぶつけながらも、体を支えることもできない。どれくらい揺られたかわからないが、そんなに長くはなかったように思う。なんの声かけもなく、また担がれて移動する。空気の流れ方が変わって、室内に入ったことは分かった。そのまましばらく歩いて、乱暴に柔らかいクッション性のあるところに放り投げられた。材質的にソファだろうか。
目隠しが取り払われる。ぼやけている視界が広がる中、少し離れたところに誰かが立っているのがわかる。濃紺のフロックコート姿で、貴族らしいということはわかるが、何故だろう、シルエットがレーヴェンシュタイン公爵の年齢とは合わない気がする。
「突然の召喚に応じてもらえてうれしいよ、レイ・ヴェルノット」
目隠しを取ったと思われる背後の人物が、レイにそっと眼鏡をかけた。かけ具合が悪くて気持ち悪いが、今はそんなことを言っている場合ではない。レイは合わせづらいピントで声の主を見る。やはり貴族年鑑に載っていた公爵とは違う人物だ。栗色の髪に藍色の瞳を持つその人物の目元は、どことなくクラウスに似ている気がする。
「丁重なお招き痛み入ります」
レイは皮肉を込めてそう言った。目の前の人物は不機嫌そうに鼻を鳴らし、「元気そうで何よりだよ」と言いながら、近くに立てかけてあった杖を持って近づいてきた。杖の先がレイの顎に触れ、無理やり顔を持ち上げさせられる。じろじろと舐め回すようにレイの顔を観察し始めた男は口を開いた。
「銀灰色の髪に青緑の瞳。なるほど、伝説の魔術師の血筋というのは間違いじゃないようだ」
「見かけだけですよ。中身は何も伴っていません」
自嘲すると、男の杖先が離れていった。レイはそこでやっと辺りを見回した。貴族らしいただっ広い部屋に、少し広めのベッドが一つ、大きなクローゼットと薬棚が壁に備え付けられており、ベッドの近くに自分が座っている一人掛け用のソファだけの部屋。まるで飾り気のない部屋で、生活感もあまり感じられない。大学病院の病室よりは、まだ調度品の質が良いだけ、というような印象を受ける。少なくとも、目の前に立っている男の部屋には感じられない。
「なるほど? つまり私は、ただの凡人に浄化薬の追跡阻害魔法を抜けられ、呪われた浄化薬を見破られ、昨夜は弟への襲撃も失敗させられた、と――そう言いたいのかな?」
逆探知したこともバレている。いや、正確に誰がどう追跡したかまで分かっていたのなら、今日に至るまでレイが野放しにされていた説明がつかない。逆探知されたことがわかっていても、その場にいた誰が行ったかまでは分からなかったのだろう。確かに、魔法使いの学生2人と魔術師の教授2人だったら、教授の方にあたりをつけるのは当たり前か。
「……弟?」
レイは疑問を口にしながら目の前の男を見上げた。目が合った瞬間、男は杖を振りかぶりレイの頬を殴打する。激痛と視界が回る感覚がする。流石にソファから転げ落ちることはなかったが、その代わり眼鏡は吹き飛ばされたようで、遠くの方で眼鏡が床に落ちた音がした。
「あともう少し、あともう少しで殺せるところだったんだよ。レイ・ヴェルノット。本当に、とんだ邪魔をしてくれたものだ」
口の中を切ったのか、血の味が滲む。痛みで目尻に涙がたまるが、レイは構わず口を開いた。
「何故クラウスを呪った? 貴方は次期公爵の座を約束されているはず。こんなことをする必要もないでしょう」
レーヴェンシュタイン公爵家については、魔法薬店に手伝いに来る前に一通りのことは調べた。現在公爵は病に長く臥せっており、その妻はすでに病死、長男は先の戦争で他界しており、現在公爵の子は前妻との子と後妻の子の二人のみである。自分は三男だと名乗ったクラウスのことを弟と言うのは、一人しかいない。貴族年鑑に載っている後継者の名前は、前妻の子である、ディートリヒだ。
レイの言葉に、ディートリヒは不快感を隠さずに言った。
「呪う? この私が? そんな魔法使いの風上にもおけぬことを、レーヴェンシュタインがすると思っていたのか?」
その物言いに、レイは驚愕した。てっきり呪っているのは公爵家の誰かだと思っていたのに。レイの思案をよそに、ディートリヒは嘲笑した。
「あぁ、でも居たな。公爵へ毒を盛った上、あまつさえ自ら呪いの媒介となって公爵を殺そうとした、敵国の内通者がな」
ディートリヒはやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「義母上も浮かばれんなぁ。自身の子の手にかかって死んだんだからな」
その一言に、レイの頭の中は真っ白になった。たったその一言を絞り出すのがやっとなほどに。
「――実の母親を、クラウスが……殺した……?」
レーヴェンシュタイン家の後妻が死んだという話は聞いていなかった。新聞にも載っていなかったと思う。レーヴェンシュタイン家の汚点ともなるこの事件を、王家か公爵家か、大きな力がもみ消したことに他ならない。もしその一件に諜報部が関わっていたのなら、きっとルミアもそのことを知っていたはずだ。
ディートリヒが嘲り笑うように言う。
「弟の頬の傷を見ただろう。あれは義母上が最期に残した置き土産だ。……己の罪に溺れて勝手に呪われた、なんとも哀れで滑稽な弟だ。死に場所くらい、こちらで用意してやるのが情けというものだろう?」
ディートリヒの物言いはあまりにも悪意に満ちており、神経を逆なでする。レイは必要な情報だけを拾い集め、その悪意を横に置いた。
呪いは、一般的に他者から掛けられることの方が多い。そのほかには悪魔との契約や禁忌とされている魔法の使用により術者にも発生する。ただもしそれが、自身から向けられた罪の意識から発生するものだったならば――。
――そうか……私は、死にたかったのか……
そう呟いたクラウスの表情がレイの脳裏から離れない。
「……それが、クラウスの、呪いの正体……か」
悟ることなく、静かに己を殺していくような呪いを、レイは初めて知った。
思わず、頭が垂れる。クラウスを想うと、深い悲しみと怒りに心が充ちていく。彼の心に負った傷を、彼の自らの選択を、レイは否定することはできなかった。その時彼は何を考え、何を想い、己を殺し、行動したのか。レイにはその全てが、ただ辛かった。
「さて、レイ・ヴェルノット。取引と行こう」
ディートリヒが杖先を床に強く打ち付け、レイはゆっくりと顔を上げた。ディートリヒの顔は先ほどまでの顔とは打って変わって無表情だ。奴の感情が消え、取引という名の脅迫が始まるのがよく分かった。
「国安保に、あの浄化薬の出所について訂正したまえ。君が自ら『偽証した』と証言さえすれば、あとはもうどうとでもなるように手は打ってある」
レイはただ苦笑した。その反応が気に食わなかったのか、ディートリヒの杖が今度は右頬を打った。
「見返りは、そうだな。君の魔力回路の欠陥、だったか? 治療する手助けをしよう。どうだ、自身の研究に専念できるというのは、悪くない話じゃないか?」
打たれた両頬が熱い。それでもレイは笑わずにはいられなかった。そんな話をつい最近断ったな、と思ったら可笑しくてたまらない。提案してきた相手への信頼度も、意図も、まるで違う。今ではその違いは愛しさを感じるレベルで温かく感じる。
「今更取り繕ったってそうはいかないですよ、ディートリヒ卿。こんなことをしでかして、祖母が黙っていると思いますか?」
「……安心したまえ、レイ・ヴェルノット。君の意思で私の元にいれば問題ないではないか。それとも何か? 伝説の魔術師は、君の自由意思すら捻じ曲げる荒くれかね?」
「うちの祖母は、根っからの正義感あふれる荒くれなのは間違いないですがね。俺の自由意思を捻じ曲げようとしている輩に言われても――」
言い終わる前に、ディートリヒは自身の杖の持ち手をかちりと回した。すらりと引き抜かれて、中から細身のナイフのような切っ先が現れる。
「生きていたければ、言うとおりにするのが身のためだと思うが?」
「俺が死んでも死ななくても、貴方は終わりですよ。ディート――ッ!!」
刃が閃き、レイの太ももに突き刺さる。傷が焼けるように熱い。激痛で全身から汗が吹き出し、呼吸が浅くなる。レイは歯を食いしばってプライドだけで悲鳴を噛み殺した。
「観念したまえ」
そう言うディートリヒの表情は、先ほど打って変わって焦燥に駆られていた。レイは内心で罵詈雑言を思いつく限り並べ立てたが、痛みはもちろん緩和することなどない。
「ク、ラウス、は!」
息も絶え絶えに、レイは口を開く。
