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第14話 解放

 足を引きずりながら歩くたび、太ももに刺さった短剣が存在を主張する。振り返ってみても、さっきまでいた部屋がまだ見える距離しか進めていない。もしここで誰かと遭遇したら、レイはもう成す術がなかった。魔力回路の発熱は引かないし、痛みに震えながら一歩ずつ進んでいるが、応急処置もできていない現状で、失血量も多く、正直動くのもままならない。もう、限界だ。


レイは廊下の壁を伝って歩いていたが、足の力が抜けその場にへたり込んだ。痛みと魔力回路の発熱で息が整わない。


 先ほど行使した古代魔法も、正直昨日クラウスが調律してくれていなかったら発動できたかどうかも怪しい。祖母だったなら、こんなところ、いとも簡単に破壊して出て行ってしまうのだろう。


 自分の体質を恨んでしまう。こんな体質に生んだ母親を、一度も恨まなかったかと言われたら嘘になる。抱える劣等感を誰かにぶつけられたら、それはさぞ楽なことだろう。ディートリヒには、ぶつけやすい対象が身近に居た。見れば見るほどに悔しかっただろう。自分には運がなかったと、そう思えるまでに何度自身を律し、押し殺さねばならないか考えたら、途方に暮れたことだろう。クラウスにぶつけてしまいたくなる気持ちだって、わからなくもない。その気持ちの置き場を作ってもらえなかったその一点だけが、レイとディートリヒを分けた。おそらく、ただそれだけの違いに過ぎない。


 遠くから複数の足音が近づいてくるのが聞こえる。あぁ、まずい。すぐそこに死の気配が迫っている。レイは力を振り絞って立ち上がった。死ぬわけにいかない。クラウスの心に、これ以上傷を増やすわけにいかない。


レイは構成を組み立てたが、魔力回路が悲鳴をあげ、目が眩み始める。初歩の魔法ですらもう発動しそうにない。


前方から足音が近づいてきて、廊下の角から人影が飛び出す。2人の私兵の姿が現れ、レイを見つけるやいなや、「くそ! 人質が逃げている!」「捕まえろ!」と口々に言ってレイの方に走ってくる。その手がレイの肩に届こうとしている。――万事休すだ。


そう思った瞬間、レイは私兵の後ろに突如空気から溶け出すように現れた白金髪が揺れたのが見えた。長い脚が私兵二人の頭を横からなぎ倒し、壁に激突させる。勢いのままその人物は空中でもう半回転し、身を低くしながら着地した。


「――レイッ!」


立ち上がったクラウスを見た瞬間、レイは全身の力が抜けた。ふらつく体をクラウスが支えてくれた。


ギィン


耳障りな共鳴音が聞こえ、レイは頭を振った。共鳴音の濁り方が酷い。今日一日で、どれほど魔法を使って追いかけてきたんだ、この馬鹿は。


「無茶しやがって」


レイが言うと、クラウスは深くため息をついた。そのままレイの体を引き寄せる。


「それを今の君が言うのはどうかと思うが」


呆れたような声に、レイは穏やかに笑った。クラウスはそのままレイを横抱きにして、私兵たちが来た道を戻ろうとするが、レイはそれに待ったをかけた。


「あの部屋に、ディートリヒ卿がいるが、拘束できていない」

「もうすぐ部隊が到着する。そんなことよりも君の手当を――」

「目が覚めるのも時間の問題だ。――頼む、クラウス。ちゃんと裁いてやらねば、俺の気が済まない」


クラウスは顔を顰めたが、レイの真剣な表情を見て、折れた。ため息をついて、無言で部屋に向かって歩き始める。開きっぱなしのドアから中を覗いて、倒れている私兵5人とディートリヒの姿を見て、クラウスはレイを見下ろした。


「無傷制圧か。……すごいな。今回はどんな無茶をした?」

「……古代魔法に適正は?」


眼鏡のずれを直しながらレイがニヤリと笑うと、クラウスは苦笑し、「それは、残念だ」と答えながらレイをベッドに寝かせた。そのままクラウスは倒れているディートリヒに、レイがされていた手錠をかけた。そのまま他の私兵たちも拘束していく。手際の良いクラウスを見ながら、レイは声をかけた。


