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第8話 勉強しておいてよかったと思える日

 翌朝目が覚めた宇海うみは、自分が今どこにいるのかわからなかった。見覚えのない場所で、何故かゆらゆら揺れている。ベッドの上ではない。起き上がろうとしたら、ドスンと音を立てて落っこちた。


「ありゃりゃ。大丈夫、ウミちゃん? ハンモックって、慣れるまで難しいよね」


 差し伸べられた手を掴んで起き上がる。顔を上げると、目の前には自分よりいくつか年上の赤毛の少女がいた。


(あ……そうだった)


 わたしは今、海賊船にいるんだった。そのことを思い出すと、ようやく頭もはっきりしてきた。


「おはよう、ココちゃん。ちょっと痛かったけど、大丈夫。ありがとう」

「よかった。朝食ができたから呼びに来たところなんだ。おいで」

「うん」


 二人は手を繋いだまま、部屋をあとにした。

 ココに連れられてやってきたのは医務室だった。何で医務室なのかと宇海が聞くと、ココは「アーレフさんが食べながら話がしたいんだって」と答えた。


「アーレフさん、ウミちゃんを連れて来たよ」

「ありがとう、ココちゃん。ウミちゃん、おはよう」

「おはようございます、アーレフさん」


 医務室に入ると、アーレフがゆったりとした笑顔で迎えてくれた。ココは「仕事があるから、また後でね。お皿は調理室まで持ってきてね」と言って去っていった。


「お腹が空いているでしょう? 一緒に食べましょうか」


 ほら、ここに座って。とアーレフが空いている椅子を指した。机の上には数枚のビスケットと焼き魚の乗った皿が置かれている。変わった組み合わせだなと思いながら宇海は椅子に座った。


「いただきます」


 宇海が手を合わせてそう言うと、アーレフが不思議そうな顔で宇海を見た。


「なぁに、それ」

「え? えっと……」

(どうやって説明しよう)


 いつも当たり前のようにやっている「いただきます」と「ごちそうさまでした」。そういえば、外国の人はしないんだっけ? 『ハリー・ポッター』の映画でもやってなかった気がする。


「わたしがいたところではね、ご飯を食べる前に〝いただきます〟って言って、食べた後には〝ごちそうさまでした〟って言うの。食材とか、料理を作ってくれた人に感謝するため……だったかな」

「へぇ、そうなの。なんだか素敵ね。私もやってもいいかしら」

「うん、もちろん!」


 アーレフが見よう見まねで手を合わせながら「いただきます」と言って、二人で顔を見合わせながら一緒に笑った。

 食事をしながら、アーレフは色々なことを宇海に聞いてきた。あれから一晩経ったが、調子はどうか、船酔いはしていないか、ちゃんと眠れたか、などなど。宇海は幸運にも未だ船酔いはしていなかったので、調子は抜群だった。何も問題ないと言うと、アーレフは安心したような顔をした。


「ねぇ、ウミちゃんが元々いたところの話を聞いてもいいかしら。私、知らない土地の話を聞くのが好きなの」

「うん……いいよ」


 アーレフの質問に、宇海は微妙な顔をしながら返事をした。さっきの〝いただきます〟と〝ごちそうさまでした〟もだが、当たり前のこととして受け止めていることを、全然違う時代の国——どころか全然違う(かもしれない)世界——の人に説明するのは、ちょっと自信がなかった。難しい質問じゃなければいいけど。


「ありがとう。それじゃあまずは、ウミちゃんがいた国の名前を聞いてもいい?」


 ああ、よかった。簡単な質問だ。


「日本っていう国だよ。島国でね、縦長の形をしてて……あ、一番大きい島が縦長で、他にも色んな大きさの島が集まって、日本っていう国になってるの」

「まぁ、賢いわねぇ、そんなことまで知っているなんて。もしかして、ウミちゃんの家も何人もの家庭教師を雇っているの?」

「え⁉ 違うよ。学校で習ったの」

「あら、そうなの⁉ 女の子でも学校に行って勉強ができるなんて、素敵な国ね、日本って」

「えっと……」


 悪気のまったくなさそうなアーレフの顔と言葉に、宇海は大いに困った。確かに昔は誰もが学校に行けたわけではないし、今だって女の子だからというだけで学校に行けない国が存在していることは知っている。それでも休みがいっぱいあるからって宿題もいっぱい出してくるような国が素敵だとは、ちっとも思えなかった。


「全然、素敵じゃないよ。だって、毎日毎日宿題出してくるし、今だって、夏休みだからって読書感想文とか、自由研究とか、ポスターとか、色々やりなさいって言ってくるし。嫌になっちゃうよ」


 宇海がふくれっ面で答えると、アーレフは「あらあら」と笑った。


「でもそれは、色んな知識を身につけたり、色んなことに興味を持ってほしいってことなんじゃないかしら。でも……そうよね。宿題は嫌よね」


 そう言ってアーレフがペロッと舌を出して苦々しく笑った。


「アーレフさんも、宿題嫌いなの?」

「ええ。少なくとも、好きではないわね。私は家が家だから、何人もの家庭教師に毎日毎日勉強を教えてもらっていたのだけど、ほら、やっぱり誰にだって苦手なものもあるでしょう? 苦手な人でもいいけど。苦手なことってなかなか覚えられないから、次回までにしっかり復習しておくように、なんて言われちゃって。ああ、また遊ぶ時間がなくなっちゃったわ、なんて思っていたわ」

「そうなんだ……」


 宇海は妙な親近感を覚えながらアーレフを見た。お医者さんだと言っていたし、なんでもできそうに見えるアーレフ。そんな彼女にも苦手なことや、遊ぶ時間を気にするようなところがあるとは思わなかった。


「でも、色んな知識を身につけておいて損はないわよ。知識は誰にも奪われないし、時には自分を守る武器にもなる。だから私は、苦手なことを教えてくれた先生方にも感謝しているわ。ウミちゃんも、今はまだ嫌だなって思うだけかもしれないけど、いつかきっと勉強しておいてよかったと思える日が来るかもしれないわ」

「……うん」

(本当に、そうかな……)


 本当に勉強してよかったと思える日が来るのか、宇海には信じられなかった。でも、いつもみたいにお母さんにがみがみと言われるよりも、今のアーレフの言葉の方がすっと自分の中に入ってきた感じがした。知識は誰にも奪われない。自分を守る武器にもなる。そんな風に言われたことは今までなかったからかもしれない。勉強した内容でどう守るのかはいまいちピンときていなかったが。


「あら、あんまり信じていないわね? でも、さっきウミちゃんは、ウミちゃんのいた国がどんな形なのか教えてくれたでしょう? もし教わっていなかったら、私に何も説明できなかったのよ」

「あ……」

(そっか。そういうことなんだ)


 最後の一言で、宇海の頭は一瞬で晴れ渡った。知らなければ、誰かに説明することもできないんだ。もし説明できなければ、アーレフとの会話もそこで終わっていたかもしれない。


「うん……そうだね。ありがとう、アーレフさん」

「ふふっ。どういたしまして」

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