「レーヴェ、ン、シュタイン、を、信じていた。浄、化薬の細工、を……信じて、いなかった! クラウスが、貴方に、何をしたというのです!」
レイの言葉に、ディートリヒの表情はより怒りに歪んでいく。その表情を、レイはしっかりと目に焼き付けた。
「父の髪色、レーヴェンシュタイン公爵家たる魔力量……あいつは、私が渇望してやまない全てをもって生まれ、父に溺愛されながら育っていった。そして私の努力を歯牙にもかけずに出て行った! 父の失望を見ながら支え続ける者の気持ちが、あいつには分からんのだ!」
仕込み杖の鞘部分を床に叩きつけながら、ディートリヒは尚も癇癪を起こしたように叫び続ける。
「父が今も呪いの後遺症にさいなまれながらうわごとのように呟くのはアイツの名だ! 兄が亡くなって以来、そばで支え続けたのは、クラウスなんかではない! 私だ! 私を見ろ! 私は、私は! クラウスでは、ない!」
その悲痛な叫びは、レイの胸によく響いた。魔術師のなりそこない。伝説の魔術師の血筋。コンプレックスに板挟みになっている姿は、もしかしたら自分の姿だったのかもしれない。そう思うと同情したくなる気持ちもある。が、そこにクラウスの非はあるか? まるでクラウスが生まれたことが罪であるかのような他罰的な言い草に、反吐が出た。
ふと、レイは自分の血で染まる太ももに視線を落とした。血とともに調律された魔力があふれ出している。魔力拘束をしたことにより逃げ場を失った魔力が、噴き出すようにそこから出ていた。痛みで霧散しそうになりながら、頭の中で構成を整える。魔力回路の欠陥を抱えた自分が、どこまでできるかはわからない。ただ、ここから逃げ出し、こいつの罪を世に知らしめなければいけない。ここまで人の命を弄び、大それたことをしでかした奴を、一医療者として許すわけにいかなかった。
相手は複数人、脱出するまでにどれくらいの距離があるかもわからない。オーバーヒートを起こせば脱出は不可能。窓もないから位置も分からない。誰一人殺さず、逃げる。攻撃できる魔法薬の手持ちもない。使えるものとしては発動は早いが攻撃性の高い魔法を使えば一発でオーバーヒートを起こしかねない現代魔法と、上手くいけば現代魔法を出し抜ける古代魔法。ただし、古代魔法のデメリットは詠唱による発動の遅さにある。気付かれれば命はないと思わねばならない。最大の効果と、リスクを天秤にかける。極限まで短縮しろ。発動の限界を見極めろ。
こいつに覚悟の仕方を見せてやれ!
≪眠り根よ張れ、夢に至る息吹で満たせ≫
魔力回路が燃えあがりそうな程一瞬で熱くなった。魔力の放出先が太ももの傷しかないため押し出すための負荷がかかる。魔力と一緒に刺さった短剣を押しのけるように一瞬ごぽりと血がこぼれた。
「何をっ!?」
ディートリヒが驚愕の声をあげる前に、レイの傷口から数本の細い魔力の根が伸び上がり、周囲の人に襲い掛かった。慌てて結界を張るディートリヒたちに根は結界ごと巻きついて、結界を侵食し始める。結界にヒビが入り、その隙間から根が侵入し、結界の中に一輪の黄色い花を咲かせた。
花が咲いた瞬間、ディートリヒたちはその場に膝から崩れ落ちた。魔法の行使をやめ、レイは肩で息をしながらソファの背もたれに体を預けた。古代魔法の方が、魔力回路に負担が少ないのは薄々気付いていたが、やはり短縮するとなると相応の負荷がかかった。もっと効率のいい短縮方法を学ばねばならない。
レイは後ろに倒れている私兵の一人に、自分へ魔力拘束用の手錠を投げた者を見つけた。動かしづらい体と太ももの傷の痛みに耐えながら、その私兵に近付いてポケットを探る。魔力拘束用の手錠も、魔法の打ち消しが入ってしまうので、鍵による手動開錠が必要だ。鍵を見つけ、何とか手錠の鍵を開ける。かしゃんと手首から手錠が落ちて、魔力が喜ぶように体に纏い始めた。
それでも、オーバーヒート手前まで熱されている魔力回路のせいで、熱に浮かされたように体はあつい。正直、傷も深く、そう長くは歩けないだろう。かといって、長くここにもいられない。レイは立ち上がった。熱に浮かされる意識を何とか保ちながら、おぼつかない足で床を踏みしめる。クラウスたちが待っている。誰よりも先に、自分の無事を伝えなければならない。
レイは血の足跡を残しながら、ドアに向かって歩き始めた。