「モートンは?」

「店にいるよ。かわいそうに、震えながら君を案じていたよ」

「クラウスはどうやってここまで来た?」

「隠密魔法と身体強化を駆使して追いかけてきた」

「魔法は使うなとあれほど―――」

「では君が攫われるのを指をくわえて待っていろと!? 私が撒いた種だぞ!」


最後の一人を縛り上げて、クラウスは声を荒げた。レイは無言でクラウスの方を見ながら、彼の悲痛な声にそのまま耳を傾けた。


「やはり、世話になるべきではなかった。まさか君が日中ゴブリン調査に出かけていると思っていなかったんだ……。かといって君一人を外に出すのは心配だった。道中、君を人質に取られたりでもしたら、私は喜んで命を差し出しただろう」

「クラウス」


レイは呼びかけて、手をクラウスに差し出した。クラウスは素直にベッドに近付いて、レイの手を握った。先ほどよりも濁った共鳴音がする。魔法を使ってもいないのに、魔力の汚染が進んでいる。店に滞在している間、魔法を使っていない限り、汚染していなかった魔力のことを考えても、ディートリヒが言っていたことは当たっているのかもしれない。


クラウスの冷えた指先を温めるように、レイは手を握ったまま、一つ息をついた。


「……母君のことを、聞いた」


クラウスの目がわずかに開かれ、そして伏せられた。重ねた手を離そうとするクラウスに、レイはその手を追いかけて掴む。再びクラウスの目がレイを見つめる。その瞳に深い悲しみを湛えて。


「君の悲しみを想像しても余りある。分かるなんて口が裂けても言えない。……仮に母君を拘束できたとして、実刑判決は免れなかっただろう。それを、レーヴェンシュタイン公爵家の一員として、君が決着をつけたことにより、公爵家は汚名をそそいだ形をとれた。――君が下した結論は、そういう意味を孕んだことだったんだろう?」


無言で見つめてくる瞳の奥に、必死に隠そうとしている感情の揺れを見て、レイはもう片方の手も彼の手に重ねた。


「君が、レーヴェンシュタインを愛し、守ろうとした――その誇りに、ただ敬意を。辛い決断を下し、耐え、実行に移した君に、幸多からんことを。どうか――君の心が救われることを……ただ、それだけを、祈るよ」


クラウスの目は再び伏せられ、レイを見ようとはしなかった。クラウスの空いていた手が、さらにレイの手に添えられ、彼の額に付けられた。クラウスの手がわずかに震えている。レイは握りこまれた手に力を込めて、彼の手を、心を、しっかりと支えようとした。


しばしの沈黙の後、クラウスはやっと、震える唇を開いた。


「……母は、誰よりもレーヴェンシュタインを愛していた。ザルハディア王国から嫁ぎ、その献身は、自他ともに認められるものだった。母より語られる愛を、私は信じて育ち、私もまたレーヴェンシュタインを愛すようになった。オルディアス王国を支える中枢としての誇りを、私に教えたのは紛れもなく母だった。……母が愛したレーヴェンシュタインを、母が自らの意思で壊そうとしたとは、到底思えなかった。だが、最期に母は、私の腕の中で息絶える瞬間に言ったのだ」


クラウスが、息をひとつ吐いて、ゆっくりと吸う。


「――『ただ、憎い』……そう言いながら、私の頬を切りつけた。父に似ていると言って、小さい頃から母が何度もなでた頬を、母は涙をこぼしながら……切ったのだ」


言い切ってなお、大きく吐く息は熱く、次の呼吸までに時間を要していた。


「レイ」


クラウスが呼ぶ。


「私は、何を信じていいか、わからない」


彼の言葉に、呪いの核心に触れていると思った。だが、言葉が出なかった。何を言っても彼の心の中心に届くと思えなかった。彼の心の叫びに、どう応えればいいかわからなかった。


「――どちらも真実なのだろう」


レイは、口をついて出てきた言葉に、そのまま従って続けた。


「母君は、レーヴェンシュタインを愛し、ザルハディア王国も、オルディアス王国も、愛していた。愛していたからこそ、憎くもあったのだろう。……何も、間違っちゃいない。――少なくとも、君は母君に、嘘偽りなく愛されて育った。……その一点は、信じていいんじゃないだろうか。――君は愛されて育った。俺はそう思っているよ」



クラウスはただ黙っていた。しかし、しっかりと握り返される手に、レイはクラウスの心を見た。






 その後は、淡々と事件の処理がなされていった。転移してきたオルディアス王国の魔術師部隊が施設を制圧。レイとクラウスも保護された。魔術師部隊の中にクラウスを知る者もおり、クラウスから「仕事仲間だ」と簡単に紹介を受けた。レイがルミアの孫だと知ると、皆一様に一歩引いたので、レイは「あ、これは祖母がいろいろやらかしてるな」と悟った。レイの表情を見て、クラウスが笑って「気にするな。そう悪いことはされていない」と弁明したが、かえってその笑顔に魔術師部隊が凍り付いたのを見て、レイは笑った。


 部隊の医療魔術師がレイの状態を見て、短剣を引き抜きすぐ応急処置をしてくれた。だからそのまま帰ろうとしたのに、後ろから肩をがっちりとつかまれ、きちんと検査を受けろと言われた。あっという間に通信魔法で王都の大学病院へ受け入れ可能か打診され、レイはそのまま王都フィルドンの国立魔法大学病院へ搬送する段取りを組まれてしまった。店にいるモートンに、せめて顔を見せてあげたいと言ったが、それは無視された。転移される直前、レイはクラウスに早口でまくし立てた。


「モートンに無事だと伝えてくれ! あとで連絡するけど、店は休みにしろって! あ、クラウス! しばらく魔法禁止だからな! 絶っ対っだからな! いいね!」


重症だったはずなのに元気にまくしたてるレイを見て、クラウスは思わず声をあげて笑った。魔術師部隊がまるで異様な光景でも見るようにクラウスを見ていたのを最後に、レイは緊急搬送用の簡易転移装置で転移させられた。


 転移された場所はまさかの入院病棟のVIP用個室だった。魔法薬士免許を取得する前の実習で、大学病院を案内されたときに見学で入っただけの部屋に、まさか飛ばされると思っておらずレイは固まった。確かにレーヴェンシュタイン公爵家の被害者であり、功労者であるレイに好待遇をするのは道理かもしれないが、こんな扱いをされたこともないレイには恐縮する他なく、落ち着くこともできなかった。


 次々と医療魔術師が検査をしにやってきた。その中にサルベルト教授の姿もあり、その顔は非常に厳しいものだった。他の魔術師が退室したあとに、サルベルト教授から、それはそれはとても長いお叱りを受けた。自身の体質をわかっている癖に無謀な行動をとり過ぎること、それについて心配したこと、最後に、よく生きて戻ったと。マルキオン教授よりも不器用にそう言う姿に、レイはいい先生だな、と思った。


「マルキオン教授にもご迷惑をかけてしまいました。……怒ってましたか?」


レイがそう言うと、サルベルト教授はふっと軽く笑った。


「やっとお前に頼ってもらえたと、喜んでいた。今は、国安保のマーベック氏と共にに召喚されて王城へ行っている。ことの経緯を説明するためだそうだ。……近々、貴族裁判が開かれるぞ」

「でしょうね……もしかして、俺も出頭命令が出ますかね?」

「可能性はあるだろう。それもあって、こっちに飛ばされたんだろうからな」


レイはげんなりとため息をつき、しばらく戻れないことをモートンに伝えなければと思った時に、ふと脳裏にクラウスのことがよぎった。


「あの、サルベルト教授すみません。実は、呪いについて聞きたいんですが」


退室しようとしていたサルベルト教授にそう切り出すと、サルベルト教授は振り返って頷いた。


「件の浄化薬を持っていた患者のことか」

「はい。実は、呪いの形式について、他者からではなく、自分自身にかけてしまった呪いの治療について聞きたいんです」


サルベルト教授の眉がぴくりと動いた。椅子を引いてきて、レイのいるベッドのすぐ隣で腰を掛ける。


「その理由にもよるが……うつ病患者の診察をした経験は?」

「ありません――が、言わんとしていることは、わかります」


一見完治したように見えたとしても、再発のリスクがある。魔力が心と体の状態と深く関わっている以上、今後心の問題により症状として魔力の汚染という形で表面化する可能性は捨てきれない。サルベルト教授はそう言いたいのだろう。


サルベルト教授は深く頷いた。


「魔法薬じゃなく、精神薬に頼ってもいいだろう。家族、友人、恋人、環境と時間。心の問題にはどれを欠いても改善はされない。全て揃っていたとしても、治らない場合だってある。……お前にその気があるなら、支えてやれ。無理なら早々に専門医に投げろ。それが判断できないお前でもないだろう。特にお前は、あの店の期間限定の魔法薬士なのだから」


レイはその一言に逡巡し、頷いて返すことしかできなかった。

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